怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

10月31日 2年4ヶ月一緒に怒り続けてくれる人達

2012-10-31 08:41:41 | 私のつぶやき
今も一人っきりになると、娘を想い、涙で一日数回壊れそうになる私。
立ち直れなくなりそうな時は、
「もうすぐ、山田さんが(取材に)来てくれる。井上さん、池内さん、高林さんが来てくれる。」って自分に言っている。


*****
佐原豊橋市長の24日の和解翌日の謝罪会見を受け、多くの記者から1週間も過ぎた
<遺族への直接の謝罪日>
を問い合わせる電話やメールが頻繁に入ってくる。

その日々の中、先日隣県の静岡新聞の若い高林記者が取材に来た。
2年4ヶ月前の事故発生当初から異動にならず(2人しか残っていない)、章南中の事故を追及してくれる記者だ。
一本筋の通った、丁寧な取材姿勢の彼が、

「今日は(愛知・岐阜・三重の東海3県では)手に入らない25日の静岡新聞を持ってきました。」
    ←新聞の1面に大きく掲載されていた私達の記事。

                   私は喉の奥が熱くなるような気持ちで泣きそうだった。

市長が遺族の都合がつかない と嘘を言って(私達は誘われてもいない)、翌日勝手に開かれた
報道用の謝罪会見


もうこれで刑事(書類送検?)まで、事故が忘れられてしまうことを心配する私に、
「僕達は忘れません!」 と言われ、私は自分を恥じた。

この事故の責任を認めてもらうまで、私達は2年4ヶ月もかかった、と思っていた。

でも、この2年4ヶ月もの間、仕事とはいえずっと私達の動きに注目し報道し続けて、私達が間違った方向に煽られないよう
支えてきてくれたのは、カメラマンも含め取材陣彼らマスコミである。


そして 「また 取材に来させて下さい。」 と言って帰って行った彼。


*****
朝日の山田記者(今は名古屋支局)の2010.9/22の記事→


          
          


←中日の池内記者の名古屋異動前の2012.7月の最後のコラム
若い池内記者には2010年の文庫寄贈の記事内容に私は怒り、上司を連れてスーツ姿で誤りに来させたこともあった。
彼が供えてくれた娘の楽器のプレゼント→


*****
昨夜は朝日の井上記者が、市長の謝罪会見の取材に来て、読者からの私達への温かい手紙も受け取った。

「 わざわざ80円も払って、8/25の朝刊を見た読者の方が、私達に応援の手紙をくださる。 」と言って喜んだ私。

井上記者が帰り、もう一度手紙を見ると、
震災寄付のプラス20円の切手であった。


*****

なぜ、みんな、こんなにも、2年4ヶ月も前の事故に、

私達のために、熱くなってくれるんだろう・・・

                        感謝で、       泣いている自分がいる

10月28日  なぜ謝らないの?

2012-10-28 08:31:50 | 学校に対して
10/26の章南中の金曜弔問は、
佐原豊橋市長の失言?とも言える市の責任否定謝罪会見のため、
先生達が到着するまで、マスコミの問い合わせや支援者の来訪等を受けバタバタだった。


*****
18時半に我が家に、金曜弔問に現れたのは、
24日の裁判所の全面的に学校の非を認めた和解案もあってか、

学校幹部の教頭と主幹教諭の二人であった。

焼香を終え、手紙の代わりにと、
章南中で取り組んでいる干潟の、清掃に励む3年の同級生の生徒達の写真を見せられた。

いつもなら先生達の前では、私達は微笑んで見ている同級生の生徒さんの写真。

 「 ここに花菜がいるはずだった・・ 」  と漏らす主人の後に続けて私は、

「  530(ゴミゼロ)をする生徒達を(ノー天気に)褒めながら、写真を見せられても、

なぜ娘をこの章南中に入学させてしまったのか?って思うだけです! 


            この学校じゃなかったら 花菜は死なずに済んだ!!!  
 」

怒る私をとりなすように教頭は、

昨日臨時の校長会が開かれ、校長(合川)も発言し、わかりやすいと、褒められたそうです。 」


遺族に要望され渋々、風化防止の花壇や事故情報プレートを作った合川校長。

組織として 謝罪できない! と遺族に言い放ち弔問拒否され、遺族を2年4ヶ月苦しめてきた合川校長。



「 なぜ謝罪できないんですか? 

一番法的な判断をくだす裁判所も認めてくれました。


(この事故の状況を一番知っている中学に)

私達は当然のことを認めてもらうまで2年4ヶ月も かかりました



なぜ 現場の先生が校長に間違っている って言えないんですか?

