回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

日光街道を歩く③(武里)~春日部~杉戸

2013-01-08 16:22:04 | 日光街道

1月6日(日)

晴れ。

昨日、春日部まで到達できなかったので、3日連荘になるが本日も続きを歩くことにする。

今日は車で武里まで行く。電車や車はなんて早いのだろう@@!と改めて感心。

11時半、パーキングに車を置いて「武里駅」から歩き始める。

1㎞ほど歩くと西側を流れる「大落古利根川」に沿うような感じで道が続く。

「大落古利根川」は現;利根川の旧流路「古利根川」である。関東の川の本家本元みたいな

川である。

備後一里塚を過ぎると左側に入る道が「一ノ割」の駅。

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このあたりは旧道でなく国道4号を歩いているので車も多く殺風景な車道。

野田線のガードをくぐるとまもなく「春日部」「粕壁」の文字が見え始める。

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街では両方の地名表記があって、昔の地名をしっかり保存しようという気運も見られて嬉しくなる。

なお「春日部」の地名は何度か変遷しており、最初は「春日部」で後に糟ヶ辺、糟壁が交互に使われ、明治から粕壁、1944年に春日部と決定したらしい。う~ん、どう表記していいのかよくわからない。

道は左に大きく曲がり「春日部宿」に入ってゆく。

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駅に続く大きな商店街には街道の風景を描いたシャッターや旧家も残っているが、

本陣跡の名残はない。

↓ たぶん本陣跡。

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↓ 道中の説明板。

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景勝院に向かうような感じで宿場通りを歩いてゆくと高札場跡があったらしく小さな広場

があり、古利根川を渡る新町橋がある。

さあ、ここでびっくり!この古利根川の左に分かれる小さな流れは(写真左の橋の下の川)

なんと「古隅田川」という名前なのです!!

えっ、葛飾区と足立区の間を流れて中川に落ちたあの「古隅田川」と同じ名前の川が

ここにも!?

と思わずびっくり仰天の声をあげる

そういえば中川をたどる旅で出くわした古利根川だからなにか関係があってもおかしくはないわけだ。しかし、おもしろい、実におもしろい。

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橋を渡り、左の道を行くといかにも少し曲がった街道の道幅になり、小渕の一里塚(標識発見できず)を過ぎると「関宿道」(せきやどみち)と日光街道(おうしゅうかいどう)との追分に突き当たる。

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関宿はどこかで聴いた名前だと思ったら、昨年中川をたどる旅ででくわした地名であった。

まさに川はすべての道に沿い町を繋ぐといってもいいくらいなものである。

追分を左に取り進んでいくと再び国4に出る。

通りの左にとても古い今にも崩れ落ちそうな山門がある。

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観音院といって県の文化財。3・11の地震で亀裂が入り危険なので山門の下はくぐれず

門の脇を通って境内へ。

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芭蕉の詠んだ「ものいえば、くちびる寒し 秋の風」の句碑がある。

この句、なかなかに含蓄がある、と内心感嘆する。


観音院を出てしばらく行くと「すきすきすぎーと36」という、よそ者には訳のわからない標語のような掲示板がある。

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道の真ん中に大きな地球儀が置かれ、この地点が地球の北緯36度線上に位置することを示している。

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通り越してしばらく歩き左の道を入ると旧道。

堤根の道標を通り過ぎる。

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お、もう日本橋から40キロである。

さて、このあたりでもう2時になっている。

相当にお腹が空いたので国道に出て食事処を探す。ほんとに旧街道には食事処が少ない)

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道の向こうに「すきや」を発見!牛丼を食べる。安いうえに美味しい!

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満腹になって歩いていくとやがて「杉戸宿」

小さいが、なかなかに落ち着いていていい宿場町である。

↓ 古い造り酒屋

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↓ 本陣があったらしい場所。

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ここでどうにも不思議なことが・・。

東武線の杉戸の駅がないのだ。わたしの記憶では確かそういう駅があったはずなのに、地図にも町の案内板にも載っていない。

もしかして道を間違えたのかとも思うが正しく杉戸の宿である。

ここで一軒の和菓子屋さんを発見、お団子を買うために入ったのだが、念のために店のおばさんに「杉戸の駅はどこですか?」と聞いてみた。

すると!「昔は杉戸はあったのですけど今は東武動物公園というなに変わったんです~」と教えてくれる。

杉戸の駅(現:東武動物公園駅)は杉戸の街の隣の「宮代」に位置していたこともあり、東武動物公園ができたときにわかりやすく駅名が変わったそうだ。

まるでスカイツリーができて「業平橋」が「スカイツリー駅」になったのと同じである。(両方とも東武だし・・)、このようにして土地の名とそれにまつわる歴史が忘れられてゆくのだろうなあ、と溜息をつきながらアンコのお団子を食べ歩いたのだった。

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ここから枡形を経て左折し杉戸(現:東武動物公園)駅まで芭蕉の句碑を観ながら

川沿いを戻る。

↓ 枡形脇の古民家。

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駅から東武線で武里まで乗り、パーキングで900円駐車料金を払い車で帰宅。

