怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

9月30日     怒     り   1<父の怒り>

2012-09-30 08:28:10 | 学校に対して
■  2010年夏 私の章南中との交換日記


               自分のお砂場セット

                 いつも盗られて泣いている花菜ちゃんが

                 ある日、お砂場セット持って逃げたよ


                 お母さん 嬉しくて

                 お父さんに伝えたら

                「泣いている 花菜ちゃんの方が好きだな。」 って


                 そんな優しいお父さんが

                 今

                 初めて

                 怒っている






■  2012年9/28の主人の日記


                 いら立ちで気が狂いそう


先日の海難審判で、K元教諭の言動に怒りが増しています。

審判所でのK教諭の事実を歪めている行為はあまりにも酷い。

正しい事実を解明することしか、再発防止にたどり付けないのに、余りにも情けない教諭でした。

1つに、

学校が野外を行う場合、天候判断は自らが行い、実施可否の決定をするのは、誰もが認める常識と思っていました。

活動を委託された業者は、あくまでも学校が企画した授業を補佐する役割。
全部お任せにはできない。

子どもは学校にも守ってもらうのが、誰もが認める常識のはずです。

2つに、

転覆したボートは教諭しか乗っていない自主艇でした。

専門的には、復元力の高いカッターボートがなぜ転覆したか、その原因を究明するには、ボートの舵を取っていた教諭の証言が非常に重要になることは、素人の私でもわかります。

しかし教諭は、その重要な点において、質問者に合わせて証言を人為的に変えてる、としか思えない事を述べました。

花菜に対して、謝罪の気持ちがあるなら、もっと血の通った人間でいてほしい。

3つに、

救助について、転覆したボートに乗っていた教諭は、助ける余地は十分にあったと思えます。

生徒から行方不明者の名前を聞いているにも関わらず、何も確認していません。

それどころか、目の前にいる自分の生徒を助けることをすべて放棄して、自分は先に救助されています。

海難審判は、責任追及の場でない事はこの教諭も理解しているはずです。

証言しないということは、

二度と繰り返さないことにも、協力できないという事でしょうか。

結局、学校は野外教育を企画しながら、目の前の生徒の安全を何も考えていないし、何も判断していません。

それどころか、授業中に落ち度のない生徒がなくなったことに対して、反省会さえも曖昧のままです。

海難審議が終わって、事実がさらに明らかになって、今更ながらに強い悲しみと怒りで、尋常ではいられなくなりそうです。

「このK教諭じゃなかったら、娘は助かった」との思いがより強くなりました。

家内はなぜか、K教諭には寛大。 個人を責めたりはしないという事でしょうか。

私が市に対して提訴している民事訴訟について。

和解方向で進んでいるけど、中途半端な謝罪内容ではお話にならないと、改めて思いを強くしました。

9月29日 第2回海難審判 2

2012-09-29 08:52:17 | 学校に対して
                            真相にひとつの光

海難審判を8月今回の2回とも傍聴しました。今回証人となった元章南中学教諭への、元青年の家所長の補佐人早川弁護士の尋問は、これまでなぜ花菜さんが死ななければならなかったか、つまり見つけられるまでに2時間半もの時間を要したのか?の核心に迫りました。

ひとつに、朝日新聞にも報じられていましたが、1回目の審判で右旋回してお椀がひっくり返るように転覆したのは、左に傾く自主艇(花菜さんが乗っていた)の舵を無意識にカジ取りしていたK教諭が押したのではないか、そうでなくてはこんな転覆は考えられない、と元所長側は指摘していました。ところが今回証人K元教諭は、船首は右ではなく左に旋回していた、と自分のこれまでの供述調書内容を覆したのです。舵に手を添えていた供述も、「添えていなかった」と変えたのです。

二つ目に、救助後について「あなたともう1人の教諭2人と8人の生徒が救助されたとき、残り10人の生徒がどうなっていたか確認したのか」の質問に「6人が湖面に浮いており4人がボートの下にいた」と証言!!!。「もし、あなたがそのように確認されていたのなら当然救助に向う消防隊らも潜水用具を持って4人を救助にむかったはずだ。あなたが確認せず、また救助の要請をしなかったから、花菜さんを救助隊は探し出せなかったのではないのか!点呼せずあなたは岸に上ったのではないのか?」と補佐人早川弁護士もK教諭の保身極まる証言に怒りを隠せないように尋問された。岸に上った後も救助隊に連絡していないことが、救助の遅れになったことは、傍聴する誰もが判断できました。

三つ目に、曳航されながら段々艇が傾くのを10分近く「傾くから停まってくれ」とトランシーバーを首にかけながらも曳航する所長に連絡もしなかったことも分りました。転覆時には「やばい、やばい」と叫んだようです。
Kは教諭になってはならない人でした。漫然と舵取りを任せた校長の責任は重い。
事故後今日まで章南中学で、この事故について反省等の話し合いは一度もされていないこともわかりました。
補佐人も、私共が悪いことは百も承知で・・・といいながら涙を浮かべて学校の責任を指摘し最後の供述を行いました。

今回西野さんはご夫妻で傍聴されました。傍聴していてさぞかしお辛かったと思いますが、花菜さんが亡くなられた真相にようやく光があたったとおもわれたのではないでしょうか。ご夫妻の力で真相の扉を開けられました。花菜さんが導いてくれたのでしょう。

市長の責任を認めさせ、謝罪まで遠くないような気がします。がんばっているけど、もうちょっとです。がんばってください。

9月27日  第2回 海難審判1

2012-09-27 09:46:06 | 事故後の動き

                これでも 学校には責任がない と言うの?




