太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

知っている事と出来る事

2018-02-23 10:04:27 | 日記

誰しもが過去を振り返って多少の後悔の念を持って、あの時ああしておけばと思う事はある。タイムマシンに乗って過去に遡ることができるならやり直したいと思う事もあるだろう。タイムマシンで無くとも何かの拍子に過去にタイムスリップしたらどうだろう。映画や小説でよくある設定である。もし石器時代にスリップしたらどうだろう。どれだけの知恵を伝えることができるだろうか。科学技術についてはほとんど無理だろうと思われる。私たちの知恵は都度ほぼ100%他人の知恵を借用している。一人でできることは殆ど無く無力な存在である。素晴らしい科学技術の進歩を知っていればなおさらそれが実現できないことに焦りまくる日々になるだろう。熱い餅を食ったキリンの苦しみにも似て、何でこんな世界にやってきたのかと後悔の日々になる。知っていることとそれができる事は別物である。それでも知らないよりは知っている方が良い。自分に出来なくとも他に託してできることはあるはずだ。黒曜石や頁岩を砕いて打製石器を作ることを知っていたら自分では器用に出来なくとも誰かに伝えれば出来るかも知れない。問題は作り方をしているから自分は何時でもできると勘違いすることである。

オリンピックでメダルを取った人達のインタビューは、自分一人の力ではない、また取れなかった人は力不足でしたと言うのを聞くと後味爽やかである。風のせいで負けたとか、競技場がどうだとか、審判がとか言うのは見苦しい。勝ちは多くの人のサポートのおかげであり、負けは自分の力不足であると心の底から思える人こそ一流である。オリンピックはアマチュアスポーツの最高峰である。爽やかさは勝利に優る。

未来へスリップしたらどうだろう。俺は何も知らない、そんなことは出来ないと無知蒙昧な下等動物だと思われても何とか生きていけそうな気がする。ただ、身体的進化では苦労するだろう。進化した人間のコミュニケーション能力では多分言葉を使わない。人間の脳は電気信号によって働いているが直接脳同士の信号のやりとりができるようになるだろう。文字は極端に省略、場合によってはバーコードやQRコードのように絵と文字を兼ねたものが普及し、コードリーダーなくして直接目で見たものを脳が判読するようになり逐語伝達のようなものは無くなっているかも知れない。今ですら若者の省略言葉が分からないから相当大変な未来である。映像は完全に3次元立体像になり、ホラー映画など現実的恐怖となってとても見ていられない。星新一のショートだったか「地球を救った猿」というのがあった気がする。宇宙人が地球征服にやってきて、蔓延っている二足歩行の動物をサンプリングのために捉える。宇宙船の中で調べて、こんな下等動物が棲む地球を征服しても意味が無いと去ってしまう。捉えられたのはチンパンジーという話だ。もし未来に行ったら地球を救える動物になれる可能性はある。

99%は他人の入れ知恵である。知ったかぶりをして書くブログも結構辛い。