怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月31日 葬儀の裏で動いていたPTA

2011-08-31 10:11:38 | 事故後の動き
何も考えられないままの、  目の前の怖すぎる程の悲しい現実
ただ泣いているだけではすまず、済まさねばならない、様々なこと・・
   
         <報道自粛のお願い>
     娘の死を無駄にしたくないと申しましたが、
     原因追究は逃げて行かないと思います。
     今日、明日、心に傷を負った子供たちは
     娘の為に力を振り絞って参列してくれようと
     しています。
     マスコミ恐怖症という2重の苦しみを負っています。
     涙でなく笑顔で娘を見送ってやりたいです。
     今後の私たちの生活もあります。     
     重ねて、報道の自粛をお願いします。
                          ○○ 

昨年6/21通夜の朝、初めてマスコミに向け、我が家のドアに張り出した文面


そして6/22の告別式の主人のあいさつ
 「     
           (略)

      最後に○○地区の皆様方、PTAの皆様、先生方、私達を守るために一つになっている姿に
      どんなに助けられたことかわかりません。本当に本当にありがとうございました。」



その葬儀の裏や後で、PTAの方達は、様々に動いて下さっていたなんて知りもしなかった。

  ・ 通夜の記帳で校長の心ない言動に、校長を引き菓子で殴ったお母さん。

  ・ 葬儀後の雨の夜、娘の実名入り事故抗議文を元小Pに送ったと、謝りにみえた日頃冷静で優しいお父さん。

  ・ 保護者会に向け生徒さんに事故状況を聞き取り、保護者会での学校の説明を、紙面化して渡してくれた中Pの方々



皆さん、<娘の命> を重く受け止めて頂いていた。

言葉には表せない感謝の気持ちで一杯だ。

      PTAにまで、ここまでの不信感をもたせ、
           平然としている学校


追記:先日8/22の市教育長の弔問時、娘の花壇にも事故情報のプレート設置を望んだPTAの方が、
   校長に否定された事を、文庫のプレート希望と同時に伝えた。
   市教育長は「もっと、保護者が動くかと思ったんだがな」と。
   情に厚い教育長だと思うが、時々この教育長の言葉に、私の心はささくれる



8月30日 真実が知りたい 1 (署名活動へ)

2011-08-30 09:39:23 | 事故後の動き
  本当はやりたくなかった。  主人を人前に立たせたくなかった。

  なにをしても  もう  娘は       戻ってこないんだもの

    

 尊い犠牲と残された両親の苦しみから
~○○中学○○事故に関する請願について~
 
今年6月18日に起きた○○市立○○中学校自然体験学習における○○事故で中学生の、若い一つの生命が失われた。その亡くなられた中学生のご両親が、この度事故の真相解明と学校教育の安全対策を講じるよう○○市に要望され、○○市議会に対しては請願署名運動を始められた。ぜひ請願趣旨にご理解いただき、署名にご参加いただきたいと切に願っております。新聞報道にあった教育長の「これは人災だ」のことばに○○市民の多くは共鳴した。事故に対して大きな憤りを感じた。事実関係を明らかにして、二度とこのような悲しい事故が起きないように再発防止対策を講じること、そしてその説明を求めた。ところが事故から既に4ヵ月半が過ぎるというのにその説明責任は果たされていない。
「時が苦しみを癒す」と言われるが、それはその理由(事実関係)を知って、それを受け入れていくことで癒される。事実を知らされないいまの○○さんにとっては苦しみが増すばかりであるだろう。

                  (中略)

 ○○さんのところには現在もなお○○市から具体的な情報は届いていない。11月7日、日曜日の午後、○○さん自ら○○駅前に立ち署名を求める予定である。 


     
     そして 頂いた1万7千もの声   このあたたかい力を無駄にしたくなかった。


8月29日 娘の無念 正しく響け 2 (2011年コンサート)

2011-08-29 09:49:16 | 事故後の動き
今年6/18に開くことのできた、学校での コンサ-ト。

昨年の8月には、娘が会員だったプロの音楽集団の方に、コンサートを打診していた。
そして中学校にも、娘の命日にコンサートを開くことに、OKをもらっていた。

が、、、後日 
来年の6/18は土曜となりますので、生徒全員の出校日とするのはちょっと・・・」の×?の返事

会場代も考えると、我が家の予算では無理。
娘の好きだった生徒さん達に、コンサートを届けたいのに。
私は困ってしまい、娘の卒業した小学校の体育館使用を頼もうかと、主人に相談していた。

