怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

3月30日 謝罪のないまま逃げた校長

2013-03-30 07:45:51 | 学校に対して
3/27、28、29と異動の挨拶ラッシュであった。

昨日29日金曜弔問は、玄関に異動の校長と教頭、娘の祭壇のある和室に異動の4人(S先生も)の先生であった。
(3/21市教委弔問時 章南中に配慮した人事だと教育長。)

玄関で二人を応対する主人と校長の声が、和室にいる私の耳に所々入ってくる。

合川校長:「 私は小学校長に異動になりました。 」


「合川さん、章南中はもう嫌だ」と言って辞めるかもね、と言っていた主人との予想通りであった。



再発防止も形にせず 責任を伴う情報公開もせず、次に繋げるものもなく

                ただただ自分の任期を無事に過ごせれば、だったのだろう。




主人: 「 私達には事故の謝罪  のないままですか? 」
                         (組織として謝罪できないと言って遺族に弔問を拒否された)


合川校長: 「HPのボタンを押してもらえれば、学校の事故を受けた掲載が4本あります。」
主人: 「 HPにアップした報告も何も、私達にはないです。 」





*****
28日夕は市教委から、繁華街の小学校長に異動になったKOさんの挨拶と、卒業アルバムで奔走したKIさんも弔問に同席した。

KOさんは事故の6/18、心肺停止の娘、救助された同級生達が運ばれ、私達が向かった、 浜松聖隷見方原病院に、市教委として朝まで詰めていたという。

校長に異動になっても、固く事故を風化させず学校運営していくと



そして二人は恥ずかしそうに、祭壇にお菓子を供えた。
「 15裁の花菜さんが喜ぶかと思いまして。    」

合川校長が章南中に赴任の挨拶時、 「弔問に来た同級生に」と手作りのマドレ-ヌをもらい、水野前校長に苦しめられていた私には嬉しかった。

しかし、
同級生のためのマドレーヌが象徴するように、
この中学の責任で命を落した娘や親の私達への配慮は全くなかった。 




守り切れなかった生徒の人権が抜け落ちていても、
命の尊さを生徒に声高に教える章南中校長・・

遺族との信頼関係を改善する努力もなく、逃げていく校長。





*****
27日は、午前・午後(静岡県教委課長 異動)・夜(事故後異動した引率教師3人)と弔問が続いた。

その中で午前に異動の挨拶に来てもらった静岡県警細江署課長、そして同席のN刑事とO刑事。



「 この事故にかかわった警察職員は、100人を超えます。

その一人一人が、配属各地で、

この事故の重大性を認識し、今後の仕事に関わっていくはずです。 」

3月27日  海難審判言い渡し2<裁決文>

2013-03-27 11:11:03 | 学校に対して
昨日26日 海難審判 言い渡しも、横浜での裁決というのに、多くのマスコミが傍聴にきていた。



                事故として済ましてはいけないない社会的な重大性 





*****
言い渡しは5分で終わった。 

  ← 26日 朝日夕刊



9/26審判から半年待って、

A4版用紙3枚の裁決文に三行のメカニカルな原因。  

                         ← 3枚目 参考図

9.事件の概要
 -------------
 檀野受審人は、カッターC艇が転覆しているのを認めて消防署に連絡し、艇長、艇指揮と8人の生徒をミ号に引き上げて青年の家に帰らせ、泳いで同C艇に行き、船内の生徒3人を発見して1人ずつ船外に連れ出したが、体力の限界を感じてもう1人の生徒を探すため、更に潜ることができず、消防署の救助活動が始まるのを待ち、消防署の救助隊にも1人の生徒の捜索を依頼し、続いて到着をした警察署の小型艇で生徒と一緒に湖畔に搬送され、生徒だけを上陸させて、再び同船で転覆現場に戻り、消防署の救助隊員から、捜索したが、船内に生徒はいなかったとの返答を得て、同現場を離れた。
 その結果、カッターC艇に損傷はなかったものの、かい1本が折損し、生徒1人が後に船内で発見され、溺死と検案された。
10.原因及び受審人の行為
  原因
  本件転覆は、浜名湖において、ミ号が、風と風浪に抗してC艇を曳航する際、同船の傾斜を抑制するための指導が不十分で、曳航中、同船船内に打ち込んだ湖水が排水されないまま、左舷側への傾斜を増した同船を横引きしたことによって発生したものである。
 
