キマグレ競馬・備忘録

競馬、MLB、スポーツ観戦、趣味など気になる事を書いています。

難波田城

2006年01月09日 | Photo (&Aviation)
難波田城は、埼玉の荒川沿いにある小さな城館です。
とてもきれいな夕暮れ時に写真を撮ってみました。一般には、ほとんど知られていない城館ですが、インターネットを見ると史跡愛好家の方のホームページに詳しく記載されています。
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難波田氏館は、平安時代末期に成立した武士団「武蔵七党」の一つ、村山党の中心の金子氏を祖とする難波田氏の居館跡です。難波田氏の祖とされる金子小太郎高範は、鎌倉時代の「承久の乱」に参戦して討ち死にし、その恩賞として幕府から、高範の子孫に難波田(南畑)の地が与えられ、その子孫が鎌倉時代に当該地に館を構え、地名を名字として名乗ったのが難波田氏の始まりと考えられています。
戦国時代になると難波田弾正善銀(憲重)が台頭し、扇谷上杉氏の重臣として活躍しました。
しかし、1546年(天文15)の「河越夜戦」で北条氏康軍と戦い、主君扇谷上杉朝定は討ち死にし、善銀も壮絶な討ち死にを遂げます。その後、難波田一族は北条氏の家臣となり、難波田の地は北条氏の家臣上田左近の知行地となります。1590年(天正18)の豊臣秀吉による小田原攻めにより、北条氏が滅ぼされたために難波田城は廃城となりました。
江戸時代前期、難波田氏の縁者という理由から、修験寺院である十玉院が幕府から移転・再興することを許可され、難波田城跡に建立されました。この十玉院も、明治5年(1872)の修験道廃止令によって廃寺となりました。(参考:「ザ・登城」ホームページより。)
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ちなみに管理している市役所のホームページには、歴史については何も触れていないようです。


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