歩行距離:約13㎞。日光まで約98㎞。


日光街道を歩く②草加~越谷~(武里)

2013-01-08 13:31:18 | 日光街道

1月5日(土)

昨日に引き続き晴天で寒いが風は無いので助かる。

夕方から合唱練習なので今日は春日部あたりまでを目標とする。

このような出で立ち。しっかり防寒着でモコモコ状態(^^)

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11時半、「松原団地」駅を降りて昨日の草加松原を綾瀬川に沿って歩き始める。

まもなく松原の道は終わり、ぬかるんだ土の側道を歩くと靴の裏に泥状の土がへばりつく。

たぶん今朝の寒さで霜柱が下りたのだろう。

外環自動車道をくぐり、綾瀬川に架かる槐戸橋(さいかちどばし)を過ぎ蒲生(がもう)大橋を渡る。

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渡るともう越谷市である。渡りきった橋の右側に一里塚がある。

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街道の一里塚(一里ごとに設けられた塚でおもに榎などの大木が植えられていて、夏は木陰を作ってくれる旅人の一時休み処)は殆どなくなっているか場所が変わっているが、この一里塚は昔のままの位置で名残をとどめている。

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さて今日の歩行ロスミスはここから始まった。橋を渡ったら一里塚を後にして、左に折れて当分綾瀬川に」沿って歩かなければならないのに、川と離れてまっすぐの道をたどってしまったのである。交差点で道がないのに気づき、勘を頼りに違う道から折り返す。

つまり橋から蒲生の街まで三角形の一辺だとすると2辺分遠回りしてしまったのだ。

ロスは約2㎞以上。蒲生の商店街が出てきたときはほっとした。

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ホンダのショールームを右折。国道4号(現在の日光街道の車道)に出る。

ここからしばらくまっすぐ国道に沿って歩くき南越谷のガードや瓦曾根の陸橋をくぐるとまもなく左側に越谷市役所、右側に越谷の駅が見える。

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やがて二股に道が分かれ左の道が「越谷宿」

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この宿場通りも古い家や商店がいまだに店を構えていたりしておもしろい。

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宿場の中ほどが元荒川に架かる大橋を渡る。(もしかしたら大沢橋?)

橋のたもとには高札場があったらしいが今は名残がない。

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本陣跡は空き地。

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さて、時計は1時になろうとしているが、食事処がみつからない。

しかたなく北越谷の駅まで歩き駅を越えていくと嬉しいことに「手打ちそば」の看板。

鴨南蛮を食べる。暖かくて美味しい☆

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再び街道に戻って東武のガードをくぐり、大きく蛇行する元荒川の西側を歩く。

↓ 元荒川はこのように蛇行。右に見える緑地帯は宮内庁埼玉鴨場。

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ガードをくぐると桜堤通りに突き当たり堤の下に大谷道の道標あり。

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一般人は入れない大きな宮内庁埼玉鴨場の脇を通る。

越谷は「だるま」が特産らしくこんな看板も。実際に体験工房に入ってみたがまだお正月休み。このあたりの地名は「大房」

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東武線の踏切を渡り、「下間久里」「上間久里」の田畑と元農家の豪邸の続く道を延々と歩く。

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やがてまた国道に出て比較的新しい街、「せんげん台」に入る。

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会之堀川に沿ってまっすぐ歩いてゆくと左に入る道が「武里」の駅につながる。

このときすでに4時。春日部まではあと4キロ弱だが、そこまで行くとはるか渋谷の

向こうの練習場に遅刻してしまう。

蒲生手前の時間ロスが痛かった。

なので今回はここまで。「武里」から東武線に乗る。

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歩行距離:約10㎞(プラス2㎞)。日光まで約111㎞。


日光街道を歩く①日本橋~千住~草加

2013-01-08 11:57:29 | 日光街道

1月4日(金)

快晴。強い北風。

地下鉄で江戸橋まで乗り、8時半に日本橋から出発。

日光街道は千住を通るので、我が家からだと荒川に沿って歩けば相当に近いのだが、

五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の基点である日本橋から

正しくスタートすることにする。

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日本橋は三が日が終わってビジネスマンの姿がちらほら。今年は今日を休みにして

九連休にする会社も多いのだろうと思う。

日本橋を神田方面に渡り三越や千疋屋を越えたあたりで右折。

↓ 正月の装いの三越。

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昭和通を横切って大伝馬町に出る。新しい駐車場に新しい道標が見えここが道中であることを示してくれる。

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街道は水戸街道(江戸通り)と合流。小伝馬町、馬喰町(衣服問屋街)、浅草橋(人形店)、蔵前(オモチャ、文具店)、浅草(革製品店)、とそれぞれ独特の専門職の店の並ぶ町を通り過ぎる。

↓ 浅草橋の下を流れる神田川。

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↓ 蔵前の古本屋さん

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↓ 東浅草の太鼓革屋さん

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浅草から東浅草にいたる頃は町の様子が少し寂れてくる。(それにしても「東浅草」とは無粋な地名である。もちろん昭和39年頃からの町村合併で変わったのだがもう少し由緒のある名前を残せなかったものかといつも思う。隅田川沿いの「花川戸」はよく残ってくれたものだと感心)