あの事故の実施判断の時と同じじゃないですか! 
 」


*****
同時に主人は、同級生の生徒さん達に悲惨な事故を隠そう隠そうとする 学校の体質を責めた。

事故情報プレートにボート写真を載せることに難色を示した当事者校中学。

同級生が卒業するまでプレートを置けないと、
<生徒の心の配慮>を盾に断った当事者校中学



*****
24日の和解を受け、娘の携帯に今もメールをくれるお友達の生徒さん達に、私は初めて
いつも笑顔の娘が事故について 泣いている
メールを送信した。

                          今日3時に、
市長が
章南中の責任を
認めたヨ。
謝らない章南中に
代わって
花菜に
謝罪するんダ



↑ 下校した生徒さん達の返信は素直だった・・


                    「  なぜ 中学は謝らないの ? 」  

10月26日  「市に法的責任はない!」と言っちゃった市長

2012-10-26 09:28:26 | 私のつぶやき
昨日10/25は、10/24の裁判所の和解を受け早速、市長が初めて公の場で事故の謝罪した。
                   

                   直接私達遺族への謝罪はまだであるが・・・


それからが大変だった。          夕方にはマスコミの取材の嵐。

CMの「子ども店長」ではないが、『子ども市長』と揶揄されている豊橋の市長

謝罪の席で、記者達の前で、

  「 市に損害賠償金がないと言うことは、
市に法的責任もないということだ。 」
 
 
                       と言っちゃった お子ちゃま市長。

裁判所の言う責任とは、全て法的責任を意味するのに。  それ以外なら道義的責任と言うのに。


*****
私達は民事で被告の3者に、各者 いくら払えなんて言っていない。

民事は争う物がお金になるから、仕方なく金額を出した。

   子供の命を守るのは教職員    

  そして市民である子供の命に責任があるのが市長


それを解って欲しくて、その事例が残したくて提訴に踏み切った。

誠心誠意謝罪している大人の常識ある他の2者まで、巻き込んで。

実は市長の謝罪がなければ、提訴に踏み切る意志を、この被告2者に今年1月には打ち明け、巻き込んでしまうことを謝った。

「 (心ある被告2者なら精一杯払おうとするだろう)損害賠償金を払ちゃうと、

     豊橋市が間違っていることを、認めてくれなくなっちゃうんです!    」


*****
今日の朝日新聞三河版→
                            
                                       以前にヒヤリ事案                                             浜名湖転覆 豊橋市、情報共有せず

 2010年6月の浜名湖ボート転覆事故に絡み、事故の2年前にも同じ浜名湖で豊橋市立中学校が乗ったボートが、悪天候のため引航される例があったことが25日わかった。市側は「ヒヤリ情報を学校間で共有していたら(転覆事故が起きないよう)対応できた可能性がある」として、責任を認め、遺族らに謝罪した。
 この日の佐原光一・豊橋市長の謝罪会見で、記者の質問に答えた。会見には、足立陽一朗弁護士が同席し、市長の代わりに質問に答える場面が目立った。
 市の説明によると、2008年8月、「静岡県立三ケ日青年の家」のボートに市立前芝中学校2年生が乗船。海上で霧が出てきて雷が鳴ったため、航行をやめて青年の家に救助された。このボートも転覆事故のボート同様、指導員の乗らない「自主艇」だった。転覆はしなかったという。前芝中学校は市教委に報告しておらず、学校間で情報が共有されていなかった

 2010年の転覆事故では、市立章南中学校の生徒らが乗ったボートが引航中に転覆し、1年生の西野花菜さん(当時12)が亡くなった。両親が市などを訴えていたが、24日、市が責任を認めて遺族らに謝罪する内容の和解が成立した。
 佐原市長は「各学校で起きたインシデント(事故につながる恐れのある事案)に関する情報を各学校間で共有する体制を十分構築していなかった」として謝罪した。


  ・ 大人のマスコミ各社も市長の謝罪会見はテレビ新聞等で報道しても、この子供じみた市長の失言?は公共のメディアとしては地元数社しか報道しなかった。
              地元中日新聞記事 →



*****
今朝の寒さに急いで自転車で通う娘の学生服に、中学の青ジャーを掛けた。 
娘が一度も着ることのできなかった章南中の青ジャージ  →             

10月25日  第4回民事訴訟 2

2012-10-25 09:52:08 | 事故後の動き
▼今日の朝日新聞 社会面 

                           「安心の半面 不信」
                                       遺族が会見
 花菜さんの父・友章さん(53)は和解成立後に会見し、「労力と時間をかけてやっと豊橋市に認めてもらえた。 どうしてここまでかかったのか」と憤った。
 妻の光美さんとともに市側の責任を問い続けた2年4か月間。署名を募り、議会に請願し、市長にも謝罪を求めた。友章さん「(和解して)安心した半面、市に対する不信感を抱いている」と語る。
 両親の代理人の小林弁護士によると、市側が責任を認め謝罪するとの内容で和解することを裁判所から促された後、市側の対応に変化があったという。ただ、友章さんは「市は、主体的にではなく裁判所に従っただけで、根っこの体質は変わっていない」と指摘した。
 市の広報誌やホームページに和解条項の全文の掲載を頼んだが、「スペースがない」として一部しか載らなかった。事故を風化させないため、友章さんはホームページを作って全文を載せるつもりだ




