ラジオのニュースは、キール海での海戦は順調に作戦が進んでいると伝えていた。吾らに戦勝国の栄誉が神から与えられる日もそう遠くないだろう、とアナウンサーががなっていた。そしてそれに続いて、今は重大な時代故、政権が変わるのは好ましくない。ゆえに現ジャルベール政権を尊重して、来年の選挙が延期されることが決定されたと伝えられていた。
ノエルは少し眉をひそめた。民主国家らしくない。戦時体制だし、仕方のないことではあるかもしれないが、まるで口調が独裁者のようだ。世論はどうなっているのだろう。ノエルがもう少し何かを知りたいとラジオに耳を澄ました途端、シリルがラジオのスイッチを切った。
「ふん」
そう言いながら、シリルはお茶を一気に飲み干した。
「民主主義というのは、堕落ですよ」
と、シリルは切り捨てた。ノエルは黙って聞いていた。シリル・ノールは薔薇の庭の中央に立ち、まるで万民の視線を浴びている政治家のように身振りを大きくしながら、言った。
「市民革命は王制をひっくり返し、人民に政権をもたらしたが、その結果どうなったと思います? 市民が政権の主となるためには、市民というものをみんな全く平等にしなければいけないんですよ。それでは政治が難しくなりすぎる。高い力を持つものも、田舎でこそ泥をするようなやつも、みんな一緒くたに同じ権限を与えるんだ。そんなことになっては、どんな馬鹿でも政治家になれる。嘘ばっかり平気でつけるやつばかりが、のしあがる」
シリルが身振りを大きくして薔薇に触れたとき、薔薇の小さな棘が指に触れた。シリルは一瞬、ウッと黙った。薔薇が風にゆれ、何かをシリルに言おうとしているかに見えた。シリルの言っていることに、全くその通りだと言っているようにも見えた。
そのままシリルが立ち尽くし、何も言わないので、ノエルが言った。
「先の選挙では、大方の予想を裏切って、ジャルベールが当選したのでしたっけね」
「対立候補のスキャンダルが明るみに出たからです。たいしたことでもないのに、人民はそれに踊らされてみんなジャルベールに入れたんだ。ほんとは彼ではいけなかったのに」
「わかります。ジャルベールはなりは立派だが、どこかおかしい」
「狸だからですよ」
「狸?」
「なんにもわかってないのです。隣国が見抜けていないからあんなことができる。カラヴィアは我がアマトリアに嫉妬しているんですよ」
「ほう? なぜ? キール海の漁権戦争で負けたからかな」
「それもありますが」
そのとき、ベルタが焼きたての小さなお菓子を持って来た。シリルは小さく歓声をあげ、それを歓迎した。女性が現れてくれたのを感謝するかのように、シリルはベルタにお礼を言ってから、言った。
「なに、我がアマトリアには、彼女のような美しくもやさしい女性がたくさんいるからです。カラヴィアには、実にベルタのようないい女はいない。それが彼らは悔しいんですよ」
それを聞くと、ベルタはとんでもないというような顔をして、笑いをかみ殺しながら、屋敷に戻っていった。ノエルもおかしそうに微笑んだ。
「それは真実かもしれませんね。人間というのは時に、実にくだらない理由で、愚かなことをしますから」
ノエルが言うと、シリルも我が意を得たりという顔で笑った。
「何、本当にそうなんですよ。政治なんてのはね、そんなことばっかりなんですよ」
そういうとシリルは、ベルタが持って来てくれたお菓子を一口かじり、その軽やかな甘さをほめたたえた。こんなものが作れる女性が、カラヴィアにいるものかと。
(つづく)