昨日横浜であった海難審判を傍聴しながら、

                                                 

小プロの弁護士によって、次々と明らかにされる、

国交省運輸安全委員会の事故報告への、
   学校側の元校長も含めての偽証と、        市の責任    に、私は涙が止まらなかった。


                        

                             「かじの手離した」
                                        元教諭が証拠覆す
                                        浜名湖転覆の海難審判


 浜松市の浜名湖で2010年、愛知県豊橋市章南中学校の1年生らが乗った手こぎボートが転覆し、西野花菜さん(当時12)が水死した事故で、ボートを引航したモーターボートを操縦していた「静岡県立三ケ日青年の家」の檀野清司・前所長(54)に対する2回目の海難審判が26日、横浜地方裁判所であった。
 前回、前所長側から「かじ操作にも転覆の原因がある」と指摘された元教諭の男性(37)が証人として出廷。だが、転覆時の状況について、「かじから手を離し、両手で船につかまっていた」と証言。これまで、「かじに左手を添えていた」と答えていた国土交通省の運輸安全委員会の調査とは異なる証言をした。
 食い違いについて、前所長と審判官から質問されると、元教諭は「言っていることが違うのは(自分も)理解できない。運輸安全委の方が正しいかも」などと述べた。
 前所長側は前回、転覆の原因について、「手こぎボートが左に傾いた際にかじを取っていた元教諭が(かじを左に切るように)無意識に手を押し出したため」として、元教諭にも原因があると指定していた。
 花菜さんの父・友章さん(53)は自分の過失を隠そうと事実をコントロールしているとしか思えない。何で重要なことを忘れるのか」と憤った。
 検察官に当たる理事官は小型船舶操縦士の業務停止1か月を求めた。
 






******
私の鞄の中に入れた、 娘の石のプレート(遺骨) と、

 娘の携帯に次々娘入ってくる、娘の15歳の誕生日への同級生達のお祝いメール が、

心に響き過ぎて、重かった。


9月25日  第3回 民事訴訟 2<前進>

2012-09-25 09:00:27 | 事故後の動き


                     豊橋市、和解方針示す                                 
                                              浜名湖転覆訴訟 
2010年の浜名湖ボート転覆事故で水死した中学生の両親が、愛知県豊橋市などに損害賠償を求めた訴訟の弁論準備手続きが24日、名古屋地裁豊橋支部であった。市側は初めて事故の責任を認め謝罪し、和解に応じる方針を示した。
 市側の代理人弁護士は、市の法的責任について「事故との因果関係を認めるという、厳格な意味で市の責任を認めるわけにはいかないが、広い意味では『こうすればよかった』と自戒を込めて(責任)認める方向でいく」と話した。 事故は中学校の野外活動中に起きた。市立章南中学校の西野花菜さん(当時12)が亡くなり、両親が今年5月、中学校にも責任があるとして豊橋市などを提訴。8月に同支部から和解協議の提案があり、佐原光一市長は和解を進める考えを示していた。
 




*****
昨日19時過ぎに帰宅した主人は、

「 市長は責任を認め、公の場での謝罪はするが、どの部分を謝罪するかはわからない。 」
                                      と、 代理人弁護士も歯切れが悪かったそうだ。


*****
事故が起き、市議会で問題になった時、

「天気図をよめんのか!」と、やたら野次をいれた国交省船舶出身の市長。


教育に口を出すことを、異常に避け続ける市長。
                戦時中でもないのに・・・

          子どもは市に預けろ!      だが、責任は取らない!        


