織田信長が安土城を築いた頃は、天下統一の途上でした。北陸には上杉、中国には毛利、そして大阪には本願寺と、信長に敵対する勢力が多く、まだまだ前途多難の時期だったようです。
さて、黒金門跡まで登ってきました。

この辺りまで来ると石垣も大きく頑丈になってきました。ここから先が安土城の本丸や天主がある核心部です。

この石段を信長をはじめ、秀吉など名の知れた武将が歩いたのかと思うと、嬉しくなって来ます。

本丸跡にやって来ました。ここには立派な本丸御殿が建てられていたそうで、天皇の行幸を考えていたといわれています。

石垣の一部に光が当たっていました。この日は降ったり晴れたりと目まぐるしく天気が変わりました。

すっかり苔むしてしまった石垣です。430年間静かにここに佇んでいます。

いよいよ天主跡に向かいます。

ここに五層七階の天主が建っていました。その壮大さはイエズス会の宣教師ルイス・フロイスも書き残しています。内部は狩野永徳の豪壮な障壁画で飾られていたそうです。

天主からの眺めです。遠くに琵琶湖が見えますが、信長が見た景色はすぐ下まで湖水のある風景でした。こうして景色を眺めていると、横に信長がいて一緒に眺めている気分になります。(妄想することが大切です。)

北側の眺めです。伊吹山がうっすらと見えます。

こちらは西の湖でしょうか。当時の安土城は琵琶湖の内湖に囲まれて、南の方だけが陸続きだったそうです。水運を重視した信長らしい立地です。

城の完成から3年後に信長は本能寺であっけなく亡くなり、安土城も焼け落ちてしまいました。まさに、兵どもが夢の跡でした。

大手門に戻ってくると、また雨が降り出しました。名残の紅葉がさびしげでした。

<完>
※訪問日 2018.12.14
さて、黒金門跡まで登ってきました。

この辺りまで来ると石垣も大きく頑丈になってきました。ここから先が安土城の本丸や天主がある核心部です。

この石段を信長をはじめ、秀吉など名の知れた武将が歩いたのかと思うと、嬉しくなって来ます。

本丸跡にやって来ました。ここには立派な本丸御殿が建てられていたそうで、天皇の行幸を考えていたといわれています。

石垣の一部に光が当たっていました。この日は降ったり晴れたりと目まぐるしく天気が変わりました。

すっかり苔むしてしまった石垣です。430年間静かにここに佇んでいます。

いよいよ天主跡に向かいます。

ここに五層七階の天主が建っていました。その壮大さはイエズス会の宣教師ルイス・フロイスも書き残しています。内部は狩野永徳の豪壮な障壁画で飾られていたそうです。

天主からの眺めです。遠くに琵琶湖が見えますが、信長が見た景色はすぐ下まで湖水のある風景でした。こうして景色を眺めていると、横に信長がいて一緒に眺めている気分になります。(妄想することが大切です。)

北側の眺めです。伊吹山がうっすらと見えます。

こちらは西の湖でしょうか。当時の安土城は琵琶湖の内湖に囲まれて、南の方だけが陸続きだったそうです。水運を重視した信長らしい立地です。

城の完成から3年後に信長は本能寺であっけなく亡くなり、安土城も焼け落ちてしまいました。まさに、兵どもが夢の跡でした。

大手門に戻ってくると、また雨が降り出しました。名残の紅葉がさびしげでした。

<完>
※訪問日 2018.12.14