▼三河版


                            野外教育 整わぬ研修
                                                ボート事故和解

 浜名湖ボート転覆事故訴訟で24日成立した和解は、豊橋市は従来の姿勢から一転して責任を認め、教職員が野外活動の安全管理についての研修など「不断の努力」をすると約束した。だが、全国の学校現場では教職員の野外活動研修は義務化されておらず、各地の教育委員会に任されているのが現状だ。

10月24日  第4回 民事訴訟

2012-10-25 08:41:00 | 事故後の動き
10/24 15時の第4回公判で、裁判所の和解案に従い、豊橋市が「学校の責任」「謝罪」を認め、全面勝訴と同じ意味の和解が成立した。                                                                                         
                             ▲早速朝日新聞夕刊に、和解文が掲載された

裁判所の和解案は、市議会に請願するよりも、市長に謝罪申入れするよりも、最も強いもの だと信じたい。

ようやく、ひとつの山を越えることができ、
私達に、力を貸して頂いたり、支えて頂いた多くの方に感謝したい。

これでやっと、スタートに立てる。   

                               ありがとうございました。 



*****
                              声明
                                         2012(平成24)年10月24日
                                        浜名湖カッターボート転覆事故損害賠償訴訟
                                            原告:西野 友章
                                                西野 光美

1.本日,名古屋地方裁判所豊橋支部において和解が成立しました。和解内容は,以下の<1>~<3>の通りです。
(1) 豊橋市は次の点について,責任を認めました。
<1> 豊橋市教育委員会は,豊橋市立の小中学校(以下「各学校」という。)において実施する校外学習に関し,本件事故当時,校外学習における安全マニュアルを策定しておらず,そのため,各学校が校外学習の実施に伴って講ずるべき安全対策や危機管理体制の構築及び運用が各学校任せの状況になっており,安全対策や危機管理体制の構築及び運用について適切な指導助言を行う体制ができていなかったこと
<2> 豊橋市教育委員会は,各学校において実施する校外学習に関し,各学校の管理職に対する危機管理に関する研修や各学校で起きたインシデントに関する情報を各学校間で共有する体制を十分構築していなかったこと
<3> 本件実習に関し,学校は,本件実習を委託していた静岡県立三ケ日青年の家が作成したカッターボート訓練プログラムの具体的内容を個別的に分析し,その安全性をチェックしていなかったこと
<4> 本件実習に関し,学校は,指導員が乗船しない自主艇があることについてその危険性の認識を怠り,指導員の乗船を求めなかったこと
<5> 本件実習に関し,学校は,カッター訓練の安全性の見地からの当日実施の可否の判断について,青年の家から提供される気象情報,青年の家によるカッター訓練の実施の可否基準とそれに基づく可否の判断に全面的に依拠してしまい,学校が独自に安全性に関する検討をし,その可否の判断をチェックすることを怠っていたこと
<6> 本件事故発生時の初期対応に関し,
 ア 施設・学校の活動本部において,消防・警察の救助本部との連絡・連携体制を十分構築できていなかったため,人員の確認が遅れることになり,また,様々な憶測や誤った情報が流れる事態になったこと
 イ 学校は,乗船者名簿の作成及びその管理運用についてのマニュアルの不備等により,本件事故発生の際,その名簿を有効に活用できなかったこと
(2) 豊橋市は,上記<1>~<6>の内容について,市長が原告らに謝罪する公式の場を設け,謝罪内容を明らかにします。(3) 豊橋市は,各学校において,校外学習の実施に伴う安全管理体制及び危機管理体制等について,本和解の趣旨を踏まえた検証を十分行うとともに,今後二度とこのような事故が起こることのないよう,安全指針及び安全対応マニュアルの改定等の体制の整備と,その実効的な運用の確保に最大限努めるとともに,各学校における学校行事,学校教育の場において,生徒の生命及び身体の安全を守るのは,第一次的に教育職員であることを強く自覚し,意識を高く持ち続けるために,研修等に努め,再発防止に向けて不断の努力をすることを約束します。

