怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

12月31日  怒り2<自分中心の人達へ>

2012-12-31 08:08:59 | 私のつぶやき
■ 2010年9/24 章南中との交換日記に記す   ↓



                      誰か娘を探してください。

                      6月18日 楽しみにしていた学校の野外活動で

                      帰ってこれなかった娘です。

                      母の日にもらったガーゼのハンカチも

                      好きだったバイオリン教室の男子の写真も

                      出てきたのに




                      もうすぐ誕生日

                      お友達が一杯来てくれるのに

                      娘だけが帰ってこれません。

                      身長は私を超えているかもしれません。

                      髪は発表会に向け伸ばしていると思います。

                      笑顔の素敵な子です。

                      誰か娘を戻して下さい。






                                        9/24







■ 2010年11月 事故原因究明の署名活動がニュースで報じられた日の、章南中月命日弔問時(偶然?)

章南中 合川校長: この報道に意見して、 「 (引率した)先生達は傷付いています。」



■ 2010年12月花菜文庫寄贈前

教育長: 「 心を病んだ先生達にエールを送る文を書いてやれ。 」



■ 2011年春  豊橋市教育委員会の月命日弔問時

教育長:  「 章南中の先生達は ボロボロ だ! 」


そして、野外を引率した8人の教員のうち、

重度ウツ病 → 円満退職の校長

娘の転覆したボートに乗船した2人の教師のうち、1人は辞職・1人は小学校に異動

残り3人の教師も、他の学校に異動                      を許した・・




■ 2011年秋   事故情報プレート要望時

教育長・合川校長: 「ボート事故をフラッシュバックさせるプレートは、生徒に配慮下さい! 」 

■ 2012年現在  卒業アルバム検討

 「事故をフラッシュバックさせる内容には、配慮を。」




*****

命を亡くした娘と


かけがえのない娘を亡くした私達への




娘を悼む気持ちも 配慮もない  自分中心の人達に、





必死で真実を見ようと進んでいる 私達の姿は、


     お気に障りますか?



                  私達はいつまで、耐えれば いいのでしょうか  ?  ?  ? 





■ 2010年6/16のままの娘の部屋   ↓  ↓  ↓

                 

12月29日  卒業アルバムなんかいらない

2012-12-29 08:55:02 | 学校に対して
12/28 昨晩の章南中金曜弔問は、教頭と主幹教諭が来て、12/21PTA役員との卒業アルバム内容についての報告だった。

生徒も保護者も娘の写真掲載は望むが、事故をフラッシュバックさせるものは掲載して欲しくない とのことだった。


私:「 同級生の3年間の学校生活の思い出を残すものが、卒業アルバムでしたら、

私達のこの3年間は、事故から、

保護者の方々の力を借り集めた1万6000もの署名と、

生徒の命を守る学校の責任を認めた訴訟の、
                    全国的にも類のない和解文
です。



            親が一人娘の命の意味を問い続けた3年間です


花菜文庫、いのちの日コンサート、事故情報プレートの写真を掲載したいと、先生はおっしゃいますが、

全て私達が学校に、事故の再発防止を求めて、寄贈・実現したものばかりではないですか?

事故のフラッシュバックを危惧するのなら、事故につながる娘の写真掲載は固くお断りします

娘は2ヶ月ちょっとの学校生活の写真掲載なんか、望んではいません!

娘が命を落とした事故の意味を、友達に知って欲しい と。



PTAも含めこの中学は、3年間私達のやってきた取り組みを、何も評価しようとしない!

こんな中学の卒業アルバムに、娘の写真も私達の再発防止への処々の写真掲載も、固くお断りです。


私達の起こした訴訟の意義の大きさは、テレビを始め多くのマスコミに報道されました。

公正な視点の彼らが、裁判所に続き、私達を評価してくれたのです。 」



*****

12/27地元中日新聞記事に続き、12/29今日の朝日新聞記事 



                 浜名湖ボート事故訴訟が和解
                                 「当たり前」に2年4カ月

「生徒の生命と身体の安全を守るのは第1次的に各学校の教職員」。名古屋地裁豊橋支部が示した和解案には「当たり前」のことが書かれていた。学校と教育委員会に認めさせるために一人娘を亡くした両親は2年4カ月も学校や教育委員会と闘わねばならなかった。 2010年6月、荒天の浜名湖(浜松市)で、豊橋市立章南中学校の野外体験学習中にボートが転覆し、西野花菜さん(当時12)が亡くなった。今年10月、豊橋市が事故の責任を認めて謝罪し、再発防止に努めることを約束して同支部で両親と和解した。
 裁判で豊橋市は「(ボート訓練を実施した)三ケ日青年の家すら想定していなかった事故を、専門的な知識、技能をもたない学校側が想像することはできなかった」と主張した。
 「このくらいの雨ならやりますよ」という青年の家の判断に、教員たちは異論を挟まなかった。この点を豊橋市教委は「青年の家にボート訓練は任せていたから、責任はない」と捉えた。父・友章さん(53)と母・光美さんは「どうして生徒の安全を考え、疑問を投げかけなかったのか」との思いが消えない。議論は平行線をたどり、両親に望まぬ訴訟を強いた。
 市教委が心を砕いたのは1人の命が教育現場で亡くなった原因を突き詰めて再発防止を図ることではなく、自らの責任を小さく見せることではなかったか。
 市教委は11年、校外学習の安全確保の指針を公表した。市議会に出した原案には「教育活動は学校の責任において行われる」と明記していたが、公表時には削除。「すべての教職員は留意事項を徹底すべきで生徒の安全確保に不備があってはならない」となった。市教委の宮崎正道学校教育課長は「読んでもらえれば同じ意味で理念は一切後退していない」と話す。
 「再発防止に向けて不断の努力をする」との文言も和解にある。市は和解を受けて校外学習の指針を改訂する方針だが、協議したのは今月に入ってから。指針について見直す年4回の定例の会議だった。宮崎課長は「和解後に特別の対応は取っていない」と話す。「生徒の安全を守るのは学校」という理念で事故直後から一貫して対応してきたと胸を張るが、裁判での主張との矛盾を問うと「答えられない。弁護士に聞かないと」(宮崎課長)
 市教委の対応を見る限り、学校に子どもの命を預かる責任まで求めるのは酷なのだろうか。司法の場での約束をどう生かすか、答えを待ちたい
。(山田雄介) 



