怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

4月20日  何もなかったことにされて1<事故責任中学>

2013-04-20 07:24:00 | 学校に対して



昨日市民館横の追悼花壇跡地を見に行った。                       ← 昨年


4/3 には 早々に花壇も事故プレートも撤去され、跡形もなくなっていた花壇。

まるで残酷な事故のことなどなかったかのように。





誰も責任をとらない。      誰も責任を問われないうちに。

事故の再発防止も風化防止も何もできず、早く忘れてしまいたいかのように。 


早く忘れてしまえ の章南中学。




                   見事な学校主体の殺人完全犯罪・・・








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4/1柴田新校長他章南中幹部4人が赴任挨拶に来た時、娘の遺影を前に泣いて、

新校長: 「 毎月幹部4名で弔問に来させて下さい! 」

同席していた校務主任、教務主任、教頭。



相変らずお得意の嘘ばっかりの教育者達。 





4/12に教頭が文庫寄贈  の事務処理の捺印を取りに、玄関に来ただけ。


 




                  何もなかったことにされて・・

4月17日 冊子寄贈に向けて3<市教委>

2013-04-17 08:02:48 | 市教委に対して
昨日16日晩は、市教育長と課長の月命日弔問があった。


いつもの市教育委員会5人ではなく、個人的な2人の焼香を終え、開口一番に、

加藤教育長: 「 冊子作成は順調に進んどるか?  」

小プロ、静岡県教育委員会と、USBメモリーを渡し承認を得、
寄贈前には、豊橋市教育委員会にも確認してもらいたい旨を伝えた。






第1章・・・転覆事故の概要

(1)浜名湖でカッターボート転覆事故が発生
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事故当初の記事は、「大雨洪水強風波浪雷の各注意報がでているようなこんな日にどうして訓練なんか行ったのか」が、第一の大きな疑問として取り上げられていました。「訓練を決行したのは誰か」に市民の関心が寄せられました。また新聞報道から、カッターボート転覆の原因は、えい航経験のない三ケ日青年の家の所長がえい航したことによるものだと捉えた市民は少なくなかったようです。この時点で豊橋市は「教育行政として豊橋市は安全確認義務を果たしたのかどうか」と言う視点からの追及はなかったと思います。
この年(2010年)の10月、私は豊橋市に事故の原因究明を求める要望書を提出しましたが、豊橋市長はこの要望書に対して、会見で「『市として何が調べられるかな』という気がする」と述べ、「事件としては、静岡県警がやる。海難事故としては専門の人たちがやること」と否定的な認識を示しました。教育現場での原因究明についても、教育委員会が教育委員会の中で調べていただくこと」と述べたと新聞が報じていいます。教育行政が、教育の現場とかかわることなく行われている現実をここに読み取ることができました。

学校で、こどもの命を守ってくれる人は誰ですか。

どのように守ってくれるのでしょうか。









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4/14 静岡県教委の3人の課長(元・前・現)と前次長(今年異動)の挨拶を兼ねた弔問を受け、

主人:     「 事故の教訓を繋げていくことが大事なんです。 」 







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16日 教育長:「 3年で、教職員はほとんど異動になる。

変わっていないのは、静岡県教育長(と私)か。
 」




高校に進学した同級生の様子と、校長OBの危機管理への活用の話等をし、教育長と課長が帰ろうと立ち上がった時、



私:「 4/1 HPに和解文を掲載すると聞いていたのですが、今日確認しても、教育委員会HPはH24.4.1のままです。 」




4月14日 明らかな温度差5<事故発生当時>

2013-04-14 07:55:40 | 学校に対して
4/9 二人の弁護士に冊子の監修を受けながら、小林弁護士に言われた。



「 西野さん達が花菜さんを亡くした悲しみは、一生癒えることはないでしょう。

でもね、

二人のやったことは ( 市に学校の責任を認めさせたり、生徒の命を守る学校の責任を明確化したり、、、)




