小池新都知事の都庁での挨拶周りが報じられた。都議会議長だか、記念撮影を記者に求められると「あなたの要望に応える必要はないから」と拒否した。何処かで見たような光景。タレントで作家の知事が誕生した県で、地方議員ではないが幹部職員がカメラの前で渡された名刺を破る光景だ。理由は職員という部下に名刺を渡す必要ないでしょ、とのこと。共通しているのはどちらも意に添わなかった知事の誕生だったのだろう。それにしてもである。
地方自治も知らない新米知事がという驕りは否めない。自分達が新米だった頃のことを棚に上げてである。ましてや知事となると一職員や議員がなろうと思ってなれるものではない。自分達の方がプロだと思っているかも知れないが知事という職業に就いたことはないだろうから自分達も知事のプロでは無いはず。何故都民が見ているカメラの前であのような振る舞いができるのか。ニコニコして写真に収まると都民からは信念の無い媚び諂うヤツと思われることを恐れてだろうか。私は県民だから都民がどう思おうと勝手だが。
選挙中の厚化粧発言も面白かった。実は現役の国会議員先生にお会いできる機会が何度かあったが総じて厚化粧だった。それも尋常では無い厚さで、多分蚊が刺すくらいでは身に届かないくらいだった。香水も3mくらい前から匂った。それでも本人がそれで良いと思うなら誰も止められない。いやそんな事を面と向かって言うことは3親等以内の人でもできない。超メタボの人を見て「何であんなに太るまで何もしないでいて今更ダイエット?途中でヤバいと気付くはず。」と思いがちだが「気付かない」はず。それは留まることなく一瞬の内に限界を通り過ぎて今に至ったから考える暇など無かったからだ。いつの間にか厚くなった化粧はその人の歴史そのものである。(小池知事には別の理由があったのだが)
「いつの間にか」というのは考えものである。日常生活も環境も一見連続して見える。病気とか災害とか余程の不幸の中に在る人は「変化」に期待するが「いつの間にか」に期待することは無い。しかし、多くの人は昨日と同じような今日、今日と同じような明日を思い連続の中に一種の安心感を覚える。変化が起こったり、変化したりすることは通常望まない。ところが現実は少しずつ必ず変化しており、それが続いた結果ある日「いつの間にか」に気付く。結婚などもそうだろう。今日明日の問題と思わないからいつの間にか歳が行く。
小学校にあがるとか大学を卒業して就職するとか、親を亡くすとか、定年を迎えるとか、何か不可抗力的変化が無いと中々このいつの間にかを止めることはできない。もし、人生に定期的にビッグイベントがあると面白い。30年経ったら必ず一度離婚するとか。勿論申請により40年まで延長は可とする。しかし、延長の場合、規制委員会の厳しい審査をパスしなければならない。相当金も掛けて新婚当時の様子に戻す努力もしなければパスしない。コンクリートの厚塗り、いや厚化粧はある程度まで許される。重力で自然剥落するほど厚くしてはならないが。
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