 受審人 檀野清司
 檀野受審人は、浜名湖において、風と風浪に抗してC艇を曳航する場合、同船に湖水が打ち込んで船体の左右への傾斜が大きくなると、同船の船首が振れて横引きしたときに転覆させるおそれがあったから、滞留水が増えたならば曳航を中断して同水をくみ出すことができるよう、滞留水の増加状況を細かく報告することなど、C艇の傾斜を抑制するための指導を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、くみ出さなければならないほどの湖水が滞留することはないと思い込み、C艇の傾斜を抑制するための指導を十分に行わなかった職務上の過失により、同船船内に打ち込んだ湖水が排出されないまま、左舷側への傾斜を増して船首が右に振れたC艇を横引きして、同船が転覆する事態を招き、同船のかいを折損させ、乗船していた生徒1人を溺死させるに至った。 ーーーーーーーーーーーーー





読み上げられる裁決を聞きながら、


この段階で同乗の加藤先生と山川先生が生徒の確認をしてくれれば・・・

この段階で残り3艇の先生達が行ったように、柄杓を見つけ滞留水を汲み出してくれれば・・・




                       <    花菜は助かったのに・・・  >






*****
9/26 結審後 主人のマスコミへのコメント


                         「  そのままの 花菜を返して欲しい。  」  

3月23日 当然のことを求めて<和解文HP掲載><弔問>

2013-03-23 08:28:11 | 学校に対して
     事故から2年9ヶ月  花菜一色の時間だった・・

                両手いっぱいに娘がいた形を残して・・





*****
同級生も公立高校受験の合否も決まり、それぞれの道に進んでいく。
(豊橋)市教委も(静岡)県教委も異動となり、
事故当時を知る教員もマスコミもほとんどが異動していってしまった節目。



再発防止のために、
事故の冊子作りや、基金設立に向けて、

            私達はいつまでも何をしてるんだろう・・







*****
3/21、22と市教委、章南中の月命日弔問が続いた。


教育長:「花菜ちゃんの学年も卒業して、市教委(幹部5人)からの月命日の弔問も、これで最後にしたい。
あとは6/18命の日の弔問を続ける。
章南中もこれでいいか?

事故を知る教育長として、私は毎月18日には個人的に弔問させてもらいたい。 」


3/15金曜弔問時も主人は章南中に、今後弔問をどうするかを聞いていた。
1月にも文書として提出するよう要求し
主旨も考えず遺族につきあっている姿勢の中学に、そのままにされていた・・・



市教委の判断を仰がねば何もできない 他人事の中学の最高責任者。




民事(訴訟)でも、刑事(書類送検)でも、事故を知る一般の人にも容易に、

               章南中に責任がある と判断されているのに・・





私:「 事故関係者はどんどんいなくなっていきます。(校長も)

2年9ヶ月も絶つのに、
何も再発防止を形にできていない当事者中学の章南中が、
よその学校のように年1回の弔問では困ります。




この中学でなぜ先生の言う通りにした生徒が命を落としたのか、

同級生と一緒に将来を夢みていたはずの娘が、

なぜ命を奪われなければならなかったのか?




ここに(娘の骨の前に)来て、考えて欲しいのです。
 」




*****
教育課長:「まだ公式ではないのですが4/1付けで、市教育委員会のHPに危機管理マニュアルと和解文を掲載します。」


10月 こどもの命を守るのは学校の責任を明確にした和解文の掲載に、半年もかかった組織。

遺族に 「組織として謝罪できない!」 と言い切った現校長。



当然のことを求めているだけなのに
なぜこんなにも時間がかかり、薄っぺらの保身が見え隠れするのであろうか? 


          学校の責任で 生徒一人の命が亡くなっているのに・・






*****
3/22章南中 月命日弔問は主任教諭と3年の先生3人(2人は体調不良のため欠席)で行われた。


主任教諭:「 来週、校長と教頭が外でもいいので、こちらに来たい と言っております。 」

主人:「 どういう要件で我が家に来るんでしょうか?

