怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

1月31日  壊れたロボット

2012-01-31 09:52:32 | 学校に対して
1/27の国交省の発表があった日は、奇遇にも私のトラウマ金曜であった。
(と言っても、国交省の発表は、12月を除き毎月、最終金曜と決まっているらしい)

夕方の金曜弔問前には、うちの準備もあるので、学校から弔問に車で出発する連絡を入れてもらうようにお願いしている。
1/27もいつものように、18時頃中学から電話があった。
だが今回は国交省の発表を受けて、金曜弔問を固く断っている校長も同席したい との話があった。

ただでさえ発表を受け神経質になっている1/27に、当事者校の校長の顔は見たくもなかった。
NHKの取材から戻り、電話を受けた主人は、即座に断っていた。

娘の死をまた親として受け止めなければならず、神経質になっている私達に、市教委の指示通りにしか動けない、壊れたロボットのような新校長を、1/27に見たくもなかった。

元校長も事故後PTA役員の保護者達から、壊れたロボットと揶揄されていたが、

新校長も学校の態勢を整えるのに精一杯で、私達親へはなんの配慮もなかった。
心のない 上からの命令で動く 壊れたロボットのように。

   私達は、あなたの学校に、娘の命を奪われただけではなく、人生をボロボロにされているのに!
            
              その切実な悲しみと 中学への深い溝が 見えない 壊れたロボット。


1月30日  コミュニケーションの違い<事故調査報告後>

2012-01-30 09:56:06 | 事故後の動き
昨日は国交省事故調査報告の1/27発表を受け、厳しく勧告された2者が、毎週続けられている恒例の3人(民間委託施設所長、民間委託施設東海事業所の社員、静岡県教委元課長)の弔問に加え、東京の民間委託元の本社執行役と県教委次長・課長が、急遽弔問に同席した。

1/24に国交省調査官から、2者の呆れる程ずさんな事故状況や体制を、涙をこらえながら自宅で聞いた後だったため、年末年始と多忙な中我が家に来て弔問を受けたばかりだった同じ顔ぶれに、どう接していいのか困った

前回とは違った空気の中、改めて執行役と県教委次長に謝罪されると、私は涙がとまらなかった。
主人が冷静に対応していた。

国からの彼らの酷くお粗末な報告を受けても、この19ヶ月間の確固たる再発防止への取組み、そして私達親の心の面にもきめ細かい謝罪を受けながら支えてもらった私達には、今更彼らを責める言葉はなかった

私からは、娘の遺影に向かい
 お母さん、罪を憎んで人を憎まず って言っていい?  と訊くだけだった。


*****
国交省から主人に、発表の日時の連絡が入ったのは、1ヶ月以上も前の12/7(水)であった。
そして私達は、12/11(日)に弔問に来た3人に、すぐに発表の日時を伝えていた。
彼らから2者に連絡がいったため、年末年始の幹部を交えての弔問時には、幹部から「 27日ですね。」 と確認のように話が進んでいた。


*****
1/23に教頭から「 2/3に発表があるので、○○さんに連絡するよう市教委から連絡がありました。 」と誤った情報の電話があった時、 翌日に調査官が自宅に来る私達には、呆れてしまい1/27を伝える気にもならなかった。   


*****

この19ヶ月間は学校の、娘の死だけでなく、私達親への、不誠実な対応連続だった。


娘を奪った学校に対し、私達は精一杯コミュニケーションをとろうとした。が、


ことごとく返された、娘の命に対する、教育者と思われぬ 不誠実な対応。
直そうともされないままの、深い溝


私達親が本当に欲しいのは、学校からのきちんとした謝罪だけだ。     

私達の大切な一人娘は3ヶ月足らずではあるが、確実にこの学校の生徒だった のだから・・・                   

1月28日  NHKのニュース映像に映るもの

2012-01-28 13:34:17 | 事故後の動き
昨日は国交省の事故調査報告の10時報道解禁を受け、マスコミの取材ラッシュは午前中までかと思い、少し静かになってきた午後に、主人は外に出かけて行った。
私が一人家に居ると、4時頃NHKから、6時のテレビのニュースに流したいので、主人と連絡が取りたいとの電話が入った。
とり急ぎ主人の携帯番号を教え、その後主人の出先に近い施設で、取材撮影だったそうだ。

