の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

海南刀切社 / 海南刀切神社

2013年11月21日 14時59分48秒 | 関東(栃木、茨城、千葉、群馬)
■鳥居■
(13th June 2008)



★海南刀切社★ 千葉県館山市見物

・舊社格は村社。

・祭は刀切大明。

・縣道の北側海岸寄りにあるのが海南刀切社、南側山中にあるのが舩越鉈切社で、かってはひとつの社として信仰され、濱田の舩越鉈切社を上ノ宮、見物の海南刀切社を下ノ宮と呼んでいた。

・『房總志料』によれば、海南刀切社の祭手斧鑿明が勝地を求めるために使を遣わしたところ、刀切の靈地を愛したこの使は岩窟に隱れて復命せず、舩越鉈切社の祭になったという。また『安房志』は「古昔この、上國より船に乘じてこの海濱に來たり、手斧を以て巨岩を鑿開して道を通ず。ゆえに一にして舩越、海南の二名ありといふ」と記す。實のところ、二社の祭を別とする說、同一とする說があり、その關係は必ずしも判然としていない。

・本殿裏には二つに割れたような巨岩があるが、が船に乘ってきたとき、濱に上陸してから手斧で巨岩を切り開いて路を通したのだとも、人人を苦しめる大蛇が災をおこさないように、が鉈で岩を切り、大蛇の住む紫ノ池の水を抜いたときのものだとも傳えられている。


■社號標■
(13th June 2008)



■拜殿■
(13th June 2008)



■拜殿の優秀な彫刻■
(13th Jun 2008)






■拜殿の背後にある磐座■
(13th June 2008)



■狛犬■
(13th June 2008)


 天保十年(1839)、楠見村の石工田原長左衞門が彫った狛犬。


((コメント))

2008年6月13日

 こちらは、鉈切社と比較すると何も感じなかった。というか、スカスカに近い狀態。鉈切社が分斷されたために出來た社というので、まあ、の社のあった部分が鉈切のほうだったんでしょう。

 裏手にある巨岩。磐座と思うが、見た目はかなり立派である。ただ、惜しむらくは、あまりエネルギーを感じないということであった。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。