■拜殿■
(12th February 2003)
★石上宮★ 奈良県天理市布留町384
・延喜式内社、大和國山邊郡、石上坐布都御魂社、名大、月次相嘗新嘗。
・『延喜式』臨時祭、祈雨祭八十五座、竝大の一。
・二十二社、中七社の一。
・舊社格は官幣大社。
・祭は布都御魂大、布留御魂大、布都斯魂大。宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣を配祀。本來は一座なので、布都御魂大一座と思われる。
・布都御魂大は體である布都御魂剣に宿る靈。
・主祭三は禁足地に埋祀され、配祀四は『石上布留社略記』によると、中古まで宮の前の山に祀られていたが殿が朽損したので拜殿に遷し祀ったという。
・『日本書紀』に記された二つの宮のうちの一つ(もう一つは伊勢宮)で、日本最古の宮。
・物部氏の總氏とされる。
・布留大明と稱される。
・古くは齋宮が居たというが不明。
・社傳によれば、布都御魂劔は武甕槌、經津主二による葦原中國平定の際に使われた劔で、武東征で熊野において武天皇が危機に陥った時に、倉下命 (夢に天照大、木、建御雷が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡り、その後、物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇天皇七年 (紀元前91)、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大」として祀ったのが當社の創建であるという。
・備前國一之宮石上布都魂社より、崇天皇の御世に、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったという十握劔が布都斯御魂として吉備部のもとに祀られていたが、仁天皇五十六年(368)、市川臣が勅を奉じて、それを石上振宮(當社)の庭の地に遷し、埋齋されたという。
・丹波國桑田村甕襲というものの飼い犬が食い殺した「牟士那」という山の獣の腹から八尺瓊の勾玉が出てきたので献じられ、當社に傳わる。
・平安京遷都に伴い、延暦二十三年(804)二月五日、造石上宮使石川朝臣吉備人等をして宮の器仗を山城國葛野郡に運ばせたところ、鳴鏑の異がしきりに起こり、村邑が恐れおののいたことにより、布留宿禰庭は寶を遷すことを停止するよう奉聞したが、聞き入れられず、さらに倉が倒れたり、聖體不豫のことなどがあり、春日祭使建部千繼が女巫に託を聞かせて奏上し、よって天皇の御年数に准じて宿僧六十九人に石上宮で讀經させ、の怒りを鎭めて宮の器仗を返納せしめたと『日本後紀』に記される。
・社傳によると、永保元年(1081)、白河天皇が鎭魂祭を行う場として、宮中三殿の一つである嘉殿を拜殿として當社に寄進し、門を改築し、今日の樓門を建て、寛治六年(1092)、上皇として參詣したという。
・中世以降、興寺と度度、抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、戰國時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、領も没収されたが、氏子たちの信仰は衰えず、明治十六年(1883)、再び宮號を名乗ることを許された。
・本來、本殿は存在せず、拜殿の奥の聖地(禁足地)を「布留庭」「御本地」などと稱して祀り、またそこには二つの寶が埋齋されていると傳えられていた。
・明治七年(1874)の発掘を機に、出土した劔(布都御魂劔)や曲玉などの寶を奉齋するため本殿を建造。
・兵器類奉納の傳承が多いことから、當社が朝廷の兵器庫的役目を果たしていたという説があり、實際、物部連は朝廷の軍事的役割を負っていたことを考えるとあながち否定は出來ない。
・當社の祭祀には物部氏の他、大伴氏、佐伯氏も關與しているが、すべて、大和朝廷の軍事にかかわる氏族である。
■樓門■
(1st January 2011)
國重要文化財
・文保二年(1318)建立。
■拜殿■
(1st January 2011)
國寶
・永保元年(1081)、白河天皇が鎭魂祭を行う場として、宮中三殿の一つである嘉殿を拜殿として當社に寄進、門を改築、今日の樓門を建て、寛治六年(1092)、上皇として參詣したと傳えられる。
■攝社出雲建雄社拜殿■
(1st January 2011)
國寶
・内山永久寺(廃佛毀釈により廃寺)から大正三年(1914)に移築。
・正安二年(1300)頃の建立とされる。
・建物の中央部分を土間の通路とした「割拜殿」と呼ばれる形式をとる。
■攝社出雲建雄社(左)、末社猿田彦社(右)■
(12th February 2003)
(1st January 2011)
(出雲建雄社)
・延喜式内社、大和國山邊郡、出雲建雄社、論社。
・祭は出雲建雄。
・朱雀元年(636)、布留川の上日谷に瑞雲が立勝る中、剱が光を放って現れ「今此の地に天降り、諸の人を守らん」と宣言し直ちに鎭座されたという。
・體は靈劔。
(猿田彦社)
・祭は猿田彦。
■攝社天社(左)、攝社七座社(右)■
(1st January 2011)
(天社)
・祭は皇産靈、皇産靈。
(七座社)
・祭は生産靈、足産靈、魂留産靈、大宮能賣、御膳都、辞代主、大直日。
((コメント))
2003年2月12日
十八歳の正月の初詣以來、約十一年ぶり。日本史の授業でも名を聞くほどの有名な社だ。
2011年1月1日
正月になった午前二時半、少し遅めの訪問あったが、まだ、まずまずの參拜客の姿が見られた。流石である。
