怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月31日  海難審判 2

2012-08-31 09:12:35 | 事故後の動き
昨日主人は、横浜での海難審判を傍聴に、豊橋駅7時発の新幹線に乗るため、早朝に出掛けて行った。
    

先日、血の通った供述調書を見せてもらい、川崎で単身赴任が終了した主人に一刻も早く歩き出した花菜を見せたくて、不自由な私が車で走った横浜。


*****
横浜の海難審判での様子を、「すごい報道の数です。」と主人からメールをもらい、涙が止まらなかった私。

      ←今日の新聞

                  浜名湖転覆事故
                       「教諭にも原因」       施設側、海難審判で

 浜松市の浜名湖で2010年、愛知県豊橋市章南中学校の1年生らが乗った手こぎボートが転覆し、西野花菜さん(当時12)が水死した事故で、ボートを引航したモーターボートを操船していた「静岡県立三ケ日青年の家」の壇野清司・前所長(54)に対する海難審判が30日始まった。
 刑事裁判の検察官に当たる理事官は、風雨が強まってボート内に水がたまり、船体が左に傾いたと指摘。前所長が、ボートのかじを取っていた男性教諭に適切な指示を怠り、教諭が漫然とかじを操作したため、さらに船内に水が入り込み、転覆したと主張。壇野前所長は、浜名湖での実験結果などを証拠として提出。「転覆事故に船首が右に向いたのは、ボートが左に傾いた際にかじを取っていた教諭が(かじを左に切るように)無意識に手を押し出したため」として、教諭のかじの操作にも原因があると指摘。そのうえで「学校側は専門の業者や施設を利用した場合でも、自らの判断と責任で安全を確保すべきだ」と主張した。
 次回の審判は9月26日に開かれ、かじを取っていた男性教諭らが証人として出廷する。傍聴した花菜さんの父、友章さん(53)は「学校も転覆原因に大きく関わっている。娘が死んだ原因を掘り下げることが重要だ」と話した。
 



*****
学校の責任を問い続けた私達に、豊橋市議会への請願も不採択され、1月に発表された国交省の調査報告も学校の責任は問われなかったこの26ヶ月

カッター事故で国が海難審判を行うのは初めてと、夕方の地元テレビは大きく報道していた。

そしてドラマで見るような学校の責任を問う法廷での駆け引きを傍聴した、主人がようやく、


                           「一歩前進」  と・・

8月30日  幸せな話にしないで 3<供述調書の再確認>

2012-08-30 06:48:42 | 学校に対して
8/24の金曜弔問は、陰で残念なツートップと呼んでいる、自分の娘の自慢話?を遺族に平気でする教師二人が来るという連絡で、心配した?教頭も同席だった。

教頭も来るということで、8/17の月命日に言われた、卒業アルバムへの娘の写真の載せ方について質問した。

案の定、楽しい雰囲気で写真を載せたいという回答。

事故への再発防止も何も具体的に動かない学校に対し、事故情報プレートを遺族が要望した時も、生徒への配慮?からか、ボートの写真のない楽しいプレートを作成しようとした学校。


「 私達遺族は この学校に娘を殺された と思っているんですよ!  

  その学校の卒業アルバムを私達親は、見る気もしない!

  平気で <組織として謝罪はできない。> という学校長のいる中学

  同級生の生徒達に、なぜ同級生が命を落とすことになったかを、伝えるものにして下さい。

  卒業アルバムは成人した同級生達だけでなく、保護者も見る。

  その点を考えて作って下さい。               」


いまのままでは、遺族無視の、同級生達のために、学校の幸せな話として残そうとしているアルバムにしか、思えない。
娘の大好きな友人達と卒業させてやりたいが、この中学から卒業させたいとは思わない。


            「 15歳はもう理解できます。   真実を伝えるアルバムにして下さい 



*****
28日に事故を担当する、信頼の刑事さんが今月も来てくれた。

私達の供述調書を持って。

事故当時「娘の生い立ちと事故への思い」を涙で綴った調書を、この26ヶ月毎月私達の思いを聞き、その後主人が辞職した気持ち、民事に持ち込んだ思いを加筆して。

「 委託先施設長が命をなげうって、ボート下に飛び込み生徒を救助したのに対し、

  生徒の命を守ろう ともしなかった教師達。  

  生徒の命まで施設に預けた学校。 
 
        」

検事の判断でこの時期に遺族に見せた供述調書。  
主人が涙で汚さないよう名前に印鑑を押すのを見ながら、私の口からは

「   (私達の思いをしっかり受け止めてくれる)N刑事でよかったです。  ありがとうございました。  」

サプライズな供述調書を主人と読みながら、今まで押し殺していた涙えを初めて刑事に見せた私達。

最後にいつも通りのきれいな真っ直ぐの姿勢で焼香する刑事さんが、初めて声を発せられ、


      「     花菜ちゃんに  供述調書まとめたよ、 と伝えましたから     」


  