なぜうちが校長の弔問をお断りしたのか 考えて下さい。
 」



いつものお構いなしの唐突である。 

状況説明もなく来いと言う卒業式、事実の説明もなく娘の写真掲載を迫られた卒業アルバム・・


               この中学は何も変わっていない・・






*****
3/21公立の発表を済ませた同級生男子5人が、その足で我が家に弔問に来てくれた。
私が高校へ行ってからの抱負を5人に訊ねると、

 「ちゃんと前を向いて(娘の遺影に)言えよ!」 

                               とひとりひとり娘に語ってくれた同級生達。


すっかり大きくなった姿が、私にはまぶし過ぎて・・


「あっ、このCDあるよ。」  と遺影の横に供えている平野先生の追悼歌を彼らは見つけていた。
      

    追悼歌 未来(あした)へ  http://www.youtube.com/watch?v=xTr3KqxHbsk

3月20日 再発防止を願って4<浜松細江署>

2013-03-20 07:50:14 | 私のつぶやき
3/18 娘の月命日は、その日を意識してか?偶然か?、
公立高校の受験を終え結果待ちの不安な気持ちであろう同級生達の弔問で、午前も午後も賑やかだった。


その午後にN刑事から電話があり
主人:「25日でいい?」


3/15 静岡県警の人事異動があり、毎月来てもらっていた担当のN刑事や後輩のO刑事は異動にならず課長が異動になり、
3人で弔問に来たいと連絡を受けていた。

(愛知県警は昨日19日発表だったので、早くて驚いた。)

異動で多忙な課長が、わざわざ挨拶に豊橋の我が家まで来てもらう。
警察の誠実さに頭が下がる思いであった。



26日の横浜での海難審判傍聴に備え、今回は前日の25日から泊りで行く予定であったため、
午前中のN刑事達の弔問を終え、出発しようと思っていた。




2/12の書類送検後、警察から2/18の月命日に合わせ、報告に来てもらった浜松細江署課長。

送致までの2年8ヶ月も、遺族の母親の我儘に付き合い、多忙なN刑事の毎月の来訪を許して頂いたことは、
警察の動きが見えず不安な私達を、どんなに安心させてくれたことかわからない



そして今回人事異動となり、また我が家に挨拶にみえることは、

警察の誠実さという言葉を越えて、娘の事故への警察の重大性を感じずにはを得ない






*****
このブログを打ち込んでいる間も、多忙な細江署N刑事から予約変更の連絡があった。

        N刑事:      「  日程が調整できませんで・・・ 」
今日の新聞記事の浜松での殺人事件だろうか・・

3月17日 再発防止を願って3<池田小卒業生>

2013-03-17 08:17:23 | 学校に対して
池田小事件の犠牲者パネルも
                …三重で遺品展示会 犯罪被害伝える目的
                                            2013.3.3
犯罪被害の現実や、命の大切さを伝えようと、被害者の遺品を展示する「生命のメッセージ展inみえ」が3日、三重県亀山市の市文化会館で開かれた。犯罪被害者157人と、平成13年に大阪府池田市の大阪教育大付属池田小で起きた校内児童殺傷事件で犠牲になった児童3人の遺品が展示された。
 県内の5大学から集まった学生38人が実行委員となり企画。副委員長を務めた三重大教育学部4年の木伏阿美さん(23)は児童殺傷事件当時、池田小の6年生だった。 「事件を経験した者として、伝えることが使命だ」と語る。
 展示されたのは、犠牲者の靴や等身大のパネル、遺族のメッセージなど。訪れた人たちは食い入るように見入り、時折ハンカチで目頭を押さえる姿も見られた。
 
        






*****
3/15 金曜弔問は教務主任と2年の先生だった。

教務主任が市教委主催の、ボート事故をふまえた危機管理講習会に参加した話をした。


主人:「 そんな有意義な活動をしたのでしたら、市教委主催で難しいかもしれませんが、

もっと報道してもらった方がいい。                                     ↑      ↑      ↑

報道されることで、外部にも目ができ、教師にも自覚が生まれます。


静岡県でのボート転覆を想定した再発防止の活動は、その都度報道も呼んで、大々的にやっています。



≪合川校長に(隠すのではなく公にする大切さを)伝えて下さい。≫   
 」





*****
章南中の安全対策は、HPへの反省文掲載とマニュアル作成といった、
                     気をつけようのスローガンだけである。

これでは、娘が命を落としても、可哀そうな子・不幸な事故で完結してしまう。


目に見えない危機管理を、明確に形にする必要がある。


危機管理チェックシートの作成(各自チェックできる)や 達成度の数値化等である。

一般企業なら普通に実施していることではあるが・・・

3月14日  再発防止を願って2<学校主体事例>

2013-03-14 08:23:57 | 学校に対して
事故が起き、同じように被害にあった遺族や、学校の、その後の取り組みについて、本を何冊か読んだ。
(私達の署名活動の用紙も、池田小事件を参考にした。)

それらは多くのことを教えてくれた。


         遺族も 学校も、二度と悲劇を繰り返してはならない ! 





