事故が起きた時、母親の私から、パニックで何もしようとしない学校に連絡し、連れて行ってもらった娘が運ばれたという病院。
大雨の中、我が家までの道に迷い(同じ学校の中学生が近所に5人もいるのに、カーナビで探し)長い間待たされて、自宅へのカメラのフラッシュの中ようやく辿り着いた病院。
検死の医師から許された、眠っているかのような冷たくなった娘との、15分間だけの家族3人の時間。
一刻も早く、娘の好きだった我が家に、
連れて帰ってやりたい、 娘を安心させてやりたい。
暗い湖の転覆したボートの中で、救出されたお友達が、「○○ちゃんがまだ(残って)いる!」と叫んでも、2時間半も発見されずに、ひとりだった娘。
連れて帰ってやりたい! その一心だった。
しかし 翌日に司法解剖 という 現実。
暗いボートの中で誰にも発見されず、波にあおられついた 娘の目の下の打撲のような頬の傷。
これ以上 もう 娘の体をメスで切り刻まないで!
しかも翌日の司法解剖まで、所轄の○○署に遺体は安置されるという。
警察に行く主人に私からお願いしたことは、
「 警察の人に、○○(娘)を大事に扱ってやって と言って。 」 だった。
マスコミから隠れるため、私達は自宅に帰れず、警察と○○県教委の用意したビジネスホテルへ。
-ーーーー昨日10月18日の義姉のブログへのコメントーーーーー
月命日の18日は、あの悪夢のような嵐のあの日をいまだに思い起こされ、何度も間違いであってほしと願ったことでしょう。
車で大雨の中、年老いた母を連れて、主人と高速を走らせ、妹夫婦のいるホテルにたどりついたあの日。
まだ○○ちゃんは警察にいて、妹夫婦は、報道の人が、自宅を囲んで戻れなく、なんてひどい状態なんだと・・・よくテレビで見る被害者側の家族の気持ちを重ねてしまった。
何ができるの?どうしたらいい?そうか・・・
私達も被害者遺族になるのか・・・。
なんで、○○ちゃんだけがこんなことに。
どうすることも出来ず、日付けが変わり、私達もホテルに泊まり眠れぬまま朝になった。
あのひどい雨は、○○ちゃんが、泣いてたんだよね。
大切に12年間育ててきたかわいい娘。学びの場である教育の現場で、プロの教師達の目の前で、命を落とす自分の子を誰が想像できますか?
誠意をみせてください。真相を闇に葬らないでください。○○ちゃんの無念さを感じてください。
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私はビジネスホテルに兄夫婦と母が来ることに驚いた。
とりあえずは マスコミを避け
娘を連れて帰らないと。
翌日夜になり、マスコミを避けるために、違う警察署に安置された娘の遺体を、私達は引き取りに行った。
黒いハイエースのような霊柩車に娘の遺体を乗せ、数十人とも思われる地域の方達の、綿密に計画されたマスコミ包囲網の中、
ようやく我が家に娘を 連れて帰ることができた。
***
去年の静かなバトルのような、市教委の月命日毎の弔問。
その時に教育長が言った、
「私は御両親が 自殺 しないかと心配だったんだよ。 だから お兄さん夫婦を呼んだんだ。」
私達が自殺を考える???