太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

これを余慶と呼ぶか

2024-03-04 08:17:02 | 日記

 近所の庭先に白やピンクの綺麗な梅の花が目立つようになってきた。開発された住宅団地だが所々に大きな家がある。昔から住んでいる農家の方だろうか。概してそれらの庭は植木が見事である。しかし最近では空き家になったのだろうか取り壊されて駐車場になったり新築の家が何軒も建ったりする。家の跡を継ぐという時代ではない。子供達が戻って来ても働き口がない。2世議員や2世タレントは居ても2世サラリーマンはいない。家を建てる時は将来のことも考えるべきであるがつい目先に囚われてしまう。子供が小さい時は手狭と思っても将来は老夫婦二人になり結構広くなる。豪邸だと子々孫々固定資産税も馬鹿にならない。最低限考えるべきことはいざという時売れる立地であるかどうかである。そんなこと分かっていると思ってもつい間取りとかローンとか通勤のことを考えて選んでしまう。商売をしているとか食べて行ける程広大な農地を持っている人は別だがマイホームの最後を考えて置く必要はある。

自身はどうか。唯一売れる場所であると言う事だ。駅から徒歩5,6分、学校や医院、結婚式場から衣替えした葬祭場、大型商業施設も整い住宅団地の一角だから静かでもある。裏の空き家も売りに出されて即日売れたという。今は取り壊されて新築の家が建った。計算通りなら先見の明だが全て偶然である。通勤に便利と言う事だけを優先した。当初は結構田圃が多かった地である。

そもそも自分の老後など全く考えたことがなかった。狭い庭をいじったりすることなど絶対に無いと思っていた。気がつけば老境、年金生活である。瞬間、瞬間は精一杯やってきたように思うが長期的なことなど何も考えてはいなかった。現状が良いか悪いかを別にして人生は偶然の積み重ねだと思う。それを運と呼ぶ人もいる。「積善の家には必ず余慶あり」?いやいやそんなに立派な人生を歩んではいない。そのことわざすら知らなかった。昨日は体感地震が一度も無かった。収まってくれれば良いのだが余慶より余震?



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