怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

10月30日  しらじらしい<教育長・校長をよそに>

2013-10-30 07:28:49 | 学校に対して
10/28夕 教育長と課長の毎月の弔問があった。


教育長:  事故の(引率した)先生は(弔問に)来とるか?」 


私:「娘の誕生日のある9月にT先生とA先生が来ただけです
あとは誰も来ません。
(中学からの弔問は来ていましたが)異動になったらどの引率教諭もそれきり来ません。」 




引率教諭個人の弔問がないことに沈痛な表情の教育長。

以前引率教諭の弔問がないことを訴えると、異動先学校の教員から弔問に行くようアプローチさせると言った教育長。





(娘を死亡させた転覆ボートで引率した)山川先生の時と同じく
      被害者生徒の人権より加害者教員の人権を重視する教育委員会。


      責任放棄のように、口をつぐみ続ける引率教員達。











*****
10/29昨夕は章南中現S校長と校務主任(元3年学年主任)の弔問があった。


焼香を終え開口一番に、先月にお願いした当該中学HPへの和解文掲載OKの返事をもらった。

今年赴任したS校長の人となりに接し、
前校長が前向きでなかった和解文掲載を1年近くかかって諦めずに要望した結果で嬉しかった。





その後出来たばかりの娘と同級生のアルバムを見て 

       「申し訳なかった。」と涙したS校長。




涙する校長の隣に、卒業アルバムへの娘の不掲載を決定した校務主任を見ながら、私は複雑な気持ちであった。










*****
10/28市教委教育長の弔問は、
大学の部活で長男を自然死で亡くされた教育長自身の「(命の)順番が逆になることが一番悲劇だ。」で終わった。





堪らず私:

    「 娘は 恐怖の中、死んでいったのですよ ! 」 





言葉を無くした教育長の隣で、

卒業アルバムについて記者会見をした教育課長: 
   「そうですね。暗くて怖かったでしょうね。」  と、しらじらしく響いた。











10月25日 両手いっぱいの娘を残して5<アルバム完成>

2013-10-25 07:50:54 | 学校に対して
昨日印刷所に、依頼していた娘のアルバムが完成し届けてもらった。


印刷所社長:「 表紙はPP?処理をして濡れても大丈夫なものにしました。」 と細かい配慮をしてもらっていた。
「私も昔 同級生を二人亡くしてまして・・」


卒業アルバムに娘を掲載しない判断をした事故当事者中学に憤りを感じ、
私:「うちはうちで娘と娘の大好きな友とのアルバムを作ります。」
と言ったものの、印刷所探しから始めなければならなかった。



当時の金曜弔問に来た教師達に、
卒業アルバムに娘を不掲載にする理不尽さと
印刷所探しに困っていることを
相談した。




しかし教師達の反応は学校の判断に従うもので、
卒業アルバムも毎年の行事の一貫でいつもの印刷所に任せているので知らないと、
          遺族に力を貸してくれる教師はいなかった。 





先に事故事実の冊子1000冊作成  もあり、ネットで検索して印刷所を探し、相見積もりを取った。

奥さんが市民報告会にも出席してくれていた、事故への問題意識の高い印刷所が最も好意的だった









*****
10/16に日本教育新聞T記者が、教育新聞への冊子寄贈もあり東京から取材に我が家に来た。

私と主人を驚かせたのは、東京のT記者が娘と同じ杉山小→章南中卒業生だったことだ。


一連の中学側の遺族への不誠実な対応に、
T記者:「三河の教育行政は、何かと公表に二の足を踏む土地柄があります。
資質の高い校長は小規模校には、赴任になりません。」
 