*****


本校では、平成13 年6 月8 日の事件以降、「安全と
安心」を努力目標に掲げ、事件の風化を防ぎつつ子ど
もたちが安心して学校生活を送ることができるよう、
「安全」と「生命尊重」を基軸にした「いのちの教育」
に取り組んできました。
本校が取り組んできた教育は、本校だけに限定され
るものではなく日本の学校教育全体に求められている
ものです。また、その成果を全国に向けて発信するこ
とは本校に課せられた責務だと考えます。
このたび、「安全」と「生命尊重」の授業実践事例集
「いのちの教育」を東洋館出版社から刊行しました。
各地で本書を参考にした授業が展開され、子どもたちの生命を尊重する意識が高まり、危険回避
能力を向上させる一助となることを願っています。
今後とも、学校安全に対する祈りと誓いを心に刻み、安全教育の推進に主体的に取り組んでい
きたいと
考えておりますので、ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。





*****
3/10 私達を事故当初から支援して頂いている、ベテラン市議が来た。

豊橋市議会 3月議会で、3/12 一般質問の前に私達に報告がされた。

         4. 子どもを守る:ボート事故を語り継ぐ考え 

豊橋市に 子どもの権利条例制定に尽力するベテラン女性市議。

3月11日 再発防止を願って1<冊子作成>

2013-03-11 08:44:43 | 事故後の動き

   イラスト作:西野花菜(2010年6月18日 浜名湖カッターボート野外活動で)



豊橋市立章南中学浜名湖カッターボート転覆事件2年9ヶ月の記録

                         



監修・小林修弁護士 菊地令比等弁護士
作成:Kana smile編集委員会
共同代表  西野友章 西野光美




はじめに・・・・・・・・

2010年6月17日から18日の2泊3日間、豊橋市立章南中学校は正課の授業として、静岡県浜松市三ヶ日青年の家を利用して、自然体験学習を行いました。そのメインプログラムであるカッター訓練において、えい航中のカッターボートが転覆し、豊橋市立章南中学校の生徒、西野花菜(当時12)が水死しました。花菜は私たちの娘です。
なぜ娘は命を亡くさねばならなかったのか?

その日の朝、「行ってきます」と言って、章南中学校に行った花菜は、翌18日に二度と帰れなくなりました。どうしてなんの落ち度もない娘が、学校教育の場でいのちをなくしてしまったのか、悲しくて悔しい気持ちでいっぱいでした。今でもその思いに変わりはありません。
   しかし、その悲しみの中で思ったのです。
今、私たちに何ができるのか、何をしなければならないのかを考えた時、12歳の若い尊い命がなぜ失われることになってしまったのか、その原因を明らかにして、このような悲しい出来事を二度と繰り返さないようにすることだと考えました。
   親は、大切なこどもを静岡県の三ケ日青年の家に預けたのではなく、豊橋市および豊橋市教育委員会に預けたので、その責任ある立場での、ボート転覆事故に対する事故現場の実態や問題がどこにあったのかその真相を知りたい、と強く思いました。
 花菜の父母としては、ボート訓練を計画した時点における事前の危機予測の内容や、ボート転覆事故発生後の学校関係者の対応などの実態を、把握させて頂かない限り、再発防止も含めた「次へ」という気持ちにはどうしてもなれませんでした。

私たちは豊橋市の責任を明らかにすることと謝罪を求めて民事訴訟を起こしました。
そして学校設置者である自治体の、教育行政における安全確認義務の法的責任を明らかにしました。
これは、真相を追い求めた遺された家族の2年9ヶ月の記録です。
 



                                         ハナミズキを花菜へ



目次


第1章・・・転覆事故の概要
(1)浜名湖でカッターボート転覆事故が発生
(2)静岡県立三ケ日青年の家の事故後の対応
・事故に対する取り組み
・運輸安全委員会の指摘
(3)静岡県および静岡県教育委員会の事故後の対応
・明らかにされた事実とコメント
・静岡側に関する事故後の新聞報道
(4)海難審判で明らかになったこと
・学校にも転覆原因
・海難審判に関する新聞記事

