の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

川尻八幡宮

2010年10月12日 22時10分43秒 | 関東(埼玉、東京、神奈川)
■拜殿■
(12th May 2009)



★川尻八幡宮★ 神奈川県相模原市城山町川尻

・舊社格は村社。

・祭は應天皇。

・大永五年(1525)五月五日に創建されたと云う。

・社傳によると、平安時代初期、天武天皇の皇子舎人親王の子孫が奥州下向の際に、この地で亡くなり、墳墓を作り、奉戴していた石清水八幡宮の分靈を祀り、祠を建てたのに始まる、という。ちなみに、その後、一行は奥州清原家を興隆したと傳わる。

・『新編相模國風土記稿』によれば一の鳥居から社の參道沿いには松の巨木が生茂っていた事から別名を「竝木八幡」と呼ばれたという。松の竝木の一部は嘉永六年(1859)にペリーが浦賀に來航したため、江戸市中を防備する事となり參道の松を切って品川沖の臺場建設にあてたと云う。

・寶永三年(1706)、社殿再興により從來の若宮權現から若宮八幡と改稱、さらに明治六年(1874)、村社に列した折り、八幡社に改められた。


■社號標、鳥居■
(12th May 2009)



■參道■
(12th May 2009)
  


■二の鳥居■
(12th May 2009)
 


■本殿■
(12th May 2009)


 相模原市文化財

・一間社流造。
・屋根正面に千鳥破風を置き、向拝には軒唐破風を設けている。
・十八世紀中期の建造と推定される。


■末社八坂社■
(12th May 2009)


・祭は素盞嗚尊(牛頭天王)。


■末社春日社■
(12th May 2009)


 相模原市文化財

・十八世紀中期の建造と推測される。
・下川尻村の鎭守社。
・明治時代に合祀される。
・流造であるが正面に千鳥破風をつけ、向拜の屋根幅を狹めるなど春日造を意図す。


■木■
(12th May 2009)
 


■川尻八幡社古墳(扇塚)■
(12th May 2009)


・昭和四年、城山町の藤一松が苦心して発見し、掘り出したもの。
・河原石を組み合わせて石室が作られ、室内から直刀三振、小刀二口、寶珠型の鍔一個、鉄製鏃三十數本などが出土。
・出土品、墓の構造より、奈良時代の様式の墳墓と推測される。
・社の傳説によると、天武天皇の皇子舎人親王の子孫が奥州下向の際、この地で倒れ奉戴していた石清水八幡宮の分靈を祀ったといい、この墳墓がそれであろうとされる。

 
((コメント))
 
2009年5月12日

 當初、存在も知らず、立ち寄る予定もなかったのだが、木木がこんもりとした氣になるところがあったので、急遽、立ち寄ると、川尻八幡宮というところだった。一應、十六世紀中頃の創建というが、社傳によると平安時代にまで遡るようではある。いずれにせよ、この地自體は古いところで古墳もあるのが事實であり、この地に石清水八幡宮の分靈を置いた祠を建てたという社殿も、あながち無視はできないように思う。

 社は、なかなか重厚な雰囲氣がし、いいところであった。天武天皇の皇子の舎人親王の子孫の墓とは言うが、何故呼ばれたのかはわからないが、何か、縁があるのであろう。


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