*****


        私はこれらの記事を、彼らマスコミからの私達への強いエールだと信じている


12月28日  静岡県5<訴訟終結>

2012-12-28 08:37:41 | 事故後の動き
12/26 主人は日課となっている公共のジムに行くように、13時半からの裁判に出掛けて行った。
静岡県教委との和解を視野にした弁論準備手続きのため、マスコミも静岡新聞高林記者の電話取材のみで緊張はなかった。

12/2 毎週続いている我が家への静岡側弔問に同席した静岡県教委現課長から、県議会承認の状況報告を受けている安心感もあった。

事故から2年半近く毎週弔問を続ける3人と、娘を亡くした私達の気持ちに共鳴した
お利口な静岡県教委 現課長は泣きながら言った。

        「 和解が終わりではないこと に気づきました。」 


12/26無事静岡県教委との和解成立を受け自宅に主人が戻った後、豊橋支局を管轄する名古屋本局?中日新聞記者からの想定外の取材申し込みがあった。

主人:「今日中と言われるなら、19時から来客(異動になったT先生達3人の弔問)があるため、20時からでしたら取材を受けます。」   ↓  ↓  ↓


12/27中日新聞▼


                  浜名湖転覆事故訴訟が終結                                                                                                  遺族と静岡県の和解成立

 浜松市の浜名湖で2010年6月、野外活動中のボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中学校1年の西野花菜さん=当時(12)=が死亡した事故で、両親が静岡県などに損害賠償を求めた訴訟は26日、同県が賠償金を支払うことで名古屋地裁豊橋支部(田近年則裁判長)で和解が成立した。
 静岡県教委によると、賠償額は西野さんの両親と事前に合意している3,400万円。野外活動を実施した同県立三ケ日青年の家の管理運営会社「小学館集英社プロダクション」(東京)と連帯して払う。10月30日の県議会文教警察委員会で和解議案を可決していた。
 静岡県の安倍教育委員長は「事故で亡くなられた西野さんのご冥福をお祈りし、ご両親にあらためておわびしたい。今後も安全対策の徹底と再発防止に一層努めていきたい」とのコメントを出した。
 訴訟は10月、他の被告となっていた豊橋市が事故責任を認め和解。管理運営会社とも、損害賠償を支払うことで和解が成立しており、これで訴訟は終結した。
 西野さんの両親は今月18日、豊橋市の佐原光一市長あてに質問状を提出。再発防止に向けた市の取り組みについて、来年1月25日までの回答を求めている。 
 事故は10年6月18日午後、校外学習中の章南中学校1年生18人と教諭二人が乗るボートが荒天で操作不能となり、えい航中に転覆。生徒らは投げ出され、ボートの内側に閉じこめられた西野さんが亡くなった。




*****
12/20 豊橋市教委月命日弔問時の私と教育長のバトルトークの主因は次の二つだった。

1. 12/18の教育長謝罪内容への批判   2. 2年半経過しても弔問に来ない山川先生への批判

私:「 教育長は山川先生に謝罪の意識が無いはずがない と強くおっしゃられます。
でもいくら謝罪の気持ちがあっても、我が家に弔問にくるとか形として示してもらわなければ、私達には伝わりません!

結果として山川先生には、その先の再発防止も望めません!

私が山川先生の弔問にこだわるのは、
山川先生が娘と同じ転覆したボートに乗船して、学校主任という50代の責任ある立場 だったからです。

野外を引率し一緒に異動になったT先生始め3人は毎月弔問に来て、私と主人といろいろとお互いの状況を話します
山川先生とだけが、
事故のあった2010年6/18から時間が止まったまま、
一歩も前に進めていないのです!





*****
12/21 章南中月命日弔問時、卒業アルバムのPTA役員相談のため、出席できなかった教頭と3年学年主任を除く、
3年の先生達4人と主幹教諭に言った。

「 (お馬鹿な謝罪の意味が理解できない合川校長は

章南中での教育長謝罪で、事故が終わりになったと思っています。


           私達はこの謝罪が始まりだと思っています。


                事故から2年半、ようやく当事者校章南中が、再発防止に動きだす始まりです。 」

12月26日  未来へ4<多くの人へ>

2012-12-26 08:27:37 | 私のつぶやき
昨日新聞に、元章南中平野先生の曲の記事が掲載された。 ▼



2012年春に章南中を異動になった平野先生が、我が家に突然、この曲を持って現れたのは、11/24のことだった。

主人と二人で、曲を聴きながら歌詞を読み、涙しながら感動した私は、 「この曲を誰かに伝えたい。」と強く思い即決した

私:「平野先生のこの曲(未来へ)を、娘の死後2年半に章南中で行われる、12/18の教育長謝罪時に流させてもらっていいですか?」

平野先生にOKを頂き、
早速翌日に平野先生は作曲した東京のヤスさんに連絡を取り、12/18に間に合うように曲のアレンジを急いでもらった。

こうして多くの方の力を得て、12/18の教育長謝罪時に、
この曲は章南中の同級生・3年の先生達に限らず、取材に集まった多くのマスコミに届いていった。


      <まるで打った鐘が綺麗に響いていくように・・・>


12/2には毎週弔問に来る小プロの東海事業所元所長にこの曲を聴いてもらい、
12/16の浜名湖での菜の花キャンドルに流された。 

12/16は衆議院選と重なり、東海地区(愛知・岐阜・三重)の新聞掲載はなかったが、静岡県の中日新聞には、平野先生作詞の歌詞が掲載されたと聞く。


そして12/18、教育長謝罪の件で我が家に取材に来た朝日新聞井上記者に、平野先生のこの曲への熱い想いを話し、そのまま我が家で平野先生に連絡を取り記事となっていった。

      <まるで打った鐘が綺麗に響いていくように・・・>



*****
同級生への教育長謝罪は、12/21の金曜弔問時 章南中主幹教諭がDVDにし我が家に届けられた。

教育長と章南中合川校長の謝罪会見が納められたDVDを、数人の人に見てもらった。

合川校長: 「今日は皆さんのために教育長が、わざわざ来て下さいました。・・・

DVDを観た人達は異口同音に、合川校長が生徒への謝罪に紙を読んでいることを批判した。 ▼



そして謝罪する教育長に終始、敬語を使うことに、笑った!  