第2章・・・誰も事故の真相を教えてくれない                  
(1)豊橋市教育委員会の事故後への対応
(2)豊橋市立章南中学の事故後への対応
(3)豊橋市の事故後の対応
(4)豊橋市議会の事故後の対応
(5)真相究明を求める請願署名活動へ

第3章・・・遺族の思い
 
第4章・・・事故から事件へ
(1)設置権者・豊橋市へ謝罪要望書提出
(2)提訴へ
(3)豊橋市と和解成立
      
第5章・・・安全な教育システム構築に向けて







*****

                3.11      それでも  人生は続いていくのだから・・    



3月8日 娘の大切なお友達 5<卒業式>

2013-03-08 08:43:44 | 学校に対して
                   「 いい卒業式でした。」



3/7卒業式を終え、遺影を返しに弔問に来た3年担任5人の先生を代表し、
学年主任から先ず発せられた一言を、         私達は受け止めかねた。

卒業式・・

この中学の事故により娘を亡くした私達には、娘のいない現実を受け止めねばならない悲しい日であった。







*****
 3/8 朝刊 →   

                    花菜そばにいる、がんばれた       
ボート事故、卒業の親友

 2010年の浜名湖ボート転覆事故で西野花菜さん(当時中1)が死亡した豊橋市立章南中学校で、花菜さんの同級生が7日、卒業式を迎えた。式には花菜さんの遺影が置かれた。「一緒に卒業できてうれしかった。これからも一緒だよ」。親友2人が3年間の思いを語った。
 各クラスの担任教諭が卒業生の名簿を読み上げる。
 「西野花菜」
 3年C組の担任教諭が花菜さんの名前を呼ぶと、3年生全員で「はい」と答えた。

 小学4~6年の時に音楽部で花菜さんと一緒だったという女子生徒(15)も大きな声で返事をした。「今日は写真だけど花菜も参加して、みんなで返事ができた。喜んでくれたんじゃないかと思う」
 事故の時には花菜さんと同じボートに乗っていた。湖面に投げ出され、転覆したボートに閉じこめられた。救出されたが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、今も月2回、心療内科に通う
 「学校に行きたくない時もあったけど、花菜と一緒に卒業したかったので、いつも花菜がそばにいると思ってがんばってきた」
 式では、合川嘉信校長が「学校は花菜さんと共に生きていく」とあいさつした。女子生徒は「そう言って下さったのはうれしかったけど、事故当時の校長に言ってほしかった」。
 一方、中神紗弥さん(15)はこの日、体育館の別室で母親と一緒に式に臨んだ。事故後、学校に行けなくなり、週2回フリースクールに通っていた。「つらいこともあったけど、ちゃんと卒業して新しい生活を歩んでいきたい」
 式後、職員室で合川校長から卒業証書を受け取ったという。
 「花菜ちゃん、元気かな。またみんなに会える日を楽しみにしていると思う」



*****
 3/7 夕刊 →  

                           卒業 みんなと一緒に
浜名湖転覆事故の西野花菜さん

浜松市の浜名湖で2010年、野外訓練中のボート転覆事故を起こした愛知県豊橋市立章南中学校で7日、卒業式があった。体育館には、事故で亡くなった西野花菜さん(当時12)の席も用意され、遺影が置かれた。
 中学校によると、西野さんの名前が呼ばれると、3年生全員が声をそろえて「はい」と返事をした。午後には卒業証書が西野さんの自宅に届けられる。あいさつをした合川嘉信校長は「学校は事故を風化させることなく安全な学校教育を推進していくことを改めてここに誓います」と話したという。式は報道陣には公開されなかった。 
 西野さんの父、友章さん(53)は「本当なら次の目標に向かって巣立っていく日。でも、学校が花菜を守ってくれなかったから卒業できなかった、という思いがどんどん出てきてつらい」と話した。
 「友達と一緒に花菜も卒業させてほしい」と中学校に遺影を提供したという。
 



*****
卒業式マスコミ非公開で行われたために、3/7午後からは、我が家にマスコミが集中しバタバタだった。

13時 遺影や卒業証書を持って我が家に来る先生達の映像を撮るため、名古屋NHKや中京テレビの報道陣が十数人、うちの玄関前に待機していた。

14時 朝日新聞、15時 中日新聞と取材が続き、リビングで主人の写真撮影。
その間隙をぬって?、タイミング良く、多くの卒業生に弔問に来て頂いた。

微笑ましかったのは、我が家の玄関チャイムをためらってなかなか押せない、同級生男子7人の姿。

卒業式に花菜の代わりに返事してもらえるのは、女子生徒だけかと想像していたので、
同級生全員で返事をしてもらったことを聞き、娘はどんなに嬉しかったことだろう。
 

   

