2010年6月22日 娘の葬儀
私は忘れることはできない。
突然の悲し過ぎる現実の中、心に深い傷を負った生徒さん達が、中学から大型バス数台に分乗して、参列してくれる。
せめて 若い心にトラウマを残さない葬儀にすることに必死だった。
前日の通夜に600人の参列者。
主人は前日と違い、参列席の名札を全て外し、「 生徒全員に座ってもらえ! 」 と。
深い悲しみの中それを知らず、参列席を見た私には、夏の白い学生服の生徒さん達の眩しさ を忘れることができない。
それと同じく、娘の棺への献花に幼さを残し泣きじゃくる生徒さん一人一人に、まだ数日しか夏のセーラーを着ていない棺に眠る、同じセーラー服姿の娘 に、
「 涙ではなく、花菜の好きな笑顔で笑いかけてあげてね。 」と、到底無理な注文をして廻っていた。
泣いているセーラー服の生徒さん達を見ると、娘が泣いているようで堪らなかったから。
泣き過ぎて過呼吸で体調を崩される生徒さん、
「 最後まで花菜の傍にいる! 」と言ってくれ、浜松の入院先の病院から駆けつけてくれた親友さん。
多くの生徒さんが、棺が閉じられるまで、娘から離れようとせず、泣いていた・・
*****
娘の棺の中には、その夏着るはずだった娘の夏の紺地の浴衣、通販で野外の1日目に届いた着る事のできなかったサロペット等いろいろと入れていた。
娘が困らないよう、娘の好物を詰めた お弁当(保護者の父親お手製のケーキも)もリュックに入れて。
*****
事故を起こした民間施設側にも、参列したい旨を前もって伝えられていた主人と私は、
参列は拒まなかったが、私達に生徒の前で謝罪する姿を見せることだけは許さなかった。
誰が悪い と 植え付けたくなかった。
*****
その後の日々で まさか教育者達から、 「先生達はボロボロだ!」「先生達は傷付いている!」 と
1人水死した娘を責める ような言葉を、遺族に発せられるとは想像もしなかった。
浜松の中学で自殺した生徒の遺族が、月命日で集まっている中、「何かパーティですか?」と訊いた市教委のように。
私は忘れることはできない。
突然の悲し過ぎる現実の中、心に深い傷を負った生徒さん達が、中学から大型バス数台に分乗して、参列してくれる。
せめて 若い心にトラウマを残さない葬儀にすることに必死だった。
前日の通夜に600人の参列者。
主人は前日と違い、参列席の名札を全て外し、「 生徒全員に座ってもらえ! 」 と。
深い悲しみの中それを知らず、参列席を見た私には、夏の白い学生服の生徒さん達の眩しさ を忘れることができない。
それと同じく、娘の棺への献花に幼さを残し泣きじゃくる生徒さん一人一人に、まだ数日しか夏のセーラーを着ていない棺に眠る、同じセーラー服姿の娘 に、
「 涙ではなく、花菜の好きな笑顔で笑いかけてあげてね。 」と、到底無理な注文をして廻っていた。
泣いているセーラー服の生徒さん達を見ると、娘が泣いているようで堪らなかったから。
泣き過ぎて過呼吸で体調を崩される生徒さん、
「 最後まで花菜の傍にいる! 」と言ってくれ、浜松の入院先の病院から駆けつけてくれた親友さん。
多くの生徒さんが、棺が閉じられるまで、娘から離れようとせず、泣いていた・・
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娘の棺の中には、その夏着るはずだった娘の夏の紺地の浴衣、通販で野外の1日目に届いた着る事のできなかったサロペット等いろいろと入れていた。
娘が困らないよう、娘の好物を詰めた お弁当(保護者の父親お手製のケーキも)もリュックに入れて。
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事故を起こした民間施設側にも、参列したい旨を前もって伝えられていた主人と私は、
参列は拒まなかったが、私達に生徒の前で謝罪する姿を見せることだけは許さなかった。
誰が悪い と 植え付けたくなかった。
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その後の日々で まさか教育者達から、 「先生達はボロボロだ!」「先生達は傷付いている!」 と
1人水死した娘を責める ような言葉を、遺族に発せられるとは想像もしなかった。
浜松の中学で自殺した生徒の遺族が、月命日で集まっている中、「何かパーティですか?」と訊いた市教委のように。
ブログ上でご主人の日記 拝見させて頂いてから 何で?と 思うと言葉がなくなってしまいました。 ブログは 毎日開いていますが この前の審判でも 色々な事が分かれば 少しでも解決に結びつくかと思いたいのが人情なのに 分かる事で 尚更 非人間的な事しか見えてこない現状が どれだけ悔しく虚しいことか… 子供の親として 一人っ子の母として 西野さん夫妻の心を察すれば…やるせない気持ちでいっぱいになります。
歪んでしまっている社会。【教育】とは何を指すのか?子供の前に大人に真の社会勉強、道徳が必要となりますよね。 組織~と言っても 人間の集まり。一人一人の心があり 人生を過ごしてきた大人なら なぜ 相手の立場にたち その気持ちを分かろうと出来ないのかが 私には分からない。想像力に乏しとしか言えません。
誰かのせいにしたくないという思いで口にした配慮の言葉… 悲しみでいっぱいで 今にも潰れそうなそんな時にもかかわらず… 子供を無くした母に せめて 一人の男として 声をかけられるくらいの気持ちになって頂きたいです。
事故を起こそうなんて思う人は そういません。だからこそ その後は 心〃 こころだけなんです。
それしかないと私は思います。
西野さん…分かりたくないことが 次々とで 悲しくなってしまうと思いますが どうか 挫けないで下さい。
いつもコメントをありがとうございます。
昨日も、娘のお友達が娘の誕生日プレゼントを持って来てくれました。
中学3年になり、体もすっかり大きくなって、高校受験を心配していました。
事故の事は忘れて自分たちの進む道を考えています。
2年半近く経っても、娘を忘れずにお参りに来てくれる優しいお友達です。
このお友達とお話するたびに、娘を思い、癒されると同時に胸が焦げるような複雑な思いの私です。