明確な姿勢のない、困った豊橋市長・・・


*****

                 「  まだ裁判は続くの?   」                   と帰宅した主人に訊いた私に、

まだまだだよ。(次回は10/24)」 の応え。


      「一歩とまでとはいかないけど、

                 また少し前進したよね。」

9月24日   第3回 民事訴訟 (弁論準備手続き)<報告会の弁護士説明>

2012-09-24 14:39:00 | 事故後の動き
今日は16時から豊橋支部裁判所で、弁論準備手続きという民事裁判を行うらしい。

「なぜうちが裁判を起こしたのか」 
9/13の市民報告会で、うちの弁護士が説明しているので、長くなるがその時の説明をブログに残した。




                           2012年9月13日市民報告会
                                               18:00~20:30
                                               豊橋カリオンビルにて
K弁護士:弁護士の○○修です。なぜ裁判なのかといことですけども、まずなぜ開いたかという事ですけども、西野さんはご存知のように、豊橋市と静岡県と、小学館集英社プロダクション3社を相手に豊橋支部地裁に裁判を起こしました。今日の目的はどうして西野さんは裁判を起こしたのか、そして裁判を通じて何を求めているのか、ということをみなさんに知って頂いてみなさんもご理解、ご支援をお願いしたいという趣旨であります。西野さんが私のところに来たのが2年前、2010年の9月でした。事故から3か月ぐらいたった時でした。ご夫妻で見えまして、いろんなことを話されたのですけども、どうして花菜さんが亡くなったのか分からないという事が中心ですね。真実を知りたいという事でした。なぜ事故が起きたのか、事故が起きても多くの人が助かったわけですが、なぜ花菜さんは亡くなったのか、その時に浜名湖の現場で中学校の先生は何をしていたのだろうか、そうした中ですでに3か月経った時にも、静岡県、小プロの対応と豊橋市の対応というのは大きく違っておりました。どうしてこの違いが発生するのだろうか。という疑問を話されました。そうして話していく中でやはりその章南中学校の責任、これは豊橋市立なので豊橋市の責任これを明らかにしていきたい。そうしないと花菜さんが死んだことが活かされない。これからまた同じような事故が起きるかもしれない。それを防ぐためにはこの事故をよく真実を分析してどうして事故が起きたのかどうして花菜さんは死ななければいけなかったのかこれを明らかにしたい。そして豊橋市の責任も明らかにしたい。そういう事が出発点でした。
主に私たち弁護士ですが相談ということでやっていました。最初は西野さんがいろいろとご自分で動かれて対外的に起こしたのはその年の11月。だから2か月ぐらい後ですけども、請願というのをやりました。豊橋市議会に対して豊橋市章南中学校自然体験学習におけるボート転覆事故の真相究明を求める請願。趣旨としては真相究明、事実を知りたい。そういう請願でした。いろんな議員さんにご協力いただきまして、市民の人にも広く訴えかけて署名活動を西野さんは活発にされました。その結果豊橋の市議会では趣旨採択の結果になりました。趣旨採択というのは議会でいろんな意味があるそうなんですけども、それでも趣旨については市議会で賛成して頂いて、豊橋市も具体的な事実を調査をするようにと議会の意見も頂いたわけですね。だけども具体的な事実は西野さんにとっては明らかになりませんでした。
市の方も定期的に西野さんのお宅を訪れておりましたけども、決してそういう事実を明らかにすること及び責任を明らかにすることはして頂きませんでした。今年になりまして、国土交通省の船舶事故調査報告書というのが出てまいりました。国がこの事故原因を調査した結果を厚い本にまとめましてね、それで西野さんにもお届けされたという事ですけども、それを西野さんと私たちは読んでみました。かなりはっきりした事実関係が書いてありましてね。市が教えてくれなかったことはそこではっきりしました。そうするとこういう事実に基づけば、やはり市はどうすれば良かったんだろうか、はっきりすると思う。今まではっきりしなかったんです。西野さんにとっても事実が分からなくて、やっぱりこれは市にも責任があると、西野さんも私たちもそう思いました。それで今年の3月に謝罪申し入れ書を豊橋市に提出しました。事実関係が明らかになったのだから事実関係を認めてください。認めたうえで豊橋市長は謝罪をしてください。とうい申し入れをした訳です。その1か月後、豊橋市長のサイン入りで返事は来ましたけども、意味の分からない返事でした。読んでも少なくとも、日本語は書いてあるけど謝罪申し入れに対する答えは一言も書いていない。少なくとも謝罪はしないという事が解りました。その前提として事故調査報告書に書いてあった事実、これを認めるという事も書いてありませんでした。否定するとも書いてなかったのですけども。そうすると豊橋市は今回の事故についてどういう事実を認識しておるのか。この事実を元にすれば当然豊橋市は責任があるはずじゃないか。だったら謝罪して今後のためにはっきりさせてほしいということを考えました。そこで5月1日に訴訟を起こしたという事になります。訴訟というのは、なかなか手段が限られておりまして、議会の請願というのは事実をはっきりして市長が責任を認めてほしいということをやったわけですけども、なかなかそういう事を求める裁判というのはなかなか難しい。できないですね。そういう方法がない。結局形としては、損害賠償。娘を失ったお父さんとお母さんの慰謝料をはじめとした損害賠償。そういったお金を払って下さいと言う形でしかできませんでした。その理由の中で豊橋市にはこのような責任があるという事を裁判所に認めて明らかにしていきたい、という形でやったわけですね。被告、相手方というのは3者。静岡県とそこから委託を受けて三ケ日青年の家を運営していた小プロ、そして豊橋市この3者。請求の原因というのは後から菊地弁護士が法的な説明はしますけども、簡単に言うと2つですね。
1つは、これ中学校ですよね。公立中学校です。中学校というのは義務教育です。子供は通う権利があるけども、親は通わせる義務がある。つまり親としては自分の子どもをこの場合は章南中学校に子どもを預けざるを得ない。預けないと違法になっちゃいますからね。市に預けるというのはどういうことなんだろうか。それはやっぱり豊橋市と保護者との間に当然契約があるわけです。学校に行って勉強とかいろんなことを学ぶという権利を実現すると同時に、子どもですからね、こどもの安全を学校の先生を中心として豊橋市が図る。当然だと思うんですよ。豊橋市は子どもの安全には責任を持てません、だけど子どもを預けて下さいと言って預ける親がいますか。これが基本的な豊橋市の立場である。
もう1つは国家賠償と言いましてね、豊橋市は地方公共団体ですから、公務員になるわけですね。その公務員の落ち度によって、人のいのちが奪われた場合には、国家賠償と言って豊橋市が責任を負わなければならないという法律がありますので、その二つの法律でやります。
その詳しい内容は後で西野さんと菊地弁護士の方から話されます。
そこで裁判が始まりました。第一回は7月4日でした。この第一回の段階で被告3社の対応が大きく分かれました。静岡県と小プロこの2社は基本的に西野さんの訴えておられる責任を認める。具体的にどういう風にするかは今後詰めるにしても、西野さんの言い分については認めるという態度でした。それに対して豊橋市は西野さんの言い分については認める部分はあるのですけども、基本的には責任は認めない。つまり全面的に争う。という立場でした。そうするとこちらは、このような事実がある。豊橋市はこうすれば花菜さんは助かったんじゃないか、と言っている訳ですが、それに対して答えてくるはずですよね。答えますと言いました。第一回ではね。第二回が8月24日にありました。8月24になっても豊橋市は、書類を出してきませんでした。答弁書でこちらの言い分については争う、全面的に争うとは書いてあったのですけど、じゃあ、豊橋市が認識している事実はなんなのかという事は未だに出されておりません。そうした中で第2回でしたけども、異例ですけども、裁判所の方から和解勧告がありました。和解というのは判決まで行く前に、話し合いによってお互いに歩みよって、解決しませんか。という事ですね。
小学館集英社プロダクションは訴訟を始める前から全面的にこちらの言い分を認めてましたので当然和解に応じたという事でした。それから静岡県の方も基本的に同じ対応をされました。豊橋市については、なかなか難しかったのですけども、西野さんのもとに和解で妥協しないでみたいな声が届けられているのですけども、後で和解の内容をR弁護士から説明がありますけども、今回の裁判の目的からいうと、実は和解というのは、判決以上の成果が得られる可能性があると我々は思っております。豊橋市が和解の席に着くという時の前提ですけどね、豊橋市はお金払わなくていいですよ、という事を言いました。それ以上言えないですけども、お金は他の2社から全額払ってくれるので、豊橋市の間で後の整理の問題が、精算の問題があるかもしれないけど、豊橋市に求めたいのは責任を認めて謝罪をしてもらう事ですと。ということを考えております。まああの、代理人の段階ではね、わかりましたと、市長とよく相談して返事をするようにしますと言う風に返事をされました。第3回は9月24日の4時から。これは和解審だもんですから、公判とは違って非公開という事ですので、なかなかその場に傍聴するという事ができません。終わった後記者会見をして当日何があったか報告する予定ではありますけども、普通の裁判でみなさんに見て頂いてその場で理解して頂くというのはちょっと、今回は難しい。新聞報道なんか見ますとね、今まで市長は全く応じないと言っていましたけど、新聞報道では和解についても考えるというようなことをね、載っておりましたので、これなら今後話し合いで解決できるかなあと思います。その判決以上の成果が得られる可能性があるというのはね。判決は、豊橋市はいくらいくらを支払えと、それしかないんですよ。結論は。理由としては、いろいろ書かれますけどね。結論は金払え、これだけなんです。払えば終わりですねとなっちゃうわけです。それはやっぱり本意ではない。お金を払ってもらうことよりも今回の事故がなぜ起きたのか、なぜ花菜ちゃんが亡くなったのか、そこを明らかにして豊橋市にも責任がある。豊橋市だけとは言っておりません。もちろん静岡県にそれから小プロにも責任があると思いますよ。でも豊橋市は全く無関係だということではないはずなんですね。だからそこをはっきりさせることが、今後他の親御さんが子どもさんを中学校あるいは小学校に預ける、で例えば野外学習なんかにも安心して送り出せるその前提になると思うわけですね。その上で豊橋市が今後どうするかというのは考えて頂きたいのですが、前提としての責任と謝罪。これは判決では獲得できないので、それが和解で獲得できるのであれば、大成果かなと思っております。
今後も支援をよろしくお願いいたします。