8月27日   教育現場への不信感 2

2012-08-27 08:40:44 | 事故後の動き
昨日の名古屋でのシンポジュウムで、多くの方に主人の事例報告を聞いてもらえたと聞き、安心した。

                              

                            「浜名湖ボート事故直後、報告一切なし」
                                学校・教委の問題点
                                遺族がシンポで語る

ーーーーーーーーーーーーーーー(略)-------------
 2日目のこの日は東海地方であった事例を遺族が報告。浜名湖での野外体験学習中にボート転覆事故で亡くなった豊橋市章南中学1年生の西野花菜さん(当時12)の父。友章さん(53)らが体験を語った。
 友章さんらによると、事故後に学校から両親への報告は一切なかった。両親が要望した結果、事故から半年後に引率していた教諭かに質問できた。学校からは別の機会に「先生たちも傷ついています」と言われたといい、友章さんは「遺族に対する心ない言葉に傷ついた」と述べた。
 友章さんは、豊橋教育委員会が公表した再発防止策についても「事故が起きましたで終わっている。なぜ起こったのかの検討がない」と指摘。「事故の翌日から学校教育は動いている。再発防止を訴えても『検討します』を繰り返すだけ。世間のスピード感と違う」と訴えた。
 豊橋市などに6829万円の損害賠償を求めた訴訟では裁判長が和解を提案している。友章さんは「豊橋市は今まで『関係ない』と言い続けてきた。まずは責任を認めて謝罪してほしい」と述べた。
 同会代表世話役人の内海千春さんは「学校側から進んで報告がないこと遺族へのケアがないことは表裏一体。そのことがさらに遺族を傷つける」と指摘した。
 



*****
うちが事故の真相究明を市議会に求め、署名活動を始めた時、娘の月命日の弔問に来た市教委の当時課長だったS課長(現在は中学校長)から、

「教育委員会には以前から批判的な集団が多くいる。
 その集団の署名も入るというのは、(純粋な署名とは言えず)いかがなものか?   」 
と、暗に止めろと言わんばかりのことを言われた。

そして翌月の市教委の月命日の弔問時には突然、うちの署名活動の動きを探り?にか、初めて副市長の弔問を受けた。  (豊橋市長の弔問は、葬儀も含めていまだにない。)


                      どこを向いているのか?    市のトップ達

8月26日  教育現場への不信感

2012-08-26 07:48:09 | 事故後の動き
昨日から名古屋で開かれている「第三者委員会」のシンポジウムに招かれ、うちの事故の事例報告のため、今朝早くから主人は出掛けて行った。

            うちの事例が何かの役にたてばと、娘の石(遺骨)をしのばせて。

2日前の「弁論準備手続き」の合間をぬって、レジュメをせっせとまとめていた主人。

花菜ちゃん、全国の学校事故・事件で子どもを亡くした親御さん同様に、お父さんも頑張っているよ。


                     「学校事故・事件を語る会」事例報告レジュメ
                                                  2012年8月26日
                                                  報告者:遺族代表 西野 友章

                         ~豊橋市立章南中学校浜名湖カッターボート転覆事故~
発生年月日:2010年6月18日
発生場所:静岡県浜松市浜名湖
■事故概略                         
豊橋市立章南中学校1年生の野外活動で、えい航中のカッターボートが転覆し、私の娘、  西野花菜(当時12才)が亡くなりました。
これは自然体験学習において、学校が正課の授業として企画し、生徒が力を合わせてカッターボートを漕ぐことで規律・忍耐・協力の精神を培うことを目的に行われました。
カッター訓練は、専門施設である静岡県の指定管理者として三ケ日青年の家が実施しました。引率先生は校長を含め8名、生徒は96名でした。出港前には、大雨、雷、強風、波浪、洪水の各注意報が出ており、荒天の中、3か月前までは小学生だった子どもと経験のない先生だけのカッターボートは湖に出て行きました。生徒は初めてオールを握りました。校長と養護教諭はハーバーで見送っていました。出港時点での雨量は1時間に24mm(国交省調査書より)で、これは土砂降り(気象庁)の状態です。出港から20分後には、私の娘が乗っていたC艇は、船酔いにより漕ぐことができなくなりました。そして、レスキュー艇で曳航途中に転覆し、先生2名と生徒18名は全員が落水し、湖面に投げ出されてしまいました。先生方は先に陸に救助されています。
転覆から2時間半後にボート内で私の娘は心拍停止状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。この転覆事故は、リアルタイムで全国に放映され、各新聞に大きく報道されました