昨年9/23に、音楽集団代表の方への私のメールの一文
     ↓    ↓
「○○の母です。
来年の6/18 娘が命を落しました「○○いのちの日」に演奏をお願いできますでしょうか。
会場は○○中体育館にしたいのですが、土曜ということで教頭から、いま保留となっております
・・・・はっきりしましたらまたご連絡します。」


○○命の日の案が、今年になって制定され、
各学校の校長判断で、6/18はいろいろと命についいて取り組むようになった

学校側からは費用についてのなんの提示もなく、コンサートを希望した被害者遺族が支払うものと思っていた。
<被害者がお金を出して、加害者の学校に、事故の風化防止のコンサートを開く?>

生徒さん達の間でも、その話は広まっていたらしい。
遺族が払うという情報を得た記者が、市教委に追求してくれもした

コンサートが近くなり、案内のパンフレットを持って来た教頭に問うと、
数日前になって、言葉にして聞いて初めて、学校が支払う事に決まっている という顔をする

決まっているなら、もっと早く安心させてよ。
5/13に代表の方と一緒に来て、弦の張り替え代金まで心配をする私を、見ていたでしょう?

なんでも上の親分達にお伺いをたてないと、何もできない学校。

遺族を安心させることも念頭にない、誠意のなさ。

追記:文庫のある図書室は2階、体育館は高い段差がある。
   不自由な私には寄贈の文庫もコンサートも見れない。
   その時のDVDはもらったが、私に直に見せようとは、思ってくれないの?
   学校は、スロープにするとか、車椅子ごと運んでくれるとか、考えてくれないの?




8月28日 娘の無念 正しく響け 1 (文庫寄贈)

2011-08-28 09:07:27 | 事故後の動き

      悲しみに   震えて作図  ○○文庫

            娘の思い  友に届けと

娘の葬儀に、自分達も傷を負っている心と体で、力を振り絞って参列してくれた生徒さん達。
涙をこらえ、娘の棺から離れようとしない、娘が大好きだったお友達。

この娘の大切な生徒さん達に、何かプレゼントしたい。

娘が生きていた証しを残してやりたい。

その思いで事故後早くから、  文庫寄贈  と  命日のコンサート  を考え学校に打診していた。
私は木工所さんの依頼を受け、娘の年長さんの頃から、学校等の家具図を作図していた。
作図の打ち合わせに、よく娘を連れて行っていた木工所さんに、まさか反対に依頼する立場になるなんて。。。

設計作図の方は、作図してしまえばあとは、気心を知ってもらっている木工所さんに委ねられるが、
書籍選定は困った。

娘だけでなく、生徒さん達も夢中になる書籍を。
探していくとそれは、横書きの安価な(娘のお小遣いでは半分以上)、携帯小説だった。
学校は1冊1冊検閲してから、「生徒のことは私達が一番わかっているから」と、
高額の図鑑や書籍を要求した。

なかなか話が進まず、文庫寄贈は娘の半年後の月命日、12/18と区切りをつけた。
ただ、夢があふれるだけの文庫ではなく、
事故を招いた学校としての姿勢を見せて欲しいと、文庫には学校の「誓いの言葉」の設置をお願いした。

文庫寄贈の前日に我が家に届いた、誓いの言葉の文。
その文には、娘の命を奪った学校側の謝罪の気持ちは感じられす、冒頭から12歳だった娘の年齢が、
13歳 となっているお粗末なもの。

      
      
         殺し得?   遺族が贈る   ○○文庫
            
               娘の無念   正しく響けと  


8月27日 娘の学校はどこにあるの?

2011-08-27 10:13:32 | 学校に対して
昨晩は私のトラウマ金曜。

○○中学の先生がお約束通り来た。
やっと、
先日の市教委にもお願いした、事故の情報を伝える、プレートの内容の素案を見せてもらった。

難病で視覚障害も患っている私の代わりに、主人がざっと目を通している。
ようやく形になって、ほっとする気持ち。

だがプレートに要望したのは、当時の この地域 の新聞記事。
学校が、プレートに提示しようとする記事の見出しには、事故のあった他県施設の「民間委託への引き継ぎミス」が、大きく読める。

当時この地域の新聞やテレビで、大きく報道された見出しは、

 自然体験 一転恐怖に   ミス連鎖 強まる人災
 
 風強くて怖かった     ボート転覆中一死亡

 父 ○○市に原因究明要望   学校の責任を問いたい


○○施設の民間委託への引き継ぎなど、この地域の見出しでは大きくとりあげられていない。

プレートからも覗く、学校や市教育委員会の  

        
          <  責任放棄  >

この案を事故の被害者である、○○中の生徒さん達に見せて下さい。
生徒さん達の意見や要望で、よりよい物にして下さい。
そして 学校全員で  このプレートを  作成して下さい。


娘の命を無駄にしないで!