常識ある社会人なら考えられない、 自分達の上司の教育長に敬語である・・


私はこの校長の謝罪を見て、
2010年に誓いの言葉を、2011年に事故情報プレートを、2012年に生徒への謝罪を、合川校長に要望してきた自分を笑ってしまった。

元からこの合川校長に謝罪を期待した、自分が愚かだったのだ。

      謝罪の意味が理解できないトップ・・・



*****

       2012年4/17提訴表明 → 10/24豊橋市と和解成立 → 11/16豊橋市長の謝罪


上記の2012年の私達が起こした一連の動きは、

全国で初めて市長が学校の責任を認め謝罪した、意味のある大きな出来事であった。



<<  娘と、  主人と、  
       3人で必死で打った鐘が、 

                              大きく大きく響いていった・・  >>



12月23日 市教育委員会に任せたけれど・・・2<教育長謝罪>

2012-12-23 08:13:33 | 私のつぶやき
12/21章南中月命日弔問は、急遽  卒業アルバムのPTA役員相談で、教頭・3年学年主任が欠席で行われた。
宮崎教育課長(市長謝罪でボロがでないようにした、中島先生写真公開を削除させた)の指示と聞いて、私は嫌な予感がした。
卒業アルバムは生きている94人の生徒の物である。  
命を落とした一人の生徒のことなど、中学も保護者も触れたくないだろう

生徒一人の命を守れなかった中学の責任として、 
                    章南中が事故をどういう形で判断するかが問題だ



*****
12/20豊橋市教委の弔問は、先月の校長謝罪を問う件と同じく、教育長謝罪の件で、私と教育長のバトルトークに終始した。

12/18の教育長謝罪会見後、我が家に弔問に訪れた、同級生と保護者は、次の2点のことを批判していた。
1.教育長の謝罪の中で、事故を引き起こした引率した教師の人生が変わった(辞職・異動)ことをとりあげ(大きく教師は反省している?)、それは生徒への謝罪の席でする話ではないこと。
2.謝罪までに2年半もかかったこと


私:「謝罪会見で引率した先生達の話をしたそうですが、
水野元校長も、我が家の弔問時 『私の見る世界が大きく変わってしまった。』と遺族の前で平気で言いました。
(『私の人生で取り返しのつかないことをしてしまった』とまで)
そこまで深く反省しているから許してくれと言うように。
ボート転覆事故で悪天候の中実施判断をし、
娘の死を招いた責任を、民事(裁判)でも明白に判断された、最高責任者の水野校長なんですよ。

先の海難審判では、ボートの舵を握り辞職した加藤先生が大きく報じられましたが、
早川弁護士は水野校長の偽証についても厳しく論じていました
『事故当日13時半の艇庫での経路確認に、校長はいなかった。』と。

主人は学校事故・事件を語る会の取材をしている大阪のNHKの記者に強く勧められ、娘に支払われた保険の提出文書の開示請求をしました。


中学側の書類 ▼ 

静岡県教委の青年の家提出書類 ▼ 
そこには、水野校長が艇庫で航行経路確認の事実は記載されていませんでした。

教育長:「私が謝罪したのは市長の謝罪があったからではない。
ーーーーーーーーー  」

*****
教育長:「水掛け論になるからもう止めよう。」

私:「刑事が水野さんの再事情聴取(連行して?)に成功したそうです。」

今まで教育委員会まで面会拒否をしていた、
重度ウツ病を名乗る水野元校長を警察が連れ出したことに、    市教委一同驚きを隠せなかった・・

12月21日 未来へ3<市長に質問状・卒業アルバム>

2012-12-21 08:05:31 | 事故後の動き
              先日12/18は2年半前に命を絶たれた、娘の月命日だった。


事故から2年半が過ぎた12/18に、二つのことをした。

    (1)学校側の生徒への謝罪       (2)市長へ和解文の取り組みの質問状提出



***(2)市長へ和解文取り組みの質問状提出***

            12/19朝日新聞 → 

                            豊橋市長宛て
                    遺族が質問状

                                      ボート事故防止策で

 浜名湖ボート転覆事故で亡くなった西野花菜さん(当時12)の父友章さん(53)が18日、豊橋市役所を訪れ、市長宛ての質問状を出した。裁判の和解で市が約束した再発防止策について、現在までの取り組み状況をただしている。
 西野さんの両親は引率教員にも事故の責任があるとして市などを提訴。今年10月24日、 「市が再発防止に向けて不断の努力をする」との内容で市と和解した。
 質問状では①生徒の生命及び身体の安全を守るのは第1次的に学校の教職員だと自覚させるため、どんな取り組みをしているのか②教職員の研修計画と今後の体制―について、来年1月25日までの回答を求めている



                    ▼       ▼       ▼

平成24年12月18日
豊橋市長
佐原 光一 様

                                           西野 友章・光美


                        質 問 状

 日頃は、市民生活の向上や、暮らしの安全にご尽力くださり、深く感謝申し上げます。
さて、章南中学校外学習における浜名湖カッターボート転覆事故につきましては、平成24年10月24日に私たち遺族と和解が成立しました。そのなかで豊橋市は,各学校において,校外学習の実施に伴う安全管理体制及び危機管理体制等について,本和解の趣旨を踏まえた検証を十分行うとともに,今後二度とこのような事故が起こることのないよう,安全指針及び安全対応マニュアルの改定等の体制の整備と,その実効的な運用の確保に最大限努めるとともに,各学校における学校行事,学校教育の場において,生徒の生命及び身体の安全を守るのは,第一次的に教育職員であることを強く自覚し,意識を高く持ち続けるために,研修等に努め,再発防止に向けて不断の努力をすることを約束されました。
この再発防止のお約束を豊橋市長様から、私達遺族をはじめ市民の皆様にお約束頂いて2ヵ月近く経ちます。そこで、お約束いただいた豊橋市の各学校における校外学習の実施に伴う安全管理体制及び危機管理体制等の豊橋市の取り組み状況について知りたく、下記に質問させていただきます。お忙しい中とは存じますが、本質問のご回答期限を、平成25年1月25日までとさせて頂きたく、よろしくお願い致します。