■事故関係者の行動
静岡県と三ケ日青年の家を運営している小学館集英社プロダクションは、いち早く責任を認め謝罪し、事故原因と再発防止に取り組む姿勢を見せ、私たち遺族に対しても誠心誠意の対応を見せて頂きました。しかし、豊橋市は、事故当初から、静岡で起きた事故とし、むしろ我々も被害者なのだと言わんばかりの受け止め方でした。
事故当時の新聞に市幹部のコメントとして「この事故は修学旅行中、列車事故にあったものだ」との記事がありました。この考えが、事故の真因だと感じました。市長を含め教育委員会全体がこの感覚でこどものいのちを預かっているのであれば、改めさせないといけないと強く感じました。


■私たち遺族の活動
事故から4か月経っても何の説明もしない豊橋市に対して強い怒りと不安を覚えました。
「なんの落ち度のない娘が、なぜ死ななければならなかったのか。どうしてもその理由が知りたい。」との思いで、2010年10月12日、市長に事故原因の事実関係を調査するように要望書を提出しました。
以下は、その当時要望書に私たちの思いを書いて市長に渡したものです。
*************
今年6月17日の朝、「行ってきます」と言って、章南中学校に行った私たちの娘、花菜は、翌18日に 二度と帰れなくなりました。あれから4ヶ月近く経過した今でも私たちは、娘が亡くなった現実を受け入れることができずにいます。どうしてなんの落ち度もない娘が、学校教育の場でいのちをなくしてしまったのか、悲しくて悔しい気持ちでいっぱいです。
今、私たちに何ができるのか、何をしなければならないのかを考えた時、12歳の若い尊い命がなぜ失われることになってしまったのか、その原因を明らかにして、このような悲しい出来事を二度と繰り返さないようにすることだと考えました。また、こどものいのちを預かる学校教育の責任は、非常に重い事を再認識してもらうために、力を尽くすことだと思いました。豊橋市におかれましては、今教育の現場でどんなことが行なわれているのか、どこに問題があったのかについて徹底的に調査をしていただき、豊橋市の学校教育が安全で安心なものになるよう対策を講じていただくことを切望します。
4か月近くたった今も、事故の原因も花菜が亡くなった事の真相も何も知らされておりません。しかも未だ、具体的な対策が講じられていないと聞きます。1日も早く生徒たちが学校に信頼を置き、将来に向かって勉強に励み、また健やかに中学生活を送ることができるよう、親が、自分の命より大事なこどもを安心して学校に預ける事ができるよう、次の事項を強く請願します。皆様の温かいお力をお貸しください。
*************
 失意の中にいる遺族が要望書を提出しないと、まったく動かない豊橋市に対して強い憤りを覚えました。これは事故から4か月経った時の私たちの思いですが、今ではさらに市に対して、教育委員会に対して、学校に対して不信感は強まっています。要望書提出から1か月後に、市議会に対し、17,000人以上の署名を添付し原因究明と再発防止を求め請願書を提出しました。しかし市議会からは、「趣旨採択」というグレーな結果でした。また市長からは、「この事故は静岡の問題、静岡県警に協力する」の立場を堅持するに止まり、自分の市のこどもが学校教育の場で亡くなったにも係らず、市長は主体性のないままでした。
私の娘は豊橋市立の学校に通い、正課の授業中に先生の言われた通りにして、いのちを落としてしまったのに、そこの首長とそれをチェックする議会の対応に大きく失望しました。それでも私たちは、娘の死を無駄にしたくないとの一心で、4回にわたり、市教育委員会に、この時、この場面で、誰が、何をしたのかの質問状を送って、回答のやり取りをしてきました。その中でやはり、市教委は、「私たちは、静岡から不良商品を買わされた」、「やるべきことを怠ったためにこの事故を招いたのではない」との考えが基準となったままでした。
市長、教育委員会、市議会と接する中で、私が感じたことは、『静岡の言う通りにしたらこの事故が起きてしまった。死亡に至った事故責任は静岡側にある。よって、豊橋側としては静岡がどんな対策を打つのか様子を見ている。警察も静岡中心に捜査しているし、今回の事故について積極的に動かない方が賢い』そんな雰囲気が伝わってきました。
市教委が作った、安全マニュアルも「今後配慮すべき事項」という切口で、この事故の反省に立ったものではありませんでした。
■私たち遺族の思い
この事故は、学校が企画した正課の授業中に発生しました。生徒のいのちを守れなかったのは学校です。ましてや事故当日雨も激しく降り出して、これから天気が悪くなることは容易に判断できる中、中学になったばかりの子どもと、ほとんど経験のない先生だけで、船を出して湖面に出るということは、専門家でなくても危険を想定するのにそんなに難しいことではないはずです。そんな状況で招いた結果に対して専門家が「何も教えてくれなかった」、「大丈夫だと言った」からなにもできなかったのではあまりにも情けないです。学校は教育の一内容としてカッター訓練を選んでいます。私たち遺族からすれば豊橋に預けた娘を豊橋が返せなかったのだから、豊橋が責任を感じ謝罪し償うのは当たり前です。
再発防止の観点からも、この事故は、3者がそれぞれやるべきことを怠ったために起こってしまいました。カッター訓練を運営していたのは小プロ、それを監視する立場にあったのは静岡県、その現場に生徒を連れて行ったのは豊橋市。いのちを救えなかった責任は、小プロ、静岡、豊橋とそれぞれにあると考えます。それぞれの危機管理意識の希薄さが招いたものです。あの出港時の荒天の状況から、現場にいた引率責任者の校長は、容易に危険を判断できるはずです。「今日は荒れているので止める」と一言いえば、娘は亡くなることはありませんでした。なぜ言えなかったのか、引率教諭はだれも校長に進言できませんでした。そこに対して策を講じなければまた同じことが起きると感じています。
私たちの市長は、「教育委員会がやったことだろ、そもそもあれは静岡が悪いんじゃないのか」その思考のままです。市長は市民の安全を図る義務があります。市教委は学校を指揮監督する立場です。引率先生はこどものいのちを預かっています。
今年3月に改めて遺族の思いを市長に伝え、謝罪申し入れをしましたが、全く考えは変わっていませんでした。最終的には、豊橋市の責任を明確にするために、司法判断に委ねざるを得ませんでした。
以下は裁判所で私たち遺族の意見陳述として裁判官に託した思いです。