↓ 山谷を過ぎたあたり、こんな広告版も

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泪橋の交差点を過ぎると荒川区。南千住の駅を過ぎて左に初詣で賑わう素戔嗚神社など見て歩いてゆくと見慣れた緑色の千住大橋。

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この橋は隅田川に一番初めに架けられた橋。そのご架け替えられて現在の橋は昭和2年竣工。

渡りきると松尾芭蕉の碑。芭蕉は住みかであった深川から船でこの橋の船着き場(橋場)まで

乗り、ここで降りて弟子の曾良と「奥の細道」の旅へと立ったのである。

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日光街道は、宇都宮まで芭蕉と道連れの旅である。

橋場に降りてみると広々としたテラスになっていて岸壁に、芭蕉や千住についての謂れや

川番付表までも壁画として描かれてある。

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さて、道の戻り、この芭蕉の碑の向かい側(大橋を渡って右方向に入る道)をみるとまたしても芭蕉の像が建っている。そしてその手前にあるのが足立市場、つまり「やっちゃば」(むかしの青果市場)の跡である。

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「やっちゃば」は東京に数か所あって四ツ木の駅の下の広場にもあったのを親から聞いていた。

このあたりは街道中でもみどころのひとつ。

町のあちこちに当時の「やっちゃば」の賑わいを伝える立札や店の屋号などが家々の軒下に掲げられている。

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そういう時代をちょっとタイムスリップした千住河原町を過ぎて「かもん宿」というアーケードを通って行くと小さな広場に道標があり、その後ろに超近代的な「芸術センター」という名の高いビルが聳えていて驚いた。

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やがて北千住の大通りに出くわす。

日本橋からひとつ目の宿場「千住宿」である。

駅を右に見て「宿場町通り」に入ってゆく。本陣跡は大通りになかに埋もれている。

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ここは何度も来ているが、千住は古民家や遺構の保存もよく、宿場の街並みとしては成功していると思う。

「街の駅」ではボランテイアのおばさんに暖かいお茶をご馳走になる。寒かったので感激☆

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高札場跡、「横山家」、絵馬作りの店、やりかけ団子(数年前は小さい木造の店だったのに立派な3階建てになっているのには驚いた。残念ながらまだ正月休みで開店していなかった)

↓ 高札場跡

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↓ 絵馬屋さん(現在も開業)

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そして、右に江戸の名接骨院「名倉ほねつぎ」の本院前を過ぎると、どーんと荒川放水路にぶち当たる。

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大正年間までは無かった放水路だから昔の旅人は、草の生い茂る野道を歩いたのだろう。

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現在の旅人はここに架かる「千住新橋」を渡る。

橋の上は凄まじい強風で体がよろけるが、おかげで北側の秩父連山の山並みや富士山がくっきりと美しい。

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渡りきって少し川に沿って北上してからコンクリート建ての善立寺を右折。

梅田の街に入り直進。「火あぶり地蔵」などを通り過ぎるとちょうどお昼になったので

折よくみつけた「夢庵」で天ぷらせいろを食べる。東海道歩きで経験済みだが、道中は

どこに食事処があるかわからないので店を見つけたら早めに入ってしまうのが得策。

食べ終わって梅田から梅島に入る交差点で「喜多屋」を発見。デザートに和菓子を

個買いし、向かいのミニ公園で食べる。美味しい☆

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ちなみに「梅島」の地名は「梅田」と「島根」が合併してできた町名。

ここからさらに直進、東武梅島駅のガードをくぐり六月(ろくがつ)~竹ノ塚~ランドマークの足立清掃焼却所の紅白の煙突の前を通り、毛長川を渡るともう埼玉県草加市である。

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このあたりから名物草加せんべいの店が多くなる。

ずっと歩いてゆくと二股に道が分かれている植え込みに里程標。二股の道を左に取ると

「草加宿」である。

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宿場通りにはかなりマンションが立ち並んでいるが所々に古民家、本陣跡の碑もある。

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草加の駅を左に見て大通りを渡るとまもなくこんな看板。

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ここは以前に綾瀬川をたどるドライブをしたときに来たことがあって、そのときにいつか日光街道を歩いてここにたどりつきたいと思ったのだった。

宿場の北詰には古い商家を改造した「街の駅」がありボランテイアのおじさんたちに甘酒とお菓子をいただく。感謝☆

↓ 旧商家「久野邸」を改造した「街の駅」

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芭蕉の像とおせんべいの石碑の建つ「おせん公園」を抜け、神明川に架かる伝宇橋を渡ると

綾瀬川に沿う草加松原である。

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広々とした道の両側に往時の街道の様子をしのばせる松並木が約1、3キロメートルほど続き、町の人々の散策や憩いの場所になっている。

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芭蕉の「奥の細道」の文章にちなんだ「矢立橋」「百代橋」も造られている。

本日はここまで。松並木を出て左に折れ「松原団地」駅から東武線に乗って帰宅。

歩行距離:約19㎞。日光まで約121㎞。