の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

多米社跡

2010年10月12日 21時10分27秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■多米社址石碑■
(1st April 2009)


 陸軍大將男爵荒木貞夫書。


★多米社跡★  大阪府大阪市住吉区長居2-8

・延喜式内社、攝津國住吉郡、多米社。

・舊社格は無格社。

・祭は天日鷲命。倉稻魂、保食を配祀。現在は、天日鷲命が祭の中に見えず不明。

・多米連祖を祀る。

・創建由緒等不詳。

・苗見明、苗見の社、種貸明、種貸宮と稱した。

・竝河誠所の式内社比定以前は多禰伽志宮と呼ばれた。

・天正年間に兵火で燒失、住吉大社に合祀され、攝社種貸社となる。

・平田盛胤によると、そのまま現在にいたるとされるが、明治四十一年(1908)、須牟地社に合祀とあり、住吉大社より舊社地に復していたことが示唆される。

・須牟地神社由緒書によると、境外末社とされており、舊地には多米社石碑のみ殘り所在不明である。


■境内全景■
(1st April 2009)



■多米社標石■
(1st April 2009)


 大阪市指定文化財

 元文元年(1736)九月、儒学者竝河誠所の考証に基づき、所在が紛れていた式内社に比定された社のうち二十社に設置された標石のうち、市内に所在する四基の一つ。


((コメント))

2009年4月1日

 長居駅の近くに延喜式内社多米社の舊社地があるので行った。合祀や遷座により多くの地名が舊社地を離れたりしているのだが、そもそも、古來、社地を決めたにはそれなりの理由があるわけであり、遷座するということはその理由となったものを失うことを意味するわけである。多米社は須牟地社に合祀されたというが、舊社地が殘されていることで行ってきた。

 社跡に立つ木は、まだ少し昔のことを覚えているようであったが、いずれは忘れられていくのかもしれない。


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