太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

太陽光発電に関する意見広告と新聞

2015-06-29 09:30:15 | 社会観察

太陽光発電に関わる多くの者(事業者、メーカー、消費者)にとって最も悩ましいのは「先が見えない」ことである。「先が見えない=先が無い」と思うのは仕方がないことかも知れない。何故そうなるか、6月24日の電気新聞にFIT制度見直しについて『・・・太陽光に限れば導入量6400万KW、買取費用2兆3千億円という事実上の上限が設定された。』とある。この3月末でFIT設備認定量は8200万KWを超えており、この記事通りであるなら既に太陽光は上限に達して(超えて)おり、もう不要ということになる。しかし肝心なことが抜けている。

①買取費用の上限→太陽光の発電量→太陽光設備量の上限という理屈だが、無制限、無補償(指定電気事業者による出力抑制)なら太陽光設備量の上限は無いはず。

②2022年当初法律で定めたFIT買取期間は終了するが、制度最終年の設備では20年が加算されて2042年まで(住宅は2029年)まで買取期間が継続する。ここでは既設の全設備が一斉に終了するのではなく、早く設置されたものは買取が終了している。2030年の6400万KWの構成には異なる買取単価の設備が含まれており、構成の予測は今後の買取単価とリンクしており、単純に2兆3千億を算出することはできない。公平、公正、中立、事実を旨とする『新聞』なら算出の仮定まで含めて『上限が設定された』とすべきである。そうでないなら意見広告とすべき。『新聞』という名称だけで読者は『事実』と誤認する。

法律改正してFIT制度維持の10年間を短くするならポストFITの社会を描くことが必要である。2020年の発送電分離(電力自由化の仕上げ)はFIT制度と併存するとMETIから説明されてきたが(事実併存可能でしょう)、FIT制度が無くなると自由化の中の一部となり、2030年に6400万KWと決めることは、この国に××は▼▼以上普及してはならないと国が決めることになるが、電力自由化との整合は?

多くの関係者の不安はFITが無くなることではなく、ポストFITの世界が描けないところにある。『長期エネルギー需給見通し』の数値は電源構成の目安であり、太陽光発電の必要量の限界値でないことは太陽光発電協会のビジョンでも示した。技術的、経済的(負担)視点での電源構成からだけではなく、国は電力自由化の中でセキュリティ(自給と安全、環境)、消費者選択の余地など加味した大雑把で良いから太陽光発電の関係図を示して欲しいものである。勿論電気新聞が『意見広告』として示してくれてもよい。



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