<質問事項>
1.  学校行事、学校教育の場において、校外学習の実施に伴い、生徒の生命及び身体の安全を守るのは、第一次的に各学校の教職員であることを強く自覚させるために、どのような取り組みをしていますか。あるいは計画されていますか。

2.  各教育職員が、生徒の安全に対する意識を高く持ち続けるために、どのような研修を計画されていますか。また、再発防止に向けての不断の努力は、今後どのような体制で臨まれるのでしょうか。

以上、2項目について、ご回答のほど、よろしくお願い致します




*****
12/21金曜弔問

私はそろそろ、夏に話のあった卒業アルバムの、娘の写真掲載方法への回答がある頃だと、章南中に質問する気持ちでいた。

章南中主幹教諭:「卒業アルバムの花菜さんの写真2枚を、(作成途中のアルバムの箇所を指差し)こことここに載せたいのですが。」

私:「 載せる写真って?  私達は夏に教頭に、写真の載せ方を検討することをお願いしたんですよ

    なぜ娘が同級生と一緒に卒業できなかったかがわかるものにして下さい。

    大人になった同級生達が、あの残酷な事故を理解できるものにして下さいと。
  

    娘は交通事故死や、病死ではないんです。

    学校の事故によって 殺 さ れ た んです!  

    娘の写真掲載はお断りします。 
    娘が2010年4月に同級生と笑っている卒業アルバムを見て、
    私達が喜んで見れると思いますか? 」             

主人:「 順番が逆です。     
     どういう載せ方をするか を説明してもらい、どの写真にするかはその次です
    」

期待していたボート事故についての記述は、アルバムにはまるでなかった

普通の学校卒業アルバムにある、2010年 2011年 2012年 の世相が掲載されているだけであった。


*****
12/20市教委の月命日弔問

私:「今私達は、卒業アルバムへの娘の写真の載せ方について 章南中ともめています。

卒業アルバムは各学校の判断で作成されることを教育長に確かめ、章南中との卒業アルバムの見解の違いを説明した。

教育長:「 同じ事故の犠牲者でも、命を落とした西野さんの花菜ちゃんと、同級生とは雲泥の差がある。      
      アルバムを見る保護者も同じ感情だろう。
                 1  VS  94(同級生)       」

主人:「 章南中の卒業アルバムの内容は、市教育委員会に任せます。


*****
2011年11月 事故情報プレートを要望した時と同じだ

            一番大事なことが理解できない章南中

私の被害者意識が強すぎるのだろうか?   私は狂ってますか?   私は間違ってますか・・・

12月19日 未来へ2<教育長謝罪>

2012-12-19 09:23:17 | 学校に対して
              昨日12/18は2年半前に命を絶たれた、娘の月命日だった


事故から2年半が過ぎた12/18に、二つのことをした。

    (1)学校側の生徒への謝罪       (2)市長へ和解文の取り組みの質問状提出



***(1)豊橋市教育長の生徒への謝罪***

下記は謝罪会見に流してもらった当時章南中平野先生の自作曲の歌詞 ▼


                     未来へ(あしたへ)      
                             作詞 Akiko Hiran  作曲 Yasushi Sugiyama

1 君は教えてくれた 生きることの意味を
  僕は何にも考えずに ただ流されてた
  広い宇宙の中で 生かされている奇跡
  君の無邪気な顔が 今もまぶたに残る 

  あの頃は いつも いっしょに笑ったね 

  たくさんの出会いの中で 君と出会えた幸せ
  忘れない 命のバトン 僕がもらったよ
  無数のいとなみの中に 未来は描かれてゆく

  ありがとうを言いたいよ すべての命に

2 いつものように日々は 僕を追い越してゆく
  今は静かな 波打ち際で 1人たたずむ 
  君が去ってゆくとき 教えてくれたんだ
  柔らかなぬくもりが 今もこの手に残る

  夢でもし 会えたら 君に伝えたいよ

  どんなにくじけそうな時や 運命にあったとしても
  前向いて もう逃げないと 心に誓う
  ずっと君の分も僕は 輝いていたいから

  仰ぎ見た空は遠く まぶしくひろがる


  幾千の出会いの中で 君と出会えた幸せ 

  ありがとうを言いたいよ すべての命に

              まだ見ぬ未来(あした)へ  




*****
    12/19朝日新聞 →    

                          浜名湖ボート転覆事故
 
                 豊橋市教育長が生徒ら前に謝罪

 2010年6月の浜名湖ボート転覆事故で、愛知県豊橋市の加藤正俊教育長が18日、市立章南中学校を訪れ、事故にあった3年生92人と保護者に謝罪した。生徒らが受けた心痛に対して初めて頭を下げた。
 事故は同中学校のボート訓練中に起き、教員2名と生徒18名が湖面に投げ出され、西野花菜さん(当時12)が水死した。今でも心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだり、水を怖がったりする生徒がいるという。加藤教育長は「夢や希望がある楽しい3年間を送っていくはずだったが、入学間のない6月18日にあのような事故を起こし、級友を亡くした。死の恐怖まで味わった方もいる。多感な時にあんな事故を起こさせ、改めて深くおわびしたい」と語った。
 PTA会長の大和田昌彦さん(56)は「これが節目となり、子どもたちも新たな道が開ける」。一方謝罪を聞いた女子生徒は(15)は「もっと早く謝罪してほしかった」と話す。謝罪時期について、加藤教育長は「どこかで謝罪したかった。タイミングを計っていた」と説明した




*****
私が2012年6/18の娘の2度目の命日から、半年間要望し続けた学校側の謝罪

ようやく実現されたが、発案者?の遺族の私には、章南中からの12/18の報告は何もなかった

翌日6/19朝 主人は、章南中に問い合わせの電話を入れた。

<1>  謝罪会見は無事済んだか?      <2>   謝罪を受けた生徒の感想は?

