怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

9月30日     限   界

2011-09-30 08:59:58 | 私のつぶやき
                今日で主人が 28年勤めた会社を 辞職する。

      学校側の月命日毎の弔問、  学校側からのそれ以外の平日の来訪予約、  マスコミの取材等々、、、        
    
     とても   仕事に集中できる、残業できる状態ではなかった   事故からの15ヵ月・・・

                     もう   限界だと

   会社のバーベキューで 会社のお姉さんと娘

   お疲れ様の一言が 言えない 私・・・


9月29日  二つの市と県で揺れて

2011-09-29 10:32:55 | 事故後の動き
事故が起きた浜松市は、車で30分程の県境を越えた所にあった。
娘を郊外学習の野外活動に送り出してから、○○という地名の山奥にあるものと思っていた施設が、身近な○○だったことを初めて知った。

しかし、この県境に、目に見えない高い壁は存在しているなんて・・。 


15分間だけの娘の、硬くなってしまった遺体との対面。    司法解剖という親には耐えられない響き・・。


マスコミ対策から私達は、平穏に自宅に娘を連れて帰ってやることも許されず、隣県の県教委と所轄の警察署が準備したビジネスホテルで、娘の遺体の司法解剖が終わる翌日を待った。

着の身着のままの私達に、隣県の県教委がコンビニで着替え等を揃え、ホテル駐車場には、見張りの車が待機していた


         悪いことは何もしてない私達が、どうしてここまで隠れなくてはいけないのか?

隠れたホテルに次々と訪れる、事故関係者達。  深夜の校長、 翌日の民間委託施設関係者、 豊橋市教委。
土下座して「生徒が まだ残っている生徒がいる と言ったが、私には探し切れなかった。」と謝る民間委託施設所長。
反対に 「とんでもないことが起きてしまった」と謝り、私達が座るホテルのベットに腰かけ、親しげに私達に話しかける○○市教育長。

       「とんでもないことを起こしてしまった」じゃないの?

どこか自分達には責任がない と言いたげ・・   買った商品が不良商品だったと・・


親の私達は宝の娘を、学校に預けた! どこに連れて行こうが学校に任せたの!


お友達のお母さん同士だって、お友達のお子さんを連れて行って、「施設が悪かった」とは言わない。「私が連れて行ってごめん。」と謝るのが普通。

この見えない県境の壁は、多く存在していた。

 読む新聞も、見るテレビも違う隣県。それでうちに取材に押しかけるテレビ局も新聞社も 単純に2倍 取り上げられる記事の 見かたも、訴える視点も、 その報を受け取る豊橋市民と静岡県民も、微妙に異なっていた。   

 静岡県知事や豊橋市長に至るまで。
 
とりあえずホテルで探さねばならなかった、葬儀の豊橋市斎場の電話番号も、静岡県タウンページには豊橋市の掲載はあるはずもなかった。


9月28日  遺族の気持ちを感じて欲しくて

2011-09-28 08:44:59 | 私のつぶやき
新聞チラシの裏に、一気に書きあげた私の「6月18日によせて」の文。

娘が病死や交通事故死であれば、気持ちの納めようもあっただろう。


先生達を信じたばかりに・・  学校を信じたばかりに・・    

       娘の怖さ、 辛さ、 苦しさを思うと、

日を追うごとに、涙から  怒り  へと変わっていく感情。


ーーーーー
新学期が始まり、6/26に事故の起きた隣県の委託施設で、娘の像の除幕式準備が進んでいた。
○○市教育委員会、民間委託の施設、隣県の○○県教育委員会、3者の実行委員会第1回会合の日が近づいてもいた。
まだ○○市教育委員会は、3者が同じ土俵にあがることに難色を示し、
○○市教育長が出席することに、民間人で構成される教育長の上の立場の委員数人が異論を唱えていた。

