怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

12月31日  幸せな話にしないで

2011-12-31 15:26:40 | 学校に対して
文庫上の事故情報プレートは、生徒さん達への影響を考慮し、明るいものをという趣旨で市教委が作成し、ようやく設置された。
花壇横にも、事故を説明する文面のプレートが立てられた。

次は、校長室に置かれる、遺族の両親が当初から希望した、学校が起こした 残酷な事故 の事実を正しく伝え、再発防止へと繋げる、事故情報プレートである。


続いて、章南中学のHP(ホームページ)への、事故についての掲載である。
プレート作成にあたった市教委幹部の教育会館館長からは 

事故から1年以上も経って、今さら事故についての謝罪を掲載するというのは、おかしい。」

「事故を受け、章南中が花壇を作ったり、プレートを作成してきた取り組みを載せるなら、いいです。」 と校長からも言われた。

私が不安を感じるのは、
未だに市教委が転覆は想定外とし、悪天候の中実施され、しかも娘は転覆したボートの中で2時間半も発見されなかった という、

   この残酷な事故を、学校の汚点を隠すために、幸せなお話 にされてしまうことだ。

***
プレートへの遺族の言葉を、自分達の都合のいいように、勝手に修正した教育者達。

「事故で教育長が謝罪している記事を、プレートに載せて下さい。」と希望すると、
「図書館で探しましたが、その記事はありませんでした。」と子供でもわかる嘘を、簡単につく教育者達。


     だから、信じられない。     だから、この取り返しのつかない事故は起こった。

12月30日  形として残された悔しさ

2011-12-30 11:05:13 | 私のつぶやき
いまだに我が家の玄関ホール奥には、吹き抜けの階段で隠されているが、娘が中学の野外学習に出掛けた時の、水色の娘お気に入りのかばんが、学校から戻されたままになっている。

野外学習の荷物を、パンパンに詰め込んで、嬉しそうに期待一杯に、玄関から出掛けて行った娘。

それが こんな残酷な形になって、かばんだけが返されてきた。

そのかばんの中にあった野外学習のしおりには、娘が実行委員として残した絵や、自分の夢と「友達の活やくがみたい」という 自分の将来をなんの疑いもなく綴った、夢が残されていた。


****
私はもうひとつブログをしている。
そのブログは、「家族交換日記が綴れなくて」で始まる。

家族3人で、娘が小学校の5年生から、気ままに綴っていた交換ノート。


         止まってしまった時間。      かたづけられない時間。

形として残されたものを目にする度に、悔しさが、怒り となって返ってくる。


12月29日  変な?被害者意識

2011-12-29 16:05:00 | 学校に対して
昨日は静岡県側の弔問があった。
年の締めくくりということで、昨年末同様、小学館集英社プロの執行役幹部始め、青年の家の若い所員もまじえての、総勢10名の弔問であった。
青年の家の若い所員ひとりひとりが、今の自分の担当の仕事と、子供を預かるという責任を、自分の意見で熱く述べてくれた。
思わず主人は、青年の家の所長に言っていた。
「 命を預かっている ということを、自分で考え、自分の判断力で語れる、いい所員を育てられましたね。」

事故から1年半。
この弔問を通して、再発防止への強い思いと、娘の命への謝罪の気持ち が、しっかり伝わってきた。
今日の午後からは、静岡県教育委員会課長も、遠く藤枝からわざわざ弔問に来た。

*****
反対に謝罪の気持ちが感じられない、章南中学。
あまりにも感じられず、昨年末の12/31は金曜が重なり、わざわざ来ない先生を名指しで、「12/31の金曜に弔問に来て下さい。」とお願いしたほどであった。

市教委を始め、中学全体に感じられる、生徒一人の命を奪った という意識の欠如は何なんだろう?
それは、教育長が我が家の弔問時に、語気強く漏らした、
「 うちは、静岡の不良パッケージを買わされた。 」 という言葉に尽きると思う。
6/25にあった青年の家での、豊橋市教育長の娘の像の除幕式出席にも、民間人で構成する教育委員会から、反対が唱えられたという。
    
