■參道■
(6th June 2012)
★土佐稻荷社★ 大阪府大阪市西区北堀江4-9-7
・舊社格は社。
・祭は宇賀御魂大。
・創建由不詳。
・長堀川畔の土佐藩藏屋敷に古くから鎭座していたという。
・天正年の創建とも、明和七年(1770)に伏見稻荷を勸請したものとも傳わる。
・享保二年(1717)、藩主山内豐隆が社殿を造營して藏屋敷の鎭守社とし、一般の參拜を許したという。
・山内家は參勤交代で大坂を通る際には必ず當社を參拜し、社殿の修繕は藩費で行った。
・明治元年(1868)、土佐藩藏屋敷とともに當社は岩崎彌太郎に讓り渡され、岩崎彌太は當地で事業を營み、三菱の發祥の地となる。
■社號標、鳥居■
(6th June 2012)
■參道■
(6th June 2012)
■拜殿■
(6th June 2012)
■本殿■
(6th June 2012)
■奧之院■
(6th June 2012)
■末社若宮社■
(6th June 2012)
■末社石宮社■
(6th June 2012)
■末社磐居社■
(6th June 2012)
■末社玉根社■
(6th June 2012)
■末社大社■
(6th June 2012)
■末社源八社■
(6th June 2012)
■馬像■
(6th June 2012)
■岩崎彌太屋敷蹟■
(6th June 2012)
((コメント))
2012年6月6日
稻荷ということであるが、要は土佐藩藏屋敷の鎭守。一應、稻荷ということになっているが、天正年に祀られたという話を取るならば稻荷ではないかもしれない。山内家の氏が本來は祀られていてもおかしくないと思うのだが、謎である。本殿背後に奧院があるというのも興味深い。ただ、個人的にはあまり好きなところではない。
(6th June 2012)
★土佐稻荷社★ 大阪府大阪市西区北堀江4-9-7
・舊社格は社。
・祭は宇賀御魂大。
・創建由不詳。
・長堀川畔の土佐藩藏屋敷に古くから鎭座していたという。
・天正年の創建とも、明和七年(1770)に伏見稻荷を勸請したものとも傳わる。
・享保二年(1717)、藩主山内豐隆が社殿を造營して藏屋敷の鎭守社とし、一般の參拜を許したという。
・山内家は參勤交代で大坂を通る際には必ず當社を參拜し、社殿の修繕は藩費で行った。
・明治元年(1868)、土佐藩藏屋敷とともに當社は岩崎彌太郎に讓り渡され、岩崎彌太は當地で事業を營み、三菱の發祥の地となる。
■社號標、鳥居■
(6th June 2012)
■參道■
(6th June 2012)
■拜殿■
(6th June 2012)
■本殿■
(6th June 2012)
■奧之院■
(6th June 2012)
■末社若宮社■
(6th June 2012)
■末社石宮社■
(6th June 2012)
■末社磐居社■
(6th June 2012)
■末社玉根社■
(6th June 2012)
■末社大社■
(6th June 2012)
■末社源八社■
(6th June 2012)
■馬像■
(6th June 2012)
■岩崎彌太屋敷蹟■
(6th June 2012)
((コメント))
2012年6月6日
稻荷ということであるが、要は土佐藩藏屋敷の鎭守。一應、稻荷ということになっているが、天正年に祀られたという話を取るならば稻荷ではないかもしれない。山内家の氏が本來は祀られていてもおかしくないと思うのだが、謎である。本殿背後に奧院があるというのも興味深い。ただ、個人的にはあまり好きなところではない。