2 このように本件和解内容は,私たちの要求を全面的に受け入れたものと評価できるものです。
本件事故が発生した直接的な原因は,三ケ日青年の家の判断に過失があったことによるものです。
しかし,このカッターボート訓練は中学校の正課の授業の一内容と企画され,生徒に対する安全配慮義務は,当然,学校が負っていたことになります。    
したがって,豊橋市にあっては,今回,市長が学校の責任を認め,市を代表して謝罪するその意味について,各教育職員が十分に理解し,二度とこのような悲しい出来事が教育活動中におこらないよう,各自が,目の前の子どもは,自分が守るという強い意識を常に持ち,主体的に適切な安全判断ができるよう,実践的な研修等に努め,実効性の高い安全対策を整備し,不断の努力をすることを強く求めます。

3 私たちは,学校の野外活動そのものを否定するものではなく,安全を大前提とした,大切な教育の場として取り組むよう願うものです。
西野花菜は二度と帰ってくることはありません。豊橋市は,この死を決して無駄してはならないのです。
私たちは,今後の豊橋市の取り組みに,市民とともに重大な関心を寄せていく所存です。

4 豊橋市長が私たちに謝罪する公式の場を設け,謝罪内容を明らかにすることについては,早急に具体化し,日時等について,皆様にご報告致します。

5 最後に,本和解を成立させるためにご尽力いただいた裁判所に対し,敬意を表すとともに,全国の支援者の皆様に対し,感謝申し上げます。

10月22日  真の心のケア 2

2012-10-22 08:38:53 | 私のつぶやき
「 計算したら、花菜が死んでからの日数分の給食費が、うちの口座から引き落とされていたんです。
  6月の明細を下さい と学校に言ったらなかなかもらえず、
  校長(水野)が窓口になったと言われ、説明も謝罪もないんです
  あげくの果て、森下教頭が電話してきて
  『  6月分全額お返しします。』  って・・・
  花菜が食べた給食代(~6/16)と、花菜が使った学年費は支払うと言ったのに、全額口座に返却された。
  あの中学(章南中)、

         花菜が生きていた証まで、消そうとしたんですよ!
  」


「  弔問に我が家に来てくれた同級生のお母さんから、
   事故後問い合わせに中学に行ったら、
   校長が、生徒のカッターで使用した靴を整理していて、
     『今はそれどころじゃない!』 って、怒られたそうです。  
   靴の整理ですよ!                     」

「  (別の)お母さんから、
  『 西野さんに今まで言えなかったんだけど、私、
    通夜の記帳の時、西野さんの葬儀の引菓子で、水野を殴ったんだ
    明日の保護者会、頼んだなってPTA会長に言ってた。 


  他の保護者に聞いてみると、保護者みんなその事件を知ってました
  本当かどうかわかりませんが、 
  その後、<終わったら、飲みに行こう>とまで、言ってたと・・・」


*****
 事故後私達に入ってくるのは、娘を亡くした悲しみに、追い打ちをかける中学の話ばかりだった。

 そして、主人が仕事でいない昼間、家で一人で泣いている私を心配し、、
 度々電話をかけてくる、静岡県教委の当時の女性課長(今は生徒数500人の小学校長)に、話を聞いてもらっていた。

葬儀の数日後には、「弁護士って、どう探すんですか?」とまで相談し、
反対に  『 うちは、訴えられる側です。』 と優しく言われた。

2年4ヶ月経った今も毎週 民間委託先元所長と民間委託先東海事業所元所長との3人でお参りに来られる

そこで教育者と思えない程酷い、中学の遺族への対応への愚痴? を聞いてもらっている。


*****
 1年経った頃私は、ボートを曳航した民間委託施設元所長に、涙を流して言っていた。 

「 立場上一番辛いDさん。
  それでも、毎週うちに弔問に来て、この一年間私達を支えて頂きました。
  本当にありがとうございました。 
               」


事故当時、<ボートの曳航に転覆の原因があった>と矢面に立たされていた元所長のDさん。

まさか9月の海難審判で、
     中学に原因があったとなるなんて 考えもしなかった・・



*****
2011年9月一杯で主人が辞職し、最初の10月のお参りで、課長から頂いた→   



     
  ↑  ひとり娘を亡くし、初めて主人と二人で迎える、クリスマスと雛祭りも課長から頂いた。

そして今年春、手術入院の準備をする私に頂いた→     

10月20日  嘘ばっかり

2012-10-20 09:20:48 | 私のつぶやき
10/18夜は、市教委の月命日の弔問があった。
←いつも真ん中に「御供 豊橋市教育委員会」の名札が突き刺さっているのを、彼らが帰宅すると、すぐ外している。