              大人の利権が複雑に絡まる、静岡に対する 変な被害者意識 。

娘の命を奪った ということでは同じなのに・・・
どこで事故が起きようが、    親である私達が娘を預けたのは、   豊橋市の章南中なのに・・・

12月28日  子供の命を守る

2011-12-28 09:09:53 | 学校に対して
昨晩突然、署名活動の時、紹介議員になってもらった市議さんの弔問を受けた。
昨日の豊橋市市長への、予算提案書提出に娘の名を使ったので、報告にみえたらしい。


昨年の11月に、うちが豊橋市に請願したのも、事故の真相究明と、子供の命の安全性 を求めての署名活動だった。

新聞で大きく取り上げてもらい、月命日の弔問に来た、新校長に意見を訊くと、
           「先生達は傷ついている。」
という、私達の行動を、強く否定する言葉が返ってきた。
学校のトップが、しかも事故当事者校のトップが、内輪の個人的感情をあらわにし、私達を敵を見るように返された言葉。

この1年半、学校に対し、 娘の命を無駄にしないように 、親としての悲しみを押し殺し、文庫寄贈や事故情報プレートの設置を依頼してきた。

   二度とこのような、子供の命が奪われる悲劇を、起こさないことを願って

個人的な感情を捨てて、子供の命を守るためにやってきたことが、ことごとく否定されていった1年半だった。

国の事故調査の結果がでるまでは
と、何もしようとしない中学、市教育委員会。

今やれること、今やらねばんらないことが、いっぱいあるでしょう?

12月27日  コメントをありがとう 9

2011-12-27 10:18:35 | 学校に対して
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あなたたち家族だけの問題ではない 2011-12-07  agasa さん  ( 12月7日  「義務教育」に殺さ... )

プレートの問題は、あなたたち家族の問題ではありません。
学校全体、○○市全体の子どもの命の問題です。
一人の命が、学校関係者の個人的保身感情、意味のないプライドで押しつぶされるなん堪りません。




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教頭先生…逆効果ですよ。 2011-12-08   masaさん  ( 12月7日  「義務教育」に殺さ... )

プレートのことばに何故 学校側がこれ程 こだわるのか…
未だに 変わらない この体質が事故を起こしたと…ますます…感じます。

ただ 時間が経てば世間は忘れていく…
プレートに事故に繋がることを残したら…後々厄介だ…という保身術が…みえみえ…

この様な学校側の姿勢にますます不信感を感じます。


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12月18日 2011-12-15  agasa さん  ( 12月15日 プレートへの言葉  )

●●中学校のプレート贈呈式は何時からどんな風にするのでしょうか?
青年の家のキャンドルセレモニーは何時からしますか?


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絆は、この場合適切ではない 2011-12-19  agasa さん  ( 12月19日  「絆」って聞かれて... )

家族が日々の営みの中で育まれた「愛」が人為的に壊されたのです。
この場に「絆」を求めることに、私も違和感を感じますよ。



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教育長が推薦する 2011-12-19  agasaさん  ( 12月18日  12月18日 ) 

地方教育行政法では
(教育機関の職員の任命)
第三十四条  教育委員会の所管に属する学校その他の教育機関の校長、園長、教員、事務職員、技術職員その他の職員は、この法律に特別の定がある場合を除き、教育長の推薦により、教育委員会が任命する。

と定めています。
一連の教員の動きの責任は教育長にあると思います。



12月26日  コメントをありがとう 8

2011-12-26 09:52:06 | 学校に対して
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2011-11-10  meg-kou-shu さん   (11月10日  コメントをありがと...)

みんなからたくさんのコメントを拝見して、たくさんの友達に愛されて、○○ちゃんは幸せだったんだと感じました。
中学に入って3ヶ月もしないわずかな期間に、野外活動での荒天の中での訓練、無理してやらなければならなかったことなの?

大人達の責任のがれに、子供達は、もううんざりしてるでしょうに。

12年間大切に育てた娘が、元気に学校の行事に出発していき、冷たくなって帰ってくるなんて、誰が想像しますか?

なぜ、その危機感が、その場の大人達になかったのかと。

子供一人一人の顔を悪天候の中見てくれましたか?

