1月6日(日)
晴れ。
昨日、春日部まで到達できなかったので、3日連荘になるが本日も続きを歩くことにする。
今日は車で武里まで行く。電車や車はなんて早いのだろう@@!と改めて感心。
11時半、パーキングに車を置いて「武里駅」から歩き始める。
1㎞ほど歩くと西側を流れる「大落古利根川」に沿うような感じで道が続く。
「大落古利根川」は現;利根川の旧流路「古利根川」である。関東の川の本家本元みたいな
川である。
備後一里塚を過ぎると左側に入る道が「一ノ割」の駅。
このあたりは旧道でなく国道4号を歩いているので車も多く殺風景な車道。
野田線のガードをくぐるとまもなく「春日部」「粕壁」の文字が見え始める。
街では両方の地名表記があって、昔の地名をしっかり保存しようという気運も見られて嬉しくなる。
なお「春日部」の地名は何度か変遷しており、最初は「春日部」で後に糟ヶ辺、糟壁が交互に使われ、明治から粕壁、1944年に春日部と決定したらしい。う~ん、どう表記していいのかよくわからない。
道は左に大きく曲がり「春日部宿」に入ってゆく。
駅に続く大きな商店街には街道の風景を描いたシャッターや旧家も残っているが、
本陣跡の名残はない。
↓ たぶん本陣跡。
↓ 道中の説明板。
景勝院に向かうような感じで宿場通りを歩いてゆくと高札場跡があったらしく小さな広場
があり、古利根川を渡る新町橋がある。
さあ、ここでびっくり!この古利根川の左に分かれる小さな流れは(写真左の橋の下の川)
なんと「古隅田川」という名前なのです!!
えっ、葛飾区と足立区の間を流れて中川に落ちたあの「古隅田川」と同じ名前の川が
ここにも!?
と思わずびっくり仰天の声をあげる。
そういえば中川をたどる旅で出くわした古利根川だからなにか関係があってもおかしくはないわけだ。しかし、おもしろい、実におもしろい。
橋を渡り、左の道を行くといかにも少し曲がった街道の道幅になり、小渕の一里塚(標識発見できず)を過ぎると「関宿道」(せきやどみち)と日光街道(おうしゅうかいどう)との追分に突き当たる。
関宿はどこかで聴いた名前だと思ったら、昨年中川をたどる旅ででくわした地名であった。
まさに川はすべての道に沿い町を繋ぐといってもいいくらいなものである。
追分を左に取り進んでいくと再び国4に出る。
通りの左にとても古い今にも崩れ落ちそうな山門がある。
観音院といって県の文化財。3・11の地震で亀裂が入り危険なので山門の下はくぐれず
門の脇を通って境内へ。
芭蕉の詠んだ「ものいえば、くちびる寒し 秋の風」の句碑がある。
この句、なかなかに含蓄がある、と内心感嘆する。
観音院を出てしばらく行くと「すきすきすぎーと36」という、よそ者には訳のわからない標語のような掲示板がある。
道の真ん中に大きな地球儀が置かれ、この地点が地球の北緯36度線上に位置することを示している。
通り越してしばらく歩き左の道を入ると旧道。
堤根の道標を通り過ぎる。
お、もう日本橋から40キロである。
さて、このあたりでもう2時になっている。
相当にお腹が空いたので国道に出て食事処を探す。ほんとに旧街道には食事処が少ない)
道の向こうに「すきや」を発見!牛丼を食べる。安いうえに美味しい!
満腹になって歩いていくとやがて「杉戸宿」
小さいが、なかなかに落ち着いていていい宿場町である。
↓ 古い造り酒屋
↓ 本陣があったらしい場所。
ここでどうにも不思議なことが・・。
東武線の杉戸の駅がないのだ。わたしの記憶では確かそういう駅があったはずなのに、地図にも町の案内板にも載っていない。
もしかして道を間違えたのかとも思うが正しく杉戸の宿である。
ここで一軒の和菓子屋さんを発見、お団子を買うために入ったのだが、念のために店のおばさんに「杉戸の駅はどこですか?」と聞いてみた。
すると!「昔は杉戸はあったのですけど今は東武動物公園というなに変わったんです~」と教えてくれる。
杉戸の駅(現:東武動物公園駅)は杉戸の街の隣の「宮代」に位置していたこともあり、東武動物公園ができたときにわかりやすく駅名が変わったそうだ。
まるでスカイツリーができて「業平橋」が「スカイツリー駅」になったのと同じである。(両方とも東武だし・・)、このようにして土地の名とそれにまつわる歴史が忘れられてゆくのだろうなあ、と溜息をつきながらアンコのお団子を食べ歩いたのだった。
ここから枡形を経て左折し杉戸(現:東武動物公園)駅まで芭蕉の句碑を観ながら
川沿いを戻る。
↓ 枡形脇の古民家。
駅から東武線で武里まで乗り、パーキングで900円駐車料金を払い車で帰宅。
歩行距離:約13㎞。日光まで約98㎞。