東四つ木コミュニティ通りから平和橋を越え、立石通りを越え、さらに京成の線路まで伸びている川端コミュニテイ通りを自転車でたどってきました。
これは昨年、金町浄水場から亀戸天神まで歩いた「すいどうみち」と京成線路から放水路まではほぼ平行。
http://blog.goo.ne.jp/kaba14_11/d/20120229
いつもいつも通っている道だが、川端コミュニテイ通り(東井掘の延長か、それとも違う呼び名の堀なのかわからないが)が立石通り(奥戸街道)にぶつかっているところの橋柱の跡を確認しておきたかったため。
平和橋の踏切を渡り、立石通りを立石駅に向かって左側、本田小学校の先をずっと行ってSEOサイクルと書かれた自転車店の手前のところ(長い間、洋品店だったのが昨年くらいに自転車屋に改装)にその橋柱あり。
↓ 大道橋、と左から書かれている。
この橋の向かい側に川端コミュニテイ通り(昔の東井堀?)が続く。
そして、そこから川端コミュニテイ通りを四つ木方面に走る。
↓ 黄色の店と赤テントの店の間が川端コミュニテイ通り。
この堀はずいぶん細かくくねくねと曲がっている。
ここが水路だった頃は東四つ木コミュニテイ通り(新堀川:東井掘)より記憶が不鮮明だが、
こちらの方が暗渠になって時間が経っていると思う。
春には八重桜が美しい通りである。
よく子供たちを診てもらった「菊島小児科医院」の少し先にこんな自転車置き場の案内板。
ここで非常に興味深いものを発見!
この写真の道の右側が奥戸街道(立石道)、そしてこの医院の前の道が「古道橋」とある。
案内図では、古道橋の四つ角の右上が菊島小児科、左上が餅菓子屋、左下が「ちちぶ」
という飲み屋さん。
↓ 小児科
↓ 斜め向かいの「ちちぶ」
立石道が律令時代からの古道であることは知っていた。
ではなぜ奥戸街道と分けて呼ばれないのか?
もしかすると、この「古道橋」を通る道(現:渋江公園の裏)が実は本来の立石道ではなかったのかというワクワクするような疑問がわいてきた。
もちろん資料をひも解けば出てくるのだろうけれど、偶然に、しかもこんな案内板の中に
どこにも見たことのない道の名前が出てくるとは思わなかった。
堀の名前、道の名前、橋の名前は可能な限り残してほしい。
なんの役にもたたないかもしれないけれど、古きを尋ねて胸をドキドキさせて歩く人々の大きな喜びのために。