回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

甲州街道を歩く② 千歳烏山~府中~日野

2018-03-05 13:46:00 | 甲州街道
3月4日(日)晴れ

花粉飛散率高く、気温も20度を超えるかもしれないという予報におののきながらも歩いてまいりました。

前回終わった千歳烏山に9時到着。前回はこちら


京王線に沿って20号甲州街道を歩く。

歩きはじめてほどなく、一里塚を発見。


甲州街道は、東海道、中仙道とちがって一里塚や、遺構が少なく(おまけに資料もとても少ない)、ここもビルの谷間ではありましたが初めて街道の目印を
発見しました。

仙川近辺。左側になんだか見慣れたお人形とロゴマークがあるなあ、と思ったらキユーピーエッグ ワールド トレーディングでした。ここで9時半。


土手に春の色を纏った野川の流れを見ながら馬橋を渡り、


国領のあたりで道は二股に分かれ、コンビニの左の道をとり、旧甲州街道に入る。


旧街道は道幅も狭いのだけど、地元の人々の生活の道。
布田付近の道の角にあるお不動さま。

地蔵堂のたくさんのお地蔵さんや手入れの行き届いた可愛らしい庭も印象的。


やがて調布。ここは合唱や伴奏関係で何度か来たことがあるけれど、駅が地下に埋め込まれると、のどかな田舎の風景が一変しニョキニョキと
スーパーやら遊び場ができてなんの美しさもない街並みになってしまった。


しばらくして上石原(西調布)、云わずと知れた新撰組の近藤勇の出生の地であり、西光寺では座像が鎮座まします。


中央高速をくぐり、右に見える競馬場、左にビール工場~♪、なんて、いつも高速に乗って歌っている歌詞が、習慣で口から出てくる。
(もちろん、今回は旧甲州街道なので、両方とも左にある。)

京王線、武蔵台の駅の手前あたりで、11:20分。
予定ではお昼は府中にするつもりだったが、お腹が空いてきたので「コメダ」で軽食。
暑かったのでアイスコーヒーが美味しかった。


このあたりは京王線を軸として、西武多摩線やら京王競馬線やら南武線やらが錯綜していて面白い。


最近建ったような高層マンションのビル風にきゃあきゃあ言いながら府中に到着。観光案内所で市内地図をゲット。


さすがに国府のあった場所。お天気に誘われてお参り客の数も多く賑わっていました。


大国魂神社の境内の甘味屋さんでクリームあんみつをいただき、せっかく来たのだからと参拝。
鐘楼ならぬ、鼓楼という櫓もありました。機会があったら聴いてみたい。

道に戻って、街角左側に保存されている高札場を通り過ぎ、


人並みも途絶えたあたり、高安寺という曹洞宗のお寺あり。

水子地蔵の華やかな色とりどりの風車や静かな境内がなかなかよかった。
「奪衣婆」なんて初めて聞いた・・・。


この辺からまた車の量の多い20号と合流し、歩道が狭くなるので歩きづらい。
いくら車があっても広々とした歩き道か、狭くても車の通らない道がいいものだと痛切に思う。
日光街道も今市までは、ずっと4号の車道に沿って歩くので辟易したのを憶えている。
まったく街道歩きの最もつまらない道の典型である。



谷保の天神さまに立ち寄り梅見。


青柳の常夜灯を通り過ぎてまもなく、ドドーンと5差路の日野橋交差点。


もう立川市に入っている。


20号はここで直角に曲がって多摩川(日野橋)を渡るのだが、我々は旧甲州街道をたどるので、(愚直にも)ここの交差点の奥多摩街道に進路をとる。


そしてこの道はすぐさま、旧甲州街道と名前を変えるのだから、土地の不思議につままれたような感じ。


ぐるりと北側に一度まわりこむような感じで旧街道は、浄水場の前で今度は新奥多摩街道の横断歩道を渡ることとなる。

そして、信号を渡ったら土手がどんつきにあり、そこを登れば、多摩川が開ける。川のある風景は実に気持ちがいい。


橋の上を多摩モノレールが走る立日橋(立川と日野を結ぶ橋の意:たっぴばし)を渡りついに日野市!


橋を降りると整備された近代的な街並みがしばらく続くが、古い家の壁や街の角に街道時代の写真が掲示され、街興しに取り組んでいるのがわかる。
街道の左側には甲州街道に残る3軒の本陣のうち一つが現存している。


本陣に到着したのが4:00。
閉館時間は4時半なので、ぎりぎりセーフ。
ラッキーなことにちょうど雛祭りの飾りイベントの最終日にあたり、中で美しいお雛さまたちやつるし飾りを堪能。

ここでお手伝いをしている街のおばさまたちのフレンドリーで楽しい応対が忘れられない。


JR日野の駅もこんな感じで旅心をかきたててくれました。17時ちょうどの特別快速に乗れたので家まで1時間10分でした。


本日の歩行距離、約21、5㎞。
次回はちょっと短く、日野から高尾までを予定。