とりあえず夕方のニュースを録画予約し、主人と二人で夕食を食べながら、そのニュースを見た。
NHKのニュースは、事故当時のショッキングな浜名湖での転覆の映像の後、章南中での教頭へのインタビュー、そしてきれいな学校内の娘を偲ぶ花壇の映像へと続いていた。
遺族の親が、何も事故の風化防止を形にしようとしない学校側に怒って、形に示して欲しいと希望し、実現した花壇。
「 遺族がうるさく言ったから、きちんと事故に向き合っている学校って、面目が保てたでしょ? 」 って、
その映像を見ながら、了見の狭いことを考えていた私であった。

*****
奇遇にも国交省の発表のあった昨日は、私がトラウマにされてしまった金曜日。
夕方には、金曜弔問に学校の先生達が来る。
学校幹部の主幹教諭と1年の先生の2人が来た。
1年のその先生には以前、主人が正座しているにも関わらず、あぐらをかいたり、遺族に向かいタメ口で話をされたことがあった。
そのことを、誰とは言わなかったが、学校側に怒ったことがある。

「 うちはこの中学の学校行事に娘を参加させて命を落とすことになった娘のなんですよ!
先生方にも、ちゃんと自分達の学校が命を奪った生徒の親に接しているという、自覚をもたせて下さい。 」

その張本人の彼が、今回は痛そうに正座を続け、娘への手紙を読み上げた。
しかし、その手紙の内容は、娘が在籍する学年に関する話ではなく、自分が卒業生達の成人式に招かれ楽しかった という話であった。
さすがにこの1週間、事故調査官から事故状況の娘の最期に至る辛い話や、マスコミに事故報告の取材続きだったため、私と主人は冷静に、成人式の楽しい話など聞ける訳がなかった。
温和な主人が、「 娘の成人式だったらな、と想像してしまう。」 とその先生に向かい言った。
私もわざとその先生に向かい言っていた。
「 主人と同じです。 
  私も成人式を迎えることのできなかった娘が、(先生の話のように)先生に私 わかる?って言って欲しかったです。 」

                    

1月27日  報道解禁

2012-01-27 13:40:20 | 事故後の動き
今日1月27日午前10時に、国土交通省の船舶安全委員会から、ボート転覆事故の調査報告書が発表された。


その発表を受けマスコミの報道も10時解禁ということで、昨夜から我が家はマスコミの取材ラッシュであった。

昨夜の地元C新聞社の取材は、飛び込みで取材依頼の入った、M新聞とY新聞の記者の取材に早めざるを得なかった。
その3社の取材を受ける中、静岡のSテレビも、午後10時に取材したいと電話が入ったが断わったため、今日の午前9時に撮影機材を抱え取材に来た。
各社10時の報道解禁を見事なほど守り、今日の夕刊、夕方のテレビニュースで報じるという。