冷たい水の中に投げ出されて12歳のまだ、つい最近まで小学生だった子供達の恐怖は、想像をはるかに超えていたはずです。

そんなつらい経験をまた繰り返しては、絶対いけないことですし、そのことを忘れてもいけないと思います。

○○ちゃんが、生きていた証を誰にも忘れてほしくない。

つらく、悲しい体験を強い絆に変えて大人は大切な未来ある子供達を守る義務を決して怠ってはならない。

子供達も友達の絆を大切につなげてほしい。

私自身も人とのつながりは、どんな形にしろ、大切だと感じます。

肩書きや形式にこだわらずに教育に携わる大人達こそ、命の重みを感じて子供達を見つめてほしいと願うばかりです。



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設置権者の○○市 2011-11-27  agasaさん  (11月26日  昨夜の金曜弔問)

これまで○○中学校の設置権者である○○市長は一度も顔を出していないのではないでしょうか?
今回の事故プレート設置日には、当然設置権者の責任において出席すべきだと思います。
行政は教育に介入すべきではない、なんてことを盾にしているのならそれは間違いです。
○○市の未来を背負う中学生のいのちの問題ですから。
教育委員会と同時に市の対応も見守りたいと思います。


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学校の責任は当然問われるべき! 2011-11-29 agasaさん  ( 国交省 4 )

風雨の激しいなか、訓練を実行させた学校側の責任は当然問われるべきです。
施設側が大丈夫だといったとしても、決定権は学校にあり、最高責任者の校長の責任は問われるべきですし、校長を任命した教育委員会の責任も当然問われるべきです。
注意報が出ているときは訓練してはならない、という安全確保の義務違反をしているのですから。
ところが組織的に事実を隠蔽して、責任逃れをしている!!!と思います。
議会も一緒になって!

一人の若い命がその訓練で失われたのです。
当事者はこの現実に向き合うべきです。
私は、子どもたちの未来を考え、真実を明らかにした上で安全策を講じるべきだと思います。
そうしなくては、再び事故は繰り返されます。



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素朴な疑問… 2011-12-04 masaさん  (12月3日  「義務教育」に殺さ... )

遺族が《事故の再発防止》を願ってのことばを何故…そのままプレートに残せないのでしょうか…

何故…プレートのことばひとつにこだわって一年もの時間をかけるのでしょうか…

疑問だらけの学校側の対応…一体…何が隠されているのでしょうか…


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2011-12-06  agasaさん  (12月6日  事故情報が知りたくて )
時が解決するとでも思ってるんでしょうかね、事故を起こした当事者たちは!
真実を知らない限り、時は悲しみを募らせるばかりだと言うことがわからないんですね、教育者でありながら。また行政、議会人たち。

質問書の回答から、真相に近づこうとしない臆病なずる賢い彼らのこころが読めます。
彼らは最初からこうだったですね。

請願で動いた議員も自分の票稼ぎでしかなかった、ということでしょうか。
とりあえず私たち市民は、彼らの真実を暴きますね。


12月25日  苦かった昨年のクリスマス<2010年質問文の回答>

2011-12-25 10:37:36 | 学校に対して
9/12のブログ、真実が知りたい(先生達の生の声)より

<現場にいた先生方に教えて頂きたい事>
※私たちの思い
その日、○○に何が起こったのか、引率してくれた先生方から、その事実を直接聞きたいです。事実を知らないままだと、これからの人生において、気持ちの収めようがないような気がします。また  ○○(娘の名)も親である私たちに事実を知って欲しい  と強く望んでいると思います。 よろしくお願いいたします。

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上記文で始まる31にも及ぶ私達の質問。
この質問文を書面で、○○中にお願いしたのは、混乱していた私達の気持ちも整理ができてきた11月末。

それまではタブーのように、口に出せなかった事故についての数々の疑問。
国交省の事故調査の中間発表も出された頃だった。

いつ先生の生の声が、どういう形で聞けるのか?
先生方の負担にならないよう、記憶の中で整理しておけるよう、前もって提出した質問文。

それがなぜか? 校長が我が家に12/7(火)に来たいという電話。
事故について何も知らない、新校長が?