***************
あの日元気に「行ってきます」と言って、章南中学校に行った私たちのひとり娘、花菜は、二度と帰れなくなりました。あの日以来、生きる希望を失くしながらも、多くの方々の支えを頂き、家内と二人、前を向こうとしている日々が続いています。しかし残念ながら、落ち度のないいのちが亡くなったことに対して、そのいのちを預かった豊橋市からは、明確な謝罪を未だに頂いていないことが、今でも私たちにとって大きな辛さとなっています。
私たちは一昨年秋に、娘がなぜ死んだのか、その原因を知りたく、豊橋市議会にその原因究明を求め請願書を提出しました。また、豊橋市教育委員会に対しても、事故の事実関係について質問をさせていただきました。しかしいずれも満足のいく回答は得られませんでした。このままでは、豊橋市は、娘の死について何も責任を感じないまま、忘れてしまうのではないかと、強い不安を感じました。そこで、今年3月に、豊橋市の責任を明確にするため、学校設置者の豊橋市長に謝罪を申し入れましたが、ここでも明確な回答を得ることはできませんでした。
私たちは、今強く感じています。
落ち度のないいのちが亡くなったことに、豊橋市はもっと真剣に考えて欲しいと。
私の娘は先生の言われたとおりにした結果、亡くなってしまいました。授業の一部を専門家に委託しても、あくまでも教育の主体は学校にあると考えます。当然学校が子どものいのちを率先して守らなければならないはずです。しかし豊橋市はそのことについて、曖昧のままにしています。
これから多くの方がこの豊橋市に子どもを預けなければならない中、今の豊橋市の姿勢のままでは、安心して子どもを預けることができないと強く感じています。学校が企画した正課の授業で、生徒のいのちを守るのは学校であるという当たり前のことを豊橋市に認識させ、このような悲しい事故が二度と起きないように努力し続けてもらうことこそが、娘の望んでいることと信じています。 この裁判はそんな思いから提訴させて頂きました。
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■今後について
民事裁判は、結果は賠償金です。
その理由を明確にしないと、私たちが思っている再発防止は望めません。
事故関係者のやるべきことは、何があったかの事実関係を明らかにし、誰が何をすべきだったか、場面ごとに反省と責任を感じて、二度と起こさないためにはどうすればいいのか対策を立て、継続的に実行する。これらをすべて公開で進める。遺族に対しては、いのちの重さを肝に銘じ、誠心誠意謝罪を繰り返し、与えてしまった被害は迅速に償い、風化防止に努力し続ける。私たちはそれに向かって取り組んでいるところです。
刑事的には静岡県警が、関係者の業務上過失致死の容疑で調査中です。
国交省も事故調査委員会とは別に、今月30日に横浜で海難審判が開始されます。
民事裁判は、先日弁論準備手続きが行われたところです。
9月13日には、豊橋市において、市民報告会として、現状を市民に訴えかけます。
■私たち遺族の主な活動
   1.ボート転覆事故        2010.6.18
   2.豊橋市に事実解明の要望書提出  2010.10.12
   3.署名活動           2010.11.7
   4.豊橋市議会に請願書提出    2010.11.29
   5.文庫寄贈(章南中)       2010.12.18
   6.菜の花キャンドル(三ケ日) 2010.12.23
   7.市議会趣旨採択      2010.12.24
   8.命の日コンサート(章南中) 2011.6.18
   9.像除幕式(三ケ日)     2011.6.26
   10.国交省事故調査報告発表  2012.1.27
   11.市長へ謝罪申し入れ書提出  2012.3.16
   12.提訴表明 記者会見      2012.4.17
   13.名古屋地方裁判所豊橋支部に提訴 2012.5.1
   14.第一回口頭弁論         2012.7.4

