怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

4月24日 花水木咲いて<第2回公判>

2015-04-25 07:57:40 | 学校に対して
GW近くなると娘の同級生から、中学で同級生達に植樹してもらった花水木の様子がメールで届く。





学校に事故の風化防止に何かして欲しいとお願いしても、

返事は保護者でなくなった私達が見ることのできない、校庭に花壇を作ったということだった。


卒業し事故に遭った同級生にも、遺族の私達にも、遠くから見る人にも、見える、風化防止となる木が植えて欲しく、

遺族からわざわざお願いした、

長い間あるだろう木であった。





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昨日24日は静岡地裁で第2回公判の日であった。

主人と中学の花水木を見ながら車で静岡地裁に向かった。




冊子寄贈で訪れた静岡の駿府城近くにある裁判所。




我が家には静岡のマスコミの取材や電話が、当日まであった。



駐車場を確保しておくから、30分くらい早く来てほしいという検事。

静岡地裁に着くと関係者が駐車場で待っていて、控室に通された。

私:「第1回の時は10分で終わったのですが今回はどれくりい時間がかかりますか」 「2時間程」と。


裁判が近くなると検事も現れ、

質問して欲しいことを聞かれた。

私:「同じボートに乗った舵取り役のK先生や校長は残念な答弁しか出ないと思います。

私は同じボートで声掛けの役だった山川先生の話が聞きたい。」

山川先生の供述は裁判に提出する書類にあります。と言われた。



裁判は最初にテレビ局の裁判所内部の撮影があるそうで、それが終わったの確認して法廷に入った。


傍聴席は人でいっぱいであったが、主人と私の席は確保してもらっていた。


冒頭陳述が検事とD氏のH弁護士で行われた。


検事と信頼できるH弁護士。

裁判は娘の追体験をするようで辛かったが、安心して聞けた。


検事の提出証拠は58点にもおよんだ。


H弁護士の主張は3点。

自主艇での曳航、学校の正課の授業中の事故、指定管理制度の中で起きた事故だった。



 ボート事故「校長らも過失」浜名湖で転覆 元所長側、公判で主張

 浜松市の浜名湖で2010年、静岡県立三ケ日青年の家主催の体験訓練中に手こぎボートが転覆し、豊橋市の中学生が死亡した事故で、業務上過失致死の罪に問われている同青年の家元所長、檀野清司被告(57)の冒頭陳述が24日、静岡地裁(佐藤正信裁判官)であった。弁護士側は、檀野被告だけではなく学校長らの過失も原因となって事故が起こったと主張した。
 検察側は、大雨洪水警報などが出ていたのに被告が中止をせず、教諭らに伝えなかったことや曳航経験がある所員がいたのに、経験のない被告が救助に向かったことなどを指摘。速度確認や乗船者への指示に問題があったとした。
 弁護側は、訓練前に安全対策を検討しなかった学校やボートの船長役だった教諭、安全対策を作らず引き継ぎも十分していなかった被告の前任の所長にも過失があったと主張した。
 2015.4.25 朝日記事








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検事もH弁護士も、今後の裁判に出廷する4人を挙げていた。

K先生と 校長

そして青年の家の前任者 岡山のカッターボートの専門家だった。


3月31日  同級生の活躍を見たい

2015-04-02 07:17:56 | 学校に対して
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静岡地方裁判所に向かう際に主人と私は春の甲子園をカーナビで見ていた。

この日はで豊橋工業高校に進んだ娘の同級生が21世紀枠で甲子園に出場する日であった。
地元ではバス数台で応援に行くと聞いていた。

「同級生の活躍を見たい」と事故に遭う最期の日、野外学習のしおりに綴った娘。



複雑な気分でテレビを見ていた。

テレビには同級生の姿があるはずだったが裁判の時間と重なり全てを見ることはできなかった。
準優勝になった東海大四と試合だった。


娘への弔問に来たことのある3人。


私は嬉しくて、
夏の甲子園出場に忙しいだろう彼らにラインで娘と連絡がとれることを思い電話していた。

「花菜が喜ぶから弔問に来て下さい」


「行こうと思ってました。」と電話に答えてくれる彼。

ラインで連絡がとれるのは1人だった。


「今から行きます。」とすぐ来てくれた3人。

「3人で行きます」とメールがあり、主人と待った。


来てくれたのは甲子園に出場した3人だった。

そして娘の祭壇の前に甲子園の土を供えてくれた。




すっかり大きくなった姿にびっくりだった。


試合当日は吹奏楽部のない豊橋工業高校に吹奏楽部に入っているだろう娘が応援していることを考えていた。
'

ボート事故の被害者だった彼ら。


「花菜 覚えている?」と訊く主人。

部活でたたきこまれるのか正座で、勿論と答える彼ら。




事故から止まってしまった私達の時間




彼らの時間は確実に進んでいた。






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3/30章南中のI教頭が異動の挨拶に来た。
卒業アルバムの件でもめてから弔問に来なくなった教頭。
教育委員会に在籍していた時は私の心にケアで3人の臨床心理士を連れてきてくれたI教頭。

事故の時の教頭で「全員無事」と早くに発表したM教頭。
異動の時泣きながら「弔問に来させて下さい」と言った激情型のM教頭。
章南中という単位でなくては二度と弔問に来ない彼。

4月に章南中のS校長が新教頭を連れて弔問に来る。

生徒の命を大切に考える教頭であることを祈っている。