祭壇のある和室に入ってくるや、開口一番、教育長が、

「 調整がつかなくて、お父さんとお母さんの大事な日に、お邪魔してしまい、申し訳ない。 」

事後後1年間以上、娘の月命日18日は、章南中の指定席とばかりに、保身 のように中学から押し掛けられいた、私には、初めて聞く言葉だった。


*****
焼香を終えた教育長幹部達に、先の海難審判の話章南中学も教育委員会も傍聴していない)や、
市長の定例会見の話を私は始めていた。  


1月の国交省運輸安全委員会の事故調査報告の間違え(教師の嘘)を、同じ国交省の海難審判庁が追究するものだったことを。       

そして水野元校長の実施判断時の状況報告も、だったことも


*****
「 市民館横の娘の花壇の管理を、水野さんの奥さんを通して OKをもらったって言われたましたけど

本当にやっているんですか? 」  
 


今度の市教委の弔問に、山川先生を同行させると言っていたのに、教育委員会課長からは、

「 山川先生にはお母さんの手紙は直接会って渡しました

月命日の弔問にも誘ったのですが、山川先生に断られました。 」


*****
私は堪らなくなって、

「 <中学にも責任がある> と 市長も認めました。                               

 組織として謝罪できないと遺族に言った、合川(現校長)さんに
同級生の前で謝罪させて下さい
。」


教育長からは、        「 私が謝罪する! 」



              違うの! 現場の先生達の謝罪が聞きたいの!


順番はそうだけど教育長や市長が謝るから、

引率した娘が知っている先生達は 誰ひとりも娘に誤らない。  

                      責任を感じない

 

10月18日  真の心のケア 1

2012-10-18 08:05:05 | 学校に対して
事故状況なんてどうでもよかった・・




2010年6/18事故が起き、一人の命が亡くなっているというのに、遺族の私達には何の事故状況の報告もなく、
連日連夜自己満足のように、予告無しに弔問といって押し掛ける水野章南中校長 

遺族の方から事故の状況を訊くと、返ってきた報告は、水野校長が警察の調書で語った自分勝手なメモを、
それを聞く遺族の感情など無視して、淡々と読み上げるものだった。


一通り読み上げられた後、

 「 娘がこの中学にどのように 殺されていったか よくわかりました。 」 

と、私は初めて <学校に殺された> という言葉を口に出し、その言葉の重さから1ヶ月続いた水野校長の弔問の応対を主人一人に任せ、二度と応じなかった。


そしてその日の夜の就寝時、初めて布団の中で泣きながら、主人に訴えた。

 「  あんな事をした水野を許さへん!!! ひど過ぎるやんか! (三重弁) 」 


事故で冷たくなった娘と対面した夜のビジネスホテルでも、決して泣き崩れることをしなかった私が、のどの奥に襲ってくる嗚咽を必死で呑み込んだ私が、その晩初めて弱音を出さない主人の前ではち切れた。 


翌日、より正確な事故の状況を教えてくれるよう、所轄の細江署の刑事部長(今は退職)に電話した私。


そして2010年7/16 19時我が家に初めて担当の刑事が報告に来た。

浜松の細江署から豊橋の我が家まで片道1時間はかかるというのに、1分もずれることなく来てくれた若い刑事に、
驚くと同時に、 遺族を重視してくれている 事をひしひしと感じた。


その刑事を前にし、私は、そして主人も同じ気持ちだったと思うが、


事故状況なんてどうでもよかった・・




親として、12年間大事に娘を育ててきた親として、知りたかったのは、

       娘が苦しまなかったか・・・     ただそれだけだった・・・



前の部署で検死を担当していたという刑事の応えは的確だった。

娘は転覆後早くに絶命しており、苦しんだ死体の臓器はかなりのダメージを受けているが、

                    娘の臓器は綺麗だったと・・・ 


それを聞けただけで、充分だった。                 

                ←母の日にもらった「輝いているお母さん」



10月15日  形として残された悔しさ 2

2012-10-15 10:00:14 | 学校に対して
             < 花菜が卒業するはずだった3年間は、ジッと辛抱しよう。

           3年間堪えたら、違う景色が見えているかもしれない。> 
 



娘を亡くし、娘の後を追いたいという綺麗な感情ではなく、

罪の意識ひとつ感じていない中学に、自分の死をもって訴えたい気持ちだった 当時の私。



*****
肌寒くなり先日、娘の遺影の傍に掛けていた、夏の白いセーラー服を冬のセーラーに掛け替え、
2階の洋服だんすに例年のように、片付けてもらうように主人に頼んだ。

夜、主人に 「もう夏のセーラーも最後だね。」と言われた、

悲しみと怒りはあの日のままなのに、月日だけが2年4ヶ月過ぎていることに 

もう夏のセーラー服は着ないことに 愕然とした私。


翌日、主人と夏のセーラーを、箱にたたんで片付けた。

そして、夏のセーラーを来た娘の写真が1枚もない私は、娘が短い間だが身に付けていたセーラー服を、

2階のホールに飾ってある娘の通学自転車と一緒に、写真に収めてもらった



                          
          ▲ 棺の娘に身に付けさせ焼いてしまい、替えのスカートとスカーフがなく、  
            買いにいく勇気もなく、夏のスカートは私のお古、
            そして、スカ-フは、
            当時保護者担当?の学校主任だった山川先生に相談して、保健室の予備のスカーフを頂いた。