                    社会的財産     です。       」








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冊子作成にあたり、掲載する新聞記事の新聞社による偏りを無くすため、事故当初の地元新聞社の記事を初めて読んだ。

事故状況が何もわからないまま、娘を失った深い悲しみの私達に、
各責任者がどういう態度でどう対処していたのか を改めて認識した





東日新聞 2010年6/月23日 → 

 告別式に参列した川勝知事が報道陣の取材に応じた。
川勝知事は「静岡県民380万人を代表してお悔やみ申し上げた。完全に不可抗力であるといえないことがあり、管轄する県として深刻に受け止めている。葬儀の間『どうしてこうなったのか』と彼女のつぶやきが聞こえるような気がする」と語り、声を震わせながら「ぼくが身代わりになればよかったのに」と続けた。






東愛知新聞 2010年6月 → 


学校側が生徒たちの声に耳を傾けた様子はない。不安感を抱えた生徒がボートに乗れば、生徒が恐怖状態になり、ボート転覆の危険性は飛躍的に高まる。
 ボート演習は今回でまだ2回目。学校側にとって経験値が低いのなら、もっと慎重に判断する姿勢が必要ではなかったか。
 しかも、演習した4艇のうち、亡くなった女子生徒の艇を含む2艇には施設の指導員は乗り込んでいなかった。
 教頭は事故後の記者会見で「保護者、生徒にはメールなどで謝罪したい」と答え、報道陣をあきれさせた。
 学校には猛省を促したい。





事故の責任を微塵も感じていない、章南中森下元教頭のお気楽さ・・




*****
金曜弔問も無くなった4/12 夕に、現教頭が、最後の花菜文庫寄贈書籍の事務的処理のため、我が家に突然、捺印を取りに来た。

この中学は、今後どう事故にそして私達に、対処していくのだろうか・・



人は次々変わっていく。


今日、静岡県教委元課長、前課長、現課長の、3人の課長と前次長が挨拶と冊子のUSBメモリーを返却に来る。

3年間変わっていないのは、両教育長(静岡県教育長・豊橋市教育長)だけである。




人がどんなに変わっていっても、大事なことは不変である。

4月11日 冊子寄贈に向けて2<弁護士監修>

2013-04-11 07:52:38 | 学校に対して
4/9 私達は冊子の相談で、小林弁護士事務所に行った。

私達の11時の予約前にも、相変らずギリギリまで訴訟に関する相談客がいる上、私達の相談中も電話で小林弁護士が中座ということも多い。





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冊子監修は小林・菊地両弁護士が、「西野友章氏」と書かれた事故に関する私達の多くのファイルを並べ、

冊子が法的に触れていないかを確認するものであった。
(事故の新聞記事の引用や新聞掲載写真の所有権について等)



第2章・・・誰も事故の真相を教えてくれない 

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(2)豊橋市立章南中学校の事故後の対応
花菜は1年A組でした。この野外活動では実行委員となり、当日出航前に学校を代表して「一致団結」の宣誓をしました。その時の写真に映る娘の顔は、見たこともないような不安に満ちた暗い顔でした。
事故発生直後から学校は、私たち遺族とどう接していいのか、分からない様子で、いつもうろたえているように見えました。
学校としては、保護者でなくなった遺族の訴えよりも、生徒たちへのケアを最優先に考えているようです。そのケアは、事故を忘れさせることだけに全力を注いでいるように思えました。
「教員も生徒も苦しんでいるので、そっとしてほしい」という印象でした。
当事者校としての再発防止に向けた取り組みは、ほとんど私たちに説明はなく、市教育委員会が決めた「豊橋・学校いのちの日」に基づく市内74校の小中学校と一様に、取り組んでいるだけとしか、思えませんでした。
下記は、昨年(24年度)の章南中学校の「豊橋・学校いのちの日」の取り組み案内です。
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豊橋市各小中学校に寄贈する手前、学校批判と受け取られないかを危惧する私達の質問に、



小林弁護士:「 最終章に

                章南中が生徒の死を受け止め どう変わったか

  掲載すればいいんじゃない?