(12th February 2003)
★石上宮★ 奈良県天理市布留町384
・延喜式内社、大和國山邊郡、石上坐布都御魂社、名大、月次相嘗新嘗。
・『延喜式』臨時祭、祈雨祭八十五座、竝大の一。
・二十二社、中七社の一。
・舊社格は官幣大社。
・祭は布都御魂大、布留御魂大、布都斯魂大。宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣を配祀。本來は一座なので、布都御魂大一座と思われる。
・布都御魂大は體である布都御魂剣に宿る靈。
・主祭三は禁足地に埋祀され、配祀四は『石上布留社略記』によると、中古まで宮の前の山に祀られていたが殿が朽損したので拜殿に遷し祀ったという。
・『日本書紀』に記された二つの宮のうちの一つ(もう一つは伊勢宮)で、日本最古の宮。
・物部氏の總氏とされる。
・布留大明と稱される。
・古くは齋宮が居たというが不明。
・社傳によれば、布都御魂劔は武甕槌、經津主二による葦原中國平定の際に使われた劔で、武東征で熊野において武天皇が危機に陥った時に、倉下命 (夢に天照大、木、建御雷が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡り、その後、物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇天皇七年 (紀元前91)、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大」として祀ったのが當社の創建であるという。
・備前國一之宮石上布都魂社より、崇天皇の御世に、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったという十握劔が布都斯御魂として吉備部のもとに祀られていたが、仁天皇五十六年(368)、市川臣が勅を奉じて、それを石上振宮(當社)の庭の地に遷し、埋齋されたという。
・丹波國桑田村甕襲というものの飼い犬が食い殺した「牟士那」という山の獣の腹から八尺瓊の勾玉が出てきたので献じられ、當社に傳わる。
・平安京遷都に伴い、延暦二十三年(804)二月五日、造石上宮使石川朝臣吉備人等をして宮の器仗を山城國葛野郡に運ばせたところ、鳴鏑の異がしきりに起こり、村邑が恐れおののいたことにより、布留宿禰庭は寶を遷すことを停止するよう奉聞したが、聞き入れられず、さらに倉が倒れたり、聖體不豫のことなどがあり、春日祭使建部千繼が女巫に託を聞かせて奏上し、よって天皇の御年数に准じて宿僧六十九人に石上宮で讀經させ、の怒りを鎭めて宮の器仗を返納せしめたと『日本後紀』に記される。
・社傳によると、永保元年(1081)、白河天皇が鎭魂祭を行う場として、宮中三殿の一つである嘉殿を拜殿として當社に寄進し、門を改築し、今日の樓門を建て、寛治六年(1092)、上皇として參詣したという。
・中世以降、興寺と度度、抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、戰國時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、領も没収されたが、氏子たちの信仰は衰えず、明治十六年(1883)、再び宮號を名乗ることを許された。
・本來、本殿は存在せず、拜殿の奥の聖地(禁足地)を「布留庭」「御本地」などと稱して祀り、またそこには二つの寶が埋齋されていると傳えられていた。
・明治七年(1874)の発掘を機に、出土した劔(布都御魂劔)や曲玉などの寶を奉齋するため本殿を建造。
・兵器類奉納の傳承が多いことから、當社が朝廷の兵器庫的役目を果たしていたという説があり、實際、物部連は朝廷の軍事的役割を負っていたことを考えるとあながち否定は出來ない。
・當社の祭祀には物部氏の他、大伴氏、佐伯氏も關與しているが、すべて、大和朝廷の軍事にかかわる氏族である。
■樓門■
(1st January 2011)
國重要文化財
・文保二年(1318)建立。
■拜殿■
(1st January 2011)
國寶
・永保元年(1081)、白河天皇が鎭魂祭を行う場として、宮中三殿の一つである嘉殿を拜殿として當社に寄進、門を改築、今日の樓門を建て、寛治六年(1092)、上皇として參詣したと傳えられる。
■攝社出雲建雄社拜殿■
(1st January 2011)
國寶
・内山永久寺(廃佛毀釈により廃寺)から大正三年(1914)に移築。
・正安二年(1300)頃の建立とされる。
・建物の中央部分を土間の通路とした「割拜殿」と呼ばれる形式をとる。
■攝社出雲建雄社(左)、末社猿田彦社(右)■
(12th February 2003)
(1st January 2011)
(出雲建雄社)
・延喜式内社、大和國山邊郡、出雲建雄社、論社。
・祭は出雲建雄。
・朱雀元年(636)、布留川の上日谷に瑞雲が立勝る中、剱が光を放って現れ「今此の地に天降り、諸の人を守らん」と宣言し直ちに鎭座されたという。
・體は靈劔。
(猿田彦社)
・祭は猿田彦。
■攝社天社(左)、攝社七座社(右)■
(1st January 2011)
(天社)
・祭は皇産靈、皇産靈。
(七座社)
・祭は生産靈、足産靈、魂留産靈、大宮能賣、御膳都、辞代主、大直日。
((コメント))
2003年2月12日
十八歳の正月の初詣以來、約十一年ぶり。日本史の授業でも名を聞くほどの有名な社だ。
2011年1月1日
正月になった午前二時半、少し遅めの訪問あったが、まだ、まずまずの參拜客の姿が見られた。流石である。