*****
10/12の金曜弔問は、私が嫌いな中島校務主任と養護の先生の二人だった。

中島先生は、娘の学年とは関係のない、1、2年の新人戦の手紙を嬉しそうに読み上げた後、

「花菜さんの好きな月は何月ですか?」と訊いてきた。

私は 供えてあるいくつかの同級生からの今年の誕生プレゼントを見ながら
「娘の誕生月の9月です。」と答えた。

そして、誕生日に行われた海難審判を思い出し、堪らなくなって、

「 12/1の定例記者会見で、あのプライドの高い市長が、
この中学に代わって、謝る(責任を認める)ことが新聞に掲載されました。


海難審判後には、 『 教諭にも原因 』 とも掲載されています。


当事者中学の幹部として、いかがお考えですか?
 」


そして、主人も 「 先日の海難審判の新聞記事を読んで、学校で何か話し合いがありましたか? 



想定外の質問に、しばらく言葉を失った中島先生の応えは、



    「話し合いはしたけど、具体的な感想は特に・・・」



   「個人的に事故について べらべら しゃべるのはちょっと・・・」 




統一した学校の考えも、先生個人の考えもない中島先生に、応えられる訳はなかった。 


10月12日  他人事ではない記事

2012-10-12 08:49:21 | 私のつぶやき
今朝の新聞記事に、私は辛くなってしまった。

              

ひとつは、豊橋での育児放棄の事件で、我が家にも毎月命日の弔問を欠かさない、市教委のM現課長の
「国に報告する際、これ以上探そうという意識がなかった


娘ひとりが命を落し、静岡の施設での事故だとし、

事故状況調査の説明も、

その事故を受け、再発防止のマニュアル作成も、すぐに発表しなかった豊橋市教委。
 



だから第2の犠牲者がでたじゃない・・・



もうひとつは、大津の中2自殺1年で、在校生のメッセージの記事。

生きていれば、娘と同じ15歳、同じ15歳の同級生のメッセージ。 
 

娘の2度の命日にも、生徒への「いのちの講話」と、当時者校とは思えない取組み しかできない章南中。


だから親は学校の責任を、民事提訴するしかなかったじゃない・・・


10月10日  娘のために泣いてくれる人達 2

2012-10-10 09:42:04 | 私のつぶやき
 「先生達も被害者じゃないですか。

娘はいつも笑顔でした。

涙ではなく笑顔で会ってやって下さい。」
 



2010年6月19日夜、 司法解剖を終えた娘の遺体引き取りを、
マスコミの集中する管轄の細江署から浜松中央署に替えた警察の指示を受け、

そして豊橋の自宅には、地区の方々の綿密に計画されたマスコミ包囲網の中、ようやく娘を、自宅に連れて帰ることができた私達。


2時間半も転覆した暗いボートの中で行方不明にされた娘 に、

20日の夕方
、初めて会いに来た引率の教師達。

事故の状況がわからない母親の私は、

涙一杯で泣く大人達にそう言うしかなかった。(家庭訪問で会った担任の教師の顔しか知らなかった。)


