怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月27日   同級生のプレゼント

2015-08-27 07:12:19 | 学校に対して
「今からいってい~ぃ?」

娘の同級生から入院中の私にメールが入った。

7回にも及ぶ裁判で、私は難病を再発してしまい免疫抑制剤の点滴による大量投与を受けていた。
1ヶ月かかるインパルス療法。

次の裁判 論告求刑まで1ヶ月以上あり、体調の変化を感じ病院に飛び込んでいた。
MRIにより脊髄神経の炎症が分かり緊急入院だった。

娘が喜ぶ同級生の弔問予約。

「ごめんね。今入院してるんだ。退院したら来てね。」と返信する私。

同級生:「大丈夫ですか?退院したらまた行きますね。」

 教科書集まりました。

退院したら持って行きますね
 
。」

私はそのメールを読み、泣いてしまった。

弔問に来た彼女に

私:「命日にみんなが来た時に頼めばよかったんだけど、花菜が学ぶことのできなかった中2中3の教科書が欲しいんだ。
小学校の文集もしっかりとっていた花菜。

高3になった同級生が中学の教科書をまだ持っているかどうかわからないけど、できたら欲しいんだ。

一人の子のじゃなくてできるだけ多くの同級生の教科書が欲しいんだ。}

彼女に相談した私。  

まさか、多くの同級生に声をかけ集めてくれてたなんて、

覚えてくれてたことに感謝した。

退院するとすぐに彼女にメールした私。

彼女:「 こないだ見せた私の作文。

愛知県の代表に選らばれました
明日名古屋に行って作文読んできます。商業科で1番です。」と彼女のメールにはあった、



彼女が前に弔問に来てくれた時、娘に供えてくれた作文。それが県代表に選ばれるなんて。

私は「同級生の活躍が見たい。」と書き残した娘を思い、春の甲子園にすすんだ同級生だけでなく、

同級生みんな活躍している ことが嬉しかった。

退院して彼女の表彰式も終わり、彼女から今から花菜の家に行っていいかとメール。

来てくれた彼女の手には、重かっただろう男女を問わず多くの同級生の教科書があった。




名古屋での表彰式の話を私と娘にしてくれた彼女。

学校で学力優秀者の賞状を娘の遺影に見せてくれた同級生もいる。

恋の話をしてくれた同級生もいる。


同級生への心の配慮と言って

娘を卒業アルバムから消そうとした中学。

そんなひとときのことじゃなく、同級生には娘との大切な思いが詰まっているだろう


同級生の嬉しいプレゼントをもらい、永く続く悲しみから癒される親の私

7月31日  親としての責任

2015-08-01 07:38:04 | 学校に対して
昨日7/31は第7回公判のため静岡地方裁判所に主人と行った。

豊橋の記者なら知っているが、静岡となると親戚もいない、完全アウェイである。

主人が証人として法廷に立つことを許された緊張の公判である。

「これは起訴されたD氏の裁判だから」と主人。

検事から、証人として出挺し質問する予行演習をしようと言われていた。

しかし前もって主人の質問のレジュメをメールで送り、OKが出されいつも通り30分前に来ればいいと。

裁判所控室に通された私達に

検事「D氏への質問やD氏への処罰意識はありますか?

   プロの検事から見ると、D氏が全て認めると言っていたが、変えるおそれがある。」

そして主人の質問文からは「中学の過失という強い言葉ではなく、過ちに直した方がいい。」だった。

そして主人の証人出廷は全ての証人尋問が終わったあとの休憩の時間が終わりまた質問があれば言ってくれというものだった。



D氏の証人尋問は静岡県の委託から民間委託に変わった時の引き継ぎや、なぜ県時代の人がいるのにD氏がモーターボートを運転して経験のない曳航をしたかということだった。

D氏の弁護士からの尋問も意外に早く終わった。


次は主人の番だ。

主人の話す内容の確認を求められ、内容を知っている私は涙が止まらなかった。

主人も泣いている。娘の野外活動に行く元気な姿を知っている私の嗚咽は止まらなかった。

主人が法廷に立つ姿を見て、私達家族を襲った数々の事が思い出された。

主人が遺族として今後望むことを述べると、D氏の弁護士が前もってわかっていたように質問をしてくれた。

起訴されたD氏以外にも二度とこのような悲しい事故を起こさないように静岡側にも豊橋の学校側にも再発防止を強く望む主人。



私達は再発防止を願って多くのことをしてきた。

花菜文庫の学校への寄贈。
文庫の設計をしながら、多くの家具図のなかからパソコンのホルダーに娘の名前を見つけると涙が止まらなかった。



豊橋議会への署名活動。事故を究明したく短い間に1万7000もの署名を頂いたが、議会は犯人捜しの場ではないと趣旨採択。

中学での命日のコンサート。



毎年の菜の花キャンドル。







事故情報プレートの設置



いのちの日の黄色い旗



ハナミズキの植樹

再発防止のマニュアル作成の依頼

市長に先生は正しいと反論された民事裁判。

▼主人の証人尋問の言葉

<証人として伝えたい思い>
■事故を知った時の遺族の思いを伝えたい。

 花菜はこの自然体験学習をとても楽しみにしていました。中学入学式の日、学校からも1年生の大きな計画としてこのカッターボート訓練があるという説明がありました。新しい友達と初めての宿泊ということもあり、お気に入りのバックで張り切って準備をしている様子を思い浮かべます。

事故当日、仕事帰り途中に学校から呼び出された私は、「全員救助」の報告を教頭先生から受け、ひとまず安心しました。それでも学校に集まった知人の保護者の方と一緒に現地で子どもを確認しようということで、みんなといっしょに車で事故現場に向かいました。花菜の死亡の知らせを聞いたのはその車中で妻からの電話でした。何が起こったのか、どうして死亡なのか、「全員救助」だから何かの間違だ、妻は大丈夫だろうか。車の窓に、強い雨が流れていることだけが鮮明に覚えています。
 
