の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

伊射奈岐社

2010年05月01日 22時27分37秒 | 近畿(奈良)
■本殿■
(18th April 2009)



★伊射奈岐社★ 奈良県天理市柳本町字天神山1898

・延喜式内社、大和國城上郡、伊射奈岐社。

・舊社格は村社。

・祭は伊邪那岐神、菅原道眞。

・楊本天、楊本天滿宮と称した。

・元々、現社地の東南に位置する山田という垣内に鎭座していたといい、字ノゾキという地が舊社地と傳えられる。傳崇天皇陵の東側にある櫛山古墳周辺の田園地帯であるという。現在でも祭礼に關しては山田に優先権が認められている。

・中、近世の文書には「天」「楊本天」「楊本の天滿」などと記され、石燈籠などにも天滿宮などの銘があり、「伊射奈岐社」とされたものはなく、中、近世を通じ天滿宮と称されていたことがわかる。

・志賀剛は「山田のノゾキの地にあったこの式社が天に合祀し、社名が式社名になった」と考えている(『式内社の研究』)。

・文明年間(1469-1486)には現在地に鎭座し、楊本の總鎭守とされていたという。

・寛正二年(1461)には興寺大乗院主尋尊、天文二十二年(1553)には三条西公条の參詣があった。

・天文二十四年(1555)には後奈良天皇が綸旨を下し、八月だった事を九月に定めるとともに、柳原淳光に皇室再興を祈らせた。

・江戸時代、柳本藩主織田氏の庇護を受け、柳本藩社と呼ばれた。


■鳥居■
(18th April 2009)



■拜殿■
(18th April 2009)



■本殿■
(18th April 2009)



■末社嚴島社、大山咋社、八坂社■
(18th April 2009)
 


■末社春日社、若宮社、秋葉社■
(18th April 2009)
 


■境内社建勳社■
(18th April 2009)



■末社琴平社■
(18th April 2009)



■末社稻荷社■
(18th April 2009)


・祭は宇加之御魂命、大田命、大宮比賣命。


((コメント))

2009年4月18日

 何度か来ているので、新しい何かを感じるということはないが、懐かしく思うものだ。天滿さんの社地であったそうで、それだけあって、ここ自体には何も感じるものはない。天山古墳も副葬品を埋めるものであったとされ、埋葬された人もいないようなので、祀るものもない状態。舊社地は知っているが、まあ、ここよりはましといった感じだが、水田になっており、なんら特別なものを感じるところではない。


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