エドマンド・デュラック
原題「庭の中の婦人」
偽物の画家だが、悪すぎるものではない。馬鹿なことになるほど、いいことにはなっていないからである。
馬鹿というものは、美しい女性を描く時、よくこういう女性を描く。細やかな姿に、色っぽい視線、かなりの美形、抑えめだがきついファッション。何かを基準に、自分好みに改造しているのだ。
馬鹿はこういう美形になりたいのである。
美しく、堂々としているが、やさしくはない。これでもかと整った美形を見せつける。かっちりと完璧に美形を縁取った輪郭に、どこか若さを失いかけているあせりを感じる。
本当はこんなに若いわけがないからだ。
馬鹿というものは、自己活動を他者に押し付けて、自分ではあまりやらないがゆえに、すぐに老いるのである。老いとは愚鈍ではない。怠惰なのだ。
ずると盗みで理想的な美形になれたとしても、それはつかの間だ。すぐに崩れていく。だが最近は、その崩れることを防ぐために、もっとひどいことをするようになった。
美魔女と言ってね、そろそろ廃れるだろうが、年をとっても美貌を保つために、馬鹿は人間ではないということをやりはじめたのである。
そうしたら、美人というものが、まるで吸血鬼のようになったのだ。
なりたい自分などというものは幻だ。所詮、嘘を組み合わせてつくる、馬鹿のあこがれだ。