電話を受けた教頭:「生徒へのアンケートも考えましたが、保護者から生徒への配慮というクレームが入り、アンケートは辞めました。」


当事者校章南中は、遺族の母親の私が
なぜ生徒への謝罪を要求したかを考えず、  『事故を謝罪で終わり』  にしようとしている


生徒への配慮ももちろん大切だが、一番大切なのは、二度と悲劇を繰り返さないことだ。

事故の犠牲になった生徒の貴重な(15歳の)意見を教訓に、
学校が生徒の命を守る という認識を強化しなければ、ただの謝辞で終わってしまう



            それが卒業していく同級生への最後の教育だ。  



東日本大震災で津波や水が怖い子どもに、逃げる(命を守る)手段を教えなくていいのだろうか?

それが、尊い命を落とした人への、生き残った者の「未来へ」の義務だと思う。

  


12月17日  静岡県 4<菜の花キャンドル>

2012-12-17 08:03:47 | 私のつぶやき
A子さんを含めクラスのみんなは、B君達がC君をいじめているのを知っていました。
内気なA子さんは勇気を振り絞って、クラスの黒板に、
「B君達がC君をいじめている」って書きました。
それを見たクラスは大騒ぎになり、担任の先生がクラスを鎮めるために、
A子さんに黒板の字を消すようにさせました。
騒ぎを知った校長からも、
黒板に字を書いたA子さんが反対に、いじめの標的になることを危惧し、
A子さんが黒板の字を消したことを褒めました。
B君達のC君へのいじめは続きました。



*****
私のブログ 「11/28 盗撮で先生が逮捕されちゃった2」で、
外部からのクレームを受けた豊橋市教委が
中島先生の写真を消すように
私に言った話には、まだ続きがある

12/2 毎週の静岡側弔問に同席した、静岡県教委元課長と現課長に、私は11/28のブログを印刷し感想を求めた。

二人の回答は

私達も豊橋市教委と同じように、中島先生の写真を消すように、お母さんに言います。」

元課長:「お母さんを批判するコメントも公開のままでは、このブログの印象を悪くしています。」


ブログへの批判覚悟で私は中島先生事件を、もう一度「12/4 3年生さんへ」で綴った

批判のコメントは無かった。


12/9 毎週の弔問に来た静岡側に、ブログへの批判が無くなったことを報告した。

私:「何も間違ったことを綴っていない私は、コメントを非公開にはしません。
私を信じて下さい
。」

S社元事業所長:「ボート事故の遺族であるお母さんの住所は、多くの人が知っています。
私はブログ上のコメントに留まらず、実際に被害を受けることを心配しました。」

私のブログへの批判コメントは、俺様コメントではあったが、加害者の人権を心配する心あるコメントだと信じている。
その人達が私に実際に危害を加えたりするだろうか?


*****
12/15 静岡側の弔問は、翌16日の娘を追悼する「菜の花キャンドル」への主人の参加についての打ち合わせであった

娘の吹奏楽部での担当楽器ホルンのキャンドル →  

 ← 日没までの準備段階

私:「私は事故後、
<(事故が起きた)青年の家どころか、浜名湖も一生見たくもない!> と思っています


人間が丸い主人と違って、
娘の命を奪った、静岡県教委と小学館プロを、私は一生許しません! 

            参加しないのは、私の無言の怒りです。

その母親の気持ちを理解して、菜の花キャンドルを催して下さい。


娘の親友さんから娘の像に供えられた花 →  

 ← 花に添えられた「生まれてくれてありがとう」のメモ。


                   


12月15日 期日前投票2<衆議院選>

2012-12-15 08:12:28 | 私のつぶやき
12/9は主人に期日前投票に連れて行ってもらった。        

11月の豊橋市長選の時同様根本候補者(市長選では、佐原現市長)に、反対票を投じるためだ。

昨日12/14朝日新聞社会面に、目を疑う佐原市長の記事が掲載されていた。  ▼
                         

                    当選したら会いましょう
愛知県豊橋市東七根町の「佐原園」では贈答用のコチョウランがハウス内を白く埋め尽くし、出荷を待つ。
 豊橋市は国内有数のコチョウラン生産地。佐原光一社長によると、当選の祝いや組閣後の大臣就任祝い用に、すでに600鉢以上の注文を受けた



*****
投票前に愛知15区に立候補する根本候補の主張をいろいろと読んで行った。 ▼
 「 豊橋市議を昨年春まで努めた後、立候補の準備に専念してきた。ようやく迎えた衆院選に、「はいつくばって地域に根ざしてきた」と自信を深める。        -----                 」 
地域に根ざすって、去年の春から貼り放しの地域の景観を損ねるポスターの乱立のこと? ▼                                 

衆院選告示後に貼り直されたポスター → 

2010年6/18 章南中学のボート転覆事故が起き、9月の豊橋市議会でも我が家に事情を聞きにきた、各市議から質問が出された。

娘と同じ小学校出身、中学出身の根本市議の同級生の保護者から聞いた根本市議の様子。
「 今は事故のマスコミの騒ぎが大きすぎて、9月の市議会での質問は控える。 」

2010年秋の原因究明の議会請願に、事実上不採択の決定をした自民党根本市議


*****
2010年年末、私が深い悲しみの中、
                  魂をこめて作った喪中ハガキを、
抗議の気持ちを込めて根本事務所にも送った
 ▼
                

根本幸典からの返事は来るはずもなかった・・・


                 根もとがブレていてのブレズでは 始末が悪すぎる!