9月23日  火中の栗?

2012-09-23 08:32:41 | 市教委に対して
9/20に市教委の月命日の弔問があった。
教育長はいつも最初に、主人に対し「仕事始めたか?」と訊くが、9/20は「裁判あるから無理か。」で終わった。

先月の弔問時に、山川先生が弔問に来ないことを批判した私に、 「来月の市教委の弔問に一緒に連れて来る」と言った。
だが、山川先生の姿はなかった。
それどころか、山川先生への市教委からの誘い自体も、忘れているようだった

主人にも「連れてくるハズないよ。」と言われていたので、
市教委に届けてもらうように、私は山川先生宛ての手紙を用意していた。

  抱きしめてくれる一人娘のいる山川先生なら、同じ一人娘を亡くした母親の私の気持ちが解るでしょうから」 と。


*****
民事を起こしてまで章南中と対立している私達に向かって、
  「 どこから ボタンの掛け違え が始まったか? 」 と訊いてきた教育長。

そこで、遺族に甚だしく誠意のなかった元校長(水野)と、現校長(合川)まで批判すると、
「中途(9月)で任命し、合川には 火中の栗 を拾わせてしまった。」と嘆いた教育長。

               私達って火中の栗???  


*****
9月の定例記者会見で、「3月までには和解を進めたい。」と言ったらしい豊橋市長。

 11月の市長選でとおるつもり??? 


夏休み期間に東京へ一泊の視察に行った、9/30任期の教育長。

 国の税金使って視察して、再任されるつもり??? 


              大きくボタンを掛け違えている、トップ達・・・

9月20日  ふざけた心のケア 5

2012-09-20 08:51:27 | 私のつぶやき
1人目の臨床心理士を断った後、カウンセリングに紹介されたのは、教育会館「教育」相談員の50代後半?の女性だった。
市職員のカウンセリング→1人目の臨床心理士と懲りていた私だったが、   「教育」   という言葉に興味を持った。 

章南中の先生達はボロボロだ!となぜか遺族の前で、毎月命日弔問で嘆く教育長に、

      「引率した教師は、大人として傷付いた生徒達に、前に進む姿を見せて欲しい。」

と言った娘を失った私が反対に
「先生達にエールを送る文を書いてやれ。」 という
理不尽な注文をされ、訳がわからなくなっていた頃だった。

2010年12/13からカウンセリングに来てもらい、その女性には1年以上月一回、

私のエールの文面、事故情報プレート、1回目の命日等、相談した。


心もなんとか落ち着き、相談はしなかったが うちが民事に進みだした頃、私は次の予約の連絡を絶った。

国の税金をこれ以上使うのが嫌だったから・・


広く捉えれば、生徒のお金で収入を得ている、公務員の先生達


               その意識のない 不思議な矛盾・・・



翌月、教育長から「あんなもの、エールと言えない。」と言われたのは当然? だった。

9月17日  ふざけた心のケア 4

2012-09-17 10:03:52 | 学校に対して
最後の砦です。」と教育会館館長から、3人目の臨床心理士を紹介されたのは、もう2011年春にさしかかった頃だった。

