怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月30日  二つのお願い<章南中へ>

2013-08-30 07:48:00 | 学校に対して
昨晩は章南中校長と校務主任(元3年学年主任)の弔問があった。

章南中のボート事故について、深い理解がある新校長の弔問を待っていた私。

私:「校長に二つのお願いがあります。

ひとつは、青年の家での民間委託業者から外れた小プロ追悼行事の「菜の花キャンドル」を、
章南中の校庭で同級生も交えて、6月18日の命の日に開催させてもらえませんか?
 


同級生に、浜名湖青年の家での年末恒例追悼行事「菜の花キャンドル」の開催がなくなるので、
同級生達も参加できる豊橋のどこかで開催できるようにならないかな?と言ったら、
章南中や小プロに、開催要望の手紙を書くと言ってくれました
 」

校長:「章南中の校庭を、菜の花キャンドル開催には貸せません。
PTA役員や地域の役員も召集しないといけませんし、私は反対です。
浜名湖での開催の菜の花キャンドルに参加できなかった同級生達が、出身中学で近くなったからと言って参加できる訳がない。
菜の花キャンドルは委託業者が変わったとはいえ、浜名湖の現場で開催続行するべきものです。
豊橋での開催は教育長の許可がいる
。」



私:「二つ目は、民事訴訟で生徒の命を守る学校の責任を示した和解文を、章南中HPに掲載して欲しいことです



元校長は、章南中HPから和解文を掲載した市教委のHPに飛ぶようリンクしたから、それでいいだろうと終わりにされました

危機管理へ教師が不断の努力をすることが、私達の和解文です。

当該校のHPに掲載し続けることが、当該校の不断の努力を促すのではないでしょうか?
 」

8月23日  冊子の広がり2<教師に読んでもらいたい>

2013-08-23 07:41:52 | 市教委に対して
昨晩は豊橋市教育長と教育課長の弔問があった。


私:「8月の上旬に静岡大教育学部学校教員養成課程の准教授の先生がみえ、

冊子を教員を目指す学生に使いたいと言ってもらいました。

教員養成に責任と使命感をもった先生で嬉しかったです。


私達は豊橋市教委への冊子寄贈に、生徒さんではなく、

    現場の先生に読んでもらいたくて寄贈したんです


それで主人も愛知教育大にメールして冊子を寄贈させてもらえないか?(15冊寄贈希望の返事)、
知り合いのつてを頼んで、名古屋大に寄贈させてもらえないか? と動いています。

残念ながら一般人の私達には、教育大や教育学部のある大学につてはありません。
冊子寄贈の記事が掲載されても地元愛知の大学からは、連絡ひとつ入りません。

私の三重の高校時代のクラスメイトが、福島大教育学部の教授(前任は鳴門教育大)をやっているので、冊子を送ったり、
東京でフリースクールの先生(以前は三重の高校で教師)をやっているので送ったり細々やっています。


それで考えたんですが、

事故で引率した先生達の出身大学(静岡県立大・名古屋大・愛教大・山梨大等)に寄贈させてもらえるよう掛け合えないかと


本来なら先生達自身に掛け合ってもらえるのがベストなんですが、もう誰も弔問に来ない


一人の生徒が自分達の招いた事故で命を落としたというのに、
なんの責任も感じていない!



おたくの大学の卒業生が引き起こした事故なんですよって、寄贈しようかしら? 」


教育長:「そんなことを言えば、先生達は萎縮してしまうぞ。

愛大(豊橋本部)に知り合いがおるからあたってみよう。」

私:「 主人は遺族感情を全面に出せば、読むものも読んでもらえなくなるぞと言いますが、
私が大事にしたいのは、そんな遠慮ではなく、あくまで学校現場での生徒の命です。」








*****
教育長:「盆は同級生は来たか?」

私:「盆とか月命日とか意識があるのは、大人だけです。

お友達は(娘が自分で選んだ?)娘の誕生日を一番大事にしてくれています。」












*****
冊子に掲載している、私が綴った娘への思いの文に、心を動かされた とよく言ってもらう。 


そう言われる度に苦い思いがする私。

ちょうど3年前の事故当時の今頃、私達は担当の刑事に調書の宿題を出されていた。


 ← 刑事から渡された調書要点のプリント 

刑事事件の遺族はこんな辛いこと(亡くなった娘の事)を、綴らないといけないんだと、主人と涙で綴った文。

娘への溢れる思いで一杯になった文面を、冊子用に私の部分を加工した。

この私達の調書の文面は、後の書類送検前に私達の処罰感情も書き加えられ、刑事に確認を求められた。


今読んでも涙で一杯になるが、当時しか文にできなかった感情を文に残してもらえて感謝している






*****

私達の冊子はあくまで、事故当事者ではない親の私達が知り得た事故情報の事実を記したにすぎない。


上手に言えないが、



                その事実から真実を掴んで欲しい 



                                                  と願って。



8月11日 次期指定管理者選定

2013-08-11 08:13:07 | 事故後の動き
事故直後の各メディア報道:

        「静岡県直営施設から民間委託施設(指定管理者)に移行した、ターニングポイントの時期の事故であった。」
 



事故発生直後、私達遺族の情報は、全て新聞記事↑やテレビのニュースに限られていた。

豊橋市教育長:「静岡県の不良パッケージを買わされた。」



事故状況以外に、実施施設の背景(状態)や立場も複雑で、私達は初めて知る話ばかりで混乱しきっていた。






*****

三ケ日青年の家指定管理候補 浜松の企業グループ   県教委方針

 県教委は8日、2010年6月にボート転覆事故が起きた県立三ケ日青年の家(浜松市北区)の次期指定管理者に、同市東区の施設運営委受託業ヤタローなどで構成する企業グループ「三ケ日フィールドパートナーズ」を候補者として選定する方針を決めた。
 県議会9月定例会に関連議案を提出し、可決されれば来年4月から3年間管理する。事故時の管理者の小学館集英社プロダクションン(東京都)は交代する。
 3団体から応募があり、外部委員を中心にした選定委員会が審査して決めた。同グループは、近隣のマリーナとの救助協力態勢の構築、えい航の方法などを細かく定めた規定の追加策定など安全管理面の提案が高く評価された。同グループはヤタローをはじめ、施設管理業の東急コミュニティー(東京都)、ボート製造販売業のシップマン(浜松市北区)の3社で構成する。
 県教委は事故報告書で「十分な引き継ぎができなかった可能性がある」と指摘し、引き続き期間を確保するために従来より指定管理者の選定時期を前倒しして作業を進めていた。社会教育課はカッター訓練など海洋活動の再開時期は未定としている。





↑  ↑  ↑   上記静岡新聞記事は浜名湖マリーナ協会の事務方の代表Sさんからうちのパソコンに送信されたものであり、私達が住む東海地区(愛知・岐阜・三重)の新聞には掲載すらなかった。

7/21にその入札の報告に我が家に来たSさんと、

昨日入札結果の報告に来た静岡県教委課長から説明を受けなければ、

私達遺族は何も知らなかっただろう。



ただ入札の状況を感じたのは、

毎月うちへの弔問を続ける事故当時の民間委託施設担当者:「菜の花キャンドルは終了しました。」

静岡県教委:「入札にあたり、事故を起こした業者を他の業者と公平な視点での選定はできない。」






*****
娘の中学入学時に保護者説明会が行われた、1年生の野外学習「カッター訓練」。

中学の説明の冊子には、当日の栞に自主艇の記述はあっても、運営する業者が替わり、


          浜名湖でのカッター訓練の実績がないという説明はなかった・・・


悪天候の中、実施を決めた引率教諭達にその認識はなかったのだろうか?

4月の入学式の午後に先生達が施設の下見に行った時、民間委託施設に移行した説明は受けたはずであろう。


    悪天候の中、経験もなく大丈夫だと言う施設に、生徒の命を簡単に預けた教員達



移行の報告がなかったとしても、自分達で調べることもできたはずである。
施設の背景や、陸の救急車と比べ、日本の海のレスキュー体制は非常に貧しいという事実を。


 
きっと今回の委託業者変更(H26からの3年間)の情報も、知らないままであろう・・





       生徒が命を落としていることも忘れて、終わったことにしたい引率教諭達

8月7日 冊子の広がり<きれいな涙>

2013-08-07 08:17:44 | 学校に対して
8月
この時期になると我が家は、クリスマスの娘の発表会(ピアノとバイオリンの2ステージ)に向け、演奏曲も決まり毎日練習していた。

事故から  音  が消えてしまった我が家・・

3年前少し事故から落ち着いて、我が家にも娘の同級生や私の三重の高校2年の時の友が訪れてくれるようになっていた。

大阪教育大を出て「教師は私には合わん」と、プロのジャズミューシャンになった友。
2012年中学での命日のコンサートで、音楽仲間を大阪から引き連れ演奏してくれた友。)
その友が2階の娘の部屋のピアノで、娘が楽譜を買ってへたくそなりに弾いていた「いきものがかり」などのはやりの曲を、
一緒に来た友(彼女も私の高校の同級生)がコード部分を弾いて即座に演奏してくれた。

明確な謝罪のない(謝ると非を認めたことになる危惧?)学校への怒りと、事故への疑問の涙しか流せなかった当時の私

友達の弾いてくれるきれいな音に、ようやく娘に、純粋なきれいな涙を流すことができた事を覚えている






*****
毎日泣いていた私。

当時は娘のお友達も携帯を持っている子は少なく、突然訪問されることもしばしばだった。

一番娘が喜ぶお友達の弔問を突然受け、
 「大人が泣いてはダメ」 
と必死で我慢してお友達を受け入れていた私。
そんな彼女達にどんなに救われたことか。


その彼女達は私が、音を奏でなくなった娘のピアノを弾いてくれるようピアノが弾けるお友達にお願いしていた事を覚えていてくれ、

照れるお友達に娘のピアノを弾く約束を実行するよう、勧めてくれた。

中学になってバスケットの部活が忙しくなり、ピアノを辞めてしまったという彼女が、
すんなり弾いてくれたきれいな曲。
前もって練習してないと指がついていかないだろう曲。

娘を想って弾いてくれるお友達とその姿を見守るお友達。

どんなに娘と私に響いたことか






*****
冊子寄贈の記事が掲載され、教育へ強い意識を持つ多くの方から、嬉しい連絡が続いた


章南中の利用者も多い田原市図書館から、図書館に置きたい。
静岡大の教育学部の図書館に置きたい。
日本で唯一の野外学習課のある信州大が欲しい。
茨城や遠くの地域からも続々と連絡が入って驚いている。。
(教育評論家の尾木ママも秘書を通じて連絡が入った)





昨日静岡大教育学部准教授の先生が、直接我が家にみえた。

教師を目指す若い学生たちに児童・生徒の命を預かる重大性の認識の育成に尽力する姿にプロを見た。
冊子の文面だけではなく娘を想い きれいな涙を流された実直な先生。


彼の涙がきれいに私達遺族の心を溶してくれるのは、
一人の生徒の命の重大性を認識し、確かな再発防止へと実践してくれるからだろう



混乱の3年が経ってようやく、答えを見つけつつある。







                     でも娘は戻りません・・



   

     ↑ 野外学習に向かう前日の日付で終わってしまったバイオリンの練習曲