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はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

安土城跡を歩きました(後編)

2018-12-16 18:30:00 | 知らない街をぶらり
織田信長が安土城を築いた頃は、天下統一の途上でした。北陸には上杉、中国には毛利、そして大阪には本願寺と、信長に敵対する勢力が多く、まだまだ前途多難の時期だったようです。

さて、黒金門跡まで登ってきました。



この辺りまで来ると石垣も大きく頑丈になってきました。ここから先が安土城の本丸や天主がある核心部です。



この石段を信長をはじめ、秀吉など名の知れた武将が歩いたのかと思うと、嬉しくなって来ます。



本丸跡にやって来ました。ここには立派な本丸御殿が建てられていたそうで、天皇の行幸を考えていたといわれています。



石垣の一部に光が当たっていました。この日は降ったり晴れたりと目まぐるしく天気が変わりました。



すっかり苔むしてしまった石垣です。430年間静かにここに佇んでいます。



いよいよ天主跡に向かいます。



ここに五層七階の天主が建っていました。その壮大さはイエズス会の宣教師ルイス・フロイスも書き残しています。内部は狩野永徳の豪壮な障壁画で飾られていたそうです。



天主からの眺めです。遠くに琵琶湖が見えますが、信長が見た景色はすぐ下まで湖水のある風景でした。こうして景色を眺めていると、横に信長がいて一緒に眺めている気分になります。(妄想することが大切です。)



北側の眺めです。伊吹山がうっすらと見えます。



こちらは西の湖でしょうか。当時の安土城は琵琶湖の内湖に囲まれて、南の方だけが陸続きだったそうです。水運を重視した信長らしい立地です。



城の完成から3年後に信長は本能寺であっけなく亡くなり、安土城も焼け落ちてしまいました。まさに、兵どもが夢の跡でした。



大手門に戻ってくると、また雨が降り出しました。名残の紅葉がさびしげでした。



<完>


※訪問日 2018.12.14