事故が起き署名活動もしたせいか、マスコミだけでなく一般の人(なぜか初老の男性が多い)も、我が家のドアをかってに開けて入ってくる日々。
そのため主人が仕事でいない昼間は、常時施錠しておかねばならず

3人目の心理士が来るため、不自由な私は段差のある玄関の鍵を自分で開けて準備をし、心理士が来る直前に玄関で転倒した。
痛さ以上に情けなさで涙一杯に、玄関タイルに倒れている姿での初対面となってしまった。

臨床心理士として事務所を構えているという、60代?と思われる初老?の女性は、驚いた様子も見せず、カウンセリングをしてもらう娘の祭壇のある私室に入っていった。

そして暖房していた和室に入るなり、  「暖房止めて頂けない?」 

次に仕事としているだけあって、「カウンセリングは1時間」 と言った。

私をびっくりさせたのは、以前受けた2人の心理士にはなかった、私の話を細かく メモしていく ことだった。

              私のプライバシーは? 

1時間のカウンセリング途中になり突然、 「薬飲ませてもらっていいかしら?」

この時点で彼女が嫌になっていた私は、プライバシーもあるだろうが思い切って

「なんの薬を飲まれているんですか?」 と聞いた。

彼女からの返事がトドメであった。

  「 アルツハイマーの薬なの。 」  



*****
元校長(水野)が夏休みに休職に入り、9月に新校長(合川)が赴任するまで、章南中の臨時校長をしていた館長に、
薬の件は言えずお断りをしたのは言うまでもない。

同時に、もう臨床心理士のカウンセリングを希望するのは止めようと、ようやく悟った。

9月15日  市民報告会 3<民事訴訟>

2012-09-15 08:52:00 | 学校に対して
市民報告会は木曜18時~20時半までだったため、土曜の朝日新聞に掲載すると言われた。
                                                

                              「和解、市は謝罪を」
                                     浜名湖転覆事故 遺族側が報告会
 2010年6月の浜名湖ボート転覆事故で中学1年の長女(当時12)を亡くし、豊橋市などに損害賠償を求めて提訴した西野友章さん(53)と代理人の弁護士が13日夜、豊橋市内で市民や支援者向けに訴訟の経過を報告した。名古屋地裁豊橋支部が和解に向けた話し合いを双方に提案する中、西野さんらは、市が責任を認め、謝罪することを目指す方針を説明した。
 事故は豊橋市立章南中学校の野外活動中に起き、同校の西野花菜さんが水死した。
 花菜さんの両親は今年5月、引率教員ら学校側にも責任があるとして豊橋市などを相手に訴訟を起こした。市側は責任を全面的に否認する答弁書を、7月の第1回口頭弁護で提出。その後、地裁豊橋支部の和解提案に対し、佐原光一市長は今月の定例会見で和解を進める考えを示していた。
 13日の夜の報告会で菊地令比等弁護士は「和解には豊橋市が責任を認め、謝罪することが必要だ」と指摘した。さらに、市のホームページや広報誌への謝罪文の掲載を求めた。
 具体的な市の問題点として、(1)花菜さんのボートに、訓練を実施した「静岡県立三ケ日青年の家」の所員が同乗しないことを学校側が事前に認めた(2)荒天だったのに、校長が判断を誤り、訓練中止を求めなかった(3)学校が乗船名簿を事前に「青年の家」側に渡しておらず、事故後の点呼が遅れたことなどを挙げた。
 西野さんは「豊橋市が責任を認め、謝罪しないと、市がやるべきことは見えてこない。第2の『花菜』を出さないことが、市がやるべきこと」と、責任を認めない市の対応を批判した。 




*****
一人もお越し頂けなくとも・・と強がった私だが、報告会へのマスコミの問い合わせの多さに、不安になってきたのが本音だった。

昨日、地元中京テレビの放送の中の、会場一杯の市民の方々に、主人には聞いていたが実際の映像として見て涙があふれた。

平日の夜という時間にもかかわらず、男女問わず多くの市民の方々にお越し頂いていた。

20時半までの予定に、時間延長するほどの多くの貴重な意見が飛び交い、学校教育に関心を持つ多くの市民の方から力を頂いた。

                 ありがとうございます。  

9月13日  市民報告会 2

2012-09-13 17:11:52 | 学校に対して
今、主人は市民報告会にいる。
私の娘を綴った文も持っていってくれた。


*****

                      <私たちの一人娘、花菜>
                                                  2012年9月13日
                                                  作成:西野 光美

 私たちの娘、花菜は、出産予定日より2ヶ月早い平成9年9月26日に2204gの低体重児で生まれ、その後順調に育ってくれました。

 母親の私は神経系の難病をいくつも抱え、入退院を繰り返しています。しかし花菜は泣いて困らせたりすることは一度もなく、いつも明るく振舞ってくれました。3歳で一人両親から離れ、三重の鈴鹿の祖母に預けた時も、決して「パパ、ママに会いたい」と困らせず、祖母の店のお客さんに、「ママどうした?」と聞かれると、「病院にいるの」と、店の手伝いをしながら明るく答えていたそうです。その入院前に、私が視神経の炎症で目が見えなくなって一人泣いていると、静かに遊んでくれるのですが、そっとティッシュを置いてくれた、優しい娘でした。