私は嫌な予感がして、この経緯を連絡済みだろう、大親分達市教委の課長に電話した。
課長は「遺族の知る権利は尊重します。」と丁寧に言う。

12/7 また主人に仕事から早く帰宅してもらい、校長を待った。
そして校長は「 私が、職員に聞き取った回答をします。 」と私達の質問文と回答を読み出した。
   ?   ?   ?   ?   ?
そうじゃないの!  先生達の生の声が聞きたいの!!!
もう一度先生達の生の回答が聞きたいとお願いし、早々に校長にお引き取り願った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ようやく引率した先生達全員が揃い、回答してもらえたのが、
暮れも迫る12/25 10時から
主人と質問文を画板に挟み、筆記具を持って待っていると、

監視役?の校長が 「メモは困ります!調書で述べたことと違うといけませんから。」

???で口を挟みたかったが、31にも及ぶ質問、ようやく先生達の生の声が聞ける。
その思いでペンを置き、質問の回答を進めた。
先生達の発言に、いちいち「それをやると二次災害・・」と口を挟む校長。

弔問に来て頂いている生徒さんの、乗船位置を訊ねると「プライバシーに関わる」と拒否。
 私は傷付いた生徒さん達に、事故の話は 口が裂けても していない。
 反対に事故を彷彿させることを 口走るといけない、の思いで聞いた。
プライバシーの履き違えじゃないの? プライバシーって言葉の好きな教育界・・

時間も正午を過ぎ、急いで31の質問を終えた。

先生達の声を知り、少し気持ちが楽になったが、先生達個人より、
      
       < 学校に ますます高まる不信感 >

*****
あれから、ちょうど1年。   
事故から1年半も過ぎ、
2010年6/18で止められてしまった私達の時間
                学校への不信感は 増すばかり・・

12月24日  昨晩の金曜弔問

2011-12-24 09:54:57 | 学校に対して
昨晩の金曜弔問は、2年の先生と2年学年主任、校務主任の3人が来た。

いつもの焼香が済み、まず花壇横に設置した、事故情報プレートの報告を受ける。


次に、私と主人が心配していた文庫上に今まで設置させてもらっていた、ゆみんぽさんの絵の移動場所について聞いた。
我が家の予算では、特注の書棚、書籍寄贈など無理と思い、高さ1500、幅1000、奥行き175~375の小さなものが精一杯であった。
その小さな文庫を、できるだけ夢溢れるもの、生徒さんに明るい気持ちで喜んでもらえるものを、という気持ちで、文庫上に娘も私も好きだった、ゆみんぽさんの観る人を思わず微笑ますタッチの絵を、娘が卒業するまで、貸してもらえるようにお願いしていた。
昨年12/18の文庫寄贈時も、心よく、心に響くスピ-チまでして頂いたゆみんぽさん。

その大事な原画を、事故情報プレート設置のために外すのは、私も主人も忍びなく、学校に別の場所の展示をお願いしていた。
しかし、学校側から提示されたのは、従来の高さ1800はある書棚の上で、鳥獣戯画の絵と一緒の場所だった。
これでは、夢あふれるゆみんぽさんの絵も、置いたというだけで、見ることができない。
早速クレームをつけ、主人はピカソの絵を扱うようにと、言うべきだったと言っていた。

あと、章南中にお願いしていたHP(ホームページ)掲載の件についても、パソコンを新調したため、遅れるが掲載します、という報告。

*****
この1年半、遺族が希望することを、ことごとく裏切られた形で返した 学校と市教委

どこかいまだに、学校側に何かされるんでは?という不安がつきまとい、素直に信じられない自分がいる。

親に  娘を返せなかった  学校・・・  

その悲痛な親の思いを受け止めようともしなかった学校・・

12月23日  主人のメモ

2011-12-23 14:41:56 | 学校に対して
( 主人のメモを見つけた。 ↓ )