国交省の事故調査報告は、事故の被害軽減・再発防止を目的とし、責任の追究ではないと、1/24の私達両親への国交省事故調査官説明の際も強調された。

   だが、娘を失った私達が、本当に明確にして欲しいのはなぜボートが転覆したのか?ではない。


   なぜ娘が 命まで 落とさねばならなかったのか?   である。


国の報告が責任追究ではないとする限り、報告書に、人の判断の部分の追究は望めなかった。
    特に 生徒の命を守るべき学校 への追究は皆無に等しかった・・




生徒や娘は先生達に頑張れと言われ

                    怖くても辛くとも、

12歳にできる極限を超えて、歯を食いしばって耐えたのである





その教育行政の責任の在り方を、国には明言してもらいたかった。

国交省の範囲ではないのだろうけれども。



*****
私は事故で娘を失った19ヶ月間、あまりにも残酷な殺され方をした娘に対し、毎朝娘の笑顔の遺影に向かい語り続けている。

「 お父さんとお母さんがいるから、もう大丈夫だよ。  大好きなお友達もいてくれるんだよ。 」

その言葉に、

「 先生達が守ってくれるから、安心していいんだよ。 」 が今も言ってやれない・・・・・

1月26日  カウントダウン1<国交省事故調査報告>

2012-01-26 08:16:56 | 学校に対して
昨夜はこの事故で章南中を異動した3人の先生の、月命日前後の弔問予約日であった。
異動先の各学校から今回は、忙しい12月とは違い、3人揃っての弔問だった。
教育長の期待とは違い、Y先生の姿は無かった。
学校、生徒、事故から逃げて、自分を取り戻した環境の先生達。
笑いが絶えない明るい会話の中、私の心には今も 深い思い が拭い切れない。

あの風雨が強まる中、一人でも 一言 ボート訓練の中止を言ってさえくれれば、

                    娘は命を落とすこと なんかなかった!



ボート内にいるはずの 娘がいないことを訴える生徒さん達の声を受け、少しでも早く確認してくれれば、


娘は命まで落とさずに済んだのではないだろうか?




国の調査報告は、海のプロによる海に関係する この事故の一連の機関の言及にとどまっていた。

そこには私達親が 娘の命を預けた学校への責任は、何も言及されてはいなかった。

学校は専門家である施設の言うのに従った とだけ記述するにとどまっている。



*****
国の報告を受けたその夜から、早くもマスコミの電話が続く。

学校に対する     この大きな矛盾       この大きな不安

それは、




                         娘を失った私達にしか問えない事                           



                            私達が問わねばならない事

1月25日  何を信じれば (国交省運輸安全委員会の調査官)

2012-01-25 13:25:36 | 学校に対して
昨日はうちがお願いし午後から、東京の海の専門家の調査官に、事故の報告を2時間半に渡って受けていた。
19ヶ月も過ぎ再度、娘の死と向き合わなくてはならないという、親としてとても辛い時間だった。

調査の目的として何度も、「責任追及ではなく、再発防止」を強調された。

うちが市議会に事故の真相を請願した時、
「議会は、真相追究の場ではなく、再発防止の場である。」と趣旨採択された、あの時と同じ・・

*****
国の報告内容は予想通り、委託先施設の、呆れる程のずさんな状況であった。
最初から娘の乗ったボートは、生徒の体重一人分傾いていた。
そのボートに大量の雨と波が流れ込み、32度という復元不能の角度まで傾いていき、転覆は時間の問題だった。
海のプロの調査官は、指導員の乗船していない自主艇などありえないこと。
しかも2ヶ月前までは小学生だった子供達。
遺族の涙とともに、年配の彼も涙ながらに語ってくれた。
そして報告書は最後に、民間委託先と本件教育委員会への勧告、そして所見で締めくくられていた。

****
確かに委託先施設が悪いというのは、当然である。

だが国の報告には、この活動を下見、実施判断し、事故後の生徒確認という危機管理すら怠った 学校側の責任については、一言も言及していなかった

これでいいのだろうか?という、重く悲しい虚無感だけが残った。

野外活動を受け入れる側さえ安全だったら、子供を預ける学校側は安心だろう。
     しかし 学校は子供を 預かっている のである。
その安全制を判断する、学校側の判断力はどうなるのだろうか・
この事故は施設任せで水=危険 を想定する判断力まで欠如していた学校。
全国どこの学校でも、同じような事故が起きても、今後不思議ではない。