    < 3者が奪った娘の命   もっと謙虚になってよ     こども達に大人の責任の取り方見せてよ >

その思いで第1回実行委員会が開かれる際、遺族の気持ちを少しでも感じて欲しく、この「6月18日によせて」を送った。
そして同時に第1回実行委員会のマスコミ発表に向け、うちに接触のあったマスコミにも送った。

ーーーーー
「6月18日によせて」はその後、「私にとっての命」で娘への手紙を再度お願いした、学校を去った5人の先生達にも送った。
でも1人の先生は、新校長にお願いした最初の手紙すら、届いていなかった。
退職し離れて暮らす先生の住所がわからず、実家にも届けられていなかったことが、新校長に聞いてわかった・・
もう1人の先生には、残りの3人の先生に頼んで、その先生にもと再度お願いしたが、先生達の微妙な仲間意識?から、届いていないのだろう・・

       これが大人?      これが教育者?


9月27日  怒りの火を消して

2011-09-27 09:19:52 | 私のつぶやき
朝、ブログを見てびっくり!

多くの温かいコメントが届いている。


いつも涙一杯で綴る このブログ。

どうか この涙を 怒り でなく  娘のためだけの  きれいな涙  にして欲しいと。

                本当に ありがとうございました。

   
   でも、

      なかなかこの怒りの火を消そうとしない   学校   市教委   。。


9月26日 6月18日によせて

2011-09-26 09:49:22 | 私のつぶやき
                         6月18日によせて



 だんだん過ごしやすい季節になるのがなぜか悲しくて、娘と過ごした日々から離れていくのが辛すぎて。もうすぐ6月18日が来ます。
 
 恐いほどの悲しい現実、済まさねばならない雑事の多さ、延べ1千人の参列者という事故の日常からかけ離れた大きさの中、命について考え続ける日々でした。そこに多くの方がたのかけがえのない命が奪われた、3月11日の東日本大震災。
 
 私のひとり娘は中1の12歳に、義務教育の野外活動の中ボート事故に遭い、なんの落ち度もなく命を落としました。その瞬間まで、「娘は生きていた」「生きたかった」はずです。
 
 可愛い笑顔、優しい言葉、将来の夢。同じく、突然の災害に遭われた方がたを思うと言葉になりません。
 
 人生をボロボロにされ、マスコミに追われ、文庫寄贈等の諸事。娘の死を無駄にしないよう、学校の校外学習の安全、再発防止を求め、署名活動、毎月の豊橋市教育委員会へのマニュアル作成、公表を求め続けた1年です。(教育界の閉鎖性、引率された先生方の心の弱さ、責任の取り方の無さに愕然とする日々でした。)

 何度も泣き崩れそうになりながら、必死に前に進んできました。

 そんな中、2年に進級しただろう娘が遺した国語のファイルが学校から返却されました。そこには「私にとってのお母さん」という娘の作文が。笑顔、友達、お母さんのテーマで考え、「いてくれてありがとう。」で締めくくられていました。

 娘の命は消えてしまいましたけれども、私も娘に心の中で「いてくれてありがとう。」と叫び続けています。

 今も娘の大切な友達の皆さんが、この1年ずっと娘の命を学校に問い続け、娘の写真の前で「ありがとう。」、ずっと友達だからねと言い続けて頂いています。

 親の私にとって、お友達にとって、娘を知る温かい方がたにとって、今も娘は生き続けています。

 突然愛する人を失くされた方々に、愛する人の苦しみにご自身までがのみ込まれることなく、愛する方を思い続けて差し上げて下さい。きれいごとの強がりを言うようですが、いつまでも続く悲しみの中、このことがこの1年で私が学んだことです。



 娘が命あった時の輝きをずっと育て続けたい、輝かせてあげたい、と。
 
 この6月18日を涙でなく笑顔で迎えたいです。


                                                西野 友章   西野 光美 








*****
上記文は事故が起きてから、ずっと私が命について問い続けてきた文面。


今日は娘の14歳の誕生日。
朝から娘の携帯に、登校前の生徒さんから、おめでとうコールが次々と届く。
娘もどんなにか嬉しいだろう。

どうか、この生徒さん達のように、
   
   学校も教育委員会も、娘の命の前で、 真摯に  純粋に  向き合ってくれることを願ってやまない。

                                

9月25日 ねぇ、何 失くした?