12月13日  隠ぺいする校長  2<折り込み情報誌>

2012-12-13 08:06:52 | 学校に対して
朝日新聞12月の折り込み情報誌  ▼

         

■教員研修は十分なのか

 豊橋市立章南中学校の教諭が11月12日、女子高生のスカートの中を盗撮した疑いで逮捕された。章南中といえば、2010年の浜名湖ボート転覆事故で、1年生の西野花菜さん(当時12)が水死している。佐原光一豊橋市長も遺族らに謝罪することになり、市を挙げて信頼回復に取り組んでいる、と思っていた。その矢先の不祥事だった。
 翌13日、加藤正俊教育長が記者会見を開いて謝罪し、 「とりわけ章南中学校の教員であり、重く受けとめている。学校の再生に向け一丸となってがんばっている中、心から申し訳ない」と語った。
 この教諭は、今年8月に市教委が主催した不祥事防止研修を受けたばかりだった。これには盗撮防止の内容も含まれるという。警察への取材では、教諭は「8月ごろから始めた」と供述している。市教委の担当者は、「研修が心に響かなかったのかな」と話した。
 ボート事故では、佐原市長は10月の謝罪会見で、再発防止に向け教員研修を行うなど「不断の努力」を約束した。同席した加藤教育長は「すでに教員のリスクマネージメント研修などを追加して取り組んでいる」と強調した。だが、本当にそれで十分なのか。研修が教員の心に響いているかどうか、しっかり検証する必要があると感じた。




*****
先日、毎月我が家に来て頂いている刑事さんに、今月も来て頂けた。

刑事:「捜査の方も9割がた終わり、今は書類送検に向けての、膨大な書類のコピーに追われています。」

と言われ、送検の月も教えて頂いた

水野元校長への再度の取り調べも済み、静岡側3人への再度の取り調べも進んでいるようだ。
(毎週弔問に来る静岡側3人からの談)

2年半が過ぎ、ようやく動きがみえてきた警察。 

12月10日  未来へ(あしたへ) 1<曲のいきさつ>

2012-12-10 07:58:24 | 事故後の動き
                           

今回のいきさつ

 私は章南中学校で、平成22年度、23年度 非常勤講師として家庭科を教えていました。正規の職員と違い、授業の時間だけ行くのが私の仕事でした。
 本年度は、章南中学校の学級数増と支援学級ができ、正規の家庭科の先生の配置になり、私は今の3年生と一緒に卒業したかったですが、残ることができませんでした。

 家庭科は、週に1回しかない授業で、4月5月は何かと授業もつぶれて、当時花菜さんに数時間しか授業で教えることしができませんでしたが、運針のテストの時や、休み時間に接した時に、誰よりも丁寧で手先が器用で、ご家族にこれからいっぱいお料理を作ってあげたいと話してくれたことをはっきりと覚えています
 花菜さんの葬儀の際に、お父様と直接お話しする機会があり、その際私に、「生徒さんたちが悲しんでいるから、授業で楽しい話をいっぱいして、みんなを笑わせてあげてください。」と言われ、お友達の心配をされる、心優しい方だと強く思いました。そのお父様の気持ちに答えたく、授業を楽しく充実した時間にしようと2年間努力してきたつもりです。生徒に対して、授業内容以外でも、心配のあまり口うるさしことを言ってしまうことがあり、うまく思いが伝わらなかったこともあったと思います。

 私は大学の時に音楽サークルにいたので、音楽が大好きだった花菜さんにちなんで、「命の日」をもっと大切なものにしてほしいと思っていました。例えば生徒が書いた詩で歌を作ったりして、後々までも意思が引き継がれるような歌ができないかと常々思っていました 
 当時の生徒が3年生になり生徒会の中心になった時に発起して、みんなで詩を書き、いつでも歌いつがれるような歌を作ることは可能ではないかと考えていました。しかし3月も残すところ後1週間の所で、正規の職員が来ることが決定になり、私が章南にいられないことがわかりました。
 そこで、急遽私が歌を作り修了式の日に、全校生徒の前で、弾き語りをしました。こんな風に歌をつくることができるんだよという、メッセージを秘かに込めたつもりでした。
 章南を去った私は、もう何もするすべはないとあきらめていました。


 この夏に大学の時の音楽サークルの友達と同窓会があったときに、その話をしたら、時期がきたらできるかもしれないし、何かあったら手伝うよと言ってくれました。その友達は、現在プロのジャズピアニストで、作曲家のヤス・スギヤマさんです。

 
 その友人と、約1か月前に、もう生徒の詩を集めることはできないけど、私が詩を書いて作ってみようということになり、章南中の3年生に、花菜さんの分も輝いて生きていってほしいという願いを込めて詩を書き、メロディーや伴奏を考えていただきました。スギヤマさんから思い切ってレコーディングをしようと言われ、曲は打ち込みで、お仕事仲間の方に作成していただき、12月15日に上京し、友人のボイストレーナーの方に歌っていただきました。
 私が初めて書いた詩なので、だめな点も多々あると思います。
でも、多くの人に命の大切さを考えていただけるように一生懸命に考えました。
 たくさんの人にきいていただけるように、花菜さんへの思いと東日本大震災に共通する内容の詩にしました


 できることなら、もっとバイオリンなどの生の楽器を増やして、多くの人に聞いていただけるレベルまで作りあげたいと考えています。
 でも、この歌がご両親に不快な思いをさせてしまったり、気に入っていただけなかったら、表に出すことは考えていないので、今は未完成なものですが、一度きいていただきたく思い持ってきました。
 
                                                平野明子


        ↑     ↑     ↑
上記の文面とCDを持って、平野先生が来たのは、11月27日だった。
1週間前に突然平野先生からの電話が入り、今までうちに来たかったが、(2年半近く経ち)ようやくうちに来る気持ちが固まった、という内容だった。

毎週の金曜弔問に来る章南中先生の顔は知っているが、「家庭科の平野です。」と言われても、すぐには思い出さなかった。

ただ、
2010年6月に事故が起き、4月5月と娘が家庭科で運針を習い、途中になってしまったマルA評価の運針が中学から届き、綺麗に装丁された運針の台紙には、平野という名前と娘の様子を綴ったメモが残っていた
      

