怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

5月25日  再発防止を願って5<静岡県警>

2013-05-25 09:13:46 | 学校に対して
5/23 細江署N刑事とO刑事が二人で弔問に来てくれた。  

静岡県警本部で書類送検の報告に来てくれた時も、細江署として課長異動の挨拶に来てくれた時も、
書類送検までの2年8ヶ月、毎月遺族に寄り添うように来てもらったN刑事に、
「お忙しい中毎月欠かさず来て頂けて、もう充分です。どうもありがとうございました。」
と言った私だったが、
引率した8人の先生達が3年足らずで娘の命を忘れたように来なくなって凹んでいた時だったので、

事故と娘の命を真摯に受け止め、
弔問に来てくれた二人の若い刑事さんに感謝の気持ちで一杯であった。
 







*****
事故も所轄の細江署を離れ検察の判断の段階に入り、少し余裕が出来たのか、
20代後半のO刑事が、警察特殊事件の研修に参加した話をしてくれた。


浜名湖ボート転覆事故の話がメインだったそうで、

事故を教訓に娘の命を重要視し、警察は捉えてくれている。 








*****
作成中の冊子は、静岡県警の書類送検にも触れているので、その部分を二人にも読んでもらった。

真剣な眼差しで読む二人。


いつも冷静で真っ直ぐな判断をするN刑事の感想は、即答だった。







           「 この冊子は (再発防止と反省を兼ねて)、

   (被害者遺族ではなく)  事故当該中学が作成すべきものです。 」 
 

5月22日 おもちゃの兵隊<8人の引率教諭>

2013-05-22 07:27:59 | 学校に対して
5/20・5/21と、豊橋市教育長・課長、静岡県教育次長・課長と弔問が続いた。

命日となる来月は今年も、小プロ社長や静岡県教育長・教育委員長と弔問予約が入っている。



どんな肩書あるビッグネームが弔問に来ようと、娘は会ったことも見たこともしゃべったこともない人達ばかりだ。






娘が真に謝罪に来て欲しいのは、

自分を事故へと引率し、自分が信じた先生達8人であろう。

親の私が一番責任を感じて欲しいのも、

この引率教諭8人である。
 








*****
       「 普通のいい先生達が招いた事故だったから問題なんです。 」 


昨日、4月に新しく赴任した静岡県教委次長と課長が、川勝知事の指示を受け先ず私達に弔問に来た。

県教委としての教員への危機管理を話す次長。



私: 「 全国どこにでもいる 問題のない普通の(生徒にも人望のある)いい先生達が招いた事故だったから心配なんです。  

自分達も怖かっただろうに、何も声を挙げない。

事故後娘を亡くした私達が事故状況を知りたくて苦しんでいても、何も言えない。

(組織として逆らえない 感情のない)おもちゃの兵隊さんなんですよ。


同級生が卒業して 8人誰ひとりも弔問に来ません。

一人の生徒が、自分達の責任でいのちを落したというのにですよ。



同級生達と同じように、卒業させたら終了。

今の現場の先生達には、生徒のいのちを自覚することもできないんです。
 」








*****
私達の冊子を時間をかけ細かく推敲して持ってきた 豊橋市教育長にも同様のことを話した。 

豊橋教育長は山川先生の時と同じく厳しい口調で否定した。

「 彼らが(罪の意識を)感じていない訳がない! 」









*****
うちに初めて弔問にきた静岡県教育次長の言葉が私には新鮮だった。

小プロも静岡県教委も自分達が加害者の事故と認識し、
被害者を強調したい豊橋市や引率教諭を非難する言葉は、
今まで何ひとつ私達には発せられなかった。



民意訴訟でも警察の書類送検でも、引率教諭の責任を認めた。 




教育次長:  「(彼らは今も教師を)続けているんですよね? 」 

5月18日 冊子寄贈に向けて4<豊橋大人の事情>

2013-05-16 15:59:56 | 事故後の動き
小プロと静岡県教委両者に冊子の承諾を得て、4月下旬に豊橋市教委にも冊子原案のUSBを郵送した。


小プロも静岡県教委も内容はOKではあったが、さすが大手出版社と県教育機関。
5章100ページ近い冊子をすべてプリントアウトして、付箋や誤りを細かく記し 添削され返却された。  

