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回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

埼玉に入った荒川

2006-11-07 22:00:32 | 山歩き・川歩き・遠足

連休の4日。

荒川を遡り、秋ヶ瀬公園へ。Dscn2122

もうここは埼玉、戸田の競艇場の上流。隅田川と分かれる前で川幅はまだ狭い。

Dscn2120 河川敷にはすすきと葦、モスグリーンの柳が秋の風にそよいでいる。Dscn2121

Dscn2125 埼玉のこの地区の水ガメである彩湖がある。

このあたりはさくらそうの原生地。

春になったらまた来なければ。


筑後川その2

2006-09-14 23:12:13 | 山歩き・川歩き・遠足

Dscn1996 田主丸の河童たちDscn1997_1 Dscn2000。久留米を過ぎ、まさに人々の生活をささえ、潤してきた川は、いよいよ河口に近づく。

ここから約2時間かけ、途中ブリジストンの町におりたものの川っぷちのせまい土手をひた走る。

たくさんの小さな川と合流しながら流れるので本流を見失いそうになりながら、川の土手に憩う人びとを車窓から眺めながら、ひたすら走る。

Dscn2004 Dscn2007  Dscn2012 城島を過ぎるともう間もなく筑後川河口堰が姿を現し、有明海が近い。

Dscn2001 土手は切れて田んぼのあぜ道を走りついにフィナーレ!

車を降り、ひと気のない夕暮れ近い漁港の桟橋に走る。それまで曇りがちだった天候がぱあっと明るくなり青空が広がる。思わず運転してきてくれた夫と握手!

Dscn2015 Dscn2018 Dscn2019

18歳のときに初めて「筑後川」を歌い、伴奏し、異国で指揮をし、今回が4回目の挑戦となる。いや挑戦というよりはもっと近しい憧れであろうか。また合間見えるという喜びか・・。

わたしの歌の人生のいつもそばにあった筑後川。

源流近くから河口までたどった道のりの豊かさ、川の恩恵を受けともに生活する人々のやさしさ、この歌に共にかかわってきたたくさんの人々の顔、それらすべてが胸に満ち溢れて、涙が静かにこみあげるのを押さえることはできなかったのである。

Dscn2009帰り道は柳川を抜けて八女インターから福岡空港へ。

木と水の織り成す豊かな九州が遠ざかってゆくのを飛行機の窓からしっかりと見届ける。光をちりばめた夜景がわたしたちの旅のフィナーレを飾ってくれたのであった。


筑後川その1

2006-09-14 22:29:25 | 山歩き・川歩き・遠足

筑後川を辿りたい!と思い立ったのが出発の5日前。

ただ単に演奏会で歌う「筑後川」、そのものを実際にこの目で見たいと思ったからに他ならない。Dscn1974

筑後川は阿蘇外輪山の懐深くに生まれ、その源流は諸説あって定かではないが、今回は小国の東方面の馬場川から遡る。

正確には1日目・・・福岡空港から九州自動車道に乗り朝倉インターで下り→浮羽→夜明けダム→日田→杖立→阿蘇の入り口、大観峰→山川温泉(泊)

2日目・・・小国町→阿蘇・草千里→熊本から九州自動車道に乗り久留米で下り田主丸→再び浮羽のあたり→河口

川の名はその流れる地域によって変わり、馬場川は杖立川~大山川~三隈川~筑後川となる。(ちなみに日本最長の信濃川を遡れば長野あたりでは千曲川と名が変わる)

生まれでた小さな流れは山道に沿って若々しい音をたて、小さな滝となり木々の間を縫って走る。Dscn1973

Dscn1970 Dscn1967 Dscn1963

Dscn1980 日田杉の林、杖立温泉のただ中を駆け抜ける。

日田に入ると大分側から流れる玖珠川と合流し、三隈川となり、川幅を広くして筑後川となる。Dscn1960 Dscn1956 Dscn1955 Dscn1957 三隈川の簗場。獲れたての鮎を塩焼きにして食べさせてくれる。とうとうと簗場に水が流れ込む様は圧巻。

川はますます大きくなり、流域を豊かな緑の田に染め、西に向かって流れる。夜明けダムにせき止められるまでゆったりと満々と水をたたえたダム湖にはカヌーの練習する人々。九大線の夜明け駅は小さな無人の改札。一持間に一本か2本の一両編成の可愛い列車がホームに入ってくるDscn1946