3月7日 幸せな話にしないで 5<卒業式>

2013-03-07 07:56:19 | 学校に対して
3/5 いじめ自殺で愛知県では有名な、大河内清輝君のお父さんが我が家にみえた。 


 ▼愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件


愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件(あいちけんにしおしちゅうがくせいいじめじさつじけん)とは、1994年(平成6年)に愛知県西尾市で起きた男子中学生のいじめが原因の自殺事件である。


●事件の経緯

1994年(平成6年)11月27日、愛知県西尾市立東部中学校2年の男子生徒(当時13歳)が、自宅裏の柿の木で首を吊って死んでいるのを母親に発見された。葬儀後、自室の机から「いじめられてお金をとられた」という内容の遺書が見つかった。

西尾市教育委員会による調査の結果、同級生11人がいじめに関わっていることが判明し、主犯格の4人が恐喝容疑で書類送検された。4人は、小学6年生の頃から自殺した生徒にたびたび暴行を加え、金を要求していたことを認めた。被害者から脅し取った金額は少なくとも110万円と報道されている。1995年(平成7年)4月、3人が初等少年院に、1人が教護院に送致された。

●その後の取組

その後生徒たちによりそのようなことが二度と起きないようにと「ハートコンタクト」と呼ばれる生徒による自主組織が作られた。活動としてはクラスの様子を見たりしている。11月の命日に近い日にいじめ集会を行い意識を高めるようにしている。現在も活動を続けている。 





*****
清輝君の命日になると19年も前の事件なのに、中学でのいじめの取り組みが報道され、

同じ愛知県の中学でありながら、学校としてのいのちの捉え方の違いに

娘を亡くしてから歴然とした思いでいた私。



今年1月に卒業アルバムに娘の存在が消されることに悩み  、朝日新聞を通して大河内さんの連絡先を聞いた。
そして、2/20 ようやく中学との関係が良好な大河内さんに電話を入れ、大河内さんの方から、
私達からの連絡を待つていた。」 と言って頂き、我が家への弔問を兼ねての相談が決まった。





*****
物腰も柔らかく、私達親の思いと命を絶たれた娘への思いを、真剣に受け止めて下さった大河内さん。

大河内さん: 「 19年間 次々 校長は交替していきましたが、

 校長の資質によって
(学校事故で亡くなった生徒の命の捉え方は)大きく違いました


生徒達によるハートコンタクトの活動の継続も、校長によって危ぶまれる時期もありました。

事故当時の校長は、  (加害者生徒の供述に)生徒を信じた と。

2人の加害者生徒の手紙は、こんなにも事故について簡単に書けるのか?という文面でした
。」




大河内さんの話からは、

生きている生徒(後に少年院に送致された)を大事にする中学の姿勢と、

加害者側の 命への軽視
 が感じられた。






*****
今日3/7は章南中卒業式。

朝 S先生が花菜の遺影を取りに来た。


昨日から我が家には、合川現校長の卒業式マスコミ公開拒否に対する、マスコミの戸惑いの声がいくつも寄せられている。



         幸せな話に片付けないで、学校全体で 娘のいのち を受け止める姿勢を公開して欲しかった



それが、民事でも学校の責任が認められ、

刑事でも元校長が書類送検されている、

社会的注目度の高い中学としての自覚である




  「 中学の過失によって 生徒の命が失われた重大性 」 の隠蔽を伴う
甚だしい欠如・・





悪い事をしていないというのなら、

                    一番の再発防止のアピールとなる、

事故で命を奪われた生徒の卒業式を 堂々とオープンにできないのだろうか?






