回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

東海道を歩く⑬袋井~見附~浜松

2010-12-06 22:37:06 | 東海道五十三次

12月4日(土)快晴

前回の歩きで剥がれた右足親指の爪も再生してきたし、義両親の病院送迎も今週はなくなったので、ほぼ一ヶ月半ぶりに出かける。

東京駅8時26分発「こだま」で掛川→掛川着10時10分→掛川10時17分発JRで袋井。

途中、三島から眺めた富士山が素晴らしい!

10:30

袋井駅着。駅から北進して前回歩き終えた旧東海道「静橋北」の交差点を左に折れる。

いつもそう思うが、以前に来た場所に時をおいて立ち戻るというのは、タイムマシンで時空移動したような気にもなり、一気に間の時間が消滅する。

2キロばかり歩くと左手に澤野医院記念館という白い洋館がある。

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昔の医院や歯科医院を資料館にした建物は、宿場のあちこちにみられる。たしか蒲原の宿にもあったと記憶。

外観だけ見て立ち去ろうとすると、ちょうど玄関脇に居合わせたボランティアのおじさんが「どうぞ、入って下さい、無料ですよ」と誘う。

「無料」という言葉に弱いものだから、「それでは」と中に入って見学。

ここは享保12年に作られたそうだから歴史は古い。

大正時代から昭和にかけて使われた診察室、手術台やレントゲンの機械などが置いてあり、なんだか懐かしい。つい最近まで葛飾あたりでも見られたお医者さん、という感じ。

2階の展示室には、袋井市の愛好家が寄贈したらしい写真や絵が陳列。

おじさんは「この町は何もないもんで、近所の人から寄付してもらったものを展示しております」と恐縮していた。(が、なんとかいう映画のロケ地になっている)

30分ほど見学して次の宿場「見附」を目指す。

川井の交差点を通過してまもなく「木原畷(きはらなわて)古戦場」と書かれた標識がある。

その中の、徳川家康が三方ヶ原の戦いにのぞむ前に参ったといわれる「許禰(こね)神社」に着く。

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010家康が腰かけた石なんてのもある。

すでに磐田市に入り、トンボのマークのマンホール出現。なぜ磐田がトンボなのか、よくわからない。わかる方教えて!

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さて、国道を左に入り、明治の道と呼ばれる坂道を抜けると、地図で目をつけていた「鈴が森刑場」の看板が道の右側にみえてきた。

品川から歩いた立会川の道の端にあった鈴が森刑場跡の不気味さが印象に残っているだけに、こちらの遠州鈴が森刑場はどんなものであろうと、怖いもの見たさで楽しみ(?)にしていたのに、こちらはわずか2平方メートルくらいの小さな草むした土地の中にぽつんと読みとれない字の書かれた石碑しかない。

う~ん、ちょっとがっかり。

それにしても、東京にごく近い神奈川と、静岡の西方の磐田市になぜ、同じ「鈴が森刑場」という名がふたつあるのか、不思議である。

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ここからすぐに見附の宿場の入り口に着く。その標識ある手前に愛宕山神社の階段を登ると市街が一望できる。阿多古山一里塚も神社の裏手にある。

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この神社には、裸祭りの行事があるらしく、それに関する注意書きがまたおもしろい。裸でも、こんないろんなものを身につけなくてはいけないらしい。↓

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神社をあとにして、見附宿の立派に舗装された道路が続く。

まもなく右側の奥まった場所に「旧見附学校」という、実に美しい外観の建物あり。日本最古の洋風建築の小学校であるらしい。見附宿の高札場跡でもある。

036 旧見附学校。

13:00

旧見附学校の向かいの蕎麦屋で「うめ天おろしそば」なるものを食す

梅干し味のたぬきそばみたいなものかと思って注文したら、梅味の山菜蕎麦に5種類ほどの天ぷらがバーンとついているボリューム満点のもの。

まだお昼の時間帯というのに、店のおばさんは「お蕎麦はもうありません」とか「ラーメンはおしまいになりました」などと後から来るお客さんの注文を断っている。断られたお客さんは殆ど、丼ご飯ものに切り替えていた。

また、このお店は注文してから出てくるのが遅い!蕎麦は作るのも食べるにも早いので、旅にぴったりの食べ物だと注文するのに、こう遅くては、時間がどんどん過ぎて16.5キロ先の浜松にいつ着けるのか不安になる。

次回から急ぐ時には「一番早くできるのはなんですか?」と聞くことにしよう

13:50

まあ、とにかくも、お腹一杯になって一路浜松に向けて歩きだす。

東海道は、旧見附学校の少し先を左に折れ、JR磐田の駅の近くまで出るのだが、このあたりはサッカーチーム「ジュピロ磐田」のお膝元、チーム旗が道のあちこちにはためいている。電柱の突先もサッカーボールです

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駅付近の和菓子屋で「いちご大福」が美味しそうだったので一個買って食べる。いちご大福をちゃんと食べたのは初めてかもしれない。とても美味しかった~☆

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駅前の道を右側に折れてしばらく行くと、もうすぐ天竜川。

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昔からの「天竜川橋」は歩道がなく危険なので、「新天竜川橋」(片側4車線の非常にだだっぴろい橋)を渡る。

いやいや広い広い!滑走路のようなその広~い橋に猛烈な強風が情け容赦なく吹きつける。風でヨレヨレになりながら、東を振り返るとかすかに富士山の白い頭が見える。「お~、ここからも富士がみえるのか」と感嘆する。富士山が見える限界はどこまでなのだろうか。

写真は新天竜川橋から天竜川橋を見渡したもの。

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15:20

ようやく橋を渡りきると中野町と書かれた標識がある。どうやらこのあたりが距離のうえでの東海道ど真ん中であるらしい。土手を左に歩いてすぐに昔の天竜川の舟渡し場跡がある。

(天竜川は徒歩渡しでなく舟渡しだった)

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昨日の嵐が去り、素晴らしいお天気に恵まれ、気温上昇を半分恐れていたのだが、(暑さは歩く時の一番の敵!)、強い風のおかげか、いつものシューズをやめて履きなれたタウンシューズを使用しているせいか、汗もかかず足も快調、今日は不思議なほど疲れない。

でも、調子がいいからと突っ走ってしまうと、いつでも後悔する破目になる我々は 、休憩はマメに取りましょう、ということで、松林寺というお寺のお堂の前で一服。なかなか学習したものであ~る(^^)

ちなみに、松林寺のこのお堂は文化財級の薬師堂であるらしい。

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4時近くになり、そろそろ日が傾き出して、まっすぐ西に向かう道からは沈んでゆく太陽がまぶしい。下ばかり見て歩いていたらブロック塀にぶつかりそうになる。

馬込川を渡ると、東海道は立派な大通りとなり、浜松の新シンボルであるアクトタワーが見えてくる。浜松はなかなか立派で、政令都市の名にふさわしく、新しいビルがどんどん建てられている様子。

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途中の磐田のあたりで予約した「ビジネスホテル辻梅新館」は駅の南口なので、東海道からはだいぶ歩かなくてはならなかった。

5:30

ホテル着。人のよさそうなおばちゃんが玄関で出迎えてくれる。風が強くて寒かったでしょー」と盛んに言うが、こちらは歩いてポッポとしている。

ガイドブックにあった宿泊料より2000円安い一人4500円だったのは嬉しかった。(ただし食事はついていない

夕飯はうなぎを食べに再び町に繰り出す。味はイマイチであった。

本日の歩行距離、約22㎞。京都まで約237㎞。