そして2011年4月には、
次々と異動願いを出し、生徒を残し中学を去っていった教師達 



この2012年3月にも、事故当時章南中学のニュースを知り、続々と集まる保護者に対し、
学校から安易に「全員無事」を宣言した教頭が、他の小学校へ異動の挨拶に来た。

「異動後も毎月命日にお参りに来たい。」と、いつもの仰々しい涙を遺族に見せた教頭

その教頭が弔問に来ることは、4月の月命日一回きりであった。



*****
2012年9月の海難審判。

4人の証人(ボート乗船の教師は2人)を前に、
丸一日雄弁に弁論を続けた早川弁護士の最後の結びの弁論で、涙に詰まった長い沈黙 

もう私には、すぐに理解することができなかった。



2010年6月の事故後、我が家に弔問と言って取材に押し掛ける多くのマスコミから、
一歩遅れて弔問に現れた当時の朝日新聞豊橋支局記者の山田記者。

娘の遺影の前で泣き続けるだけで、本業の取材もせず、帰って行った若い彼



この二人のプロの、決して娘への憐みではない、
怒りを伴う純粋な涙
は、砕け散った私の心に、きれいに染み渡っていった。


山田記者のほぼ半面を占めた記事→


10月7日  娘のために泣いてくれる人達 1

2012-10-07 08:23:01 | 学校に対して
2010年6月22日 娘の葬儀

私は忘れることはできない。


突然の悲し過ぎる現実の中、心に深い傷を負った生徒さん達が、中学から大型バス数台に分乗して、参列してくれる。

せめて 若い心にトラウマを残さない葬儀にすることに必死だった。



前日の通夜に600人の参列者。

主人は前日と違い、参列席の名札を全て外し、「 生徒全員に座ってもらえ! 」 と。


深い悲しみの中それを知らず、参列席を見た私には、夏の白い学生服の生徒さん達の眩しさ を忘れることができない。


それと同じく、娘の棺への献花に幼さを残し泣きじゃくる生徒さん一人一人に、まだ数日しか夏のセーラーを着ていない棺に眠る、同じセーラー服姿の娘 に、


「 涙ではなく、花菜の好きな笑顔で笑いかけてあげてね。 」と、到底無理な注文をして廻っていた。

泣いているセーラー服の生徒さん達を見ると、娘が泣いているようで堪らなかったから。 


泣き過ぎて過呼吸で体調を崩される生徒さん、

「 最後まで花菜の傍にいる! 」と言ってくれ、浜松の入院先の病院から駆けつけてくれた親友さん。

多くの生徒さんが、棺が閉じられるまで、娘から離れようとせず、泣いていた・・



*****
娘の棺の中には、その夏着るはずだった娘の夏の紺地の浴衣、通販で野外の1日目に届いた着る事のできなかったサロペット等いろいろと入れていた。

娘が困らないよう、娘の好物を詰めた お弁当(保護者の父親お手製のケーキも)もリュックに入れて。



*****
事故を起こした民間施設側にも、参列したい旨を前もって伝えられていた主人と私は、

参列は拒まなかったが、私達に生徒の前で謝罪する姿を見せることだけは許さなかった。

誰が悪い と 植え付けたくなかった。




*****
その後の日々で まさか教育者達から、  「先生達はボロボロだ!」「先生達は傷付いている!」 

1人水死した娘を責める ような言葉を、遺族に発せられるとは想像もしなかった。


浜松の中学で自殺した生徒の遺族が、月命日で集まっている中、「何かパーティですか?」と訊いた市教委のように。

10月4日  荒れ果てていた娘の花壇

2012-10-04 08:46:49 | 学校に対して
昨日主人に買い物に連れ出してもらった時に、

「市民館横の花壇が見たい。」と主人に連れて行ってもらった。


「水野さん居るかもね。」と、市教委からの娘の花壇の管理にOKをした、近頃アウディからプリウスに乗り変え、出歩いている?重度ウツ病の元校長のことを二人で言っていた。

市民館前の道路を曲がり、花壇の見え易い道に曲がると、   一瞬言葉を失った私達。


そこには、先の台風17号以前から、荒れ果てていたというしかない、娘の花壇があった。

遺族が 何も風化防止を形にしようとしない中学 にしびれを切らし要望した、足の不自由な私でも車窓から見れる花壇だった。

この光景を見た遺族がどう思うと感じるの?     

                      い・や・が・ら・せ ? 


同時に私は、

先日の海難審判で、
再発防止のための原因究明に、真剣に取り組む早川弁護士や国の審議官・理事官に、申し訳ない気持ちで一杯になった。

そして、先日こんな中学の代わりに、自分のプライドも捨てて、謝罪を表明した市長にまで、申し訳なかった。



*****
風化防止の為に事故情報プレートの作成を要望した遺族に

生徒への配慮」 と言って、断った中学。

川西市の中学が、「生徒への配慮」と言って、いじめで自殺した生徒の遺族に、不慮の事故にするよう、電話したように・・・


「組織として謝罪できない。」と遺族に言い放った章南中合川校長。


それらの言葉は、教育者としての組織を越え、ひとりの人間として、許されない。

                             異常な中学・・・


*****
10/1に娘の祭壇に向かい、いつもの真っ直ぐな意志の入った焼香をして頂いた刑事さんから漏れた言葉は


事故で次々救助される生徒達より先に救助され、その場に残らなかった 異常な中学

                           そこから、捜査は始まった・・・              」

10月2日  記録に残す大切さ

2012-10-02 09:10:32 | 私のつぶやき
昨日、主人は、1日の定例記者会見での市長の意見について、朝日新聞井上記者から、2度電話取材を受けていた。

