■參道からの海の眺め■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b6/86ba540f2b1491d31edea5d2be4300ea.jpg)
志摩國一之宮伊射波社 三重県鳥羽市安楽島町字加布良古1210
・延喜式内社、志摩國答志郡、粟嶋坐伊射波社二座、並大。皇大宮別宮伊雑宮も論社とされているが、延喜式名帳では別宮として皇大宮に含まれており、別宮が延喜式名帳に記される場合は、「社」ではなく「宮」とされているため、正確には正しくない。
・舊社格は無社格。
・祭は多紀理比賣命、伊佐波登美命、玉柱屋姫命、狭依姫命。
・元々、加布良古大明、加布良古社と呼ばれていた。中世以前の記録で伊射波社と呼ばれたとする記録はない。
・創建年代は不詳であるが、千五百年以上昔から鎭座するといわれている。
・建久三年(1192)の『皇大宮年中行事』に「悪志、赤崎、加布良古明」と記される古社。
・『外宮舊樂歌』には「志摩國知久利が濱におわします惡止、赤崎、惡止九所のみまえには、あまたの船こそ浮かんだれ、艫には赤崎のり玉う。舳には大明(加布良古)のり玉う。加布良古の外峰に立てる姫小松、澤立る松は千世のためし、加布良古の沖の汐ひかば、都へなびけ、我も靡かん。加布良古の大明に遊びの上分を參らする請玉の寶殿」と見え、古えより阿久志社、赤崎社とともに有名な社であったことが推測される。
・玉垣内には丸白石が敷き詰められ、昔から漁民はこの白石を船靈として、船の中に安置し、豐漁を祈る慣習がある。白石を家に持ち帰ってはいけないが船守として持ち帰る場合は、後日必ず、二、三倍にして社地に返さねばいけないという。
・病気平癒を願うものは、深夜にただ一人でこの社を詣で、白木綿一反を敷き、待つと御體の白蛇が現れ、祈願者の頭上めがけて毒氣を吐きかけてといい、それを恐れず、こらえれば、如何なる病も平癒したと傳わる。
・昔は、鳥居が海を向いているのでわかるように、舟で海から周って、參拜されていたという。
・氏子はおらず、当地区の氏満留山社の氏子が崇敬者となっている。
⇒ 志摩國一之宮について
■參道から見る風景■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/e3/9d5971d8623066f5bf1e1b50e64dea3e.jpg)
■一の鳥居■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d7/46c8e749cc1a3d268cd656450b5c28f2.jpg)
■參道■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b8/3feafe8ec7edabfd7071957cba0221e6.jpg)
■二の鳥居■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/db/124d3ee88e976c936bcd56239c8b065c.jpg)
■三の鳥居と拜殿■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/6b/b83db84296939255f15bb606afc08ebd.jpg)
■本殿■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/f8/4c3ed61f0c06b2cbca0b4d85221073a2.jpg)
■美保留■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/57/c1922b3ebbc71577b5832e885ee7b1c9.jpg)
子寶、安産の。石の形から、女隂を意味するようだ。漁民の村としては、性器崇拜での子孫繁榮は當然のところ。
■領有■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/53/890bce1dbdc1f7328163b05b4148fe68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ff/1eb6d1a2947b8185d725e0569f581817.jpg)
海上安全の。伊射波社の社殿から二百五十メートルほど奥に行ったところにある。おそらくは奥宮。
((コメント))
2008年10月13日
満留山社の脇から續く、道を歩き、伊射波社を目指す。途中、のどかな自然の中を歩いていく。途中、海に出たときの景色はよかった。ちなみに、まだ午前七時ちょうどくらいだったので、人の姿は皆無。食中毒が完治しておらず、若干冷や汗をかきながら、歩いていくと、鳥居が右手下方に見え、看板があった。參拜者は、是非、下に下りて鳥居から来てください、ということであったので、それに從い、そして境内に入った。
本殿からさらに奥には、奥宮なのだろう、領有が祀られる小さな磐座があったので行った。蜘蛛が多くて大変であったが。一之宮にふさわしい気を持っている社かどうか、というと疑問符がつくが、様が、この岬のどこかこっそりといてるという印象は殘る社ではあった。
