の坐すと地と魂の鎭まる地

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備中國一之宮吉備津神社

2010年03月06日 17時29分52秒 | 中国(岡山、広島、山口)
■境内入口■
(10th November 2008)



★備中國一之宮吉備津神社★ 岡山県岡山市吉備津931

・延喜式内社、備中國賀夜郡、吉備津彦神社、名神大。

・旧社格は官幣中社。

・主祭神は大吉備津彦命。相殿に御友別命、仲彦命、千々速比売命、倭迹迹日百襲姫命、日子刺肩別命、倭迹迹日稚屋媛命、彦寤間命、若日子建吉備津日子命を祀る。

・備中国と備前国の境にある吉備中山の麓に鎮座し、備前國一之宮の吉備津彦神社は同じ吉備中山の麓にある。

・元々、吉備國一之宮であったが、吉備国が三国に分割されたとき、備中國一之宮となり、備前、備後に分霊が勧請され、それぞれの国の一之宮となっている。

・社伝では、吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を建てて住し、二百八十一歳で亡くなって中山山頂に葬られた。吉備津彦の五代の子孫加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し、吉備津彦を祀ったのが当社の始まりとされる。

・中世には武家の崇敬を受け、たびたび社殿の修復や社領の寄進があった。

・現在ある比翼入母屋造の社殿は足利義満が造営。


■矢置岩■
(10th November 2008)



 社伝によれば、当社西北八キロの新山に温羅という鬼神がいて、凶暴で庶民が苦しんでいたために大吉備津彦命が「吉備中山」に陣取り鬼神と互いに弓矢を射ると双方の矢が空中で当り、落ち、そこに矢喰宮ができた。また、中山主神が鬼神の矢を空中で取り、それが、吉備津神社本殿内に祀られる矢取明神となった。この、戦さのとき、大吉備津彦命は、その矢を岩上に置いたために矢置岩と申すようになった。


■参道■
(10th November 2008)



■北隨神門■
(10th November 2008)


 国重要文化財

 天文十二年(1543)の建築。


■拝殿、本殿■
(10th November 2008)




 国宝

 室町時代應永三十二年(1425)の建築。全国唯一の様式なので「吉備津造」と言われている。


■南隨神門から廻廊■
(10th November 2008)


 国重要文化財(南隨神門)

 延文二年(1357)の建築。
 

■廻廊■
(10th November 2008)


廻廊は天正七年(1579)の再建で延長四百米に及び、自然の地形のまま一直線に建てられている。


■宇賀神社■
(10th November 2008)


 岡山県最古の神社。


((コメント))

2008年11月10日

 吉備津神社に着いたときは、太陽は沈みかけ、オレンジ色になっている状態であった。そのせいか、眺めはいい感じであった。分祀の吉備津彦神社よりはいい感じがするが、同じ神体山を拝むのに不思議な感じではある。


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