▲ 是非皆様のご意見、ご教示、よろしくお願いいたします。

8月25日  弁論準備手続き

2012-08-25 08:55:26 | 事故後の動き
今日の朝日新聞の社会面と三河版に、昨日の弁論準備手続きが掲載された。

              
「豊橋市の態度不安」
   ボート事故訴訟で遺族
 24日に名古屋地裁豊橋支部であった浜名湖ボート転覆事故訴訟の弁論準備手続きで、豊橋市は「反論文」である答弁書を補う追加の主張をしなかった。答弁書を説明不足だと感じている遺族は、「この事故」(を教訓)に、どこまで真剣に取り組んでいるのか不安だ」と話した。
 答弁書は、7月の第一回口頭弁論の際に市側から提出された。遺族側は訴状で「実習を小学館集英社プロダクション(東京)に委託することで安全配慮義務を履行しようとした。同社の責任は豊橋市の責任となる」と主張したのに対し、市側は答弁書で「すべて争う」などとしか書いていなかった。
 これらの点について、「どう争うのか、追加の主張があるはず」と受け止めていた遺族は、肩すかしを食う形になった。事故で亡くなった西野花菜さん(当時12)の父、友章さん(53)は24日の記者会見で、「市はこれまで『事故は静岡で起きた』という姿勢だった。今日も準備がなく、何も変わっていない」と批判。裁判所からの和解提案については「全面否認の姿勢から(市が)どう変わってくるのか、待ちたい」と話した。
 次回の9月24日にある手続きまでに、双方が和解の可能性を検討するという。



*****
昨日主人が裁判所に向かう朝、 「 花菜の夢を見たよ。 」 と言った。



「私、最近見ない。」 と答えた私。

私が最後に見た花菜の夢は、このブログを始めた朝だった

                    怒りと涙で一杯になり、

難病で視神経や指にも障がいのある PC音痴の私が主人に頼んで、その日の内に立ち上げた

                     怒りのブログ・・

8月24日   第2回は弁論準備手続き

2012-08-24 12:42:35 | 事故後の動き
今日1時20分からは、弁論準備手続き。
非公開で裁判所の個室のラウンドテーブルで、4者各自裁判長と話し合うらしい。