      「 6/18は当該中学として、永遠に弔っていかなければなりません。」 



現校長にも取材したいと言う、娘の大先輩のT記者。

私:「現校長はマスコミ拒否されない方です。
事故にも受け身ではなく前向きに考えておられ、大丈夫だと思います
。」




10月8日 冊子の広がり5<日本教育新聞>

2013-10-08 07:44:39 | 事故後の動き
昨日10/7日本教育新聞2面  ▼




                              遺族ら再発防止願い記録に  
カッターボート転覆事故で

 平成22年6月、中学校の野外活動授業で静岡県立三ケ日青年の家のカッターボート訓練時に、転覆事故に遭い、1年の女子生徒が死亡した。その事故発生から、その後裁判で和解するまでの3年間と、同時に、安全な教育システムを求めた一冊の記録がある。
 事故に遭った愛知県豊橋市立章南中の女子生徒の遺族(西野友章さん、西野光美さん)らが弁護士の監修の下、まとめた「学校が守るべきいのち」。転覆事故の概要(第1章)、誰も事故の真相を教えてくれない(第2章)、事故から事件へ(第3章)、花菜へ(第4章)、安全な教育システムの構築に向けて(第5章)などで構成。
 同記録の中では、校外学習の安全マニュアルや、各学校間の情報共有など、学校の危機管理の欠如や、青少年教育施設での活動中の事故のため、「学校の立ち位置」の自覚の欠落、市の安全対策や危機管理体制なども問題視された。
 遺族側は再発防止の「不断の努力」、現場教師が命を守ることへの自主・自律の意識を持ち続けることを願っている。
問い合わせ=西野さん(tomoaki-nishino@hotmail.co.jp)
  








*****
昨日日本教育新聞社から、一般人の私達が読む機会のない上記新聞が郵便で送られてきた。

9月に「全国の教職員が読む教育新聞にも冊子寄贈しようよ。」と相談するが、無関心の主人。
業を焦がした私は、1週間後 二人で教育新聞社HPを検索し、主人に冊子寄贈の申し出メール送信を頼んだ。
(母親からよりは父親からの申し出の方が、重みが増すと考え・・)


愛知県教委の反応と同様に、日本教育新聞社も誠実に対応してもらえ、驚いている。

豊橋市教委への遺族の申入れは、いつも確認してから後日口頭で回答されることが多かった。  








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冊子の鮮度が大事と ひとり相撲のように各教育大学等への冊子寄贈を進めた私。

実は自分の卒業大学OB会(佐保会)にも冊子寄贈をした。 
タイミングよく送られてきた会報には、
御教示頂いた私の恩師が理事長になって大学100周年記念として、寄贈書籍のデーターベース化を図ることが述べられていた。

女子高等師範学校が前身であった国立奈良女子大学。

10月4日 冊子の広がり4<愛知県教育委員会>

2013-10-04 07:28:59 | 事故後の動き
発想のきっかけは、静岡県教委からの冊子130部の注文だった

我が家はほとんどが製本代に消えるが、ある程度まとまった額のお金が、税金から支払われる重みがあった。




     娘の無念さを鑑みても、生きたお金の使い方をしなくてはならない! 




考えた末に、
<愛知県教職員への海洋教育の研修に使ってもらいたい>  
が私の気持ちだった


主人に相談すると同意してくれ、二人で愛知県庁HPに寄付を申し出るサイトがないかを探した。
しかし、「ふるさとあいち応援寄付金」のサイトは見つけたが、愛知県在住県民の寄付自体の問い合わせサイトを見つけることができず、
私の独り相撲のようにその日は頓挫してしまった。




あきらめ切れない私は、翌日主人に「私が直接、愛知県庁に電話して問い合わせる!」と
電話トラウマ(事故当初私が普通に掛ける電話のほとんどの相手から同情の大泣きをされてしまった)も関わらず言い切っていた。


気持ちが決まってしまうと頭も整理されるのか?
今まで不思議なことに一度も接触のなかった(静岡県教委の事故というすみ分け?豊橋市教委に任せて縦の連携がない?)
      愛知県教育委員会に申し出る ことが本筋だと思い至った。

            書類送検された校長の任命責任のある 愛知県教育委員会








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昨日届いた愛知県教委からの回答     ↓   ↓   ↓