 小学生になると通院、入院時に介助してくれるようになりました。私が脊髄神経の管が破れて、下半身がしびれたり、足が動かなくなったりすると、病院の車椅子を取って来て押してくれました。目が見えない時は病院のさまざまな書類の難しい字を楽しそうに読み上げてくれました。その明るさがどんなに、私の救いになったことかわかりません。

 そんな生活の中でも、決してふさぎ込まずに嫌がらずに、変りなく振舞ってくれて、母親の私を手助けしてくれました。本当に花菜に救われていました。感謝しています。

 その時々で、たくさんの素晴らしい花菜との思い出があります。

 2歳の時、私の図面の仕事仲間と、遠く山梨までのサクランボ狩りバス日帰りツアーに二人で行った時、「ママは抱っこして歩けないから、最後までバスの中でも泣かず、歩いてね。」と言うと、お友達が両親に抱っこしてもらっているのをみても、一生懸命最後まで歩いてくれました。帰宅した玄関で、私が座って「偉かったね。」と涙一杯で抱きしめた時の得意そうな姿も忘れられません。

 通院に付き添ってもらった帰りは、二人で入るちょっと大人のおしゃれなオムライス屋さんのランチが好きでした。もちろんドリンクバーやサラダバーは私の分も取って来てくれます。食事の献立にも文句も言わず、いつも全部食べてくれ、好きなカレーや、パウンドケーキ、クッキーを焼いておくと、小学校から帰宅し「やったー」と喜んでくれます。餃子やケーキ、クッキー作りも好きでした。

 そろそろお年頃ということもあり、おしゃれするのも大好きでした。上手に自分のもっている服を組み合わせて、「これ買って」とはねだらず、ジャスコやしまむらに行く時は買ってもらえるかも・・の期待で必ずついてきたものです。

 物を大事にする子で、幼稚園入学時に作ってあげたお箸袋は小学校卒業するまで9年間使用し、小学校入学時に、私の友人からもらったお手製の大きくのばせる靴袋は、野外活動のかばんの中に中学の靴と一緒に入れてありました。

 私の体が不自由なため、2階より上の階段や体育館の階段が上がれず、小学校高学年の授業参観、体育館での音楽部の演奏発表や中学の入学式を観てやれず、多くの不憫な思いをさせました。父親が休みを取って参観することもありましたが、決して辛いとは口にせず、たった一人で頑張ってくれました。

 また小学校生活では、たくさんの賞をもらう事ができました。特に理科の「自由研究」では、提出すれば必ず豊橋市から優秀賞を頂きました。学校では国語や算数のコンクールでの「満点賞」が当たり前で、その時期がくると一生懸命に取り組んでいたので、その結果だと思います。

 中学になると部活動は吹奏楽部に入りました。ホルンを担当しましたが、家に帰ると、腹筋や腕立て伏せを150回頑張っていました。ホルンを吹くためには、腕やお腹を鍛えなければならないそうで、先輩や先生に言われたことは絶対でどんなに忙しい日でも毎日欠かさず、野外活動に行く前日まで実施していました。

 また必ず毎週3人で買い物に行きました。私たちの休みの日の幸せな時間帯でした。そして何よりも、いつも笑いの絶えない家庭でした。

 そんな中、自分の我を出したのが、ピアノとバイオリンを続けられないかもしれない時でした。私の再発が重なり、視神経の炎症で目が見えなくなったり、脊髄の神経が破れて足が動かなくなったり、車で送り迎えのピアノとバイオリンを辞めると言うと、下を向いて小さな声で「続けたい・・」と、涙を流して言ったのが忘れられません。

 小学1年生でピアノを、2年生でバイオリンを習い、4年生で能楽子供教室、小学校の音楽部はトランペット、コルネット、中学の吹奏楽部ではホルンをと、父親譲りの音楽好きで張り切っていました。野外活動で出かける前日の夜も、バイオリンとピアノのレッスンを受けていました。


 学校の野外活動に行く6月17日の朝は、父親が出張でいず、私の布団の上げ降ろしもしていってくれました。私は一人で花菜を送り出さねばならず、忘れ物をさせないよう、お弁当が傷まないよう必死で、笑顔の余裕もなく心の中で「無事帰ってくれますように」「楽しんでくれますように」と。「行ってきます」と、迎えに来てくれたお友達の車に笑顔で乗り込んだのが最後の姿です。

 家でも怒ったこと、お友達の悪口を言ったことのない優しい娘で、いつもまわりの友達のことを考えていました。
 おそるおそる私達二人でみた、命を落とす前夜の研修会のしおりに書かれた「将来の夢」は、花菜の好きな音楽の道ではなく、『人を助ける医者になりたい』、『友達の活躍を見てみたい』でした。

