やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

夜驚

2015年05月16日 | 小さな頃の息子

息子が幼稚園に通うようになってからは、時々、保健センターでの発達支援相談を受けていましたが、息子が年少さんの夏、私の父が大腸癌になり、さらに、手術後の合併症で脳炎を患い、息子よりも、私の父親中心の生活になってしまいました。

 

母は、くも膜下出血によりすでに亡くなっていたので、私が、父に付き添うことになりました。

父は、点滴を抜いたり、暴れたり、また、大腸癌の手術で取り付けられた人工肛門を理解できず、外そうとして汚物まみれになるので、出来るだけ付き添ってほしいと病院側から言われたからです。

付き添いがいない時は、拘束着を着て、ベッドや車椅子に固定されたままになってしまうので、回復期病院に転院できるようになるまでの間、私は、毎日片道40分かけて病院に通っていました。

 

父は、私の顔を見ても分かりませんでした。でも、娘だというと、思い出したのかどうかは分かりませんが、受け入れてくれました。

私の主人はもちろん、孫である息子のことも分かりません。

息子を連れてくるたび、「どこの子や~?」と言ってました。

 

脳炎により、高次脳機能障害を持つようになった父の父でないような姿に、私自身ショックで、これからどうなるのだろうという不安を隠せませんでした。

それを、息子が敏感に感じとってしまったのか、息子の夜驚が始まりました。

 

夜中に、突然目を覚まし、パニック状態になって暴れまわるのです。

「おかあちゃん! どこ? どこ~!?」と言って、泣き叫ぶのです。

「おかあちゃんだよ、ここにいるよ!」と、いくら私が言っても、名前を呼んで抱きしめても、見えてない聞こえていないようで、私を振り払い、暴れようとするのです。

壁や家具に頭をぶつけないように、息子を必死で抱きしめるしかありません。

「だいじょうぶだよ。ここにいるよ」と言って・・・

 

小児科の先生から、このパニックが「夜驚」というものだと聞きました。

成長すると、自然に治ることが多いということも。

 

息子の夜驚は3ヶ月続きましたが、その後は、一度も起こっていません。

その頃、父も回復期病院に転院し、私の通院も一日おきのペースになり、少し余裕が出てきたからかもしれません。

 

余談ですが、息子は、2年生から、私のことを「ママ」と呼ぶようになりました。

 

「あのな~、お願いがあるんやけど・・・、『ママ』って呼んでいい?」

「ええよ~ 『ママ』って呼びたかった?」

「うん!!」

 

ちなみに、父親は、おとうちゃんのまんまです。 


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