大人の責任の取り方を、生徒さん達に見せてよ、

その一心で最後に、2年学年主任の先生にお願いした。

その返事が「言ってもらわないと、わからない」だった。

         < 伝わらない遺族の思い >



8月26日 プライバシーを失った我が家

2011-08-26 08:50:40 | 事故後の動き
先日も天竜川下り舟事故で、○○県の新聞やテレビが、主人のコメントを撮りに我が家に。

○○中の招いた事故で娘を亡くした昨年も、各新聞には記事と娘の写真が掲載された。
(娘の写真は同級生の生徒さんや保護者の方から守って頂き、小学校の卒業アルバム?の運動会のもの)
しかし○○県の新聞には、我が家の地番こそないものの、
字(あざ)の後の地名まで、しっかり掲載されていた。

我が家だけで大切にしたい、娘との思い出も記者達は欲しがった。
大手○○新聞は事故直後の、行方不明の娘の死を、いかに早く掴んでいたか、
わざわざ新聞週間にあて、遺族に何の連絡もなく、自社の情報システムの誇示の記事を掲載した。

ここまで遺族は、プライバシーも気持ちへの配慮もないの?

娘の死という悲しみに加え、この追い打ちに何度も涙が流れた。

しかも自称作家の老人や、娘の弔問に来てくれる生徒さんに、会って一言話したいと、我が家を探す人々。

静かに娘の傍にいてやりたい。
娘の事だけを思って、涙したい。
そんな穏やかな生活も守れない我が家。

だが、その我が家の現状とは裏腹に、
「プライバシー」を大きくかざす  学校!

事故の真相を求めても、重度ウツ病の元校長の部分で、遮られてしまう。
「医師の診断書を」とお願いすると、
「 プ ラ イ バ シ ー の問題ですから」と、拒否。

学校に当時、「先生達の 生の声 が聞きたい」 とお願いしても、校長からメモは取るな!
「調書と違っていると困るので ( プ ラ イ バ シ ー に関わる)」って。

プライバシーの履き違えじゃないの?

          娘は < 命  > を落としたんだよ!!!


8月25日 同じ敷居に立ちたがらない大人達

2011-08-25 09:20:03 | 市教委に対して
娘の命日の6月が、あと何ヵ月かという時、
市の教育委員会では、「命の日」と定め、厳粛に各学校で、娘を追悼しようと考えていた。
白い正装で、命の大切さを唱え、生徒達に黙祷させる。

明るかった娘が望んでいるのは、そんな暗い儀式だろうか?
友達大好きの娘なら、皆が微笑んで、娘が死の前日に遺した「夢」を語って欲しいだろう。

事故を招いた○○県教育委員会にも、明るいセレモニーをお願いした。
生徒達で自分の夢を、黄色いハンカチに書いてもらって、それを結びつける。
1本の長い紐にし、それを高く飾ってもらえれば、どんなに綺麗だろう。
娘の見た最期の映像の、あまりにもの残酷さを思うと、
命日には綺麗なものを、一杯見せてやって欲しい。

その長い紐を、大人の利害?で同じ敷居に立とうとしないこの市が、○○県と繋いでくれたら。

命日の1週間後に予定されている、娘の像の除幕式。
この市はその行事出席でさえも、線を引きたがった。

○○県が起こした事故に、その不良商品を買った市が、なぜ出席しないといけないのかと。
市教育委員会だけでなく、その上に立つ民間人で構成する委員会まで、異議を唱えだしたという。
大人の変な利害関係?


昨年の暮れに、事故を起こした○○施設で催された、娘を弔う光の「菜の花キャンドル」。
その時、事故から半年経って  ようやく、
市(教育長、校長)と民間委託の○○施設、○○県教育委員会の3者が、揃った。

変な利害という大人の汚いこだわり捨てて、娘の命の前で、ひとつになってよ!