どんな質問をしたのか涙で覚えていないが、遺族の何気ない質問に、国の調査官は次のように話していた。、
「個人のレジャーなら、まだいいんですよ。

              でも、これは学校が関わる事故であるのが 問題です。 」

1月24日  あの日と同じ

2012-01-24 16:58:41 | 学校に対して
昨日、日中ヘルパー研修に行っている主人の携帯に、2件の電話が入った。

1件は章南中の教頭から、とびっきりのニュースと言って、
「市教委から連絡するように言われて、国交省の報告が2/3に出るそうです。」

5時半頃帰宅した主人の携帯に、また電話が教頭からかかった。
「申し訳ありませんでした。
○月○日の間違いでした。」と。

*****
教頭からの軽はずみな連絡を聞き、私は6/18の事故が起こった時、テレビ等の情報を受け学校に集まった多くの保護者に対し、事故現場の教師達に確認もせず、消防の報を信じ、
         「 全員無事 」
を安易に出した学校(教頭)を思い出した。

あの日と同じ・・・

安堵して車で事故現場に向かい、私の電話で一番聞きたくない娘の死亡を知らされた 主人の気持ちを思うと、
私の胸は今も、怒りで一杯になる。


1月23日  話のプロなのに

2012-01-23 09:13:40 | 学校に対して
1/21土曜は、毎週の静岡側の弔問があった。
事故から19ヶ月が過ぎ、何度となく弔問を受けているが、いまだ話の折々に謝罪の言葉を受ける。

「 本来なら○○さん(娘の名)もいて、楽しみに過ごしてらっしゃるはずを、私共が奪ってしまい、申し訳ありません。 」

遺族に配慮した言葉が続く。
だから私も主人も、彼らに精神的にも支えられていると感謝するし、毎週の弔問も受ける。

学校側、市教委側からすれば、事故の直接の原因は静岡側だし、彼らのその態度を当然と思うのだろう。
言葉は悪いが、実に、上手い
さすが○○県教育委員会
教師と言えば、子供達の勉強だけでなく、生活指導もする、話のプロだ

市と県のレベルの違いだろうか?
主人も私も、 娘は豊橋の学校に預けたのであって
どこで事故が起きようが、私達は章南中の責任だ!と考えている。

と事故直後から言い続けている。

謝罪の言葉は望まないが、一言配慮の言葉があれば・・・

謝罪したら、罪を認めてしまうという縛りがあるのだろうか・・

金曜弔問で、学校の楽しい行事等の話を、先生達から聞かされ、素直に聞ける遺族の親などいない。
一言、静岡側のような配慮の言葉が、その都度先生達から出れば・・・

教頭が教育長の事故で謝罪している新聞記事を、「図書館で探したがなかった。」と、わずか1週間で嘘だろう返答を遺族にした件。
これも 「何ヵ所も図書館を回って探しているが、見つからない。まだ探しております。」
と応えていれば、私達の受ける印象も違っただろう。
たとえ出まかせでも・・

教師でしょ。
言葉のプロでしょ。

                私達遺族の親が、笑っているのは、その何百倍も裏で泣いているから・・                      
                  今笑っていられるのは、昨日泣いているから・・・

1月21日  中学校側の月命日の弔問

2012-01-21 17:07:52 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問は先月同様、章南中の月命日の弔問を兼ねての二部構成であった。

金曜弔問をお断りしている私の嫌いな校長と教頭、そして2年の5人の先生のうち3人の先生が来た。

焼香が一通り終わり、
一部で校長から、先週学校のHP(ホームページ)に載せる娘の写真を、顔がわからないようにぼかして欲しいとお願いした件に応え、
「このぼかし方でよいでしょうか?」と、
事故情報プレートにある娘の写真に、モザイクがかけられている写真を見せられた。
         ← 文庫上のプレート
そのモザイクのかけられた、犯罪者のような娘の写真を見て、主人と私は息を飲み、「よいでしょうか?」と言われても、しばらく次の言葉が出なかった。
ようやく、「 このモザイクのかけ方なら、娘の写真自体を辞めて下さい。」 と言った。
大切な娘の顔を判別がつかないようにぼかしてくれ、と言われ変にモザイクをかけ、何も思わず遺族のところに見せに持ってくる、学校側の神経が理解できない・・
言わなかったが、今後国交省の発表があることも予想され、娘の写真がどう流れるかもしれない。
そのことにどうして、配慮が及ばないのだろうか?