2011-09-25 08:29:11 | 学校に対して
1年前の今日は、娘の百か日の法要だった。何もわからない仏事をただ済ませていくのみの日々。
主人の親戚は遠方ということもあり、私の兄夫婦だけ隣県から朝早くに来てもらった、淋しいものだった。

娘の誕生日も近いこともあり、昨日から娘のお友達の弔問やメールが続く。
2年生になって忙しい中、娘もどんなに嬉しいことだろう。

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■乗船中

Q18.他のボートにだんだん付いていけなくなった時のこどもたちは、どんな様子でしたか。もう一隻先生だけのボートがありますが、そちらは付いていけたのですか。その違いは何ですか。船酔いは何人いましたか。
 
A18.
(教諭Y)子供は泣いて漕げない子はいました。辛くて泣いていた。
(教諭B)付いていけなかったけど自分達のペースで漕いでいこうとしていた。船酔いが出たので、漕ぐのを辞めて、休憩していたことがあった。
(教諭Y)辛くて漕げない子がいるとタイミングが合わなくなってくる。前に進まない。船酔いのひどい子は4人いた。
(教諭C)D艇はC艇が前に見えたので、C艇を抜かすのだという気持ちで、C艇を抜くとこまですごく頑張って、しばらくして進まなくなってきて少し休んだところから 風や波が強くて、C艇の様子をその時初めて気が付いた。
(教諭D)コースといっても湖なので前の艇が見えなくなるのが一番不安だった。とにかく離れないようにしっかり漕いでいた。途中で波が出てきて進めなくなった。AとB艇は 寄ってきて下さいという無線が入った。A艇に近づいたところでアンカーを下した。かなり離れて、CとDは動けなくなっていた。
(教諭E)A艇は、体調が悪い子はそんなにでなかった。Aは最後まで漕いでいた。波が出てきて停泊していた。
(教諭F)B艇は、一度停泊して所員が乗っていたが、休憩をして動き出したが波が強くて流されていった。船酔い3名程でした。

ーーー
今週学校を去った上記4人の内、3人が来る。

        ねぇ、先生なら教えてよ。  何 失くした?
 
       可愛い笑顔?   優しい言葉?    将来の夢?

あなた達、何も失ってないじゃない?  娘の弔問に来ることが償い

   あなた達は 学校は 娘一人の命を奪っただけでなく、 親の私達の生活まで奪った・・・




9月20日 思い出を紡ぎたかった<娘の涙>

2011-09-20 06:05:36 | 事故後の動き
      みんなと娘は     思い出を紡ぎたかったはず。


通夜に向かう朝

眠れない私が、豆電球の灯りの中、左隣に眠る遺体の娘の瞼から涙?

日が差し、娘の右隣の主人が目覚めるなり、「○○ちゃん涙が出てる!」

前日湯灌の儀を済ませ、セーラー服を着て、2時間半も発見されずにいた時についた頬の傷を隠すよう化粧をしてもらった顔の娘

娘のこの涙を私は忘れる事ができない

一生許さないと



   夢あふれて出かけていった娘を、数日後に焼かねばならなかった親の気持ちなど、わかる訳ない!