 私達は、最後まで娘の優しさに包まれていました。


 一人娘の花菜は私たちにとって、いのちよりも大事な存在でした。 

9月11日  市民報告会

2012-09-11 08:31:42 | 事故後の動き
                                                                                         
章南中学浜名湖カッターボート転覆事故について
 
    「なぜ遺族は
     裁判に踏み切ったのか」 
 


遺族が市長に求めるものはなにか? 市民のみなさまへの報告会を行います。

会場 カリオンビル(豊橋市民センター) 6階 多目的ホール
日時 9月13日(木) 午後6:00~8:30
 
 報告者    西野 友章       
       小林 修   弁護士
       菊地 令比等 弁護士


         上の絵はカッター訓練を前に西野花菜さんが描かれた

私たちは一昨年秋に、娘がなぜ死んだのか、その原因を知りたく、豊橋市議会にその原因究明を求め請願書を提出しました。また、豊橋市教育委員会に対しても、事故の事実関係について質問をさせていただきました。しかしいずれも満足のいく回答は得られませんでした。このままでは、豊橋市は、娘の死について何も責任を感じないまま、忘れてしまうのではないかと、強い不安を感じました。そこで、今年3月に、豊橋市の責任を明確にするため、学校設置者の豊橋市長に謝罪を申し入れましたが、ここでも明確な回答を得ることはできませんでした。
これから多くの方がこの豊橋市に子どもを預けなければならない中、今の豊橋市の姿勢のままでは、安心して子どもを預けることができないと強く感じています。学校が企画した正課の授業で、生徒のいのちを守るのは学校であるという当たり前のことを豊橋市に認識させ、このような悲しい事故が二度と起きないように努力し続けてもらうことこそが、娘の望んでいることと信じています。  
 
          
                          (第1回口頭弁論 西野友章さんの意見陳述より抜粋)

・ 参加費・申込は必要ありません。
主催  章南中学浜名湖カッターボート転覆事故市民報告会実行委員会
問い合わせ先/okumiya@xj.commufa.jp 090-7698-3652(奥宮)
章南中学浜名湖カッターボート転覆事故概要
2010年6月18日静岡県浜松市の浜名湖において、野外教育活動として行われたボート訓練中に起きた事故。教師2人および1年生の生徒18人、合計20人が乗った全長約7メートルの手こぎボートが転覆したもの。この事故で1年生の女子生徒が死亡した。当日1年生約90人が午後1時半からの陸上での座学などを終えたあと、20人乗りおよび30人乗りの手こぎのカッターボート、各2隻(計4隻)に分乗し[2]、小雨が降る浜名湖にこぎ出した。静岡地方気象台によると、当日正午すぎ浜名湖周辺には「大雨・雷・強風」の各注意報が発令されており、午後3時半ごろは平均風速で6.2メートルの風が吹いていた。当日警報ではなく注意報であったため、活動が実施された。       (ウィキペディアより)



豊橋駅より徒歩5分
(施設の駐車場はございません。車でのご来館の場合は近くの有料駐車場をご利用ください。)
〒440-0897 愛知県豊橋市松葉町二丁目63番地
豊橋市民センター  電話(0532)56-5141




*****

主人と私は支えて下さる多くの方々の力を借り、市民報告会を行うことを決めました。

たとえ一人もお越し頂けなくとも、2年前に最終的には1万7000に及ぶ署名を下さった市民の方々に、
直接現状を報告する義務があると考えたからです。
 


9月10日  ふざけた心のケア 3

2012-09-10 09:59:21 | 私のつぶやき
元校長の弔問を断わり、私の体のSOSは、徐々に収まっていった。

体が落ち着くと、涙はやがて怒りに変わっていき、
教員の人事権はあっても、罷免の権利のない市教育長に、「校長に依願退職を勧めて欲しい。」 と要望していた。
3月の円満退職を待つ校長に・・・

市に事故の真相究明を求める署名活動も、事故の起きた夏は、校長に依願退職を求める校区規模の署名を検討していた。
学校に不信感をもつ中学校校区の方々の力を借りようと
その前に、NTTの番号案内で調べた校長の自宅に、 「依願退職してくれないか?」 と電話をしていた。
しかし、自分の退職時には国交省の発表がまだ出ないと考える校長からの返事は
国交省の発表がでるまでは(退職はしない)。」 と答えるのみだった。


*****
体のSOSは収まっても、心はどん底だった私に、ようやく市教委から二人目の臨床心理士を紹介されたのは、年も明け、寒い季節になっていた。

豊橋市内にある市立A大学の准教授だと言う。
でも過去2人のカウンセリングで、もう涙で事故の話をするのが辛い私は、
福島で臨床心理士の資格もつ友人にメールで相談し、「すべてを話さないとカウンセリングにならないよ」とアドバイスされていた。

30代後半の若い准教授の彼のカウンセリングは、やはり私の破れた心を包むものではなかった。
私が気になったのは、彼から発せられた   「いい時に臨床心理士の資格を取った。」 という言葉。

そして、カウンセリングも終わり、次のカウンセリングを考えられない私に、
帰りの玄関で   「僕の名前で検索して下さい。(ネットに表示されるから)」 だった。
その彼の自慢げな表情を見ながら、私は断ろうの気持ちを強くしていた。


私は相談した福島の友人を検索し、国立大の教授になっていることを知ったから・・

9月7日  市長が翻った?

