高校野球やオリンピックの前に内閣改造という興味事が出て来た。既に主要閣僚の名前が挙がっているが、殆どは名前を知っている政治家である。無難ではあるが新鮮味に欠ける現状維持内閣とも言える。歯舞を読めない沖縄北方担当相が顰蹙をかったことがあるが、北海道出身議員を充てたら多分今度は沖縄の地名は読めないから注意した方が良い。どう考えても主要閣僚に力量や人気のある政治家を充てると下手すると反旗を翻しかねないからどうしても古い知りあいとなる。TVドラマなどで社長に対抗する専務派などが面白く描かれることがあるが、多分その専務はポストに就いた時は最高のYeSマンだったに違いない。長く専務をやる内に社長との確執が生まれてくるのだろうが、内閣では独自性を出す大臣など居ない。それだけの時間が無い。従って、何か新しいことをやる人は閣外に居ると思った方が良い。
何故現状維持内閣が続くのか、それは多くの人が今のままで良いという選択をしているからである。何故今のままで良いと言うのか。それは何をどうすれば良いのか分からない、言い換えれば何をしても良いという選択肢の多さから逆に決定回避の法則に陥り、現状維持を選択する。以前縛りの無い自由が如何に不自由であるかということをブログに書いたが、今の生活がしかりである。明日何をしなければならないという日は滅多にない。何をしても良いと言う内には何をしなくとも良いという選択肢が含まれるからつい今日と同じ明日を迎える。見方によれば自由が羨ましいと思われるかも知れないが、本人は決して満足はしていない。取敢えずの明日は無為徒食の日々としてブログに書いたこともある。
自分の生活は現状維持を選択しながらも、次の衆院選までにはきっと何かが起こるという他人任せの期待をしている。