私の新聞のコメント「元に戻すだけでは・・・


事故以来多くの新聞に私のコメントが掲載されてきました。

先日の菜の花キャンドルの際、私がインタビューに答えた記事が掲載されていたのですが、

私が伝えたい事と、ちょっとニュアンスが違った内容になっていたので、敢えてまとめてみます。

施設は、事故以来水辺の活動を中止しているのですが、再開を目指して様々な取り組みをしているようです。

その取り組み内容は、逐次報告を頂いています。

しかし私たちの娘は、その野外教育における安全管理の未熟さで命を亡くしました。

その野外教育を再開するに当たっては、根本から野外教育の在り方を考えてほしいと願っています。

つまり、事故以前に戻すだけではなく、

野外教育の目標はなにか、

なぜ野外教育が必要なのか、

野外教育の期待とその成果はなんなのか、

根本から野外教育について考えた結果、「だからカッター訓練が必要なのだ」と結論付けてから、

関係者が同じ認識の中で、水辺の活動を再開してほしいと願っています。

私は、こう思います。

日本の将来を担う子供たちに身に付けて欲しい力は、

社会の激しい変化の中、いかに変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決できる資質や能力を身に付けて欲しい。

また、自ら律し、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性を身に付けて欲しい。

また、たくましく生きていくための健康や体力を身に付けて欲しい。

野外教育で娘を亡くした私が、それを実行する関係者に伝えたいことは、こころから子供たちのためになる教育だということを確信してから再開して欲しいということです。

「だから野外活動が必要なのだ」と「そのためにはカッター訓練は効果的なのだ」と。

12月22日 コメントをありがとう 7

2011-12-22 09:18:26 | 学校に対して
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18日の意味⁇ 2011-10-18  masaさん  (10月18日  今日は月命日)

遺族にとって、18日という月命日は辛い日です。でも、決して忘れられない日です。

さらに辛いことは遺族と学校関係者の思いにあまりにも差があることです。

遺族が怒りのメゾフォルテというブログを作り…気持ちを綴らなければならない辛いこの現状に学校関の方々はどう考え、対応するつもりでいるのでしょうか?



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18日の意味パート2 2011-10-18   meg-kou-shu   (10月18日  今日は月命日)

月命日の18日は、あの悪夢のような嵐のあの日をいまだに思い起こされ、何度も間違いであってほしと願ったことでしょう。

車で大雨の中、年老いた母を連れて、主人と高速を走らせ、妹夫婦のいるホテルにたどりついたあの日。

まだ○○ちゃんは警察にいて、妹夫婦は、報道の人が、自宅を囲んで戻れなく、なんてひどい状態なんだと・・・よくテレビで見る被害者側の家族の気持ちを重ねてしまった。

何ができるの?どうしたらいい?そうか・・・
私達も被害者遺族になるのか・・・。
なんで、○○ちゃんだけがこんなことに。
どうすることも出来ず、日付けが変わり、私達もホテルに泊まり眠れぬまま朝になった。

あのひどい雨は、○○ちゃんが、泣いてたんだよね。
大切に12年間育ててきたかわいい娘。学びの場である教育の現場で、プロの教師達の目の前で、命を落とす自分の子を誰が想像できますか?

誠意をみせてください。真相を闇に葬らないでください。○○ちゃんの無念さを感じてください。



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正直に生きる 2011-10-25  agasaさん  (10月22日  誤魔化すなよ)

正直に生きなさい
子どもの頃から親に言われたことばでした。
正直に生きなさい
誰でも親に言われて育ってきたと思います。

このごろ「正直」のことばが使われなくなりました。なんか怖いですね。
社会が壊されていく・・・
そんな気持ちで読みました。
正直に生きろ!!
○○ちゃんが私たち大人に訴えているようですね。



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一体…何なの… 2011-11-03   masaさん  (11月3日  学校の責任のとり方... )

ブックマークから各機関のホームページへアクセスして見ました。
何なの 当事者であるこの学校の対応…
ブログの中で学校を批判しなければならない遺族の母親の気持ち…わかりますか…
起こるべくして起こった。
悪天候のあの事故の日。中止と誰も言わなかった学校の体質。まだその体質が…続けられているのですか?