西野 友章 様

 本県教育行政の推進につきましては、日ごろよりご協力をいただき、ありがとうございます。
 さて、先日ご提案いただきました冊子の寄贈及び寄付金について、担当課からの回答がまとまりましたので、次のとおりご連絡させていただきます。
 ご連絡が遅れまして、誠に申し訳ありませんでした。

【冊子の寄贈について(義務教育課 生徒指導・キャリア教育グループ)】
冊子の寄贈についてのご提案をいただき、ありがとうございます。
西野様のご厚意に対して感謝申し上げるとともに、ありがたくお受けさせていただきます。
学校の教育活動の中で、最愛のお子様をなくされた御遺族のお気持ちを拝察するに、本課でも、2010年6月の痛ましい事故は決して風化させてはいけないという思いでおります。
御寄贈いただきました折には、冊子を県関係機関に置かせていただき、利用者への供覧と再発防止の取組みに活用させていただきたいと思います。

【寄付金について(総務課 予算・経理グループ)】
 御寄附の厚意につきましては、本県では「ふるさとあいち応援寄附金」として寄附金の受け入れを行っておりますので、喜んでお受けいたしたく存じますが、寄附の趣旨にあります教職員向けの海洋研修(安全管理や危機管理スキルアップなど)など使途を限定した受け入れが困難な事情がありますので、教員研修の充実を目的とした寄附としてお受けすることでご了承いただけますでしょうか。
 どうか事情ご了察のうえ、ご許受くださるようお願い申し上げます。


・冊子につきましては、関係課、教職員研修施設及び社会教育施設等に備えさせていただくために10冊ほど必要となりますが、もしそれ以上のご寄贈をいただけるならば、冊数に応じまして配布先を調整してまいりたいと考えております。
 また、ご寄贈方法等につきまして、ご希望がございましたらご連絡いただきたいと存じます。
・寄付金につきましては、上記のとおりご了承いただけましたら、詳細な事務手続きについて担当者からご連絡させていただきます。










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先日納本した冊子を、国会図書館HPから検索すると   ↓


   私達遺族の編んだ拙書が 国の財産としてデーターベース化されたことが嬉しかった

10月2日 両手いっぱいの娘を残して4<アルバム印刷開始>

2013-10-02 07:36:07 | 学校に対して
二日前に、印刷業者にUSBを渡し、娘のアルバム印刷にGOを出した。

同級生達に写真と手紙送付の期限を8月の夏休み一杯とお願いしていたが、そこは忙しい高校生。
ようやく9月ギリギリで印刷に取りかかってもらった。



 
                ▲ うちでプリントアウトした白黒の裏表紙




このアルバムは、9月の娘の誕生日への、
親と娘の大事な友達からの誕生日プレゼント
の予定だった



 
                ▲ アルバム1ページ目









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娘と同級生とのアルバム作成に至るまでに、章南中との卒業アルバム事件からタイムラグがあったのは、


           友の成長した姿に、自分の心が火傷するのが怖かったからだ・・


          でもこのタイミングを逃せば、一生後悔するとの思いで踏み切った。 








*****
同級生達の娘への思いに溢れた手紙の数々。






 「もう、四年たつね。
あの日の光景、あの日の苦痛、たった一人でも友達を失うことと、
それはとてもつらいことですが、いつまでも悔んではいられません。
きっとかなも、いつまでも落ち込んでないで前向いて!って、応援してくれるはずです。
だから僕たち章南生は、この思いを胸にしまい、   忘れずにがんばっていきます。
かなも僕たちを見守ってて下さい。
こんなメッシージしか送れないけど、かなに会えてよかったよ!これからもお互いがんばってこう!(^o^)/
俺はダメダメ人間だけどがんばるね(-”-) 」
 



     ▲ 事故を乗り越えてゆく と綴ってくれた友は一人であった。










事故情報プレート設置にも、卒業アルバムへの事故事実掲載にも、

同級生への心の配慮 と固く拒んだ中学



       現実を直視し乗り越える事を教えずに・・・










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   この ↑ 力強い手紙を送ってくれたのは、不登校の生徒さんだった・・・