自分達の罪認めてよ!
あいつの方が悪いと言って、子供のような、責任逃れしないでよ!

遺族にされた親が預けたのは、     学校
学校の預け先がどこであれ、   私達は  学校に   かけがえのない娘を預けたのだから!



8月24日 地域の人に頼れって・・・?

2011-08-24 09:44:44 | 市教委に対して
5人目のカウンセラーも(臨床心理士は3人)、かえって傷口を拡げて泣かされるだけで、×。

今年になってようやく、体の不自由な私に必要なものは、娘に頼っていた分の、生活の介助だ!
心のケアでなく、外に連れ出してもらったり、病院(以前は娘の春夏冬休み)へ一緒に行ってもらったりの、実質的ケアだ!

すがる思いで、市教委の弔問時にお願いした。
しかし心のケアは市教委サイドでもOKだが、生活はちょっと担当外、と。
「地域の人、保護者友達とかに、頼めんのか?」と教育長。

親戚一人いないこの地、しかも難病で外に出れず、閉じこもっていた私に、
地域の人に頼めって言われても、皆仕事や、年老いた親の世話がある。
「公的サービスを頼む時代じゃないんですか?」とお願いし、
後日市の障害福祉課の複合サービス(心と体)の女性を紹介してもらった。

が、一番精神的に私が必要とする、娘の命日のある6月。
彼女と、彼女の所属する市の施設の関係者は、
私には彼女が6月に入院しているのを秘密にし、なにもサポートしてもらえなかった。
何度電話して、HELPしただろう。
またまたすがる思いで、その彼女を紹介した教育会館長に、「彼女からの連絡がない」って噛みつかざるを得なかった 6月の私。

市の関係者も、市の教育関係者だけでなく、遺族の親の私のケアは、な お ざ り ?
市の起こした 事故 なのに。



先日8/22の市教委の弔問時
「文庫に事故の情報のプレートをお願いているが、一向に学校は進めていない」
「遺族から風化防止の要望ばかりしている」と訴えた。

→教育長「遺族が先んじて要望しているから、学校は後手後手に回る悪循環だ」と。

→私「要望しないと、あれだけの事故を招いた当事者校なのに、何もしようとしない!」


いつまで続くのか、この学校への、教育サイドへの、
            
           < 深い 不信感 >



8月23日 子供の人権って?常識って?

2011-08-23 09:27:21 | 事故後の動き
8/20の毎日新聞の○○版に、天竜川下り船事故の、主人のコメントが掲載された。

船は沈むもの、飛行機は落ちるもの、自動車はぶつかるもの

その常識がなぜ?

施設が「大丈夫」の言葉を、生徒達の 命 を預かる先生達は簡単に信じてしまった。

雨が降って、不安がる生徒達。
いつも笑顔一杯の娘も、生徒を代表する宣誓の写真は 暗い 表情だ。 

それを大人のエゴで、詰まった行事を消化せねば、で命がおきざりにされてしまった。
挙句の果てには、事故から救出された生徒が、自分も死と向き合った生徒が、
必死の思いで 「○○(娘の名)がいない!」 って訴えても、
人数確認もせず、ただパニックになる先生達。

あとで救助を手伝った漁師さんに、「ライフジャケトを付けているのなら、まず頭数を数えるのが鉄則!
先生達はパニックになり、なにもできなかった」と。
2時間半も行方不明にされた娘。

出航の時から雨は激しく降っていた。
船という器に水が溜まれば、沈むのは当然。
それを、雨の溜まってゆく船を漕げと言われ、だまって漕がされた生徒達。

子供の人権って?

確実な安全の上での、訓練ではないの?
先生達大人の判断だけで、子供の命が奪われてもいいの?
教育という言葉に守られる教師。

国の事故調査が出ても、物理的な原因結果が出るだけ。
そして、なにも咎められない学校。
犯罪って言葉がでなければ、何をしてもいいの?