時間をかけて推敲された冊子のプリントアウトをもらい、私達の文章力のつたなさを恥じる以上に、

     私達の再発防止を願う冊子を、より良いものにするために伝わる、
両者の熱い気持ちが嬉しかった。







*****
5月に入り、豊橋市の顧問弁護士からうちの弁護士に、冊子への申入書が届いた。 
      ↓     ↓     ↓



拝啓  時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。
 さて、先生監修の下、「学校が守るべきいのち」との題名にて出版される
ご予定であると聞いております。
 内容について一切関知するものではございませんが、当職及び当事務所
所属弁護士
の印影については当然のことではありますが、すべて削除なさ
れるようお願いいたします。
                                       敬具




                   

        




次に豊橋市教委からも、
冊子に掲載される転覆ボートで引率した加藤先生と山川先生の実名を、アルファベット表記の頭文字に訂正するようにと、
電話だけ入った。









******
 第5章・・・安全な教育システム構築に向けて 

・豊橋市立章南中学校の約束
学校がやるべきことを怠ったために、ひとりの生徒のいのちが
失われました。当然、当事者の章南中学校は、責任を感じ、深
く反省しているはずです。
しかし、残念ながら私たちに伝わってくる章南中学校の二度
と繰り返さない取り組みは、未だに問題点を正確に捉えたもの
になっていないように思います。この事故で明らかにされたこと       <娘の写真掲載>
は、学校の危機管理が希薄だったことです。日ごろから各教諭
は、「生徒のいのちを守らなければいけない」と思っているでしょ
う。しかし、一番肝心な時に、自分たちの立場を見失ってしまい
ました。
この事故では、容易に危機をイメージできる状況にあったに
もかかわらず、他者にすべてを任せ、何も判断しなかった結果、
尊いいのちが奪われたのです。この「学校が守るべきいのち」に
ついて、学校は、状況によって自分たちの都合のいいように解釈してしまう体質が、この“事件”を
引き起こしたのではないでしょうか。
これは、章南中学校だけの体質ではないかもしれません。しか
し、人が入れ替わったとしても、当事者の中学校としてもう一度、危機管理のあり方について、自ら
の責任として深く考え、同じ過ちを繰り返さないよう、最優先の課題として取り組むべきです。現状
は、とても授業中に生徒を亡くした学校の取り組みとは思えないほどの浅いものだと感じています。
そして、これだけ社会的関心が高く、衝撃的な出来事なのですから、
取り組み内容を力強いメッセージとともに、
社会に発信する社会的責任が、章南中学校にはある
と思います。 
   
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5月1日 何もなかったことにされて2<事故引率教諭達>

2013-05-01 08:15:31 | 学校に対して
現場にいた先生方に教えて頂きたい事とその回答>

作成日:2010年11月25日
回答日時:2010年12月25日10:00~13:00
出席者:合川校長(水野校長休職のため新校長)/森下教頭(事故時中学待機)/鈴木宏道教務主任(D艇自主艇引率)/山川校務主任(事故C艇引率)/竹下1学年主任・A組担任(A艇引率)  /加藤学1年A組担任(事故C艇自主艇引率)/鈴木進太郎1年B組担任(B艇引率)/渥美1年C組担任(D艇自主艇引率)/南部養護教諭(現場待機)








*****
4/26 章南中 新校長が弔問に来た。

事故責任校の校長が弔問に来て、安心したという気持ちであった。





しかし、


             事故引率教諭8人は誰ひとりとして来ない。





教員という職業倫理は、異動や退職でリセットということだろうか?


