はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

信楽高原鐵道に乗って(その1)

2016-07-11 20:37:31 | 鉄道の旅
信楽高原鐵道は、貴生川~信楽間14、7キロを、1両編成のディーゼル列車が単線路を走ります。駅もわずか6駅しかない鉄道です。
その信楽高原鐵道に乗って、歴史にふれたり、列車を撮ったりと、鉄道の旅をしてきました。
 (貴生川駅の信楽高原鐵道)

貴生川駅にはJR草津線がすぐとなりのホームに、近江鉄道も乗り入れています。
 (JRとのツーショット)

この信楽高原鐵道ですが、ローカル線の例にもれず廃線の憂き目にあったのですが、昭和62年に第三セクターとして再開しました。その後、大きな事故や台風被害など廃線の危機を乗り越えて今に至っています。
私は、平日の昼前に乗車したのですが、5~6人の乗客でした。大丈夫かなと思ったのですが、朝夕は通学の足になっているそうです。土日は信楽への観光で利用者も多いのかもしれませんね。

貴生川を出発してすぐのところに「田んぼアート」がありました。
 (田んぼアート)

「田んぼアート」を過ぎると、一直線に上っていきます。標高差170メートル、33パーミルの上りです。
 (一気に高原へ)

高原鐵道というネーミング通り、森の中を走り抜けて行きます。
 (走り去る風景)

やがて、ひとつ目の駅、「紫香楽宮跡駅」に到着です。ここまでの所要時間は15分です。全線24分なので、最初の1区間だけで半分以上ということなのです。
 (紫香楽宮跡駅の列車)

この駅は駅名の通り「紫香楽宮」があったところなのです。紫香楽宮というのは、あの東大寺の大仏で有名な聖武天皇が、この地に都を造営した場所なんです。
 (紫香楽宮跡の石碑)

今は、森の中にお堂の跡の礎石が並んでいるだけです。大仏の建立の詔は、この地で発せられました。しかし、この都も3年あまりの運命でした。(聖武天皇は平城京はもとより、恭仁京、紫香楽宮、難波宮と遷都をくりかえしました。民衆はえらい迷惑だったことでしょうね)
 (紫香楽宮跡)

そんな風景の中を信楽高原鐵道が走ります。
 (森の中を走る)

信楽高原鐵道に乗って旅をつづけましょう。
 (紫香楽宮跡駅をあとに)

<つづく>