その台紙の先生が、今年よその中学に異動になり、うちに弔問に来るという。

11/27 19時に予約通り現れた平野先生。
うちの祭壇のある和室に座るなり、聴いてもらいたい曲があると言われ、祭壇の横に置いてあるオーディオデッキから、平野先生自作曲のCDを聴いた。
家庭科の先生からの、突然のCDを聴きながら、平野先生作詞の歌詞を読み、主人と私は涙が止まらなかった。

平野:手入れの必要な花壇などはありますが、
ずっと花菜さん(の生きた証)をみんなの中に残すには、花菜さんを唄った曲がいいかと思いまして。
本当なら、生徒に唄ってもらいたかったんですが


私:素晴らしい曲を頂き、ありがとうございます。
私はなぜ章南中の現場の先生達から、事故を風化させないようにする声が出てこないのか、とても不満でした。
ようやく平野先生から形として頂き、嬉しくて仕方がありません
12/18に章南中で教育長の謝罪の式が行われます。
急ですが、その式で平野先生の曲を流してもよいでしょうか

翌日早速平野先生は、作曲した東京のヤス・スギヤマさんに連絡を取り、ギターなら(当初はバイオリン)曲に組み込んで急いで12/18に間に合うよう完成できるという返事が入った。


*****
実は私も平野先生と同じように、時間が経っても形として残るものを考えていた。

12/4夕我が家に来た教頭に、花菜の樹(記念樹)を外から見れる場所に植樹して欲しいとお願いしたのであった。
12/7の金曜弔問に来た先生が、早速見せてくれた候補の樹の写真3点は「なんじゃもんじゃの木」を先頭に、私のイメージの花ではなかった。
桜ほど華やかではなく、新入生が入学して来て少し落ち着く4月末~5月に咲く花
その花が植樹された理由を話し継いてもれるように、私は ハナミズキを考えていた。
娘と6年間バイオリンとピアノのレッスンに通った町、娘が幼稚園年少まで過ごした町で、街路樹として咲いていた花 
花水木
。       


*****
2012年も12/16に浜名湖で行われる菜の花キャンドル。  
その時にも平野先生の「未来へ」の曲が流される話が進んでいる。

12月7日  同級生の前で娘に謝って下さい 5<同級生への謝罪>

2012-12-07 08:53:21 | 事故後の動き
今日の朝日新聞三河版 ▼


                   死亡女子生徒の同級生に謝罪へ
                              ボート事故、豊橋市教育長

 2010年6月の浜名湖ボート転覆事故から2年半になる今月18日、豊橋市の加藤正俊教育長が市立章南中学校を訪れ、事故にあった3年生94人に謝罪する。
 事故では、同1年生だった西野花菜さん(当時12)が水死。同時に湖面に投げ出された同級生もいる。市教育委員会によると、加藤教育長は、卒業を控えた3年生に悲しみや苦難に直面させたことを謝罪し、今後を激励するという。
 事故をめぐっては、佐原光一市長が11月16日、西野さんの両親にあって謝罪した。加藤教育長が同級生らに謝罪するのは初めて




*****
12/4夕 同級生と保護者への謝罪の学年集会プリントを今日配布したので、
教頭から今から持って行くと、突然の電話があった。                          

私は驚いて、11/30金曜弔問時と12/3夕の昨晩も、主人から教頭に同じ質問をしてもらった。

主人:「私達が要望した和解文のHP掲載の話はどうなっていますか?

 家内は債務不履行(和解文にある再発防止の取り組みを豊橋市内全中学で行う)で、裁判所に訴えると言ってます


章南中HP掲載の要望の話は、

10/24民事訴訟により市との和解成立→豊橋市教委が校長会で全校長に和解文配布→11/26市長謝罪


 ↑ 以上の動きを受けても、何も当時者校の再発防止の動きがない


11/2金曜弔問時我が家:「合川校長の和解文への見解と取組みの、文書提出をして下さい。」

しかし1ヶ月近く過ぎても、合川校長から文書提出は無く、11/30金曜弔問時に期限を区切った

私:「12/3までに文書の提出をもらえないのなら、
12/7の金曜弔問時までに
、和解文HP掲載をお願いします

章南中の現HP掲載2012年行事予定表のような、字が小さくて読み取れないものではなく、
閲覧した方が楽に読み取れる大きさの形で掲載願います。」


12/3夕交換ノートを取りに来た教頭:
合川校長の文書はありません。HP掲載は今市教委に確認中です。」


12/4夕に学年集会のプリントを持って来た教頭に、再度期限をつけたHP掲載を問い合わせた
教頭:「合川校長は先ずはこちらに来て謝罪したい と言っています。」

玄関での教頭と主人の話し合いが終わり、まだ私達に言葉だけの謝罪をしたいと言う校長。

中島先生の盗撮事件の時と同じく、教育長まで登場した生徒への謝罪日決定に和解文の回答どころじゃないと言うの?

呆れた最高責任者の姿に、私は愕然とした


私の神経難病が、ストレスで大きく再発した場合、寝たきり状態どころか、
呼吸できなくなって死亡に至る不安から
校長を拒否したことを知っているはず

合川さんが章南中校長に就任して2年間以上、私が小さな再発を繰り返し、免疫抑制剤服用(自己免疫異常のため)で1ヶ月はマスクをしていた私の姿を見たのは、1回や2回じゃなかったはずだ。



 母親の私まで殺すつもりなの ?