事故から14ヵ月経つ今も、なんの責任もとらず、
今 自分達のできる最善の事を考えようともせず、時間だけが過ぎていく。
国土交通省の調査待ちとする市教委と学校。
その間にまた、同じような犠牲者が出てしまう。。。



今晩も我が家には○○県の朝日テレビが、主人のコメントを撮りに来る。
また主人は、早く帰宅しなければならない。
     
      娘の命だけでなく、私達の生活もボロボロにしている学校

  

8月22日 逃げ出さないで 欲しかった先生達

2011-08-22 09:50:00 | 学校に対して
今朝、新聞に目をやっていると、
「光母子殺人事件 被告の元担任教諭」という見出しに目が止まった。
当時18歳だった元少年の、高校1年の頃の担任教諭が、
事故後に自分を責め、適応障害で退職し、心を病む人の為、精神保健福祉士を目指す記事だった。

事故  学校  責任

娘の死後、このフレーズに目がいく。


私は昨年の市教委の弔問時、当時事故で引率した先生達を移動させないで、
せめて娘や同級生の生徒達が卒業するまで、
責任を持って見守ってやって欲しい とお願いしていた。
その先生達の姿に、救いを求めたい と。 


しかし、教育長から返ってきた言葉は
「○○中の先生達はボロボロだ!
 反対に文でエールを送ってほしい。」と

娘を殺された遺族から、加害者の先生達にエール?  ?   ?  

でも、これで先生達が生徒達や娘に、真剣に向き合ってくれるなら。
大人の責任の取り方を、見せてくれるなら


2010年12月31日の年内最後、
私のトラウマ弔問時に、先生達に渡した。
母親の私が作成したエールを母親が設計した文庫に置いてくれと
           
               ↓    ↓


            「先生へのエール??」

       ねぇ、先生なら教えてよ
       何 失くした?

       可愛い笑顔?
       優しい言葉?
       将来の夢?
       命?

       一生 責任 感じるなら
       たった三年間 騙してよ

       大丈夫だ
       前へ進もう  って

       自己満足の苦しみ捨てて

       ○○(娘の名)は 
       生徒達と親は

       あなたを 信じたのだから
                          2010 12.31  ○○
 





1月の弔問時の教育課長が、
「あんなもの、エールと呼べない」 と言われた。
遺族の私に、ヒリヒリの心の私に、エールなんて送れる訳ない!
なんで理解できない注文をした?

4月にキレイに先生達の移動・退職を許した市教育委員会。
逃げ出した先生達。

       娘の命の重さって?    生徒達の心の傷の深さって?

            

      

8月21日 最悪 だった市教育長の第一印象

2011-08-21 06:30:01 | 市教委に対して
市教育長との初めての接触は、昨年の事故翌日のビジネスホテルでだった。
娘を一刻も早く、自宅に連れて帰ってやりたい という親の私達の思いは、
司法解剖という、普通では考えられない言葉に遮られた。

着の身着のままで、自宅を出て、マスコミの多さに自宅に帰ることもできなかったその夜
警察と事故を起こした隣県の教育委員会が用意した、マスコミには極秘のビジネスホテル。

朝3時には校長が
日が明るくなり、隣県の事故を招いた民間委託先関係者が、次々と謝罪に来た。
土下座し謝罪する民間委託先所長。

そんな中で、市教育長も謝罪に来たと思いき、
軽い謝罪の後、ホテルの私達の座るベットに腰かけ、何か親しげに話しかけてくる。
しかも返り際に言った言葉が「あ り が と う」(時間を取ってくれて?)


翌日の新聞には、その時の教育長が話した言葉と 悲嘆に暮れる親の様子が、掲載されていた。
教育長と私達、3人だけの会話が、なぜ新聞に

初めての月命日の市教委弔問時に、教育長が
「○○新聞の○○なら、(私達も)取材に応じてやってもいい」と言った


なんなの?これ?新聞社との癒着???



明日夜、また市教育委員会の月命日弔問、毎月のバトルのような弔問がある。
外目には、遺族に誠心誠意、14ヵ月もよくやっている教育委員会って 思われているんだろうな。

  

8月20日 2010年の残念過ぎる?壊れている市長の言動

2011-08-20 17:10:09 | 事故後の動き
昨日は私にとって、トラウマの金曜。
落ち着いて過ごそうと、(前日、入眠剤も飲んで寝て)朝からしっかりしていた。

しかし、
天竜川の川下り船転覆事故の報道を受け、思いも寄らぬ
マスコミから主人にコメントの依頼や、
私の心が心配と、遠くから自宅まで駆けつける人、
○○の駅連絡会の代表の方からメールと、
バタバタ。
とても心穏やかな状態ではなくなっていた。

電話してきた○○新聞も、昨年10月12日、市議会に「娘の事故の真相究明」の
請願書提出時、主人の記者会見にいた記者の一人だ。

当初はこの事故に関して、遺族には会わない と伝えられていた市長。

なぜか、10月9日に娘の月命日(18日なのに)と言って、
市教委と共に、
私達の動きを探り?に弔問に来たのが副市長。


10月12日のマスコミの多さに、
手のひらを返し、主人の乗るエレベーターが開くのを、迎え入れる市長。

開口一番、先に起こった駅前のアーケード転落事故と、娘が死んだ事故を同じ次元で話をする、無責任さ。

市議会で娘の事故が議題になった時も
「修学旅行で、飛行機事故に遭ったようなもの」と言ってのけた市幹部(市長?) 


