怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

6月18日 一番聞きたいこと

2019-06-18 21:17:39 | 学校に対して
今日6月18日は、老若男女の人が弔問に来て忙しかった。

9年前 娘のカッターボート事故の話。

M校長が、自己保身のように毎日我が家に弔問にくる。そして、最後に必ず「わたしの人生で取り返しのつかないことをしてしまった」

それを娘の遺影の前で言って欲しくなくて、うちに弔問にくることを断った。決して自分のためじゃなくて、娘のことを言ってくれない。

わたしは毎日、校長に事故の状況を教えて欲しいと言った。校長は警察の捜査の時に喋った小さなメモを持って言い出した。

「これで、どのように娘が殺されたかわかりました」とわたしは言ってしまった。

校長の帰った後、おいおいと泣いてしまったわたし。そもまま一晩ねれずに考え、わたしの心のケアーのために、細江署の刑事部長が電話してくれた。

その時わたしは、「事故の状況を教えて欲しいい」と言った。刑事部長は事故の担当のN刑事をよこした。

刑事という職業の人が家にくるのは初めてだった。N刑事は、事故のことを明確に喋ってくれた。それでわたしは泣きながら、彼に聞いた。

「花菜はひどく苦しんだんでしょいうか」N刑事は司法解剖の部署にいたこともあるらしくて、司法解剖の書類を見ながら、明確に答えた。

「内臓が綺麗なので、ひどくは苦しんでないと思います」その言葉にちょっと安心した。

溺死だから苦しくないわけはないだろうけど、刑事の言葉にホッとした。

それがわたしの一番聞きたいことだった。

N刑事はそのあとも、わたしの無理を聞いて、毎月来て頂いた。

書類送検の日に初めて、N刑事に来てもらわずに済んだ。悲しくて辛い話だった。

事故当日、ビジネスホテルに泊まっている時、溺死とわかっているのに、司法解剖が終わるのを待っていた。

まさかこういう形で、苦しんでないことがわかるとは思わなかった。

死んだのに、苦しくないわけがない。司法解剖でN刑事から聞いて、泣きながら安心した。