の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

洲崎社 / 洲崎神社

2014年06月25日 03時53分17秒 | 関東(栃木、茨城、千葉、群馬)
■體山■
(13th June 2008)



★安房國一之宮洲崎神社★ 千葉県館山市洲崎1697

・延喜式内社、安房國安房郡、后天比理刀命社、大、元名洲、論社。

・舊社格は縣社。

・祭は天比理刀命で、安房社祭天太玉命の后。

・江戶時代に、安房國一之宮となったとされ、全國一の宮會に參加するものの、實際に江戶時代に一之宮とされたことを示す文書はなく、單に自稱であると考えられる。

・根拠は、文化九年(1812)、筆頭老中松平定信が「安房一宮洲崎大明」の扁額を奉納しているが、安房「國」ではなく實際に一之宮と呼ばれるべきか、という面では疑問である。

・寶曆三年(1753)に書かれた當社の社傳『洲崎大明由舊記』では、武天皇の御代、安房國の開拓者である天富命が、祖母の天比理乃命の持っていた鏡を體として、美多良洲山に祀ったのが當社の始まり、という。

・治承四年(1180)九月五日、石橋山の合戰に敗れ、海路安房國に上陸した源朝は當社に參拜し、上總介及び千葉介へ送った使者の無事と交渉の成功を祈願して、田を寄進している。

・江戶時代までは別當寺の養老寺が當社を支配した。

・東京品川區の品川社は、源朝が海上安全のために當社から勸請したもの。

・社近くの波左海中公園内の海中に、水難事故、水難事件防止を祈願する爲に作られた當社の分社、日本唯一の「水中社」がある。


■隨身門■
(13th June 2008)



■參道の石段■
(13th June 2008)



■拜殿■
(13th June 2008)



■本殿■
(13th June 2008)



 館山市指定文化財

・三社流れ造で、三方に木口緣をめぐらし、銅板葺、千木勝男木を置き、唐樣三手先組で外部は丹塗仕上げ、木鼻欄等に彫刻が施されている。
・裝飾が多く、江戸中期の社建築の特徴が强い。
・昭和六十一年(1986)に臺風で土砂が流出し、倒壊、修復された。


■境内末社■
(13th June 2008)



((コメント))

2008年6月13日

 一應、安房國一之宮を稱しており、江戶時代より一之宮となったといわれるが、實は、どの書物にもそのことは書かれておらず、實際には、安房國一之宮の格式を持つのは安房社が正當であろう。ただ、現實問題、洲崎信仰というのが特異な廣がりを見せたのは事實であり、有力な社であったことは否定できない。

2014年6月24日

 カナダで知り合った人に天然石のブレスレット、石は私が使っていたもの、をあげたのだが、その前に、氣の遠隔操作というのであろうか、腕輪に氣を入れたらば、洲崎明に祭られるものが入ったようであった。三體現れたが、最終的には女性の木造觀音像のようなものが腕輪に封じられることになった。なるほど、と思うのである。


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