 妻と浜松の病院で合流できたのが、午後9時近くだったと思います。はやく花菜に会いたい。その思いが強くて涙は出ていなかったように思います。花菜はベットに寝ていて、顔には擦りキズがありましたが、いつもの花菜の顔がそこにありました。

時間の経過とともに「なぜ事故が起きたのか」「事故が起きても多くの人が助かっているのに、なぜ花菜だけが死んだのか」「浜名湖の現場で先生方はどのように動いたのか」「なぜ学校は花菜のいのちを守れなかったのか」「静岡県側の対応と学校・豊橋市の対応は大きく違うがどうしてこの違いが発生するのか」さまざまな疑問が生まれました。

■豊橋和解調書の内容を伝えたい。

 花菜は、学校の正課の授業中に先生の言われたとおりにした結果、いのちを落してしまいました。しかし豊橋市教育委員会や学校からは、事実関係について私たち遺族になにも説明はありませんでした。静岡県で発生した事故として、静岡県側の事故調査報告を待っているようでした。また運輸安全委員会での調査や静岡県警の捜査待ちということで、学校としての事故の説明はありませんでした。事故の年の9月頃、静岡県教育委員会から、事故調査報告書を頂きましたが、私たちは「花菜は、学校に預けたのに学校が花菜を返してくれなかった」という思いを強く持っていました。
 
 このままでは、花菜が学校現場で亡くなった原因をうやむやにされてしまう。そんな不安が時間と共に強くなりました。「どこに問題があったのか」「だれにどんな責任があったのか」これを明らかにしなければならないと思いました。そして「同じような事故を繰り返さないために、だれがどんなことをしなければならないのか」これを明らかにすることで花菜のいのちを活かしたいと思いました。

そんな思いの中で、事故から2年近く経った2012年5月に私たち遺族は、豊橋市と静岡県と小学館集英社プロダクションに対して提訴しました。当初豊橋市は全面的に争う姿勢でしたが、それから5カ月後の10月に裁判所から和解条項が示され、和解が成立しました。

その和解条項には、カッターボート訓練プログラムの安全性をチェックしていなかったこと、自主艇があることについて、その危険性の認識を怠ったことなどの責任を認め、謝罪する。また、生徒の生命及び身体の安全を守るのは、第一次的に各学校の教育職員であることを強く自覚し、再発防止に向けて不断の努力をすることを約するとあります。この約束の重みを風化させないよう、この元所長の刑事裁判の中でも知ってほしいと考えました。

■事故の原因をどう思っているか述べたい。

この事故は、自然体験学習として、学校の正課の授業の中で起きました。その授業の一部を静岡県が提供していたカッターボート訓練というプログラムを豊橋市が利用しました。そのプログラムを実施・運営する三ケ日青年の家、三ケ日青年の家を指導・監督する静岡県、子どもたちを引率して体験学習を行った豊橋市立章南中学校、この授業を達成するために、それぞれの役割を担う中、やるべきことを怠り、その過失が複合的に重なり、なんの落ち度もない花菜がいのちを落してしまったと思います。

それぞれの立場で安全を確保する義務があったと思います。それぞれの場面で誰かが一つでも行動していれば、花菜の死は防ぐことはできたと思います。プログラムの選定、出航判断、乗船時、えい航中、転覆直前、転覆後の救助、各場面で危険を回避できたと思います。また、危険を想定することはそんなに難しい状況ではなかったのではないかと感じます。どうして花菜を救うことができなかったのか、5年たった今でも腹立たしくて残念でなりません。
■どうしたら花菜は死ななかったのか、自分の考えを述べたい。

 みんながもっと主体性を持って安全を確保すること。それぞれが危険をイメージし、対応策を準備しておくこと。状況の変化で不安を感じる場合は、声に出してみんなで確認しあうこと。万が一事故が発生したらどう動くのか共有しておくこと。特に野外教育活動においては、安全確保は大前提だと思いますが、この事故はまったくそれらが出来ていなかったように感じます。このようなことをみんなが実施していれば、花菜のいのちは守れたのではないかと思います。

■2度と起こさないようにするためには、どういうことをこの事故から学ぶべきか、どうしたら活かしていけるかを述べたい。
 この事故は、容易に危険をイメージできる状況にあったにもかかわらず、「いつも大丈夫だったから、これぐらいなら問題ない」と安全確認を怠り、浅い考えのまま実行してしまった結果、尊いいのちが奪われたのではないでしょうか。また、他者にすべてを任せ、何も判断をしなかった結果、命いのちを守ることができなかったのではないでしょうか。あまりにも希薄すぎた危機管理意識は、それぞれが自らの責任として深く考え、同じ過ちを繰り返さないよう、最優先の課題として取り組んで頂きたいと思います。

 2度と起こさないようにするためにも、施設側の責任だけではなく、子どもたちを引率した学校の責任についても判断していただくことが重要だと思います。その上で、この刑事裁判を通じて改めて関係者に深い反省を求めたいと思います。また、人も組織も変わり、時間が経過していく中、この事故を経験した静岡県、小学館集英社プロダクション、豊橋市立の全小中学校は、二度と繰り返さない強い決意を風化させることなく、それぞれの立場で再発防止を実践し続けることが、この事故を経験した関係者の責務だと思います。どうか「目の前にいる子どもたちのいのちを守るのは、私たちなのだ」と日頃から自主・自律の意識を持ち続け、繰り返さないための不断の努力をお願いします。

■被告人について
法律に沿った適切な処罰を望みます。