異動教員は皆、事故を思い出さずにすむ安全な場所で、再発防止も忘れて普通に教員生活を続けている。 

目の前で自分達が引率した生徒を殺したというのに。




2011年4月 異動願いを出し事故から逃げた教師達に挨拶をされ、人数の多さと無責任さに驚きながら言うしかなかった。



「 事故を経験した先生達にしかできない教訓を、どうか赴任校で活かして下さい。 」



教育長に彼らが弔問に来ないことを嘆くと、

「忘れられるわけがない!」 と怒ったように輸されるが、


彼らは何も形にしていない。

風化防止も再発防止も考えられなければ、
彼ら8人しか知らない事故状況を記録に残したり、
娘の骨の前で謝り続けることもできないのだろうか?       見事な保身。







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2010年6/20 警察や地域の方々の、厳重なマスコミ包囲網の中 自宅に連れて帰った娘の遺体に、

大泣きしながら謝りに来た女性教師達。



家庭訪問で来た2人の担任の顔しか知らなかった私。

事故状況も説明できず現場からパニックで電話してきた女性担任と、救出後 行方がわからなくなってしまった男性担任。


女性教師達を娘の遺体が眠る和室に通し、
司法解剖され網のシャワーキャップ?を被らされ、
2時間半も転覆したボートの中で 荒波に打ち続けられできた額に傷の娘に、


「 どうか(懸命に耐えた)娘を かわいい って言って撫ぜてやって下さい。 」




            一生忘れないように。 

         あなた達の指示をどんな思いで娘が信じたのか。   


        自分達の罪を決して忘れないように。
 











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<現場にいた先生方に教えて頂きたい事とその回答>


2010年12月25日10:00~13:00
メンバー:合川校長/森下教頭/鈴木宏道教務主任/山川校務主任/竹下 1学年主任・A組担任  /加藤 1年A組担任/鈴木進太郎 1年B組担任/渥美 1年C組担任/南部養護教諭

Q29.花菜が死亡した一番の理由は何だと思いますか。

A29.

(宏道教務主任)予測可能な事を充分に、手を尽くしたかどうか。実施を決定した事が一番、最も悲しい結果にさせてしまった。今後もいいことも悪いことも 子供達につつみ隠さず共有していけたらと思う。

(山川)一番の理由はやっぱり曳航にあったと思う。今後花菜さんがどう進んでいけたかをお家の方に伝えていきたい。

(竹下)いろいろあってこれがとは言えない。私が出来た事は、出航判断の時に「もう一度考えようよ」とその一言が言えなかったこと。

(加藤)曳航の事もあると思うが、曳航後の対応が自分としてほめられるものでなかったので、いろんな面で考えが甘かったと思う。自分のできる事をやっていきたい。それが花菜さんとかご両親の為になる事をしたい。

(進太郎)訓練の実施をとめられなかった事。自分の中にある人任せの部分があった。自分の意志を持ってやっていかなければいけないと思った。その認識の甘さが重なって今回の事故につながった。子供達を守る自覚がたりなかった。ここへ子供達が来た時にできるならば愚痴を言って欲しくないなとの思いがある。学校が楽しいと思えるようにしたい。

(渥美)一番の理由は答えることができない。ただ自分にできる事は、もっとあっただろうし、自分の甘さが関わっている事はすごく認識している。花菜ちゃんの事は絶対忘れない。

(南部養護教諭)一番の理由は難しいが、自分がちょっと違うことやったらこんな結果にはならなかったと思う。陸で待機していて山川先生が帰って来た時に「花菜とまりながいない」といろんな人に伝えたのになんて事になったのか、自分の中で消化できない。自分もそこから進めないでいる。

(森下教頭)予想の甘さというのか、雨が降っていたかで雨天決行という事だったが、部活でも雨の中大会をやったりする。なんかそこに鈍感さがあっていろんな面で
予測の甘さ、鈍感さがあったなと反省している。ご両親には精神誠意尽くして関係を崩さないでやっていきたいと思う。








*****
民事での和解文の順守も、校長の書類送検も、全て忘れて




                    何もなかったことにされて・・