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b6/86ba540f2b1491d31edea5d2be4300ea.jpg)
志摩國一之宮伊射波社 三重県鳥羽市安楽島町字加布良古1210
・延喜式内社、志摩國答志郡、粟嶋坐伊射波社二座、並大。皇大宮別宮伊雑宮も論社とされているが、延喜式名帳では別宮として皇大宮に含まれており、別宮が延喜式名帳に記される場合は、「社」ではなく「宮」とされているため、正確には正しくない。
・舊社格は無社格。
・祭は多紀理比賣命、伊佐波登美命、玉柱屋姫命、狭依姫命。
・元々、加布良古大明、加布良古社と呼ばれていた。中世以前の記録で伊射波社と呼ばれたとする記録はない。
・創建年代は不詳であるが、千五百年以上昔から鎭座するといわれている。
・建久三年(1192)の『皇大宮年中行事』に「悪志、赤崎、加布良古明」と記される古社。
・『外宮舊樂歌』には「志摩國知久利が濱におわします惡止、赤崎、惡止九所のみまえには、あまたの船こそ浮かんだれ、艫には赤崎のり玉う。舳には大明(加布良古)のり玉う。加布良古の外峰に立てる姫小松、澤立る松は千世のためし、加布良古の沖の汐ひかば、都へなびけ、我も靡かん。加布良古の大明に遊びの上分を參らする請玉の寶殿」と見え、古えより阿久志社、赤崎社とともに有名な社であったことが推測される。
・玉垣内には丸白石が敷き詰められ、昔から漁民はこの白石を船靈として、船の中に安置し、豐漁を祈る慣習がある。白石を家に持ち帰ってはいけないが船守として持ち帰る場合は、後日必ず、二、三倍にして社地に返さねばいけないという。
・病気平癒を願うものは、深夜にただ一人でこの社を詣で、白木綿一反を敷き、待つと御體の白蛇が現れ、祈願者の頭上めがけて毒氣を吐きかけてといい、それを恐れず、こらえれば、如何なる病も平癒したと傳わる。
・昔は、鳥居が海を向いているのでわかるように、舟で海から周って、參拜されていたという。
・氏子はおらず、当地区の氏満留山社の氏子が崇敬者となっている。
⇒ 志摩國一之宮について
■參道から見る風景■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/e3/9d5971d8623066f5bf1e1b50e64dea3e.jpg)
■一の鳥居■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d7/46c8e749cc1a3d268cd656450b5c28f2.jpg)
■參道■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b8/3feafe8ec7edabfd7071957cba0221e6.jpg)
■二の鳥居■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/db/124d3ee88e976c936bcd56239c8b065c.jpg)
■三の鳥居と拜殿■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/6b/b83db84296939255f15bb606afc08ebd.jpg)
■本殿■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/f8/4c3ed61f0c06b2cbca0b4d85221073a2.jpg)
■美保留■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/57/c1922b3ebbc71577b5832e885ee7b1c9.jpg)
子寶、安産の。石の形から、女隂を意味するようだ。漁民の村としては、性器崇拜での子孫繁榮は當然のところ。
■領有■
(13th October 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/53/890bce1dbdc1f7328163b05b4148fe68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ff/1eb6d1a2947b8185d725e0569f581817.jpg)
海上安全の。伊射波社の社殿から二百五十メートルほど奥に行ったところにある。おそらくは奥宮。
((コメント))
2008年10月13日
満留山社の脇から續く、道を歩き、伊射波社を目指す。途中、のどかな自然の中を歩いていく。途中、海に出たときの景色はよかった。ちなみに、まだ午前七時ちょうどくらいだったので、人の姿は皆無。食中毒が完治しておらず、若干冷や汗をかきながら、歩いていくと、鳥居が右手下方に見え、看板があった。參拜者は、是非、下に下りて鳥居から来てください、ということであったので、それに從い、そして境内に入った。
本殿からさらに奥には、奥宮なのだろう、領有が祀られる小さな磐座があったので行った。蜘蛛が多くて大変であったが。一之宮にふさわしい気を持っている社かどうか、というと疑問符がつくが、様が、この岬のどこかこっそりといてるという印象は殘る社ではあった。