  章南中学校と豊橋市教育委員会に
      強く  二度とこのような痛ましい事故を起こさない再発防止と、深い 謝罪を望みます。


9月19日 登場人物

2011-09-19 09:17:24 | 学校に対して
昨日の中学での体育大会。
娘のいない現実に、心が焼けるとは思いながら、
娘を忘れずにいてくれる、優しい生徒さん達の姿が見たくて、主人に連れて行ってもらった。

学校側にも16日の金曜弔問で、前もって連絡しておいたので、テープで仕切られた、生徒さん達を一番見れる特等席。
忙しそうな先生達の姿もよく見れる。

あっ、あの先生は事故当日、事故現場まで車で連れて行ってもらった若い先生。
  保護者宅までカーナビで来ようとして、風雨の中 道がわからなくなった。。
  途中で先生達の運転?か精神的ショックで何度も吐きそうになり、コンビニでビニール袋をもらいに行ってもらったっけ。
学校に残った先生2人も、他の学校に異動した先生2人も、次々と挨拶に来る。

主人がやることのない新校長に訊くと、異動した先生には連絡をいれたそう。
事故の登場人物と言えば、旧校長は?

旧校長は、事故が起こった時は、どうしてたんだろう?
対策本部と救助本部が別の場所になったのも知らず、情報収集にあたっていたと主張した旧校長。
重度ウツ病と自分の殻に閉じこもって、いまだ遺族になんの誠意も見せない校長。
見せさせようともしない教育委員会。

追記:今度の金曜は秋分の日。
   主人の会社は祝日でも休みではない。果たして、先生達は来れるの?
   また2,3日前になって無理ってことはないよね。なん日も前からわかっていること。


9月18日 最期の写真 1 

2011-09-18 17:02:47 | 学校に対して
今日は中学の体育大会。
今年は自分から行きたいと言って、(昨年は学校を休みがちになった親友さんに来てと言われ)、見に行く。

娘の最期の写真を持って。

事故に遭う数時間前の、皮肉にも娘一人が、生徒を代表し○○訓練の宣誓をしている写真。
 
いつも満面の笑顔の娘が、曇天の中、不安そうな表情の写真。

天候不順で延期になった、皮肉にも18日の体育大会に。


     止まってしまった 娘の時間     止まってしまった 私達の生活・・・


9月17日 事故当事者校での 呆れた 風化  1

2011-09-17 14:39:08 | 学校に対して
昨晩は私のトラウマ金曜。
しかも「うちは、18日にはあえて、こだわらない。」と言っているので、
18日を自分達の指定席のように、2,3日前になると「月命日のお参りに。」と言ってくる学校も、
さすがに連休までは、先生達を揃えることはできないのか、早くから、
「16日に金曜のお参りも兼ねて、月命日の弔問もさせて欲しい」と。

だから昨晩はダブル弔問。
2年の先生達全員が来てくれる。

そう思い、先日見せてもらった文庫の上に置く、事故情報のプレートへの追加の文も、用意して待っていた。
いつも通り、やって来た学校側。

でも、2年の先生達は 5人のうち2人だけ。
あとは幹部5役と呼ばれる、校長 教頭  ・・・の50過ぎた男の団体。

これじゃ娘が可哀そう・・ 私も嫌だ!
5役の焼香が終わり、「2年の先生方は全員は来られないんですか?」と聞いた。
このブログを始めた時も、月命日には現場の2年の先生全員が来るように、お願いしたはずだ。
困った顔をする校長。

月1回、18日前後の、先生達の予定が合わせられないもの?
合わせられないのなら、合わせられるように、するべきじゃないの?
それだけ校長には力がないの?   それとも   新校長には、この事故の重さへの認識がないの?

      < 呆れてしまう 事故当事者校の  事故への風化 >

追記:「事故のプレートを、○○さんの花壇横に設置してもらえるように」と、保護者の方が言って下さった。その事に、校長が難色を示した話を、教育長にうちが訴えた。それが、学校側にも伝わったようで、「花壇横のプレートも設置します。」とやっと学校側から話が出た。でも「誰の保護者が?」と校長。そこまで覚えてないの?犯人探し?問題は事故に対する 学校の姿勢を見せるかどうか でしょう?


