怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

10月31日 2年4ヶ月一緒に怒り続けてくれる人達

2012-10-31 08:41:41 | 私のつぶやき
今も一人っきりになると、娘を想い、涙で一日数回壊れそうになる私。
立ち直れなくなりそうな時は、
「もうすぐ、山田さんが(取材に)来てくれる。井上さん、池内さん、高林さんが来てくれる。」って自分に言っている。


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佐原豊橋市長の24日の和解翌日の謝罪会見を受け、多くの記者から1週間も過ぎた
<遺族への直接の謝罪日>
を問い合わせる電話やメールが頻繁に入ってくる。

その日々の中、先日隣県の静岡新聞の若い高林記者が取材に来た。
2年4ヶ月前の事故発生当初から異動にならず(2人しか残っていない)、章南中の事故を追及してくれる記者だ。
一本筋の通った、丁寧な取材姿勢の彼が、

「今日は(愛知・岐阜・三重の東海3県では)手に入らない25日の静岡新聞を持ってきました。」
    ←新聞の1面に大きく掲載されていた私達の記事。

                   私は喉の奥が熱くなるような気持ちで泣きそうだった。

市長が遺族の都合がつかない と嘘を言って(私達は誘われてもいない)、翌日勝手に開かれた
報道用の謝罪会見


もうこれで刑事(書類送検?)まで、事故が忘れられてしまうことを心配する私に、
「僕達は忘れません!」 と言われ、私は自分を恥じた。

この事故の責任を認めてもらうまで、私達は2年4ヶ月もかかった、と思っていた。

でも、この2年4ヶ月もの間、仕事とはいえずっと私達の動きに注目し報道し続けて、私達が間違った方向に煽られないよう
支えてきてくれたのは、カメラマンも含め取材陣彼らマスコミである。


そして 「また 取材に来させて下さい。」 と言って帰って行った彼。


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朝日の山田記者(今は名古屋支局)の2010.9/22の記事→


          
          


←中日の池内記者の名古屋異動前の2012.7月の最後のコラム
若い池内記者には2010年の文庫寄贈の記事内容に私は怒り、上司を連れてスーツ姿で誤りに来させたこともあった。
彼が供えてくれた娘の楽器のプレゼント→


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昨夜は朝日の井上記者が、市長の謝罪会見の取材に来て、読者からの私達への温かい手紙も受け取った。

「 わざわざ80円も払って、8/25の朝刊を見た読者の方が、私達に応援の手紙をくださる。 」と言って喜んだ私。

井上記者が帰り、もう一度手紙を見ると、
震災寄付のプラス20円の切手であった。


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なぜ、みんな、こんなにも、2年4ヶ月も前の事故に、

私達のために、熱くなってくれるんだろう・・・

                        感謝で、       泣いている自分がいる