               なんか おかしい この市長

国交省出身のボンボンの市長が、市議会でもやたらこの事故に
「天気図。天気図が読めんのか!」って野次をとばしていたらしい 壊れている市長


いろいろ思い出していると、
晩になり、私のトラウマ弔問に学校から、教務主任と主幹教諭の二人が来た。
2年の先生は来ないの?と思いながら
「天竜川転覆事故について、どう思われますか?」と質問を、教務主任にぶっつけてみた。
応えは、 「誰も想定外」と。

やはり  残念過ぎる中学↓。

娘の「命の重さ」

                当事者校として          真剣に 受け止めて欲しい! 


幹部5役なら、早く 事故情報のプレートを、風化させないうちに
現場の先生達に作らせてよ。
        
                    どんどん募っていく不信感


8月19日 遺族に形だけの誠意をみせる集い?

2011-08-19 08:18:35 | 学校に対して
昨夜は娘の月命日の中学校側の弔問。
7月19日の月命日弔問時に、2年の先生全員でって頼んだのに・・・

登場したのは、親分達幹部5役の5人と、2年の先生6人のうち3人。
「2年の現場の先生達全員」に、事故を風化させないよう、事故の情報を記したプレート作成を、ってお願いしたのに。

忙しい先生達だから、生徒さん達の学校生活に支障が生じないよう、
12月18日(去年の文庫寄贈日、事故から1年半)と期限にゆとりをもたせた。
(主人は時間があり過ぎると先月は言ったが)

聞いてみると、先生達は何も進めていない。
「ちゃんと作りますから・・」と校長。
なんの為に忙しい先生達に、月命日に集まってもらうという、理不尽な要求をしたのだろう。

うちもそこまでヒマじゃない。
人に来てもらうというのは、主人に早く帰宅してもらい、部屋や玄関等を片づけたり、いろいろ負担もある。
先生達だって夏休みの部活を済ませ、19時には我が家に集まって来なければ。

早々に5役は先生方を置いて退散したが、事故のプレートの話がなければ、やることがない。
親睦会?って感じで、差し障りのない話を聞くだけ。

おそらく震災の被災者だって、立派な政策とか誠意だけを示されてもなぁ・・・。
先ずは、
具体的な「形」を早急に見せて欲しい。
早くたたき台を作れば、より良い物に手直しできるし、
残った時間で、一部の保護者から声が挙がった花壇の方へも、プレートを設置できる。
(このプレートにも 校長は 難色を示したそうだが・・・)

      「命の責任」を感じていない学校!

どうせ何もできないだろうと、遺族からわざわざ、文・内容・新聞の編集見本を示したのに。
ここまで遺族にさせる  学校の姿勢って?

一部記す。          ↓



○○文庫 プレート内容

1.○○○○○     2010.6.18
2.署名活動       2010.
3.文庫寄贈       2010.12.18
4.○○キャンドル    2010.12.
5.命の日コンサート  2011.6.18
6.像除幕式      2011.6.26



              ○○文庫

 2010年6月18日、義務教育の野外活動中の○○が○○し、12歳の我が娘、○○(当時、○○市立○○中学1年生)の命がなんの落ち度もなく奪われました。この文庫には、明るかった○○を哀悼する気持と、「再び残酷な事故を起こさないで欲しい」という一人娘を失った遺族の思いをこめています。
             2010年12月(事故から半年の月命日に寄贈)
                            ○○両親
  

8月18日 1ヵ月も放っておかれた、遺族である母親の心のケア

2011-08-18 08:51:52 | 事故後の動き
学校の生徒さん達への、専門家による心のケアも落ち着いた1年前の今頃、
私の体にも異変が

顔の半分(口から目)がひきつる、片手が指先から肩まで無意識に曲がってゆく。
時が経つにつれ、そのマヒ?は頻繁になっていった。

電話で話していても、フライパンで火を使い調理していても、眠っていても。
さすがに1分置きに起こるようになった時は、危険で生活できなかった
難病の再発?と、市民病院の神経内科の主治医まで、
主人にHELPを出し、急いで連れて行ってもらった暑い夏。