一度目の取材で紙面に掲載する旨を伝えられた主人は、私に嬉しそうに言った。

「 井上記者が新聞紙面に掲載して 残す大切さ を重視してたよ。 」


2日の朝日新聞記事→    



                        責任を認める考えを示唆
                                          浜名湖転覆で豊橋市長
 2010年6月の豊橋市立章南中学校で起きた浜名湖ボート転覆事故について、豊橋市の佐原光一市長は1日の定例記者会見で「今思えば『こうしておけばよかった』と思いが残る」と話し、事故の責任を認めていく考えを示唆した。
 転覆事故は、中学1年生の西野花菜さん(当時12)が水死。両親が今年5月に市などに損害賠償を求める訴訟を起こした。市側は、責任を全面的に否認する答弁書を提出したが、その後名古屋地裁豊橋支部が提案している和解を示している。
 佐原市長は「市として一番大切なことは、二度とそんなことを起こさない決意。しっかり意思を持って取り組む。和解の結果が将来の安全につながることが大事だ」と述べた。全面否定からの方針転換については、「法的責任については私たちの理解の仕方がある。きちんと答えを出す」と話した。
 西野さんの父友章さん(53)は、「再発防止につなげるため、法的責任を認めてほしい」と話す。 




******
私達が民事訴訟に踏み切ることができたのは、

県立の学校の責任を認めた千葉の判例に、大きく力をもらったからだ。



                           千葉県立高等学校カヌー実習死亡事故判決

1. 県立高等学校が正課の授業として実施したカヌー実習において生徒が溺死した事故について、同校からカヌー実習での生徒らへの指導を委託されたカヌー業者及びカヌーインストラクターらの不法行為責任が認められた事例。
2. 県立高等学校が正課の授業として実施したカヌー実習において生徒が溺死した事故について、同校からカヌー実習での生徒らの指導を委託をされたカヌー業者を履行補助者とする同校の設置者たる県の安全配慮義務違反による債務不履行責任が認められた事例。
 



そして、海難審判で早川弁護士は、横浜の市立の学校での判例を言及していた。

(事例までしか私には探せなくて恥ずかしいが・・       ↓         )


                                 横浜市立鶴見工業高校修学旅行水難事故事例

他の生徒とは離れた場所で海で泳いでいた3人の生徒が流され、1名死亡、1名行方不明
潮の流れの速い危険な場所だった。

1.地元や旅行業者から危険に対する情報周知が不十分だった。
2.生徒を海に入れるにもかかわらず引率教諭の監視は一人で、万が一の想定がなされていなかった。  




これらの判例を残された多くの方に敬意を表したい。

そして、これらから一歩でも進めた判例、

より親が子どもを学校に安心して預けられる判例を残したい。



が、今 判例を残すことの難しさも痛感している・・・


*****
海難審判を傍聴し終え、主人は私に確認するように言った。

「 これで、海難審判に判例が残るよ。  」


そして昨日来訪してくれた2人の若い真っ直ぐな刑事さん達に、刑事裁判の場で判例として残ることを期待したい。


*****
うちのベテラン小林弁護士が言った、

                          「 和解は判決以上の効果がある。  」  

その言葉を信じたい。

10月1日  第2回海難審判 3

2012-10-01 08:17:32 | 事故後の動き
昨日で主人が辞職してちょうど1年が経った。

折しも、進行速度の早い台風17号が愛知県東部に上陸し、午前中は穏やかな天候の豊橋も、午後には暴風雨が吹き荒れていた。

あの事故の日のように・・・

*****
警報の中、今週も静岡側の弔問を受け、静岡で掲載された海難審判記事の各新聞をもらった。
        

こちら愛知県の新聞では、朝日新聞しか報道されなかった記事が、静岡では図解付きで、民間委託施設所長の業務停止1ヶ月を報じていた。

民間委託施設側への一番軽い、業務停止1ヶ月に、
 事故の責任は 学校にもある という海難審判庁の判断があったと 信じたい。


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横浜での海難審判は、1月に公表された国土交通省の事故調査報告の矛盾を、同じ国交省の海難審判庁が(正式な採決はまだ先だが)認める形で閉廷した。


「海難審判庁は、第1審を担当する地方海難審判庁(函館、仙台、横浜、神戸、広島、門司(那覇支部を含む)、長崎)と第2審を担当する高等海難審判庁(東京)に分かれていた。また特別の機関として、刑事裁判における検察の役割に相当する組織として地方海難審判理事所(地方海難審判庁の所在地に設置)と海難審判理事所(東京)が付置されていた。」


どちらも、決して個人の責任を追及する場ではなく、再発防止を徹底する場であった。


*****
そして今夜、国家公安省の管轄刑事に、今月も来てもらえる。