7/4の口頭弁論で、娘の失った現実を直視して、涙が止まらなかった車椅子の私。
足手まといにならぬよう、今回はパスして自宅で、主人とうちの2人の弁護士さんの健闘を祈った。

前回の口頭弁論の時も、豊橋市側の答弁書は遅かったが、今回も2日前になってもまだ提出されていなかった


*****
                     悩み抜けば、怖いものはなくなる。

先日読んだ姜尚中の「悩む力」に記されていた。

この26ヶ月、涙の中で、この豊橋市と中学に対し、大きく悩み抜いた

                               
少しづつ涙の調整もできるようになり、民事に進めるようになった。


2冊読んだ姜尚中の書籍。
どちらも集英社発行と、小学館集英社プロを被告にせざるを得なかった私には、複雑な気分。



8月22日   あぶない校長

2012-08-22 08:47:19 | 学校に対して
昨晩は市教委の月命日の弔問があった。

人情味のある教育長の会話に、だんだん私も彼の良さがわかってきている。

K教育長と幹部3人の焼香が終わり、
話題は、大津のいじめで、教育長が襲われ頭を骨折したことだった。

主人がテレビでみる滋賀の教育長のコメントのまずさを突っ込むと、
豊橋市のK教育長がボート事故当時の保護者会での様子を思い出すように言った。

「一緒に同席した水野(校長)は、保護者に責められ、(対外的にも)かなりあぶない状態だった。」



葬儀の夜に行われた保護者会。

私達は出席できる訳もなく、後日新聞で知る程度であった。

だが、テレビの映像を見た三重の実家の近所の人や、遠く福島の友、保護者から寄せられる校長の水野さんの様子は、
かなり異常だったようだ。

            こんな資質に欠ける校長を、誰が任命したの? 

この26ヶ月毎週我が家に弔問に来て、随所随所で 再発防止の取組み を伝える、事故を招いた施設長。

重度ウツ病と言って、公の場どころか教育委員会の接触にも壁を作り、娘へのお参りに来たがる校長。

この両者の事故への対峙の違い、娘の命への違いは、今も歴然としている。

施設長も出席した保護者会に、後日良識ある保護者から我が家に寄せられた情報は、学校批判だけ だった。

8月20日  「娘を焼いた」親の気持ちがわかりますか?

2012-08-20 09:43:13 | 学校に対して
「 2010年6/17の朝、 笑顔で出掛けて行った娘を、

           6/22には焼いた 親の気持ちが あなたに わかりますか? 
 」

生徒一人の命を奪った 当事者校現校長の意識のない 合川さんに 何度も私が言った言葉だ。



元校長の水野さんも 「 (私の)人生で取り返しのつかないことを してしまった! 」 と遺族の前で必ず嘆いた。
「見える世界が変わってしまった。」とも嘆いた。

「(引率した学校主任の)Kも精神的ストレスで絶えず吐いている。」  と遺族に理解を求めるよう口走る。


遺族がそれ以上の苦しみを味わっていることがわからないの? 

中学のトップからは、事故弁護の言葉しか 遺族に発せられなかった



*****
事故が起き生徒さんが、ようやく娘への弔問に来てくれるようになった2010年の暑い夏。


      「 悪天候だから行け!  」



          と、  先生に言われ
強行された カッター訓練。
                                         

その時の写真には、驚く生徒達の表情のなかに、娘も写っていた・・・

8月18日  幸せな話にしないで 2

2012-08-18 08:25:20 | 学校に対して
昨日17日は一日早いが、章南中の月命日の弔問があった。

校長の合川さん(私は合川校長と呼んでいない)をお断りしているので、3年の先生達と和やかに弔問は進んだ。

しかし内心、私は苛立っていた。

教頭と学年主任の先生から、
「もう取りかかっている卒業アルバムに、花菜さんの写真を載せたいんで・・・」と言われたからだ。


                 どの面(つら)下げてそんなこと言えるの?                  
                  
                      
                             先にやらねばならないことがあるでしょ!



中学の招いた事故で、2ヶ月も在席できなかった娘の卒業アルバムなんて、私達遺族が見れる訳ない

私達の時計は、満面の笑顔で中学の制服を着た、娘の小学校卒業式で止まったまま・・・                                  
                         


*****
昨日17日は私の三重の父の月命日であった。

もう3年も父を弔いに、実家に帰省できなくされてしまった私のお盆。

そして今月24日には、実質的には市と学校を訴える、第2回の民事裁判が行われる。


                         幸せな話で片づけないで!!