  何かあるでしょう?


  新 校長に一筆 書いてもらえば、いいと思うよ。
 







当事者中学校長に文をお願いするのは不安だった。

確認もせず娘の年齢を間違えたり、再発防止を形に残すことを頑なに拒んだ合川前校長。

「誓いの言葉」もHP上の言葉、そして卒業アルバムへの言葉まで、学校の責任を隠蔽しようとした中学。






4/1に私達に謝罪した新校長の言葉、

「3代目(校長)は違います!」 

信じていいのだろうか? 








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前田町の弁護士事務所に行く途中、一方通行のため水野元校長の邸宅前を通らなければならない。



奥さんを助手席に乗せ運転する、水野元校長のプリウスと偶然にも対向した。      重度ウツ病はもういいの?

4月8日  怒り4<学校関係者に>

2013-04-08 07:58:32 | 学校に対して
■ 2011年4月 章南中との交換日記に記す   ↓



                  
                      今 笑っていられるのは

                        その裏で何百倍も泣いたから

                      今日 笑っているのは

                         昨日 どれだけ泣いたか

                      長かった 9ヶ月

                      やっと 9/12=3/4
     
 








*****
先週豊橋市教委のHPに和解文が掲載されているか閲覧したが、

何も掲載されていなかった。




事故を受けての改訂マニュアルに、

「 責任 」という文字がまるでない
  と主人が問うたから ?







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先日、海難審判裁決書謄本が送付されてきた。   











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生徒一人の命が奪われても、誰も責任を感じない直接の学校関係者達




円満退職で終わり。    辞職で終わり。     異動で終わり。           忘れて終わり。


彼らに再発防止を望むどころか、娘への弔問さえ来れない








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■ 2011年4月 章南中との私の交換日記に記すの隣ページの森下教頭の手紙   ↓



泣いて異動後も毎月弔問に来させてくれの当時の教頭。



                学校関係者は嘘ばっかり・・・

                  

4月5日  冊子寄贈に向けて1

2013-04-05 08:34:53 | 学校に対して
昨日4日は、静岡側いつもの3人の弔問を受けていた。
元静岡県教委課長→浜松市小学校長→退職、元小プロ東海事業所所長→定年、浜松青年の家所長→東京本社勤務と、
3人共立場が変わり、毎週土or日の弔問も平日可能になっている。
3月から月一の弔問になり、初めての1ヶ月振りの弔問であった。



私達の事故についての冊子の承諾を得るため、

冊子印刷前のUSBメモリーを、3/26海難審判時に元所長Dさんに小プロを代表し渡していた。


昨日早速、検閲し返却してもらった。   




豊橋市各小中学校図書室に、再発防止を願い寄贈を予定しているので、
小プロや静岡県教委について記載したページもあり、寄贈前に承認が欲しかった。

内容はOKだったが、さすが出版社?、 5章83ページにも渡る冊子をコピーし、細かく語句等編集されいた。







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第2章・・・誰も事故の真相を教えてくれない  
 

(1)豊橋市教育委員会の事故後の対応
・事実関係を教えてくれない

 事故後の豊橋市関係者(学校、市教委、市議会、市長など)の対応について、私たち遺族は当初から多くの疑問を持っていました。まただんだんと、「豊橋市が責任を認めたことを、この市は時間が経つと忘れてしまうのではないか。」と不安になりました。
そんな思いから、「どこに問題があったのか、学校はどう行動すべきだったのか、今どうしなければならないのか。」このようなことを事故の風化を防ぎながら、豊橋市関係者の方々に見つめ直してほしくて、この冊子を作りました。