診断は脊髄の神経の病気の再発ではなく、精神の方の神経と、精神安定剤を処方された

その頃私は、死ぬことばかり 考えていた。
あとでわかったが、サバイバーズギルト、残されたものの罪悪感というらしい。

しかし実際に包丁を、首や手首に滑らしていたのも、数回。
これで、遺された主人を思うと死ぬ訳にもいかない。
それで市報にある、女性電話相談等に電話していた。
娘を殺した学校に頼るのは、絶対イヤ!

しかし、自分を殺してしまいそうで、そんなこと言ってられない!
切羽詰まり、市教育委員会の月1回の弔問時に、私の心のケアをお願いした。

                 が、、、、1カ月経ってもなんの連絡もない

業を煮やし、事故後、私に度々電話で心配してくれていた○○署の部長に、
専門家の心のケアをお願いし、彼から市教委に連絡が入った。

やっと我が家に「一人目」の臨床心理士が来たのは、寒い12月3日だった。

私が自殺していたらどうなっていたのだろう?

        不信感と怒りだけが募る日々であった。    


今日は14回目の、私のかけがえのない一人娘の月命日。

         

8月17日 調書に込めた、今も変わらぬ怒り

2011-08-17 10:20:55 | 事故後の動き
昨年の9月に警察に提出した、PCに残る調書の原文を見つけた。
最近作成したもの?と思うほど、事故から14カ月近く経つが、

学校への  強い怒り  は変わっていない。

その調書は下記通り
   
     ↓


<○○事故について>

 事故について初めて知ったのは、母親が自宅での図面の仕事を終え、リハビリを兼ねてのエアロバイクをこぎながら、17時頃のTVのスィッチをつけると、「○○の中学が○○○○○で・・・・」というニュースがとびこんできました。
「まさか・・・」と青ざめて、急いで父親の携帯に連絡すると、父親は学校から呼び出されて○○中に向かっている最中でした。
 母親は祈るような思いで、TVをみておりましたが、学校側からは何の確かな情報もなく、19時前頃○○署から一番聞きたくない連絡が入りました。
 何も信じられない状態で、取り急ぎ父親に連絡すると、今度は、父親は学校側から『全員無事』と聞いて病院に向かっている車中でした。
❏事故の第一報を聞いて、どうしてこの風雨の中、○○訓練を行なったのか、てっきり今日は中止と思っていた。挙句の果てに○○○○○し娘が死んでしまった。現場で何が起きたのか、信じられない気持で何も考えられなかった。家内から悲しい連絡を聞いた車中で、これからどうなるのだろうと不安で仕方がなかった事を覚えている。(父)
 司法解剖のため10分間だけの、娘の遺体との対面のあと、マスコミ対策で○○のホテルに閉じ込められ、葬儀の夜の学校の会見は、私共に連絡される訳もなく、TVの情報と、校長に対して強い憤りを覚える多くのPTAの方から後日持ちこまれた、ボイスレコーダーから紙面化した情報のみです。
❏6/22の学校の会見内容は2カ月以上もたってから、学校からではなく、PTAから入手した。その内容は、「現場は混乱してしまったから、生徒のいのちを救う事が出来なかった」としか言っていない、言い訳にしか聞こえない会見のように感じた。(父)
 ○○に対する強い憤りもありますが、私共はあくまで「学校にかけがえのない娘を預けた」のであって、学校、特に○○校長に「殺された」という思いが捨てきれません。
 その校長には事故後も謝罪の気持ちが感じられず、弔問時も校長という上に立つ者の気分のままで我が家に乗り込まれ、私共は娘を失った深い悲しみに加え、校長の自分本意としか感じられない言動に苦しめられ続けました。
 
再発防止に向け動いて欲しいのはもちろんですが、その再発防止のためにまずは徹底した真相を追究して欲しいと願っています。
関係者全員に対し、最低限、法に従って適正な処罰を望みます。特に○○校長に対し厳しい処罰を望みます。
                                 父の名・母の名





まさか1年以上経つても、学校の「誠意のない対応」に苦しめられているとは。
この調書を主人と、身を切り裂くような思いで作成した時は、思いもしなかった。

明日、また14回目の月命日がくる。