3月10日(土)曇りのち晴れ
春からGWにかけてしばらく忙しくなるので、練習日ではあるけれど午前午後を利用して
前回の続きを歩きました。前回はこちら。
予定では駒木野までで折り返そうとしていましたが、ちょうど高尾の梅まつりに出くわし、梅につられて小仏まで行ってしまいました。
9時50分。まだひんやりと冷たさの残る日野の駅を出発。
線路に沿うようにして中央高速道をくぐり、大坂上までダラダラと上り、右に広大な敷地の日野自動車工場、
左にコニカミノルタ日野工場を見ながら進む。
コニカは昔、小西六というフィルムを出していて、亡父はこちらを愛用していた。
元々は薬種問屋であったらしい。
八王子と高崎を結ぶ八高線を跨ぎ、もう八王子。
豆腐料理の「うかい」を通り過ぎ、石川交差点からまもなく、右側に真新しい神社の階段が見える。
昨日にでも建てられたような階段と思ったら案の定、つい先月建立と記されていた。
こちらは女階段、新しい男階段をぐるりとまわりこむ。女階段はどこでもゆるく風情があってよい。
境内に昇りつくと、何やらお祝い事のような雰囲気で神主さんが祝詞をあげ地元の方々が介している。
そう!折しも男階段の落成式なのであった!
街道歩きで何が面白いかと云えば、こういう人々とその土地のかかわりが、垣間見られることである。
小高い神社の横からの市内の眺望もなかなか。
日枝神社を後にして、旧道に入ったり出たりしながら浅川にかかる大和田橋にさしかかる。
橋詰めに、太平洋戦争の空襲の際の焼夷弾の説明板あり。
橋に弾が落ちた位置がタイルで示されている。いくつもある。
国道から逸れた道を入り、竹の鼻一里塚でお相撲さんの銅像を見上げて、しばらく行くと枡形と呼ばれる、直角に曲がった道。
それを直角に曲がりるとふたたび国道。
堂々とした八王子の宿場通りに出る。
市の守護神、大鳥神社。
日本橋から45キロほどだから、昔は、ここを甲州街道の最初の宿とした旅人も多かったかもしれない。
当時は女性でも40キロ(約10里)を一日で歩くのも珍しくなかった。
ここで泊まって、翌日の小仏峠越えに備えたのだろう。
八王子織物、お茶屋、コンニャク屋など、古い店舗が新しい街の中に多く残っている。
今回は時間的に無理だけれど、八王子城跡に一度行ってみたい。
12時少し前。
通りの蕎麦屋でタヌキセットを食べる。可愛いお稲荷さんとたぬきそば。キツネとタヌキの化かし合いなものか,美味しかった(^^)
やはり街道歩きのお昼は蕎麦屋に限る。
八王子を後にまっすぐ国道を歩く。このあたりは歩道も車道も広くて比較的歩きやすい。
やがて追分の歩道橋。
歩いていて歩道橋ほど不便なものはないと再認識。近代の最悪の発明(?)だなあ。
ちなみに同行のろくさんは、軽度の高所恐怖症であるから歩道橋の上も苦手なのだそうだ。
このマンホールはなんだろう?田楽に使う鈴のようなものもあるから三番叟かな?
高尾警察の手前あたり。
武蔵御陵、多摩御陵を越して旧道に入ると、黒塀に囲まれた旧家がいくつかあり、水の流れも澄んで山が近くなっていることを感じさせる。
再び国道に出てしばらく行くと、右に駅前ホテル「きくや」があり、左奥に高尾の駅が見えてくる。
名前の由来は天国と地獄の両界か、はたまた此岸と彼岸の両界か、よく知らないけれど両界橋をくぐり、駒木野(「こまぎの」)ヘ向かう途中で人出がいきなり多くなる。
なぜかといえば今や盛りの梅まつりであるらしい。
大きな駒木野病院を過ぎて宿場あたり。
小仏から移設された関所の碑もとなりにある。
宿場跡は小さい公園になっていてここでも賑やかに梅祭り、真っ最中。
右に中央高速、左に野生の梅を見ながら、そのギャップの中に生息する山里の道を登ってゆく。
いわゆる裏高尾である。
流れているのは小仏川。春のうららかさを絵に描いたような、穏やかないい道だ。
このあたりに来ると梅見客もまばらになってくる。
JRのトンネルをくぐり
しばらく登ると変電所があり、その先に小仏のバス亭。
高尾方面から来るバスはここで終点となる。
15時10分。バスが発車。
テクテクテクテク歩いてきた道を「あっ」という間にバスは下って15時半に高尾駅着。
ここから関東西の鉄道網を屈使して練習場へ向かいました。
歩いているのは全然平気だったけれど、この電車乗り継ぎにはハプニングのおまけつきで閉口~~(-);;
予定より遠くまで歩いたので、次回は小仏峠越えが楽になります(^^)v
本日の歩行距離、約17km。
春からGWにかけてしばらく忙しくなるので、練習日ではあるけれど午前午後を利用して
前回の続きを歩きました。前回はこちら。
予定では駒木野までで折り返そうとしていましたが、ちょうど高尾の梅まつりに出くわし、梅につられて小仏まで行ってしまいました。
9時50分。まだひんやりと冷たさの残る日野の駅を出発。
線路に沿うようにして中央高速道をくぐり、大坂上までダラダラと上り、右に広大な敷地の日野自動車工場、
左にコニカミノルタ日野工場を見ながら進む。
コニカは昔、小西六というフィルムを出していて、亡父はこちらを愛用していた。
元々は薬種問屋であったらしい。
八王子と高崎を結ぶ八高線を跨ぎ、もう八王子。
豆腐料理の「うかい」を通り過ぎ、石川交差点からまもなく、右側に真新しい神社の階段が見える。
昨日にでも建てられたような階段と思ったら案の定、つい先月建立と記されていた。
こちらは女階段、新しい男階段をぐるりとまわりこむ。女階段はどこでもゆるく風情があってよい。
境内に昇りつくと、何やらお祝い事のような雰囲気で神主さんが祝詞をあげ地元の方々が介している。
そう!折しも男階段の落成式なのであった!