9月16日 破れた心に染みた「ご立派です。」

2011-09-16 08:48:19 | 私のつぶやき
毎回事故究明を巡って、バトルのような市教委との月命日の弔問時。教育長が、
「○○先生は退職したいと言っている。」「○○先生が一番危ない(心)。」
      「○○中はもうボロボロだ!」
新校長からも、うちが署名活動に踏み切った時、「先生達は傷ついている。」

ずっと娘の命が奪われた深い悲しみを背負って、しかも毎回遺族が責められるような言葉の日々。

自分の自己満足にすぎないと、深い悲しみを振り払い、
    泣くことさえ、できない娘のため、   娘が一番喜ぶ事を考えて、
  必死だった  葬儀   文庫寄贈   3年生を送る会へのサプライズ

その破れた心の中、毎月の文庫の書籍手配をお願いしている担当者から
「---- -番お辛い○○様が、そのようにされました事、非常に御立派だと思います。----ーー」
定期購読の書籍のリストと共に、桃の節句を前に添えられたFAXの文面。

私はその「御立派」という言葉、ずっと誰にも認めてもらえなく、不意にもらえた言葉に、
        自然と涙が頬をつたっていた。 

        <遺族の心をここまで追い詰める  教育者  って何?>


9月15日 いやがらせ?

2011-09-15 09:01:13 | 学校に対して
昨晩ノートと事故情報プレートの下書きを取りにきた 教頭。
主人が玄関で娘の写真と違うんですが。」と言うと、返って来た言葉が
おかしいですね? 普通の勤め人なら、第一声は「申し訳ありません。」のはずなんだけど・・
反対に可笑しく(おかしく)なってしまう。???

娘の死後も給食費を、通帳から引き落とされて、明細を要求すると、なんの説明もなかった。
「娘が食べた分、使った分はお支払いします。」と言ってるのに、その月全額を通帳に返却された
娘が6月のあの事故まで、生きていた 証しまで簡単に消そうとする学校。。

文庫寄贈の時にお願いした、学校の姿勢を表す誓いの言葉も、寄贈前夜に頂いた文面は
「平成22年6月18日、○○(地名)において、
13歳という若きいのちを失ってしまった○○さん。・・・・」で始まる。
    娘は 12 歳!   失ったじゃなく、学校が奪った!

   < もうここまでくると、  学校の遺族に対する  いやがらせ? 

この姿勢で、ガラスのような心の 生徒さん達に接しないで欲しいと、不安になってしまう。

追記:昨夜、事故の件でずっと心を痛めて頂いている記者さんに、
主人が辞職の話をした
   自然に涙をにじませた、心 を持った記者さん。
   ○○中はどう捉えるだろう?   学校が追い詰めた   罪


9月14日   人 災 

2011-09-14 08:37:12 | 市教委に対して
「私は早くから人災と言った(認めた)。」
これも教育長 お気に入りの  フレーズ。

人災と認めたのなら、もっと早くするべき事が、いくつもあったはずだ。
国交省の調査結果を待たずとも、事故についての 人災の部分での 
二度とこのような悲劇を招かない、
確固とした 原因究明

いまだプライバシーと言って、重度うつ病を掲げ、
表に出ない、真相を語ろうとしない、元校長。  仮面うつ病?
その校長を任命した○○教育委員会は、その責任があるはず。

まさか、プライバシーにしとけと言ったのは、教育委員会?
最初から診断書も何もなかったんでは?、校長の責任と思わせ事態を納めさせろ、 と勘ぐりたくなる。

私達遺族が、はっきりさせたいのは、
国の事故調の なぜ ○○が○○したかの物理的部分では無い。

なぜ、かけがえのない娘が、命を落とさねばならなかったか? の人災の部分なの!