Dscn1947 Dscn1945 Dscn1943 昭和28年に襲った台風では水が町まで溢れ、このダム建設のきっかけとなった。

夜明け駅前の小さな売店のおばさんに当時の様子が聞くことができた。ダムが出来る前は上流から筏を組んで河口まで運んだらしい。まだ橋も少なく渡し舟もあった頃の話である。

Dscn1934_1 筑後川からの水を田に流す堀の中のある三連水車。寛永元年の製造とか。

Dscn1937 Dscn1989 小国町にある「けやき水源」、巨大なけやきの下から外輪山に降った雨水が溶岩の下でろ過され再び地表に湧き出している。

川は太い流れのまま河童の町、田主丸を抜け久留米へ。

田主丸の街中にはいたるところ河童の像が置かれている。近くの水天宮には全国から何万匹の河童が集まるという伝説もあり。


佐原、街と田圃

2006-05-11 00:36:25 | 山歩き・川歩き・遠足

連休の5月4日に千葉の佐原へ仲間と日帰り旅行。

最近、水郷の町として脚光を浴びているが、ここは言わずと知れた伊能忠敬が育った地でもある。川の両岸には昔ながらの醤油屋、酒屋の蔵が立ち並び、焼きハマグリや醤油のソフトクリームの店も繁盛。Dscn1766 Dscn1768 Dscn1771 焼きハマグリはあつあつの焼きたてを川岸でぱくつく。う~ん、この醤油の匂いがたまらん!!

「ビールもいっしょに売ればいいのに~」とどの観光客も口々に言う。

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街並みを一巡りして香取神宮まで足を伸ばす。どこもかしこも新緑が美しい。ときおりどこからかうぐいすが「ほ~ほけきょ♪」と呼び交わす。疲れて腰をおろせば、みんなのリュックやポケットから焼酎は出てくるわ、マッコリは出てくるわ、ウイスキーは出てくるわ~~!

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にょきにょきと何本も生えた筍を掘り出し(無断で)田圃に生えるセリを引っこ抜き今晩のおかずがいっちょできあがり~!!Dscn1779 Dscn1783 Dscn1782

 

 

東京に生まれ育ったわたしは、田圃を見るとはてしなく興奮!かえるの合唱を聴きながら、整然と植えられた稲を見ながら、畦道の脇に咲く花々の名前を思い出しながら、童心に返ったようにてくてくてくてくとひたすら歩く。陽の光は明るく風は穏やかで静かな田圃の真ん中を・・。

佐原出身の伊能忠敬は55歳にして日本地図測量のために旅立ったと言う。

大層な目的はないけれど、歩くことで木の匂いを嗅ぎ、土に触れ、動物の声に耳傾け、人々の生活に思いをいたす・・そんな当たり前の感動があらためて胸に甦る楽しい旅であった。


浅草~押上

2005-12-01 22:25:53 | 山歩き・川歩き・遠足

晴れ

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ぶらりと浅草へ。
毎日いいお天気なのでついつい外へでてしまう~。

帰りは吾妻橋を渡って押上に出るいつものコース。

三つ目通りを越え、まっすぐ歩いて大横川に架かる「なりひら橋」をわたれば「鬼平犯科帳」にも所縁の春慶寺が右にある。寂れ朽ち果てたこのお寺を今の和尚さんが立派に甦らせ(立派になりすぎてビルディングみたい)以前に来たときは、外に出ていたおかみさんがどうぞどうぞ、と中まで招き入れてくださって、お寺再建や地域の歴史について丁寧にお話してくださった。

今日はおかみさんの姿は見えず、昼休みのお勤め人の往来ばかりが目につく。
ここは歌舞伎作家の鶴屋南北のお墓がある場所でもあり、寺の前には往年の歌舞伎役者の碑もあってなかなか面白い。
大江戸の掘割の名残をとどめるべくもないが、左に北十間川、右に大横川を見ながら過ぎた時代の賑わいを心の中で振り返ると、どこからかひょっこり左馬の助が現れそうな気がする。
この空想の世界で遊ぶというのが実に楽しい。

浅草で買った大好きな舟和の芋羊羹も美味しかった☆