                          今日18日が本当の娘の月命日

8月15日  ふざけた心のケア 1

2012-08-15 08:29:52 | 私のつぶやき
                         「 泣かないで!!

            一番泣きたいのは花菜なんだよ!! 」
 



葬儀に備え、泣いている私の母(年に数回しか会わない三重の花菜の祖母)に、私はそう言って怒った。

父の小さな葬儀と違い、通夜650名、告別式330名の参列者。

泣き崩れている訳にはいかなかった。  前に進まないと・・   葬儀を無事進めないと・・

親の自分が泣いている訳にはいかない! 

いつも笑顔の娘を、大好きな友達の前で、笑顔で見送ってやらないと・・

その気持ちを持ってないと、自分が壊れそうであった。  ありがたいことに主人もしっかりしていた。



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私を苦しめたのは、周りの優しい対応だった。


私を心配し自己満足のように、何度も私の声を聞きたがる、主人の鹿児島の義父や遠くの義姉。

泣いて弔問に来る地域の知人。  私が電話するだけで、皆が対応に困り泣き出す。

先に泣かれ、傷口を嘗め合う勇気もなく、四面楚歌の状態・・


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そんな当時、特定疾患の難病を持つ私に、担当の若い市の保健師も様子みたいと来た。

彼女の優しい頼りなげな話し振りにOKをしたが、上司の若い男性も一緒に連れて来た。

泣いている私に カウンセリング をしようと、次々質問してくる彼。

「 悲しくて泣いてるんではありません。  怒りで泣いているんです!! 」 

と言う私を、彼の正義感が許さなかったのだろう。  

「なぜ?」   「なぜ?」    と涙の私を追い詰める、

市の健康推進科の彼の執拗なカウンセリングが怖かった

8月12日  普通にお盆が過ごせる先生達 2

2012-08-12 08:37:18 | 私のつぶやき
このお盆も、豊橋で迎える。

仏教命の市教委も章南中も、自分達のお盆が第一優先だ

娘の初めての月命日に、市教委全員と、当時の引率した学年の教師、教頭・校長と全員で、喪服を着て次々弔問に来ることに、私は怒りが収まらなかった

事故状況調査も事故究明もせず、早々に形だけのパフォーマンスを見せ、娘の死を終わったことにして決着しているその姿勢に

                
                やることが違うでしょ! 

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当時私は、娘を奪われた悲しみと、学校の不誠実な対応に、PTSDで苦しんでいた。

残った生徒には最大限の配慮をするのに、

保護者ではなくなった親の私達の 心のケアには、無関心の中学

8月9日    海難審判

2012-08-09 08:33:48 | 事故後の動き
毎週続く8/4のいつもの弔問時、小プロの役員も同席し、8/30の海難審判の説明を受けた
聴き慣れない言葉だが、海の事故の裁判らしい。その裁判が、民事にも刑事にも、影響していくらしい。

事故から26ヶ月近く経とうとしているが、まだ娘の命に対する責任は出ていない

これでまだ海難審判を仰がねばならない。一体いつまで時間がかかるのか?

               前に踏み出せない私達


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海難審判には、C艇、D艇の先生にも証言してもらうという。

思わず「山川先生もですか?」 の私の質問に、「(辞職した)K先生にお願いしています。」との答えに、少しほっとした。


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            <現場にいた先生方に教えて頂きたい事とその回答>


2010年12月25日10:00~13:00
メンバー:合川校長/M教頭/K教務主任/山川校務主任/T 1学年主任・A組担任  /K 1年A組担任/S 1年B組担任/A 1年C組担任/N養護教諭