 第2章では、豊橋市の事故後の対応と、私たち遺族の思いを述べさせていただきます。
 豊橋市教育委員会の事故後の対応を振りかえった時に、まず思い浮かべることは、「事実を知りたいのに、伝えてくれない」という思いです。
 学校の正課の授業として野外活動に行った娘が、二度と帰ることが出来なくなってしまった、何が起きてしまったのか、どうして花菜は亡くなったのか、事実を知りたい。親として当たり前の感情に、豊橋市教育委員会は積極的に応えてくれなかったというのが、当初私たちはずっと感じていたことです。そのうち、何か説明があるのだろうと混乱した頭の中で思っていました。
事故から4日経った6月22日に、市教育委員会は、章南中学校の保護者を集め説明会を開いたようです。くしくもその日は告別式ということもあったのか、保護者でなくなった私たちには、その開催連絡はありませんでした。
 毎月、月命日の18日前後に、市教育委員会教育長らが、焼香に来る時もただ「申し訳ない」の言葉を繰り返すだけでした。娘の死を受け入れられないままの私たちにとっては、喪服で順番に焼香を済ませる姿を見せられ、どう対応したらいいのか戸惑うばかりでした。事故の話になると、警察の取り調べ中を理由に、事実関係はあいまいのままにされ続けられました。
 ただ、後に知りましたが、教育長の私案として、事故から1週間後の6月25日に開かれた市議会の各会派を集めた全員協議会で、事故のあった6月18日を「豊橋命の日」構想を伝えています。毎年、安全管理に対する意識を再確認する日ということです。この私案の件は、直接教育長から7月ごろ伺いましたが、事故究明がされていないこの時期、素早い風化防止の取り組みに違和感を覚えました。
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静岡県教委にもUSBメモリーを渡し、豊橋市教育長にも冊子寄贈の意向は伝えている。



娘を奪われた私達の事実を、ありのままに冊子にしたが、

字面だけで学校や教育委員会批判として、捉えられてしまうのだろうか、、、  
 
                      

4月2日 ねじれてしまった心 <新校長謝罪>

2013-04-02 08:24:48 | 学校に対して
3/29 金曜弔問時 玄関から聞こえてくる、合川校長から異動の報告を受ける主人と校長の会話
主人が今後の弔問について質問し、合川校長の答えは、


 「今後の件は、次の校長と話して下さい。」
面倒は次の校長にと。


そして玄関から、花菜の祭壇のある和室の壁に向かい、合掌しているようだった。






*****
昨日4/1 章南中新校長の挨拶を受けた。


玄関で構わないと言う新校長に、祭壇のある和室にあがってもらった。   

祭壇への焼香が済み、 誠に申し訳ないと深々と私達に謝罪する新校長の姿に、目を疑った。


何を守ろうとしているのか?頑なに謝罪を拒み続けた前校長

組織だけではなく、個人としても謝罪できないの? 




目の前で当然と謝罪される姿に接し、戸惑うと同時に、

今までの校長の理不尽さに辛辣な思いを噛みしめてきたことに、涙が止まらない。




風化防止と再発防止を願う主人の言葉を聞きながら、

私:「 学校長に謝罪を受けて今は嬉しいですが、


もう中学が信じられなくなっている自分がいます。

3ヶ月先、何年か先の学校の姿勢が怖いです。
 
 」



教育長と一緒に、同級生と保護者には謝罪したが、

私達の要求する再発防止の和解文を、認めようとはしなかった前校長







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   「 だから、再発防止への現在進行形が欲しいんです。」


3/28 市教委幹部二人の異動の挨拶も含めた弔問時、娘を奪われた私達への配慮の言葉を初めて教育者から受けた。

事故から止まってしまった私達の時間







*****
昨日主人が取り貯めた花菜のビデオを、DVDに落とす作業をしていた。

歩き始めた花菜と私達の幸せな映像を涙で見ていて、



            なぜ この平和な幸せが続かなくされてしまったのか・・   

              今だに、ねじれた心で見ていた・・