*****
二部に入り校長達が退席し、3人の風邪でマスクをした先生達から、先月12/18に娘を追悼する、隣県で行われた菜の花キャンドルのチラシが、ほとんどそのまま?返された。
昨年同様、希望する生徒さんに配って下さいとお願いし、学校に渡したキャンドルの詳しいチラシ。
お友達の生徒さんから、日時を問い合わせるメールが、娘の携帯に入っていて、不思議には思っていたが、ちゃんと告知し配ってもらえたのだろうか?

風邪気味で辛そうな先生達に、今晩の金曜弔問の手紙はもう結構ですから、早く帰って休んで下さいと伝えると、
「今日は2年でもう準備している、修学旅行の報告がありますから。」と、
楽しそうなディズニーランドの計画の話や、最終日の横浜自由行動の話をされた。
娘もどんなに仲間達と行きたかっただろう。
親の私も大好きなお友達と、どんなにか参加させてやりたかったかしれない。
学校の話を聞けるのは嬉しいが、娘を失った親がどんな思いでその話を聞いているのか、先生達にはわからないだろう・・
子供を失ったことのない先生達に。
この学校に奪われたのに

1月20日  教員人事にお願い

2012-01-20 09:53:35 | 市教委に対して
昨夜は市教育委員会の、月命日の弔問があった。

1月ということで、昨年同様、教員の人事権のある市教委に、保護者でもないのに、
「事故で唯一学校に残ったS先生の異動を、今の学年が卒業するまで、残してもらえるように」 と私達の気持ちを伝えた。

昨年、全員残して欲しいと、教育長にお願いした時とは違い、教育長も
「今年は章南中で誰も異動願いがないなぁ」と、他の市教委幹部に確かめるように言った。

昨年は 「章南中の先生達はボロボロだ!」 と嘆くように何度も言っていたのを思いだす。
生徒が傷ついていようが、娘のように命を落とそうが、生徒は大勢いる。
だが、先生の代わりはいない。

と教育長の言葉が、娘を失った被害者感情もあって、私にはそのように聞こえてならなかった。

主人は「A校長(新校長)は変らないんですか?」とも聞いていた。
新校長は今の学年が卒業するまではいると、先日の校長会で言ったそうだ。
代わりを任されたという責任感があるみたいで、その後の学校運営では問題もなく及第点の校長であっただろう。
だが私には、新校長の言動は期待していただけに
学校運営に精一杯で、遺族への配慮に欠け、なにかと遺族の気持ちをないがしろにした校長という思いが強い。

同様の気持ちで、Y先生の配慮の無さも、先月の弔問時に言っていたことを、教育長は覚えていて、
Y先生もそろそろ、踏ん切りをつけて、こちらにお参りに異動したT達に引っ張ってもらってでも来るといいんだが・・」と。

また、重度ウツ病と言っていまだに表に出ない元校長に、娘の花壇の手入れでもさせて、表に出そうという案もあってか、
「花壇の方はどうなっとる?
そろそろ、球根とか植えるんだが。」と。