2012-09-07 09:08:25 | 私のつぶやき
昨日は主人の携帯に、月一の市長の定例記者会見で質問をする、というマスコミからのメールが入り、夕方には数社のマスコミの取材を受けた。

   ←今朝の朝日新聞記事

 豊橋市長「和解に進めたい」
 浜名湖転覆訴訟 会見で初めて言及

 静岡県は浜松市の浜名湖で2010年6月、ボート転覆事故で水死した愛知県豊橋市立中学1年生の両親が豊橋市などに損害賠償を求めた訴訟について、同市の佐原光一市長は6日の定例会見で、和解を進める考えを示した。
 事故は市立章南中学校の野外活動中に起き、同校の西野花菜さん(当時12)が亡くなった。
 両親は今年5月、引率した教員ら学校側にも責任があるとし豊橋市などを提訴。市側は7月4日にあった第一回口頭弁論で、全面的に責任を否認する答弁書を出した。名古屋地裁豊橋支部は8月24日の弁論準備手続いで、和解に向けた話し合いに入ることを双方に提案した。
 佐原市長は会見で、「訴訟という形でご遺族と争うことは本意ではない。できるだけ和解という解決の道を進んでいきたい」と述べた。和解の条件については「まだ具体的な段階ではない」と明言を避けた。
 今月24日に同支部で次の弁論準備手続きが予定されており、市側はその際、和解を望む方針を示す。
 西野さんの父、友章さん(53)は「これまで市は責任を否定し続けてきたのに、唐突すぎる印象だ。再発防止につながらない形での和解はない」と話している。 




*****
主人は昨日のマスコミ数社の取材に、「唐突すぎる」という言葉を繰り返していた。

事故があって、生徒の命まで外部委託した学校の市長に対し、

謝罪申入れをしても否定され、提訴表明しても全面的に争う姿勢を貫いた市長と私達の2年と2ヶ月。

毎月の定例記者会見で、うちの事故の質問が出るたびに、異常に嫌った という市長が。


ここにきて なぜ突然、和解を言い出したのだろうか?       汚い大人の事情?

9月6日   ふざけた心のケア 2

2012-09-06 08:33:29 | 私のつぶやき
事故後心を病む母親の私に執拗に責めた市の職員のカウンセリング?に懲りた私だったが、体のSOSに資格を持つ臨床心理士のカウンセリングを受けざるを得ない状態に追い込まれ、ようやく声に出した SOS 。

主人に仕事を休んで連れて行ってもらわないと、自分で通院することができない不自由な私は、自宅に来てもらえる臨床心理士を頼み、事故から半年後に臨床心理士のカウンセリングを受けた。

初めての心のケアに、精神科に通院している友人や福島で臨床心理士の資格を持つ友人にいろいろ相談した。

精神科に通院している友人からは、「先生は答えを出さず、質問で自分で考えさせ自然と答えが出るようにもっていってくれる」と聞いていた。

資格を持つ臨床心理士による初めてのカウンセリングに、私は紹介してくれた市教育会館の館長に電話し、
カウンセリング代金はいくら用意したらいいんですか?」とまで心配した。

実際に我が家に来た臨床心理士は若い女性で、マニュアルで勉強したというようなカウンセリングを受け、反対に怒れてきた私。

しかも悪い事にカウンセリング中に、私が当時怖くて仕方がなかった事故を彷彿させる天候、突如雷が鳴りだし豪雨になり、彼女がいても私の涙は止まらなかった。

一通りにカウンセリングが終わり、次の予約を聞いてくる彼女に、私は次回のクンセリングを受ける気がしなかった。

破れた心を包み込んでくれるようなカウンセリングを期待していた私に、彼女の突き放すようなカウンセリングは厳しかった。

翌日「カウンセラーとの相性が合わなかった。」と館長に断わりを入れた私。


後日うちに弔問に来てくれた娘の親友の生徒さんにそのことを話すと、お友達もその彼女のカウンセリングを断り、民間の心療内科に通院していると言う。

民間の心療内科はどこも満員で、予約の取れる状態でなく、「市の口添えがあったから、受診できた」と言われたお友達親子


         学校が招いた事故・・    ふざけた学校の対応・・


         今も心療内科に通い、薬が合わず苦しんでいる生徒がいることを隠ぺいする中学・・

 
                娘の命だけでなく、多くの命を狂わせ続けている・・中学

9月3日  だから泣けない

2012-09-03 08:28:45 | 学校に対して
「 花菜は、本当に(私達にはもったいない)いい子でした。 」

刑事さんから、事故当初私達が提出した花菜の生い立ち(思い出)をまとめた供述調書を見せられ、主人は涙を堪えて言った。

自宅でまで笑顔という訳はないが、娘はいつも 幸せ そうだった

何度も難病の再発で1ヶ月以上も入院する私にとって、小さい頃からの花菜の動じない明るさは 救い であった。

親から離れ、年に数回しか会わない三重の祖母に預けた2歳の時も、
祖母の営む店のお客さんに、 「 お母さんどうした? 」 と聞かれ、明るく 「入院してるの。」 と。

どんなピンチでも、親に心配をかけない、不思議な明るさ

反対に母親の10回の入院を自慢する強さというか、お気楽さ。   親として どんなに救われたことか

    だから私は人前では泣けない。   自分のために流す涙が残って無い程泣いた26ヶ月。

 
         でも、 娘に教えてもらった強さだから親の私が泣く訳にはいかない


*****
先日テレビ局から、固く公けの取材拒否をしている私への説得があった。

以前娘の映像が欲しいと別のテレビ局からも懇願され、断ったこともある。


難病で車椅子の母親、自然とお涙頂戴になるだろう。  
事故の責任を問うニュースにしてもらっている姿勢の報道だとは理解しているが、OKを出せなかった私。

視聴者の記憶が薄れないうちに全国放送で、と言われても・・・

上手に言えないが、私が訴えたいのは、不特定多数の人に対してじゃない。

私と主人は、弁護士を立て、民事(裁判)にかけ、理論的に訴えているのだから、一部の心ある人達に通じればいいと


*****
私と主人が持っている最後の娘の写真は、事故前、自分の最期も知らず、

同級生達の前で一人宣誓した暗い表情に、

             私は狂いそうな、 怒りが収まらない・・・