街道歩きで何が面白いかと云えば、こういう人々とその土地のかかわりが、垣間見られることである。
小高い神社の横からの市内の眺望もなかなか。
日枝神社を後にして、旧道に入ったり出たりしながら浅川にかかる大和田橋にさしかかる。
橋詰めに、太平洋戦争の空襲の際の焼夷弾の説明板あり。
橋に弾が落ちた位置がタイルで示されている。いくつもある。
国道から逸れた道を入り、竹の鼻一里塚でお相撲さんの銅像を見上げて、しばらく行くと枡形と呼ばれる、直角に曲がった道。
それを直角に曲がりるとふたたび国道。
堂々とした八王子の宿場通りに出る。
市の守護神、大鳥神社。
日本橋から45キロほどだから、昔は、ここを甲州街道の最初の宿とした旅人も多かったかもしれない。
当時は女性でも40キロ(約10里)を一日で歩くのも珍しくなかった。
ここで泊まって、翌日の小仏峠越えに備えたのだろう。
八王子織物、お茶屋、コンニャク屋など、古い店舗が新しい街の中に多く残っている。
今回は時間的に無理だけれど、八王子城跡に一度行ってみたい。
12時少し前。
通りの蕎麦屋でタヌキセットを食べる。可愛いお稲荷さんとたぬきそば。キツネとタヌキの化かし合いなものか,美味しかった(^^)
やはり街道歩きのお昼は蕎麦屋に限る。
八王子を後にまっすぐ国道を歩く。このあたりは歩道も車道も広くて比較的歩きやすい。
やがて追分の歩道橋。
歩いていて歩道橋ほど不便なものはないと再認識。近代の最悪の発明(?)だなあ。
ちなみに同行のろくさんは、軽度の高所恐怖症であるから歩道橋の上も苦手なのだそうだ。
このマンホールはなんだろう?田楽に使う鈴のようなものもあるから三番叟かな?
高尾警察の手前あたり。
武蔵御陵、多摩御陵を越して旧道に入ると、黒塀に囲まれた旧家がいくつかあり、水の流れも澄んで山が近くなっていることを感じさせる。
再び国道に出てしばらく行くと、右に駅前ホテル「きくや」があり、左奥に高尾の駅が見えてくる。
名前の由来は天国と地獄の両界か、はたまた此岸と彼岸の両界か、よく知らないけれど両界橋をくぐり、駒木野(「こまぎの」)ヘ向かう途中で人出がいきなり多くなる。
なぜかといえば今や盛りの梅まつりであるらしい。
大きな駒木野病院を過ぎて宿場あたり。
小仏から移設された関所の碑もとなりにある。
宿場跡は小さい公園になっていてここでも賑やかに梅祭り、真っ最中。
右に中央高速、左に野生の梅を見ながら、そのギャップの中に生息する山里の道を登ってゆく。
いわゆる裏高尾である。
流れているのは小仏川。春のうららかさを絵に描いたような、穏やかないい道だ。
このあたりに来ると梅見客もまばらになってくる。
JRのトンネルをくぐり
しばらく登ると変電所があり、その先に小仏のバス亭。
高尾方面から来るバスはここで終点となる。
15時10分。バスが発車。
テクテクテクテク歩いてきた道を「あっ」という間にバスは下って15時半に高尾駅着。
ここから関東西の鉄道網を屈使して練習場へ向かいました。
歩いているのは全然平気だったけれど、この電車乗り継ぎにはハプニングのおまけつきで閉口~~(-);;
予定より遠くまで歩いたので、次回は小仏峠越えが楽になります(^^)v
本日の歩行距離、約17km。
小仏とか言うので小仏峠越えをしたのかと思いきや小仏と言うところでとんぼ返りでしたか。
おとぼけで御座いました。
Dさんが小仏峠は古いものが沢山ありきっと面白そうな道だろうと言っておりました。
小仏は昔の宿場があって、峠の入り口。あと少し舗装道を歩いてから山道に入ります。
地図で見ると、峠の道はけっこうわかりにくくもあり、それゆえ面白そうです。ただ峠道は雨が降りやすいから、天気に注意しないとね☆