ブログをみれば見る程…まさに,怒りのメゾフォルテ状態です。



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もう一度真意を訊こう 2011-11-09   agasaさん  (11月7日  事故から学んでいか... )

昨年の署名活動のことを思いだします。
署名を締め切り市に提出した後でも、次から次から署名簿が届きました。
議会は、請願は採択できなくても、必ず安全確保のマニュアルを作成させる、と言ってたけどどうなりましたかね?!
あのままじゃないですか?!!
市長選も残すところ1年に近づいてきたので、どうなったか市と議会、それと国政を狙っている
ブレナイ候補者に、なぜ真相解明を断ったのか質問書を出したらどうでしょう?、と思い
質問書作成に取り掛かってます。


12月21日  いまだ続く月命日毎の弔問

2011-12-21 15:37:08 | 学校に対して
昨夜は他の中学に異動になった、娘の元担任の教師が弔問に来た。
毎月欠かさず、18日前後に、他に異動した先生達二人を連れて弔問に来る。
昨夜は他の先生達二人共、冬休み前にかたずけなくてはいけない仕事のため、無理だったという。

16日は章南中、17日は静岡側、19日は豊橋市教委、年末には静岡県教委と、毎月、この1年半、いまだ続く月命日の弔問。

    
今月の市教委のお供えの花

毎月毎月、様々な事故関係者達から、様々なお供え物が届き、訳がわからなくなる。
1年前は高価な蘭だらけであったり、シクラメンだらけだったり、大きいベゴニアだらけだったり・・
今も6畳の和室には置き切れず、リビングにプリンセチアが2鉢、ベゴニアが大小3鉢、それでも置き切れず、キッチンに1鉢。
お菓子やら果物やら、慣れてきたが、二人だけの生活には、さばききれない。

大きく変えられてしまった生活。  

マスコミや刑事が、普通に来訪する異常な日常。

悪夢が続いているような、意味がわからない生活の中、



唯一確かな現実、それは、  





                      娘がいない・・・

12月20日  呆れたベテラン教育者達

2011-12-20 08:48:41 | 市教委に対して
昨夜は市教委の、月命日の弔問であった。
12/18に設置した文庫上のプレートの件、そして、ボート写真等の 真の事故情報 を載せた、校長室に置くプレートの作成を、校長が中心になって進めていくという。

*****
プレートの話の後、重度ウツ病で未だに 表に出てこない、元校長の今の状態の話があった。
まだ面会拒否は続いているが、やっと奥さんの話(いままでは奥さんも拒否)が市教委課長も聞けるようになり、だいぶ症状も落ち着いて、1、2時間は外に出られるようになったという。
だが、うちが市議会と教育長に事故の質問書を提出した記事が新聞に掲載された時は、精神的にダメだったらしい。  
あと、薬もまだ8錠程飲んでいるという。

市教委が元校長を、表に出す一歩として、娘を追悼する 今ある花壇の整備 を依頼しようと思っていると言われた。

*****
うちの娘の祭壇に、弔問に来ることのできない教師は、二人いる

一人は、うちから断っている、仏教命の元校長
実家は仏教だが、主人も私も仏教徒でもないのに、やたら娘の祭壇の前で手を合せたがる元校長。

いつまでも隠れてないで、事故防止に動いてくれることが、娘にとっても 親にとっても、一番嬉しい って、なぜベテラン教育者が気付かないのだろうか?

もう一人は、この春異動した校務主任で、娘と同じ転覆したボートに乗っていたY先生
命まで奪われた娘の母親として、感情的な見方も強いだろうが、このY先生には、是非娘の祭壇の前で謝罪してもらいたい。

雨で傾いていくボート、生徒達はボート酔いしながら、必死で泣きながら、ボートを漕がさせられた

しかも、娘は命まで落とした


なぜ早く、ひどくなる前に、やめさせてくれなかったの?

なぜ生徒が、ボートの中に娘が残っていることを訴えても、人に伝えるだけで、最後まで確認してくれなかったの?


事故当日Y先生が疲れ切って帰宅すると、自分の一人娘が抱きしめてくれた手紙を、平然と遺族に送る無神経さ。

*****

          二人共、わたし達先生の心は傷ついているから、わかってよ のつもり???

12月19日  「絆」って聞かれても・・・?

2011-12-19 09:25:41 | 事故後の動き
昨晩は事故の遭った施設で、昨年に引き続き、娘を追悼する「菜の花キャンドル」のイベントが催された。


今年はこのイベントに出掛けた主人に、家族3人が並ぶ 光のシルエットの前で、マスコミの取材の中で、「絆」について聞かれたという。
私も主人も、違和感を感じる 今年の漢字、「絆」。



3人でいるのが 普通だった。

笑っているのが 普通だった。

うちの普通って何だったの?

