般若堂と札所遠望
秩父札所三十二番法性寺は、同寺の縁起によれば、奈良時代、行基の開創と伝えられ、一刀三礼して本尊聖観世音菩薩を刻したと伝えられています。
また、弘法大師が大般若経六百巻を一晩のうちに書き上げたと伝えられることから、当地が「般若」と言われるようになりました。
しかし、文献で明らかにされるのは、鎌倉時代貞永元(1,232)年眼応玄察和尚が曽祖開山であり、当時は密教系であったことが推察されます。
その後江戸時代に、曹洞開山智外宗察がほぼ現在の形に伽藍を整えました。と記されています。
「般若山」の額をかかげた山門は、白木の精巧な造りで、札所では唯一の鐘楼門で楼上は鐘を吊る為、化粧屋根になっている。
また、舞台造りの観音堂は、方形屋根、三間四面で内陣の外側は吹抜けになっている。
般若堂には急な石段を登らなくてはならないが、奥の院(等身大の青銅製の大日如来が建立されている)へ行くのには更に厳しい登りとなっている。この奥の院の建立されている岩場が大きな船の舳先の様な形をしているのでの「お舟観音」の由来とも云われている。本寺には、誤って落ちてしまった江戸の町人の手代の話があり、観音様のご利益で怪我がをしなかったばかりか盲目の主人の眼が開いたと云う。言い伝えが残されている。
なお、今回は、奥の院の拝観を残念ながら断念した。
駐車場あり(無料) 法性寺(般若お舟観音)公式ホームページ
秩父札所32番寺の般若山の額をかかげた山門、秩父札所では唯一の鐘楼門と云う
山門をくぐると急な石段が待ち構えている 札所も長い石段の途中にある
石段の途中には石仏などが数多く建立されている 見上げると般若堂が迫ってくる
ようやく般若堂到着
般若堂からの眺め
般若堂の裏にお堂があって子授けのご利益があると云われるお地蔵様が祀られている。
般若お舟観音 地図
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