*****
最後に、主人と私が平日の水曜に、三ケ日の方へ出掛けという話を聞き、
     遺族の父親が辞職したことを、辞職して4ヵ月近くも経って初めて、教育長達市教委は知った。

1月17日  勘違いの連帯責任

2012-01-17 09:04:05 | 学校に対して
昨夜はこちらが無理を言って1年以上も、毎月来て頂いている刑事さんが、部下のさらに若い刑事を連れ二人でみえた。
年の締めくくりということで一昨年末、昨年末と、部下の刑事を同行させることはあったが、忙しい新年にお二人というのは、意外であった。
きっと部下の刑事にも、この事故の被害者である娘や私達遺族の存在を認識させておこう、という彼の意志だろう。
          事故に対し娘の命に対し、真剣な眼差しの若い彼ら。
私も主人も、どんなに力づけられていることだろうか。

2時間近く和室で座ってみえても、正座の足は崩しても、決して章南中の若い教師と違い、主人が正座しているのに、あぐらを組んで遺族に対してためぐちで話すということは考えられない。
中学側のこの遺族に対する あつかましい態度は、教育長の市内全学校で事故への命の意識をもたせようという考えを、事故を知らない当事者校の新校長が勘違いしているとしか思えない。

*****
昨日私に、市役所災害防災課から、電話があった。
1級建築士以外に、地震の際の建物の応急危険度判定士という資格ももつ私。
昨日市内で地震があったとことを想定し、阪神淡路大震災のあった1月17日の今日、市役所に集結できるかという、毎年恒例の連絡確認である。
災害を想定した実質的訓練である。

教育長が制定した6/18の命の日に、命の講話や事故資料の整理 といったどこの学校でもできる事しか、自分達で考えつかない呆れた当事者校の中学。

         自分達の学校が、生徒一人の命を奪った という意識の無さ・・

                         勘違いの当事者校

1月16日  平成生まれの生徒達

2012-01-16 09:23:11 | 市教委に対して
昨日は19ヶ月近く続いている、静岡側の毎週の弔問日であった。

1年前の今頃は、急ピッチで進めなければ6/26に間に合わない、娘のブロンズ像について、毎週のように主人と私には宿題があった。
陶芸家選びから、遺族の意向を第一に進められ、像の設置場所・像の形状・像のタイトル・像のメッセージ等、次々と次回の弔問までに決定していった。

優しい作風が気に入り、選んだのは静岡の女性陶芸家であった。
ただ、像のタイトルとかメッセージと言われても、何もわからず、毎週弔問に来る静岡側3人と一緒に、考えてもらっていた。
メッセージは?と聞かれ、陶芸家先生からは知らない著名人の「人生とは○○する時間」という言葉にしたいと提示された。
確かに立派な言葉であったが、娘が果たして喜ぶだろうか?
像を見る多くの生徒さん達に伝わるだろうか?
平成生まれの子供達に・・・
私は娘も好きだった 歌手の西野カナの「if」という曲を、当時生徒さん達に教えてもらい、その歌詞が好きだった。
その曲を陶芸家先生にも聞いてもらい、問題はあるだろうが、メッセージにその歌詞の一部を使ってもらいたい、その歌詞なら、平成生まれの生徒さんの心に響くのでは?と強く思った。
メッセージやタイトルは、同じ陶芸家で静岡大学教授の、ご主人が彫られるという。
その女性陶芸家の先生も、昔教師だったといい、随時細かい制作プロセスを示したA4版の紙や写真が、静岡側から届いた。

そしてようやく私達が決めたタイトルは、主人と私の名前の漢字に、娘の名の読みを挟み、思いを込めて考えた、「 光奏でる友と 」。
しかし、土壇場になって、作家先生から示されたタイトルは、「新しい朝」でいきたいと。
ラジオ体操?のような、昭和の臭いプンプンのタイトルに、私の心は娘の像から離れていった。

その苦い経験があって、私は、豊橋市教育長が決めた 命の日 への取組みや内容が不安になった。
昭和の固い頭で、厳粛と型にはまった、命の日の娘の慰霊が 進められていくのに、我慢がならなかった。
「 生徒さん達の心に響く 明るくて希望の持てるもの にして下さい。
厳粛な形で、押し付けるのではなく。
   この事故は、教師達 大人が引き起こした のですから! 」

