太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

太陽電池開発と国会論戦の続き

2015-09-18 10:57:06 | 社会観察

安保法案の参院本会議が今日予定されており、例え採決されなくとも60日ルールが視野にあるという。昨日の参院委員会の与野党の攻防は見応えがあり、久しぶりに台湾の国会のような熱闘が繰り広げられた。これまでの経緯を思うと与党側の理論武装の綻びが目立つ。街頭インタビューではいい歳のおっさんが米国にただ乗りの安保は改めななければと受け売りの言葉でまことしやかに言う。ただで守ってくれる程お人よしが何処にいるのだろう。沖縄の人はただ乗りと思っているだろうか。悪いとは思わないし当たり前のことだが全ては国益に適うか否かである。民主主義=多数決と短絡するのもおかしい。また、少し前まではねじれ国会で何も決められないと嘆いていた人達は安定多数で良かった、これで何でも決められると安堵しているのだろうか。ねじれで決められなかったのではなく、政策立案が貧しかったのではないだろうか。本当に良い政策であれば与野党に関わらず議員個人の見識で事が決められるのでは。議員の資質に拘るのはイデオロギーなき時代に政党を分かつものは利益代表として依って立つところしかないと思うから。それは地元であったり特定組織であったりするだろう。しかし、利益代表が国益とどのような整合を図るかがまた議員の資質である。それにしても最近の与党では党内の異論が全くでて来ないのは不思議で見事でもある。素晴らしい見識を持ち、この国をどうしようと考えている人達は必ず居り、今回の国会運営にももうちょっと国民が納得できる方法(選択肢)が示されても良かったのではないだろうか。私が知りたいのは安全保障が必要なもっと上位の危機事態の例である。A国がこういう目的で日本を脅かす場合、テロがこういう目的で仕掛けをしてきた場合、不測の暴発が起こった場合、とかもっと分かり安い例から法案の必要性を説明して欲しかった。それが直近で起こりうるのか、備えは時間軸でやって行こうとか、それを防ぐ外交はどうあるべきかとか。弾が飛んできたらどうする、兄弟が困ったらどうするという議論は全体像を見失ってしまう。この問題は究極、この国は将来どういう国を目指すというビジョンの欠落から生じるのではないだろうか。それは安保についてもエネルギー問題でも同じである。世界にああなりたいというお手本となる国があるのか否か、無いならば世界に先がけて日本はこういう国になるというビジョンである。イデオロギーが無いならせめて国の目指す形の違いで政党を分かつのも手である。高福祉社会を目指すがこういう痛みも伴う、環境立国を目指すならこういうリスクも、完璧な抑止力を持つ犯すべからざる国となるにはこういう負担をとか。次の選挙のマニュフェストでは共通テーマで違いを見せて欲しい。勿論PDCAにより定期的レビューは許される。国民はあらゆる付託をしたわけでは無い。安保環境のみならず付託も環境で変化する。若い人も選挙に行き、得意なインターネットで仲間を増やし知識や情報を共有するのも良いでしょう。もし集団的自衛権が発動されるような事態が起こればまず私のような歳よりから送るべき。足でまといと言われるかも知れないが、子や孫を送るよりは送られる側を選ぶ歳よりは多いと思う。その時は例え病死であろうが戦死扱いとして貰えれば残った若者はよくやったと言ってくれるだろう。繰り返すが、国家間の戦争は想定していません、地域紛争、暴走やテロを起こさせない環境を国としてつくるためにこの法案のここが必要です、または正直に同盟国のここを肩代わりすると私なら言うが。イラストを描いた官僚やブレーンの方々、我々は絵本で学ぶ幼稚園児とは違う。



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