曼珠沙華が満開です。
学名、彼岸花。
母の介護で、レッドアロー号にのって秩父に通っていたころ。
今ごろの季節になると、臨時に停まる駅がありました。
「曼珠沙華の里」なる、その場所には、あたり一面真っ赤な曼珠沙華が咲き乱れているそうです。
小さいころお隣の親戚の家の床の間に、極楽浄土図絵の掛け軸がかけてありました。
小さかった私は、いつもしんとしているその家にいくと、怖いもの見たさから半分腰を浮かし、その大きな掛け軸を見たものです。
あの図絵の朱赤の色と、曼珠沙華が、なんの脈絡もなく私の中ではいまでもつながっています。
夫を早くに亡くし、私たち姉弟が「隣のおばちゃん」と呼んでいたどこか粋でおしゃれな、父の従姉妹のその人は、晩年は埼玉の川口で高校の先生をしていた息子さんのご家族と暮らし、90歳近くまでお幸せに過ごしておりましたが、もうしばらく前にあの掛け軸の世界へと昇天されていきました。
ふと、あの小さかった頃の、「隣のおばちゃんち」の掛け軸を思い出した、曼珠沙華の秋です。
毎年毎年雑草と一緒に刈られているのに・・・
ひでじぃの絵本 私財をなげうって7冊+1冊注文しました!?
自生の彼岸花?
彼岸花って強いのですね。
ひでじぃさんの絵本?
それを8冊も?
のりおさん、すご~い!!
彼、大喜びしてたでしょ?
そんなスポンサーを、私も欲しい!!
ひでじぃは売れば売るほど赤字の値段です。
たしかに、子供の頃怖い空間って、
いっぱいありましたね。
納戸の奥や、屋根裏部屋や、仏間や・・・
それだけあちらに近かったのかもしれません。
大人になるとそんなファンタジーが遠のいて、
つまらなくなっちゃった。
怖いのは、飲んで帰った時の我が家の敷居(笑)
そんなことより、たくさんの人たちに読んでいただけるのが、なによりの喜びなんですよ!
一昨日、書評誌に、60年代を描いた作品2作の比較と、宮台真司の『まぼろしの郊外』をからめた私論を書きあげました。
私たちが子どもだったころは、町のいたるところに「闇」が潜んでいましたね。だからこそ魅力的な時代だったのかもしれません。
でも宮台真司の本によると、団地が次々と建ち、そうした濃密な地域社会は崩壊し、郊外はまぼろしと化していきました。
その頃から、すっかり漂白されてしまった町には、ファンタジーの隙間もなくなってしまったようです。
だからこそ、子ども時代のあの密やかな「闇」をいま、とても恋しく思います。