それならすぐにでも、できたでしょう?
私達がまわりの方の力を借りて、署名運動までして・・・
市教委のHPへの事故情報開示を、何度もお願いして、やっと掲載されたのが、
事故から10ヵ月も経った4月・・・

       <その間に どんどん事故は風化していく・・・>

追記: 娘の大好きだった 9月。  14歳になっていたはずの 毎年家族で祝った 9月。
   この9月をもって 主人が28年務めた会社を辞職する。  これも 人災。。


9月13日 意味のない交換ノート

2011-09-13 09:04:00 | 学校に対して
○○中学との「○○さんへ」と表紙に可愛く、
当時の担任から張ってもらった
交換ノートも、もう4冊目。            
片面に娘宛ての手紙を先生達に張ってもらい、もう片面に私の文。
1冊目の私の文は、娘に対する  涙  の文で一杯だった。
しかし、
2冊目になる頃から、どんどん  怒り  の文面に代わっていく・・・

「そろそろ私も書きたいので、月曜あたりに取りに来てもらえますか?」
「どうぞ。どうぞ。」と学校側のいつもの会話。
お忙しい先生方を配慮して、1ヵ月過ぎたあたりにお願いする。

昨晩の月曜日は、教頭から確認も入っていたので、
私もノートを書き込み、一緒に返却約束のプレートの下書きにチェックも入れ
早目に帰宅した主人と待っていた。
でも7時になっても来ない、、。    また  連絡  無しのすっぽかし・・・

私の涙から怒りに代わる文面も、  誰も読んでもくれてない。。。んだろう。。


とうに始まっていた

     
         <当事者校の  呆れた   事故の風化   >  

  

9月12日 真実が知りたい 2 (先生達の生の声)

2011-09-12 10:11:06 | 事故後の動き
<現場にいた先生方に教えて頂きたい事>
※私たちの思い
その日、○○に何が起こったのか、引率してくれた先生方から、その事実を直接聞きたいです。事実を知らないままだと、これからの人生において、気持ちの収めようがないような気がします。また、 ○○(娘の名)も親である私たちに事実を知って欲しいと強く望んでいると思います。 よろしくお願いいたします。

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上記文で始まる31にも及ぶ私達の質問。
この質問文を書面で、○○中にお願いしたのは、混乱していた私達の気持ちも整理ができてきた11月末。

それまではタブーのように、口に出せなかった事故についての数々の疑問。
国交省の事故調査の中間発表も出された頃だった。

いつ先生の生の声が、どういう形で聞けるのか?
先生方の負担にならないよう、記憶の中で整理しておけるよう、前もって提出した質問文。

それがなぜか? 校長が我が家に12/7(火)に来たいという電話。
事故について何も知らない、新校長が?

私は嫌な予感がして、この経緯を連絡済みだろう、大親分達市教委の課長に電話した。
課長は「遺族の知る権利は尊重します。」と丁寧に言う。

12/7 また主人に仕事から早く帰宅してもらい、校長を待った。
そして校長は「 私が、職員に聞き取った回答をします。 」と私達の質問文と回答を読み出した。
   ?   ?   ?   ?   ?
そうじゃないの!  先生達の生の声が聞きたいの!!!
もう一度先生達の生の回答が聞きたいとお願いし、早々に校長にお引き取り願った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ようやく引率した先生達全員が揃い、回答してもらえたのが、
暮れも迫る12/25 10時から。
主人と質問文を画板に挟み、筆記具を持って待っていると、

監視役?の校長が  メモは困ります!調書で述べたことと違うといけませんから

???で口を挟みたかったが、31にも及ぶ質問、ようやく先生達の生の声が聞ける。
その思いでペンを置き、質問の回答を進めた。
先生達の発言に、いちいち「それをやると二次災害・・」と口を挟む校長。

弔問に来て頂いている生徒さんの、乗船位置を訊ねると「プライバシーに関わる」と拒否。
 私は傷付いた生徒さん達に、事故の話は 口が裂けても していない。
 反対に事故を彷彿させることを 口走るといけない、の思いで聞いた。
プライバシーの履き違えじゃないの? プライバシーって言葉の好きな教育界・・

時間も正午を過ぎ、急いで31の質問を終えた。

先生達の声を知り、少し気持ちが楽になったが、先生達個人より、
      
       < 学校に ますます高まる不信感 >