Q29.花菜が死亡した一番の理由は何だと思いますか。

A29.
(K教務主任)予測可能な事を充分に、手を尽くしたかどうか。実施を決定した事が一番、最も悲しい結果にさせてしまった。今後もいいことも悪いことも 子供達につつみ隠さず共有していけたらと思う。
(山川)一番の理由はやっぱり曳航にあったと思う。今後花菜さんがどう進んでいけたかをお家の方に伝えていきたい。
(T)いろいろあってこれがとは言えない。私が出来た事は、出航判断の時に「もう一度考えようよ」とその一言が言えなかったこと。
(K)曳航の事もあると思うが、曳航後の対応が自分としてももめられるものでなかったので、いろんな面で考えが甘かったと思う。自分のできる事をやっていきたい。それが花菜さんとかご両親の為になる事をしたい。
(S)訓練の実施をとめられなかった事。自分の中にある人任せの部分があった。自分の意志を持ってやっていかなければいけないと思った。その認識の甘さが重なって今回の事故につながった。子供達を守る自覚がたりなかった。ここへ子供達が来た時にできるならば愚痴を言って欲しくないなとの思いがある。学校が楽しいと思えるようにしたい。
(A)一番の理由は答えることができない。ただ自分にできる事は、もっとあっただろうし、自分の甘さが関わっている事はすごく認識している。花菜ちゃんの事は絶対忘れない。
(N養護教諭)一番の理由は難しいが、自分がちょっと違うことやったらこんな結果にはならなかったと思う。陸で待機していて山川先生が帰って来た時に「花菜とまりながいない」といろんな人に伝えたのになんで事になったのか、自分の中で消化できない。自分もそこから進めないでいる。
(M教頭)予想の甘さというのか、雨が降っていたかで雨天決行という事だったが、部活でも雨の中大会をやったりする。なんかそこに鈍感さがあっていろんな面で
予測の甘さ、鈍感さがあったなと反省している。ご両親には精神誠意尽くして関係を崩さないでやっていきたいと思う。


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生徒を守れなかった自分達の責任を考える引率教諭達。

その中で山川先生だけが、えい航した施設側の責任を強く述べている。 自分は被害者だと

娘への謝罪の気持ちがない のはこの時もあきらかだった


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第2回の海難審判は、9/26。

                   偶然にも、娘の15歳の誕生日だった・・


8月6日   隠ぺいする校長<折り込み情報誌>

2012-08-06 08:13:08 | 学校に対して
朝日新聞の8月の折り込み情報誌。

                           


 ■何を守ろうとしているのか
 
 
 浜名湖で野外活動中だったボートが転覆し、豊橋市立章南中学校1年生の西野花菜さん(当時12才)が亡くなって、6月18日で2年がたった。この日の追悼コンサートを取材するため学校を訪れたが、再発防止を目指すとしている学校側の姿勢に疑問が残った
 
 事前に花菜さんの親友という1人の女子生徒を取材していた。事故でPTSDと診断され、今も苦しんでいる。花菜さんだけではなく、ほかにも被害者がいることを示すことで、改めて事故の意味を読者に考えてもらえると思ったからだ

 当日朝、合川嘉信校長は取材に対し、「PTSDで苦しむ生徒がいる」と事実を認めた。
しかし、午後になってから、「なかったことにしてほしい」と撤回を求めてきた生徒を守るため、学校側からそうした発表はできない、という趣旨の理由だった。だが、撤回の前に生徒に意向を確認することはなかったという
 

 コンサートの前、合川校長は生徒らに「事故を決して忘れず、引き継いでいく」と決意を語った。だが、、全てを明らかにする努力をせず、あたかもそうした生徒がいないように事実を覆い隠そうとして、何をどうやって引き継いでいくのだろう

 
 女子生徒は勇気を出して取材に応じ、つらい思い出に時折涙をみせながらも、自分からしっかり思いを語ったそれに比べ、合川校長がこの日述べた誓いの言葉は、空虚に響いた。合川校長は一体、何を守ろうとしているのか
                                             

8月3日  調書に込めた、今も変わらぬ怒り 2

2012-08-03 08:44:35 | 学校に対して
このブログも哀しいかな、1年を過ぎた。

この1年、生徒の一人の命を奪ったことに、責任も何も感じない中学に憤り、とうとう民事(裁判)までに追い込まれた。
信じられない事故が起き、遺族の感情として、警察に調書の宿題を出されていた、2年前の悲しみの暑い夏。

泣きながら綴った娘の生い立ちと、被害者遺族としての気持ち

そこには、2年経った今も、何ひとつ変わっていない、親の気持ち が綴られている


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7月下旬、今月も来てもらった信頼の刑事さんに、主人が訊いていた。

「 刑事裁判には、どれほど 遺族の想い が重視されるんですか?  」


いじめの問題で犠牲者遺族の立場が、市長や警察に、ようやく理解されるようになった。


          刑事の返答は、      「  重い です。  」       だった。