■拜殿■
(9th April 2009)
★丹生川上社上社★ 奈良県吉野郡川上村大字迫167
・舊社格は官幣大社。但し、丹生川上神社下社との二社合一、後、中社も含め三社合一にて。
・祭は龗。大山祇と大雷を配祀。以前は罔象女を主祭としていたが、大正十一年(1922)の丹生川上社中社との倂合に際し、龗に改めた。
・明治初年(1868)までは龗社という小規模な祠であり、その創建由等は不詳。
・大瀧ダム建設に伴う境内發掘調査により宮の平遺蹟が發見され、本殿蹟の眞下から平安時代後半以前に遡る自然石を敷き竝べた祭壇蹟が出土。
・付近からは、繩文時代中期末から後期初め(約四千年前)にかけての祭祀遺蹟と見られる、立石を伴う環状配石遺構が出土した。
・本殿は伊勢宮舊社殿の古材を用い、平成十年(1999)に造營された。
・舊社殿は大正六年(1917)の造築にかかるもので、飛鳥坐社へ移築され、同社の本殿等になっている。
■拜殿、本殿■
(9th April 2009)
■本殿■
(9th April 2009)
■平安時代祭場蹟(復元)■
(9th April 2009)
■末社三社■
(9th April 2009)
・向かって右より、水社、惠比壽社、愛宕社。
・祭神は水社に彌津波能賣、惠比壽社に大國主、事代主、愛宕社に火武須毘。
■末社山之社■
(9th April 2009)
・祭は大山祇。
((コメント))
2009年4月9日
何度も來ている社ゆえに、特別な感慨などは存在しない。ただ、龍さんの總本宮らしく、お守りもなかなか面白いのがあるので、そちらのほうはお勸めであったりする。
それはさておき、東吉野村の中社が延喜式内社丹生川上社であることは違いないが、上社及び下社も非常に古い歷史を物語る遺蹟があるわけであるが、その二社に比定しうる延喜式内社の存在はない。ここで、ふと思ったのであるが、熊野市の大部分、尾鷲市、北山地方、天川村および川上村の大部分は平安期まで大和朝廷の支配圏ではなかったのではなかろうか、という疑問が消せないのである。現上社および下社、下北山村の池社、天川の天河大辨財天社、十津川の玉置社、熊野の產田社、どの社も式内社となって然るべき社なのである。隱された歷史の中に大和朝廷の祕密があるのは違いないであろう。
(9th April 2009)
★丹生川上社上社★ 奈良県吉野郡川上村大字迫167
・舊社格は官幣大社。但し、丹生川上神社下社との二社合一、後、中社も含め三社合一にて。
・祭は龗。大山祇と大雷を配祀。以前は罔象女を主祭としていたが、大正十一年(1922)の丹生川上社中社との倂合に際し、龗に改めた。
・明治初年(1868)までは龗社という小規模な祠であり、その創建由等は不詳。
・大瀧ダム建設に伴う境内發掘調査により宮の平遺蹟が發見され、本殿蹟の眞下から平安時代後半以前に遡る自然石を敷き竝べた祭壇蹟が出土。
・付近からは、繩文時代中期末から後期初め(約四千年前)にかけての祭祀遺蹟と見られる、立石を伴う環状配石遺構が出土した。
・本殿は伊勢宮舊社殿の古材を用い、平成十年(1999)に造營された。
・舊社殿は大正六年(1917)の造築にかかるもので、飛鳥坐社へ移築され、同社の本殿等になっている。
■拜殿、本殿■
(9th April 2009)
■本殿■
(9th April 2009)
■平安時代祭場蹟(復元)■
(9th April 2009)
■末社三社■
(9th April 2009)
・向かって右より、水社、惠比壽社、愛宕社。
・祭神は水社に彌津波能賣、惠比壽社に大國主、事代主、愛宕社に火武須毘。
■末社山之社■
(9th April 2009)
・祭は大山祇。
((コメント))
2009年4月9日
何度も來ている社ゆえに、特別な感慨などは存在しない。ただ、龍さんの總本宮らしく、お守りもなかなか面白いのがあるので、そちらのほうはお勸めであったりする。
それはさておき、東吉野村の中社が延喜式内社丹生川上社であることは違いないが、上社及び下社も非常に古い歷史を物語る遺蹟があるわけであるが、その二社に比定しうる延喜式内社の存在はない。ここで、ふと思ったのであるが、熊野市の大部分、尾鷲市、北山地方、天川村および川上村の大部分は平安期まで大和朝廷の支配圏ではなかったのではなかろうか、という疑問が消せないのである。現上社および下社、下北山村の池社、天川の天河大辨財天社、十津川の玉置社、熊野の產田社、どの社も式内社となって然るべき社なのである。隱された歷史の中に大和朝廷の祕密があるのは違いないであろう。