*****
反対に昨日から娘の携帯に送信される、娘の命を受け止めている同級生達の、卒業式の声に安心を覚えている。














3月4日 主語が明記できない中学<記念樹プレート>

2013-03-04 07:45:05 | 学校に対して
2013年2/27 16時  午前中の雨が心配されたが午後には晴れ、
                    無事同級生により ハナミズキ  の植樹がされた。 




↑ 3/1 金曜弔問時に植樹時の写真プリントを見せてもらったが、 なぜか?もらえず、 見せてもらっただけだった。  
後でゆっくり見れると思っていたので、もっとしっかり見ておけばと後悔している。  (開花の参考写真)


27日夕方には同級生の生徒さんから植樹の報告のメールや、
このブログのコメントにも植樹の報告(1時間かかったこと等)を頂いていたので、
同級生達の姿を想像するだけで嬉しかった






*****
3/1金曜弔問は、教務主任と2年生の教師が来た。

2/22金曜弔問時に、主人が記念樹に強く要望したプレートについての話があった。

教務主任:「プレートに明記するのはこの文面でよろしいでしょうか?」


主人:「 ハナミズキ・・
静岡県浜名湖において、西野花菜さんの尊いいのちが事故によって奪われてしまいました。

とありますが、


奪ってしまいました ではありませんか? 

いつも 学校の事故についての文面には主語がありません! 

これでは事故によって娘がいのちを落したと読み取れる。
重要なのは 浜名湖の事故によって ではなく、

学校が奪ったいのち  という文面です。
 」


私:「 中学にとっては痛い文面でしょうが、事故によって・・・では、それで完結してしまいます。

主語を学校と はっきり明記することで、

今後、この木を見た学校関係者が、生徒の命を預かる重大性を認識できます。

この文面が、事故を招いたこの中学での 真の再発防止 に繋がります。
 」




しばらく4人で文面を詰めた後、中学に持ち帰るという。
私達が見せてもらった文面のプリントも、確定ではないので返却するように言われ

金曜弔問は終了した。



卒業アルバムの事故事実の文面案の時も、
後で私達が検討することは許されず、
形として中学に責任が残らないように 校長の指示があるのか?、堅く返却を迫られた。



その場でなんの予見もなく、なぜか?一読で判断することを要求される私達遺族





*****
後で熟考すると、
記念樹プレート文面には、 植樹した同級生達の思いも 記述してもらいたい。

寒さと受験勉強の忙しさの中、きれいに雑草を取り除き植樹した同級生。


同じ事故の被害者である同級生達が、

    二度と起こってはならない事故として植えた記念樹



                     「そのことの重要性」



今まで彼らの貴重な生の思いを表面化させることをしなかった中学には、無理な要望ではあろうが・・





*****
3/7卒業式 である。


事故から3年近く経つが、マスコミはこの事故を折々につれ報道している。



二度と学校現場での悲劇を繰り返してはならない! 

                           という彼らの強い問題意識





この事故を経験した同級生の生の声、
            15歳になった彼らの一番の再発防止の声
を、

最後まで報道されないのは あまりにも残念である・・



3月1日 海難審判 言い渡し1<審判庁からの連絡>

2013-03-01 08:09:58 | 学校に対して
■ ブログ 10/1 第2回海難審判 3 
        

こちら愛知県の新聞では、朝日新聞しか報道されなかった記事が、静岡では図解付きで、 
民間委託施設所長の業務停止1ヶ月を報じていた。  

民間委託施設側への一番軽い、業務停止1ヶ月に、
 事故の責任は 学校にもある という海難審判庁の判断があったと 信じたい。



*****
横浜での海難審判は、1月に公表された国土交通省の事故調査報告の矛盾を、
同じ国交省の海難審判庁が(正式な採決はまだ先だが)認める形
で閉廷した。



海難審判庁は、第1審を担当する地方海難審判庁(函館、仙台、横浜、神戸、広島、門司(那覇支部を含む)、長崎)と第2審を担当する高等海難審判庁(東京)に分かれていた。また特別の機関として、刑事裁判における検察の役割に相当する組織として地方海難審判理事所(地方海難審判庁の所在地に設置)と海難審判理事所(東京)が付置されていた。」



■ ブログ 9/29 第2回海難審判 2 

                      真相にひとつの光

海難審判を8月と今回の2回とも傍聴しました。
今回証人となった元章南中学教諭への、元青年の家所長の補佐人早川弁護士の尋問は、

これまでなぜ花菜さんが死ななければならなかったか、

つまり見つけられるまでに2時間半もの時間を要したのか?