12月18日  12月18日

2011-12-18 14:15:46 | 学校に対して
去年の12/18は文庫の寄贈式で、月命日は主人と二人、娘の傍にいてやりたく、寄贈主不在で式を進めてもらった。

私の設計した書棚の制作を依頼した木工所さんと、書棚の上に置く絵の作者「ゆみんぽさん」にスピーチをお願いした。


前夜になってもらった、文庫に置くはずだった 学校側の「誓いの言葉」 に、娘の年齢が間違っていること(12歳→13歳)を指摘し、保留にしたというトラブルはあったが、もうこの時は多くの生徒保護者も出席する式を無事成功させるため、学校への怒り も忘れ、学校側と気持ちをひとつにした。

*****
今日、今年の12/18は、事故のあった青年の家で、娘を追悼する「菜の花キャンドル」が今年も行われる。
 
    ↑ 午前中の準備作業の様子

今年は章南中からも5人の教師が出席するという。
現場の先生達ではなく、文庫のプレート設置を済ませた、娘を知らない章南中幹部5役だろう。
事故から半年の去年、ようやく 加害者3者 が、同じ場に立ち、一つの形を示してくれた。
同じ場に立つことに抵抗のあった、教育長及び教育委員会は、今年は渥美半島駅伝のスピーチのため、市教委不在になるだろう。

多くの思いが複雑に交差する12月18日。

主人は今年は、ひとり、見にでかけて行った。   どんな思いで・・・

12月17日  花菜文庫への同級生の思い

2011-12-17 16:56:45 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問時と、先週の金曜弔問時に、文庫上へのプレートに載せる、「文庫への思い」という同級生の方々の原文をもらった。

***
(文庫を)どの様なものといわれても言葉にすることが難しい。
たくさんの思いが複雑に混ざっている。
一つ大きく言えることは、忘れてはいけないことを絶対に忘れないようにするための大切なものだと思っています。
忘れてはいけない仲間が大切だったもの、好きだったものを置いていくということは、僕達にとって大切だと思うし、これからこの様な事故が起こさないための大切なものだと思います。

僕は、しかし今になっても花菜文庫に手をのばせません。
事故を思いだしたくないからです。
自分の中であの事故を忘れようとしている自分がいます。
自分の様な人はおそらくほかにもいると思います。
そんな人が忘れない様にするためにも大切だと思います。
***
ぶんこについては何ともいえませんが、花菜さんとは、たまに話していたので自分は良いと思います。
いつまでも残しておいても良いと思いますが、卒業と同時に花菜ぶんこをなくすというのも良いと思います。
ずっとあったら、ずっと中学生のままで、おわるんじゃないかと、思うからです。
***
私は花菜文庫は、この学校で、事故で死んでしまった花菜をずっと忘れないため、そして花菜の死をちゃんと心に刻んでおくために「花菜がみんなを見守っている。」 そんな感じのものに思えます。
これから先、花菜を知る、事故を知る人、先生が1人もいなくなっても、ずっとみんなに「これは花菜文庫っていうものなんだよ。」と説明してほしいです。
そして花菜文庫という名前だけではなく、なぜ花菜文庫というものがあるかなど ただなんとなくあるものじゃなくて この学校で事故で死んでしまった人がいるという事実をちゃんと伝えてほしいです。
そしてその事実をかくさないで、ひとめで分かるように、どんな事故だったのか、いつあったかなど、花菜文庫のところにちゃんとのせてほしいです。
命の日のコンサートや菜の花キャンドルの記事だけでなく「事故」のこと、ちゃんとみんなが分かるようにしてほしいです。
私は花菜の死を決してムダにしてほしくありません。
だからちゃんとこれからずっと先、花菜文庫のことを誰もがわかるように、「これって何?」ということが無いように、この学校であった事故をちゃんとかくさずにしっかりみんなに伝わるようにしてほしいです

      
↑ 昨夜見せてもらった、明日12/18 設置するプレート