12月4日  3年生さんへ

2012-12-04 07:46:23 | 私のつぶやき
3年生さんへ


章南中愛に燃える君にコメントをもらって、
私のブログは、君の辛さや悲しみのお悩み相談室ではありません と放っておきました。
でも、
15歳(14歳?)の人間形成に一番大事な時期の、
君の大切な時間を使ってまで、私のブログにコメントを入れてくれた君に、私のお答えをしたいと思います。

もし、中島先生が殺人事件で逮捕され、新聞・テレビに報道されていたとしたら(盗撮では実際に報道)、君は新聞社やテレビ局に、自分が塾で話題になって辛かったことや、その記事を見て(読んで)悲しかったことに、抗議を入れないと思います。

それは世の中で一番大事なものは命だと理解しているからです。

君やこのブログを閲覧した方達の多くは、盗撮という犯罪を大きなものととらえず、反対に写真公開をした私を攻撃しました。

中島先生は11/13に警察に現行犯逮捕をされ、11/22に釈放されたと聞きました。
忙しい日本の警察が10日間もかけて、余罪等を調べていました。
それは、盗撮がエスカレートして、それ以上の悪質な犯罪や殺人に変わった時、
国民・県民・市民の命を守る責任と未然に防ぐ責任が、警察にあるからです。

釈放された中島先生は、少なくとも3ヶ月の停職処分を受けました。

これも、教育委員会が生徒を守る教職という教師の責任を、重く受けとめた処罰です。


*****
私はなぜボート事故の被害者である君達から、ひいては章南中愛に燃えるOB達から、章南中が招いたボート事故を究明しようとしないのかが不思議でした。
忘れさせよう、隠そうと章南中自体が、事故の隠蔽に必死でした。

一歩間違えれば、
花菜だけでなく、君達、そして転覆したボートに乗船していた18人全員が命を落としている可能性は大きかった。

二度とこのような悲劇を起こないためには、第2の犠牲者が出る前に早急に、
なぜ事故が起きたかの真実を明らかにし、事故を防ぐ解決をしていく必要があります。
娘を亡くして混乱していた私達を、章南中の事故に疑問を感じ、再発防止のための原因究明に走らせてくれたのは、
真剣に中学を心配する、君のお母さんとお父さん達(多くは章南中OB)です。

それでも事故の原因は一方的に、野外活動を実施し、えい航した青年の家にあるとする中学。

私達はそれを裁判までして、
事故の責任は中学にもあること・生徒のいのちを守るのは学校の責任であることを、はっきりさせました
(これは全国的にも画期的な裁判所の判断です。)

君達の中学は、合唱コンクールでの課題曲の歌詞の説明には力を入れても、
君達が実際に被害にあった事故の、裁判所が出した結論(和解文)を、君達に教えようとはしません
それは中学の非が大きく論じられた、章南中の恥だと思っているからです。



最後にもう一度、


                    一番大事なものは命です




*****
このブログにコメントをくれた、「真実」と「解決」を遠ざけていると、真剣に考えている壮明な中3の君なら 君の判断をすることを信じています。
そしてこのブログが間違った方向に進まないよう、私のブログや君を守ってくれる、優しく温かな方達の大人のコメントを信じています。

                                             西野  光美

12月1日  怒りを持って綴ります

2012-12-01 07:58:16 | 私のつぶやき
     娘を奪われました。   二度と帰ってきません。   奪った人たちの対応に怒りが募ります。


                        怒りのメゾフォルテのスタートです。

                                               2011-07-31


新たなブログを立ち上げました。

娘を奪った人たちへ怒りを持って綴ります。
 




*****
2012-11-13
11/12に盗撮で章南中校務主任の先生が逮捕された記事が報道され、13日午前中には生徒を前に学校からの説明が行われ、
帰宅した同級生から娘の携帯に送信されたメールは、ひとことだった。

            <2年前と同じ  信じられない先生達> 

私は心配になり、以前その生徒さんに教えてもらった彼女のアメブロを閲覧した。

「先生達は信頼回復のため頑張りますので、信じて下さい。」と言われ、
「信じられる訳ないじゃん!」と綴っていた。

彼女の自分のブログ上での叫びはもっともだと思った。

「先生達は信頼回復のため頑張ります。」  それだけでいい。
後は先生達の頑張る姿を生徒に見せ、信じてもらうしかない。

平気で生徒を前に、「信じて下さい。」と言う章南中学教師の姿に、疑問を感じた


*****
2012-11-20 市教委月命日弔問時
豊橋市教育委員会課長から
「お母さんのブログに中島先生の写真が出ていて、消すように、教育委員会にクレームが入りました。」
クレームを穏便に解決しようと、何が一番大事かの判断もできず、
「中島先生にも家族があります。」を理由に消させようとした教育委員会の姿に

全国各地で問題になっているいじめ自殺への教育委員会の反応同じ構図を感じた。

写真公開に対する私の人格否定やブログ批判のコメント、教育委員会へのクレームよりも、
そのことを隠ぺいしようとする市教育委員会の姿に、
                      私は怒りの火がついた
 
中島先生も女子高生の下着を盗撮し現行犯逮捕されれば、自分の家族を苦しめる想像力があっての犯行のはず

            <2年前と同じ  信じられない先生達>


*****
2012-11-27夕 章南中金曜弔問のノートを取りに来た教頭から

合川校長は「和解文と違うことを書くといけないので、提出できない。」と言っていると言われ、

主人:「それは学校の問題です。」
違うことを書くか書かないかは、校長の和解文の読解力の問題。

生徒が読書感想文の提出を求められ、
「規定の字数制限をオーバーするといけないので、提出できません。」 と言っているのと同じ。

            <自分で判断ができない先生達>


*****
2012-11-30夕 章南中金曜弔問
私は弔問に来た二人の先生に合川校長の手紙(和解文への見解)の提出について、再度訊いた。

主幹教諭:「合川校長は先に、ご両親の元に来て謝罪したい と言ってます。」

主人:「私達が欲しいのは密室での謝罪じゃないです
謝罪ならもう市長にしてもらいました。
裁判所の和解文にも記された、事故の再発防止への学校の取組みが知りたいのです。」

先生達との話し合い?が途切れ、
私:「ところで、中島先生は釈放されんですか?」


2012-11-30夜

11/22に釈放された(現在は停職処分)ことを知った私は、中島先生の写真を消した

市教委への怒りはあっても、「釈放されてペナルティーを受けた時点で写真は消すつもりでした。」と言った

               <自分の言葉に責任>を持っているから!



*****
2012-11-29 
闇サイト殺人事件で、殺害された磯谷利恵さんの母親(名古屋市)が、
三重県津市の犯罪被害者支援の集いで講演をする新聞記事を読んだ。
その記事の中で母親の冨美子さんが、一人娘の利恵さんに

   「知っているでしょ、お母さん強いって」

                        一人娘を亡くした私に、重く響いていた・・