の核心に迫りました。




ひとつに、朝日新聞にも報じられていましたが1回目の審判で右旋回してお椀がひっくり返るように転覆したのは、左に傾く自主艇(花菜さんが乗っていた)の
舵を無意識にカジ取りしていたK教諭が押したのではないか、
そうでなくてはこんな転覆は考えられない
、と元所長側は指摘していました。
ところが今回証人K元教諭は、船首は右ではなく左に旋回していた、と自分のこれまでの供述調書内容を覆したのです。
舵に手を添えていた供述も、「添えていなかった」と変えたのです


二つ目に救助後について「あなたともう1人の教諭2人と8人の生徒が救助されたとき、残り10人の生徒がどうなっていたか確認したのか」の質問に
「6人が湖面に浮いており4人がボートの下にいた」と証言!!!。
「もし、あなたがそのように確認されていたのなら当然救助に向う消防隊らも潜水用具を持って4人を救助にむかったはずだ。
あなたが確認せず、また救助の要請をしなかったから、花菜さんを救助隊は探し出せなかったのではないのか!
点呼せずあなたは岸に上ったのではないのか?」
と補佐人早川弁護士もK教諭の保身極まる証言に怒りを隠せないように尋問された。
岸に上った後も救助隊に連絡していないことが、救助の遅れになったことは、傍聴する誰もが判断できました。


三つ目に曳航されながら段々艇が傾くのを10分近く「傾くから停まってくれ」とトランシーバーを首にかけながらも曳航する所長に連絡もしなかったことも分りました。転覆時には「やばい、やばい」と叫んだようです。
Kは教諭になってはならない人でした。漫然と舵取りを任せた校長の責任は重い
事故後今日まで章南中学で、この事故について反省等の話し合いは一度もされていないこともわかりました


補佐人も、私共が悪いことは百も承知で・・・といいながら涙を浮かべて学校の責任を指摘し最後の供述を行いました。




■ ブログ 9/27 第2回海難審判 1 

            これでも 学校には責任がない と言うの? 


昨日横浜であった海難審判を傍聴しながら、   

                                                 

小プロの弁護士によって次々と明らかにされる

国交省運輸安全委員会の事故報告への、
学校側の元校長も含めての偽証と、        市の責任    に、私は涙が止まらなかった。
、   
  

                        

                              「かじの手離した」 
                                        元教諭が証拠覆す
                                        浜名湖転覆の海難審判

 浜松市の浜名湖で2010年、愛知県豊橋市章南中学校の1年生らが乗った手こぎボートが転覆し、西野花菜さん(当時12)が水死した事故で、ボートを引航したモーターボートを操縦していた「静岡県立三ケ日青年の家」の檀野清司・前所長(54)に対する2回目の海難審判が26日、横浜地方裁判所であった。
 前回、前所長側から「かじ操作にも転覆の原因がある」と指摘された元教諭の男性(37)が証人として出廷。だが、転覆時の状況について、「かじから手を離し、両手で船につかまっていた」と証言。これまで、「かじに左手を添えていた」と答えていた国土交通省の運輸安全委員会の調査とは異なる証言をした
 食い違いについて、前所長と審判官から質問されると、元教諭は「言っていることが違うのは(自分も)理解できない。運輸安全委の方が正しいかも」などと述べた。
 前所長側は前回、転覆の原因について、「手こぎボートが左に傾いた際にかじを取っていた元教諭が(かじを左に切るように)無意識に手を押し出したため」として、元教諭にも原因があると指定していた。
 花菜さんの父・友章さん(53)は「自分の過失を隠そうと事実をコントロールしているとしか思えない。何で重要なことを忘れるのか」と憤った。
 検察官に当たる理事官は小型船舶操縦士の業務停止1か月を求めた。  







*****
2013年2/27 海難審判庁から 言い渡し期日の連絡が入った。


2012年9/26 海難審判後、正式な結審は年内と言われ、その後年度内と伸びていた言い渡し期日が、

ようやく半年後の2013年3月26日に決定した。

「傍聴されますよね?」の言葉に、HPに公開されるだけだと思っていた 主人も私も戸惑った。


2012年9/26 9時~19時まで丸一日かかった(2回で終了させるため)第2回海難審判後、


私達が残酷な事故を追体験する厳しい一日とは裏腹に、

横浜馬車道にある合同庁社からの夜景の美しさは見事であった
    




*****
9/26の海難審判の傍聴を終え、

長かった事故の原因追究に、ようやく真実が見えてきた安堵感



私は施設側の早川弁護士にお礼を言った。

  「 今日 
      娘への一番の誕生日プレゼント(15歳)を頂き、
                      本当にありがとうございました。 」