1月14日  毎月のことなんだけど・・

2012-01-14 14:08:13 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問は、教務主任と1年の先生が来た。

中学のHP(ホームページ)掲載の件について聞くと、ようやく捨ててしまったHPソフトの新しいものを、来週か再来週に専門家が、付けに来るという。
うちで要求しなければ、4月の新入生入学時まで、気付かなかったんだろうか?
中学のHPへの意識の低さに、呆れる。

主人が 「来週にもある、月命日はどうなっていますか?」 と聞いた。
毎月恒例となっている、中学側の月命日の弔問。
被害者 遺族のこちらから、わざわざ訊くのは嫌だったが、うちにも予定がある。
いつもの2,3人という訳にもいかず、校長、教頭、2年の先生5人と、椅子の私と主人。
祭壇等が2畳は占める、6畳の和室だ。
あらかじめ、スペースをつくっておかないと、全員が座れない。

教務主任は、まだ学校でも考えてなかった という返事で、後日連絡します ということだった。
もう19ヶ月。      18回目の月命日
そろそろ、毎月の予定に入れても・・・

7時半に帰宅した学校側から、その後すぐ、いつでも何時でも学校にいる?教頭から、月命日の弔問日時の連絡が入った。
なぜ弔問を受ける 被害者 遺族の方が、気を使う???             
             
                  学校側の 無理に弔問に来てやっている という意識の現れ?

1月13日  コメントをありがとう 10

2012-01-13 09:04:09 | 学校に対して
*****
2011-12-24   同じ転覆したボートに乗っていた生徒さん  ( 12月3日  「義務教育」に殺さ... )

ぇ、かえらされるんですか?

はじめて聞きました 

だって精神的につらい生徒、
 
保健室に6時間いるときありますょ。

私もそういうときありましたし。

保健の先生変わったからですかね。

今はK先生です。

というか、

「○○さんのご両親が希望された記事も

 載せました。」

 ↑↑
 校長このように言ってましたが、

 真っ赤なウソですね。

 友達のEちゃんから聞いていましたし、

 「学校側が花菜のお母さんの希望の

  記事本当は載せなかったんだって。」

  と。。。
 
  学校腐ってますね。

  ありえません。

  怒りでいっぱいです。 



*****
2011-12-24  同じ転覆したボートに乗っていた生徒さん   ( 12月20日  呆れたベテラン教育... )                                       

Y先生。。。

嘘ついてたんですょ。

新聞に嘘の情報のってますょ。

あの先生、

「がんばれー」

などと応援していません。

新聞には応援したと載っていますが。

近くの人も、私も、

乗っていた人全員そんな声は聞いていません。

後、元校長うつ病だったんですね。

はぁ。。。複雑です。

自分の責任で事故おこして、

うつ病ですか。。。

生徒も精神的につらい子いたと思うんですが。

ちなみに

Y先生の他にK先生も乗っていたと思うんですが

K先生は、

船が傾いた時、

「おもしろぃ。」

といって笑ってましたょ。

全くおかしな話です。



*****
2011-12-24  同級生の生徒さん   ( 12月24日  昨晩の金曜弔問 )

本棚の方に私たちが描いたフレームが置かれる事になりました。初め効いた時はやりたい...やらなきゃ...と思っていたけれど、いつの間にか勝手に始まっていた。私もやりたかったのに先生がちゃんといってくれないから...そんな先生に直接言ったら「聞いてないほうが悪い」...いいかげんだ。と思った。悲しくなった。すごく怒りが込み上げてきた。どうしてか段々手がグーになっていった。あのままだったら殴っていただろう。ボコボコに...もうあんな担任嫌だ。どうしてあんなのが教師になれたのか分からない。不思議だ。試験の人も馬鹿だと思った。