の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

赤間宮

2010年06月02日 22時16分06秒 | 中国(岡山、広島、山口)
■水天門■
(11th November 2008)



★赤間宮★ 山口県下関市阿弥陀寺町4-1

・舊社格は官幣大社。

・祭は安天皇。

・江戸時代までは安天皇御影堂といい、佛式により祀られていた。

・「耳なし芳一」の舞台としても知られている。

・建久二年(1191)、勅命により御陵に御影堂が建立され、建禮門院ゆかりの尼を奉仕させたのが始まりという。

・明治の佛分離により阿彌陀寺は廃され、社となって「天皇社」と改稱。

・明治八年(1875)十月七日、赤間宮に改稱、官幣中社に列格した。昭和十五年(1940)八月一日、官幣大社に昇格し赤間宮に改稱となった。


■鳥居■
(11th November 2008)



■大安殿■
(11th November 2008)




■舞台■
(11th November 2008)



■内拜殿■
(11th November 2008)



((コメント))

2008年11月11日

 壇ノ浦。九州と本州の間はこんなに近かったのか、と思うくらいのところだった。

 ここで、桓武平氏の平忠盛の子息の一族は滅亡したのか、と。源義經という『日本史上でももっとも卑怯な戦さをする男』の筆頭に上げてもいいやつの卑劣な攻め口で敗北を喫したわけだが、入水自殺や戦う中、ひどく無念を感じて死んでいったのだろう、と思わざるを得ない。おそらく、いかなる靈能者を名乗る胡散臭い人間たちが来てここで祈ろうとも、決して晴れることは無い怨みがあるはずである。

 赤間宮の境内には、この地で無念にも命を終えた平家の將たちの墓もあるのだが、墓所であそこまで寒氣が傳わってくるところは他には知らない。


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